[日記]好奇心を沸かすのは
視聴の傾向から弾き出される、興味があるだろう? と尋ねてくる画面。その中で、普段は観ないようなものに手を伸ばしてみた。
だが作業の中のノイズとして流しているにすぎないので、じっくりこってりとは視聴しない。ただ流す。そういった点ではラジオでもかまわないし、それどころか視覚的情報がなくなるため、むしろラジオの方が作業を進めやすくなるのではないかと考えたが、視覚的ノイズという考え方もできなくはないだろう。今度、試してみようではないか。
話が逸れた。普段は視聴しないものを流してみた、という話だ。
もちろん、これ以降、同じ人の作ったものを以降も観よう、とは思わなかった。ではなぜ手を伸ばしたか、といえば、それ以外の情報があったからだ。観ようとした、ということは、情報に対して価値を感じたちめである。
視聴を終えた結果、情報としては有益であった。おかげで翌日、すなわち今日、試してみたいと思うようになった。情報が氾濫する中で、自身が体験していることだから、やれることだから、試してみたいと感じたわけだ。
では動画として、というよりは娯楽として、だろう。実況形式のものだったのだが、面白い、という感覚を覚えることはなかった。理由は簡単で、喋りなどが肌に合わなかったから、というだけである。
しかしいざ思い返してみると、こういう「情報」と「感情」による取捨選択を、今は幅広い人々が実施しているのだと思うと、疲れる世の中になってるなぁ、とふと考えた。
例にとるならばネットワークにあるゲームの攻略情報だ。
単に○○が攻略できない、効率のいい稼ぎなどの情報が欲しいなら、動画を観るよりも、それをまとめたwikiでも探した方がいい。昔の私もそうしていた。ここには情報しかないため、必要なことが分かれば閉じられることだろう。
しかし某動画サービスにて情報を探す場合はどうだろう? 実際に調べたわけではないが、RTAなど、様々な付加価値をつけたものが並んでいるのだ。
それは決して、全てが全て愉快なものではない。しかしその不愉快を愉快なものとして捉える人もいる。情報が欲しいからと、わざわざ神経を逆撫でするような付加情報がありうるくじ引きするくらいなら、情報だけを汲み取る前者を選択すればいい。
だが考えてみて欲しい。アプリゲームも氾濫し、撮影も容易。そして視聴者は、スマホの普及と共に爆発的に増えたのだ。
年齢問わず、自らの不快になりにいく人など存在しない。しかし同じ情報を持っていたとしても、情報だけが欲しいのにも関わらず、その人にとっては余計な付加価値と共に情報を得ている、という人は絶対数で見れば確実に増えているだろうと思う。
経験則でそれを回避することは容易いが、幼い頃からこういった選択をし続けるということは、感覚的にも耳障りのいい情報だけが正しい、ということを招くことにならないか。
そんなことを思い付くが、実際はどうなのだろうか。
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