[創作論]知、あるからこそ
元ネタを知っているからこそ面白い。それはパロディという。
では知っていること、知識を使ったネタをふんだんに使った物語。これは知育・教育関係のものになりえたり、あるいは雑学としてのインプットとなる。
さて、ではそのネタとして、小学校でも行われるというプログラミングに関して、ネタにしてみようと思う。いや、もうされているのか?
私なら、論理をネタにする。砕いて言えば、and、orなどを魔法に使いたい。
そうなると、条件を必ず用意しなければならない。だから、周囲の敵を探索して、最寄りの敵を探して突撃させるとか。
あるいは、ある程度遠くにいるやつを狙い打つために、その上空に魔法を発動させる。距離を誤れば、相手に見つかって逆に撃たれることになる。
正直、一発ネタだな!
それで、どうしてこんな話をしたかと言えば、一年前くらいにこんな設定を見たのだ。魔法は言葉で作るプログラムで、唱えるとそれに倣った魔法が発動する、と。
設定に何か疑問があったか、といえば、そうでもない。そう落とし込もうとする気概も見られた。
何が気になったか、といえば、文章にコードが見られたことであった。
あくまでこれは私の考えだが、プログラムで必要なことは、参照する、書き込む、繰り返す、宣言する、の四つに分解することだと思っている。
何を繰り返したいのか、何を調べて、何をどこに書き込みたいのか、それに必要な宣言は何か。これを踏まえるだけで、小規模なものは大体カタがつく。まだまだ未熟ではあるが。
それで、こういった知識を持っている人は、文字にこう書いてああ書いて、と実際のコードを脳内に思い浮かべたりするのだろうか、とふと考えたのである。
慣れの問題かもしれないが、仕事なりゲームなりを作っている人は、いちいちコードを脳内タイピングはしないことだろう。
要は、「知っている人こそ、読んでいて首をかしげる」ということだ。
もちろん、その書き方を悪いと言いたいわけではない。そう表すのが、手っ取り早いし、かじった人には伝わるのだから。
だが知ってるからこその書き方もあるんじゃないか、と思えるのだ。
例えば、銃に詳しい人は気に入っている銃の魅力を一つ一つ描写するだろう。同じくらい知ってる人がそれを読んだら、同じ感情を抱くことだろう。対して、知らない人はシーンの一つとして、登場人物を見守ることだろう。
知っている。ただそれだけでも、描き方に色々な工夫ができないだろうか?
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