[創作論]折るも欠くも、投げるも自由
違う。違う、違う。
往復するテキストエディタの縦棒。キーを打ち込む度にこれは隣人を消して、生み出してを繰り返している。
数文字並べては、消してくれと頼み込む。
数百羅列しては、なんか違うと消し込む。
数千と連ねては、贋作だと頭を抱え込む。
書けない。書きたいけど、書けない。
嫌だ。書けない自分が嫌だ。昨日も、今日も、そしてきっと明日も読んでくれる人がいるのに、次が書けない。
一日。たった一日、更新が止まると、読者はどこかへと行ってしまう。そして彼らは、きっと別の毎日を見て、自分のこれを過去のものに、押し入れに閉まってしまうのだろう。
いやだ。それだけはいやだ。
やっとここまで、読者を得たのに、それを裏切りたくなんてない。
だから、すがりつくようでも、書く。納得いかなくても、彼らを描き続ける。そうしないと、自分は、これまでの自分は、ようやくここにたどり着いたことを、無駄にしてしまう。
嫌だ。絶対に止めたりはしない。
だが次に、指が触れるのはバックスペースキー。一度ではなく、じっと、押し続ける。
◆◆◆◆
と、まぁそこまで思い詰めてはないですけど、こんなことありますよね。
思っているものを書けなくて、けど書かないといけなくて。でも主人公たちはポーズを取りながらこちらを見つめていて。
でもいいんじゃないですか? 何かに固執することで一定の満足感を得られるものですが、それは何重にも、自身を縛り付けてしまう。
例えば、こんな図を描きたいと、絵を描いてください。多くの人は自他共に認められる絵は描けません。
ろくにやったことないのに、できるはずがないでしょう。けれどもあなたは文字を打ち込み続けて、今を書こうとしている。
時として、諦めることも覚えましょう。何十日という歳月の積み重ねを、たったの数日で見限るような人は読者ではない。言うなれば通行人、野次馬に過ぎないのですから。
それでもあなたが書きたいものを、本当に書けないのなら、それもいいのではないでしょうか。どこかの漫画も無期限休載なんて当たり前ですし、限りある時間をやれないことに費やすよりも、やりたいことに費やす方が、よほど楽しいですよ。
人間の気分なんて変わるもんです。
常にやり続けることはすごいことですが、それに執着する必要なんて全くありません。
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