[日記・創作論]覚えるは探すに及ばず

「勉強したいけど、一人だと分からない? そんなときは……」

 適当に流している動画の合間に現れる宣伝。最近、この広告多いなぁ。

 こういった広告を見ていて、一口に学習といってもいくつかの種類に分けられることに思い至る。

 ひとつは、解が明確に用意されているもの。学習とも呼ばれる。

 ひとつは、解がひとつとは限らないもの。学問と呼ばれている。

 もうひとつは、ただ知識として学ぶこと。書籍で学習するならこれだろう。

 最後のひとつは、解に必要なのものを探し当てること。答えの逆算と言ってもいいだろうか。

 初めの二つは馴染み深いだろう。まさしく、学校で、大学で学ぶこと。これらが私たちの生活に根付いているにしても、不要なものも多々ある。


 それらは置いておくとして、残りの二つ、便宜上、知識学習と、解決学習とでも定義しておこう。きっと定義はあるだろうが、ここではそう定義しておく。

 知識学習は、これまた学習と似たり寄ったりだ。本を読んだりネットサーフィンでもすれば手に入る知識。雑学とかもこれにあたる。先述の広告で学べることもこれにあたるだろう。違うのは、知りたい内容もテーマも自分で決めることだ。

 問題は解決学習だ。私はソフト関係のあれこれをやっているために感じたことだが、単に知を得ることと、問題解決をすることは全く異なる。

 例えば、広告を見て学習を始めたとして、あなたは何ができるようになるのか? 考えてみて欲しい。

 知識学習で得られたものはあくまで、模範解答しか得られない。与えられるのは積み木だけなのである。

 解決学習で得るものは、現れた問題課題、目標を解決するためのアプローチを割り出し、そこから経験を経て知識とする。積み木で何をするのか、ということである。

 そう考えると、何をしたいのか、どうしたいのか、を予め用意できる訓練をやる方が、経験を得られることも含めて効率的なように思える。


 知識学習が劣っているのか、といえば、そうでもない。導入としての学習や過去の集大成が詰まっているのだから、劣っているはずがない。

 だが、創作をする上で、こうしたいからどうしたらいいか、というアプローチも、多くの場合で必要なことも忘れてはならない。どう探せば知識を得られるのか、方法が分かると、きっとできることは増えていく。

 展開が詰んでいる方は、少しだけ、アプローチの仕方を振り返ってみるのはいかがだろうか。まぁ、世界観とか含めると、役に立たないことも多いだろうが。

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