[創作論]まことをいずこや
敵対関係にあるものにも、そうなるに至る動機付けがあるのが当たり前である。
あまり強い動機でなければもやもやとするし、それに見合う強さもあると、より魅力的に思えてくることだろう。
ところで、敵が敵なりの事情をもっている。主人公たちもそれなりの事情を抱えている。この物語が幕を閉じるとき、いつも問題となるのは「どちらが正しかったのか」である。
外野である読者、もとい視聴者があれこれと議論を始めるのだ。まるでハッピーエンドか、バッドエンドだったのか、決めようとするように。
結論を言ってしまえば、「どこからその結末を眺めるかで変わってしまう」であろう。ヒロインにとってはハッピーエンドでも、ライバルにとってはバッドエンド、といったように。
正直、外野がどうこう議論するのは気になるが、結論を導いてしまうのは野暮なように思えてしまう。幕を閉じた物語に、描ききったという物語に横槍を入れるのは無粋な気もする。
例えば書き上げたものの感想に、「●●はこうかと思いますが、どうなのでしょうか」と直接書かれたらどうだろうか。あえてぼかして書いているのに、イメージに委ねることを選んだのに確認をしようとする輩に、あなたは嬉しく思うだろうか?
あえて書かないのも書き方の技術だし、ここで作者が「ここってこうなんですよ」と確定させてしまうと、それこそ読みきった他の読者の世界が壊されてしまうような感覚に陥らないだろうか?
個人的には、その結論は、登場人物たちそれぞれが持っているから、私が答えることはできない、としたい。その誰かが描いた世界があるからこそ、そこに介入したくはないのだ。きっと二次創作ができないのもこれが原因であろう。
こうあるからハッピーエンドだ。
こうなるのはバッドエンドだ。
議論するのは自由だが、想像するのも自由だが、その思考はあくまで「議論をしている外野のもの」であることを忘れてはいけないのだろう。
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