[日記]底とはどこだろう?
固い感触に、ふと目を丸くする。硬いような、軟らかいような、よくよく見れば、沼に足を踏み入れてしまったか、と知る。
とっさにもう一方の足を踏みしめる。だが一向に力は分散するばかりで、いつまでたっても抜けることはない。
もちろん、なぜだと振り返ろうとした。だがそんな必要はなかった。踏みしめるべき足と同様、持ち上げるべき足が沈み始めていたからだった。
次第に、脛、膝をも飲み込んだ沼は、まだ足りないと、重力を味方に引き込んでくる。あがいても、あがいても、まるでプールに飛び込んだかのように、ますます落ちていく。
必死になり、うるさく脈打っていた心臓が、ふと遠ざかる。すっと冷めていく頭を感じながら見渡してみる。
もし近くに誰かいて、ロープでも持っていたならば、なんて。
だがそんなのは、理想の話だ。
近くには誰もいない。それどころか、よくよく見れば、辺りは同様に、沼に覆われている。
どうして気がつかなかったのだろう。こんなところに踏み込んだのは、自分のせいで、助けなんてどこにもない。
腿が、ひんやりと濡れてきた。
◆◆◆◆
適当にかきました。底、といえば底無し沼ですよね。足の抜けないほど、しかし自重で沈んでしまうような場所。
さて、世の中には底辺という言葉があります。数学的なものではありません。ポジションとか、技術とかをそう表現しますよね。
では考えてみてください。自分は何において底辺か。
まぁ、嫌になりますよね。私も考えたくないです。というか、考えませんけど。
底辺っていう考え方って、相対的なものなんですよね。ターゲットがいて、それと比較することで優劣をつけて、劣を極めると底面になるっていう。
で、思うのですが、何事にも優劣があるにしても、そこに感情を持ち込んでもどうしようもないのではありませんか?
優劣というのは、ある事柄に対して客観的項目を用意して、測った結果なんですよ。なので同じことのできる製品において比較するべきであって、人に甲乙をつけるものではないんですよ。
私はあの人より劣ってる。だからなんですか。底辺にいる私、かわいそうでしょ? いや知らんがな、と。
誰にでも得意不得意苦楽耐性、あるでしょう? 経験してきた年月も、好みのことも違うでしょう? そんな背景を無視して優劣甲乙を結論付ける暇があるのなら、できることをしていた方が、よっぽど建設的です。
それでも劣等感が……と言いたいのなら、まずは優劣の感情が先走るのを止めましょう。誰もが抱いていることなんですから、そんなもので右往左往しているうちは、なんにもできませんよ。
と、なんか書きたくなったので。誰に宛てたものでもないですけれども。こう、劣等感に踊らされてても楽しくないので。
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