[創作論]0と1、1と10、100と1

 創作というのは、0から1から生み出すことである。


 この一言は、書く人どころか、あらゆる創作者、誰にとっても頷きたくなる言葉であるかと思われる。

 なにもない場所から主人公が、敵が、仲間が、村、町、世界ができて、彼らが動き始める。まさしく、無から有を、0から1を作っているのだと、作者は創造神であると思わせるだけの、不思議な魔力を持っている。

 神は一週間で世界を創造した、なんて言葉もあるが、まるでそれになりきったかのように、キャラクターに自由にエピソードを、役目を与えることだろうと思う。


 では、

 創作というのは1から10まで、完結まで漕ぎ着けるのが大変なんだ。


 というものはどうだろうか?

 これもおよその人が頷くのではないだろうか。設定を決めるのは簡単でも、それを物語に落とし込み、最後まで書き上げることは難しい。人気だからと引き伸ばしても面白さが続くとも分からないし、鼻につく矛盾が現れる可能性が高くなってしまう。

 完全なフラグ回収なんてものは、そうそうできない。序盤にわざと残していたフラグを終盤でかっさらう、なんてのは比較的簡単だが、その途中に発生してしまった細かいものを解消するのは、それはもう難しい。感情の矛盾も同じことだろう。


 では、

 創作は、100を1にする作業である。


 という言葉はどうだろうか? 私の好きな作家さんの、エッセイか、インタビューか何かでおっしゃっていた言葉だが、これを見て以来、なるほどこれは大事な考えだと思うようになった。


 そもそも、1から作る、というのは無形のものに形を与えることから来ているのだと考えられるが、ではその、形を与える方法やネタなどはどこからくるのか、考えてみて欲しい。

 他ならぬ、自身が1を作り出していることだろう。

 では自身は何から作られているか。答えは簡単で、自身で作られている。答えにはなっていないが、創作においては、自身の全経験を整理して、切り崩して、くっつけて、形にすることで初めて1という作品が出来上がるのだ。

 すなわち、知識とか、経験とか、その全てを集約することで、初めて1の作品を作ることができる。

 それこそ、作品に現れる知識やキャラクターは、もとは作者が蓄えた100を、1の作品に集約してできたものなのである。

 これはどうだろう。こうしたら、ああしたら。そういった想像の枝を削ぎ落とし、一本の作品に落とし込んでいく。まさしく100を1にする作業である。


 ここから先の展開が思い付かない、というのは、0から1を作り出そうとしていることだと思われる。一度、視点を変えてキャラクターがどう動くのか、1から10を作ってみてもいい。

 だが最終的には、全てを綴った1作品を、是非とも作り出していきたいものである。

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