灼熱への豪雨
[カクヨム]お星さまスタンプは3つまで
一昨日、「愛と星の二分割」にて、「いいね」と「称える」について触れて、そこから小説のボリュームと書籍の話に移りました。
そういうことを書きたかったんじゃないんだ。なんか急にそんな方向性になってしまったんだ。
では、もともと書きたかったことというのは……。
わざわざ評価の星を1だけつけつつ、わざわざコメントでダメ出しを行っている人がちらほらとおられることが気になっていた次第です。
というのも、「称えるとはなんぞや?」、「わざわざ読んだことを伝える必要があるのか?」ということです。
まず「称えるとはなんぞや?」。そのまんまですね。
こういった投稿サイトは、作品に対して加点方式で評価を行います。評価を取り下げることも可能ではありますが、基本は0から3の加点を重ねていく形です。
一方で「いいね」という0、1の加点方式もありますが、これは作品よりもエピソードに注目しています。全体ではなく一ヶ所への共感とかを伝えることのできる、貴重なスペースですね。
話を戻して、例えば「矛盾多すぎだろ」というコメントを伝えるために、わざわざ0点ではなく1点を与えたとしましょう。
ある読者がレビューから作品を探すとしましょう。どういった点が人気なんだろう、と思い開いた場所に、そういった評価があったら読むのを止める可能性もあるんですよね。中身を見ていないにも関わらず。
でもその人は人気なものを読みたい。確実に面白いものを読みたい。すなわち、レビューを気にする。だから評価の少ない作品は読もうとしない。けど上記のようなレビューのないようなものを読みたい。
たとえそれが100件のうち数件だったとしても。
作品の評価欄にわざわざ文句を垂れるなら、評価をしないなら、評価とは関係のない場所でやってくださいよ、というお話でした。せっかく、読みたいと思って探してくれているのに。
次に「わざわざ読んだことを伝える必要があるのか?」です。
人気作品作者の心情は分かりかねますが、作者はそういったレビューを見て喜ぶことはないでしょう。あるとしても、無視するのが精神的にも一番よいことでしょう。誤字脱字の指摘ならばありがとうございます、となるでしょう。
昔から本であれグッズであれ、レビューという文化は何にでもあります。しかし物語という個人依存のものに「個人で勧めないものに評価を与える」必要はあるのでしょうか?
例えば丈夫な箱を売り出していたとしましょう。しかし買ってみたものの、乗ってみたら壊れた。もちろん注意書にもそう書いてあるが、レビューに低評価をつける。期待に対しての落胆が評価に入ったんですね。
ではある定食屋で出された料理が口に合わなかったとしましょう。それに低評価をつけたとして、誰にも合わないとは限らない。食べてみないと実際には分からないんですよね。個人の感覚が評価に入っているのか。ここが大事です。
「称えるとはなんぞや?」でも触れたように、鑑賞機会を減らすきっかけともなることを考えると、誉められたことではないように思います。
もちろん、高評価をつけるのも個人の感覚ですけれどね。
ぐだぐだと書いていますが、いかがでしたでしょうか?
作家は誉めて伸ばす、なんて言いますが、けなせば萎縮するばかりで作る人は減ってしまいますよ。
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