[創作論]ふと気づく

 真実が語られるとき、語られる側は、何を考えているのだろうか?

 きっと、語られた主語について、何をしていたか。続く真実に、感じていた違和感を腑に落とすのだろう。結果、ふつふつと沸き上がる感情を、ぶつけるべき相手を見つけ出し、何かしらの行動を執ることだろう。


 ところで、先日、あるRPGの台詞の意味を、ふと思い出して、その意味を理解したのだ。あるイベントシーンにて「悪夢がよみがえるよ……」という、自身の経験と今を重ねる発言だったのだが、18年近くたって、それが何を意味するのか、がなぜか分かったのだ。

 当時の私はこの一言を聞いて、悪夢とはなんのことだろう、となったのだ。このシチュエーションの場合、このイベントの中に連想させるような要素があるはずなのだが、全くそういったものを見つけられず、意図を汲み取れないでいたのだ。

 それから月日が経ち、ふとよぎったこの台詞。あぁ、そういえば似たようなシーンがこのイベントよりも前にあったなぁ、と気がついた。

 その「悪夢」のシーンでは、この台詞を口にしたキャラクターは「落とし穴に落ちた」のだ。そして、この二つのシーンの共通点は、このキャラとは別のキャラがこける、ということだった。

 それぞれ結果として起こったことがあまりにも違うため、それを「悪夢」として結びつけることができなかった、というのが当時の私だったわけである。


 それで話を戻してみよう。

 真実が語られるのではなく、内側で情報を整理していたときに、ふと気づく。そのことに気付いたものは何を思うのだろうか?

 後悔なのか、はたまた希望なのか、怒りなのか。

 私の体験だと、腑に落ちる、だった。しかしどんな真実が思考を支配するのか、それは真実が見えなければ分からないことである。

 かといって説明されて知るよりも、かえって冷静でいられるのが、真実をあぶり出すパターン。なぜなら思考に溺れた結果は、ターゲットが自身であるために、感情に翻弄されにくいという利点もある。

 最終的には、結論や真実に対して、どうキャラクターが動くのか、を考えるだけなのだが、いざ自分がそのような場面に陥ったとき、どのようにするのか考えてみてみるのも、いいのではないだろうか?

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る