[創作論]絶えぬ情報=続く景色

 いつものように文芸部の部室で原稿用紙にシーンを描いていると、入り口から入ってきた誰かの気配が背後で止まる。そのまま次の文字を書こうとしたときに、なぁ、と肩に手が触れた。

 自分に用があるのか、と首を捻ってみれば、生徒番号も近い、同じ学年のやつが渋い顔をしている。

「どうやったらそんだけ書けるわけ? 形だけでもいいから教えてくれよ」

 あまり部活動に積極的ではない彼は、小説とかも書いたことはないがここに所属している。なんでも、部活動には入っとけ、という親からの指示らしい。その中でも比較的楽そうだから、とここにやってきている。

「教えてって言われてもなぁ……それこそ、本棚に入ってる参考書見ればいいんじゃないの?」

 文芸部というからには、部費から捻出された高価な資料や有名作家の我流創作論の本が並んでいるが、えー、と返事をする彼は嫌そうな顔だ。

 そもそも、本を読む性格ではないことは知っている。ではなぜ彼がそんなことを言い出したか。

 もちろん、文化祭だ。

 毎年のように部員全員が一人一作品以上を綴じることになっている、文化部の祭典(しかしクラスの出し物とかの影に隠れがちなのはどうかと思うが)の準備として自分も書いているのだが、そもそも書くことをロクにしたことのない彼にとっては、一大事だ。ではあえて休部という形を取ればいいのではないか、といえば、彼の父親はわりと厳しく監視しているらしい。文化祭にも来て活動しているか見に来る予定だとも聞いた。

 ……厳しい両親のもとに産まれてこなくてよかった。

 なおも粘着する彼に、仕方なく隣に座るよう、ひとまずは促す。

「じゃあ、まず、描きたいシーンを考えて。まずはそれから」

 書きたい、なぁ、と唇を尖らせる彼は両腕を組んで悩み始める。ゲーム好きなら、ある程度は思い浮かぶ気はするが、どうだろうか。

 いや、こいつの両親のことだ。ゲームとか禁止していることだろう。

 悶々。悶々。そうこうしているうちに帰れといわんばかりと喧しいベルの音。時間切れだ。


◆◆◆◆


 なんかよく分からないけど書きにくいなぁ、ということ、ありませんか? 私はその理由を、イメージしている景色情景が筆についてきていないゆえに、記載する情報がなくなってしまっているからではないか、と考えています。


 「文章の質について」にて触れた市場の序盤と終盤の書き方がまるで違うのもきっとそれなんですよね。序盤は「未知の情報が多いため」それに触れる必要があります。しかし終盤は「情報が一通り出尽くしているため」、新たに示せるものがない。故に彼らが何をしたか、を示すしか方法がない。

 しかも、彼らの感情や思いを記載しない三人称視点が基本としたので、情報がなくなるばかり。新たに提示するならば〆るための情報か、景色に委ねるしかありません。しかし、この景色というのも「物語には必須ではない」ものなので、表情の豊かさに欠けてしまう、と。


 もっと情報密度を上げたいですね。そんで表情を豊かにできれば万々歳。

 一般には「ゴイリョク、ダイジ」という方もおられますが、まずは景色をはっきりさせて、欲しい言葉を探す方が身に付きますし、何より楽しいと感じられるのでは、と私は思います。

 ナンカチガウが続くとき、ちょっと背もたれにもたれて天井を見上げる。肺を空っぽにしてみると、ピントが合っていないことに気づくこともあるでしょう。

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