[日記]ずらりと並ぶ、その視線
今日は少し遠出して、軽くイベントを楽しもうと電車に乗る。こんなご時世に、と言うのは禁句だ。体調は(少しばかり筋肉痛だが)万全だし、準備もしてきたのだし、作っている人々の応援やら、未知やらを知ることができればなと思っている。
ということで電車に乗ったはいいが、日曜の朝ということもあって、私服の人がまばらにいるばかりだ。一車両に20はいかない程度。おそらく終点近くだといっぱいになるだろうが、その手前で降りるため、気にすることでもない。
そんな、一定間隔の音と振動を感じながら視線を上げてみると、鮮やかさに欠けていることに気がついた。でかでかとあるポップも、にこりと微笑む好青年もいない。味気のない文字と、会社名。あるいは、ただ白いだけの、壁と天井の境目があるばかりだ。
圧倒的に広告がない。
我慢とかいう、私にとっては作業のできる好都合な世間になってから、電車に乗ったことは、全然ない。たしか、草津に行ったときくらいか。
あのときは気にしてなかったが、電車に毎日のように乗っていたあの頃、学生時代と比べると、なにやらひっそりとした雰囲気を感じる。
そもそも、車内広告を出すことで利益は出ているのだろうか? どうにか顧客を得ていた組織が軒並み広告で得られる顧客が減少し、取り下げたのだろうか。広告を出せるような組織と言うのは、少なくとも利益を上げていないと継続して広告を出すのは難しいだろう。
利益が上がらないなら、事業を縮小するか、撤退するかのどちらかだ。無理に広告を出して客を探す必要性なんてない。
その結果、電車などのインフラに入る広告料も減ってしまう。それでも交通インフラなのだから、そうそう廃線になることはないだろうが、将来が危ぶまれることは、想像に難くないだろう。
もちろん、私の想像できうる金の動きを書いたにすぎない。どこまでが事実なのかは分からない。
しかし、いつも視界を煩いまでに覆っていたものがなくなると、少しだけ味気なくも感じてしまうのは、何故なのだろうか。
とりあえずは、今日を楽しむこととしよう。
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