旅立ちに涙は禁物なんて言いませんよ

「直ちに勇者アルスちゃんの情報を手に入れるのです!」


 私たちは調査を開始しました。勇者アルスちゃんは数カ月前から戦闘に参加していましたが、ごく平凡な蛮族に過ぎませんでした。それが突然チートツールを使用したかのように最強キャラへと変貌してしまったのです。


「理由がわかりました。プレイヤーの失恋です」


 原因はすぐ判明しました。アオイさんとヒフミ君の恋の破たん、それが勇者アルスちゃん最強化の秘密だったのです。

 その切っ掛けとなったのはハピダンでした。二人ともハピダンに応募しめでたく当選したのですが、ヒフミ君はトウノ君、アオイさんは糸車部長を希望相手にして応募していたのです。

 もちろん本番までにパートナーの交換を申し出るつもりでした。しかし二人の性格上、それを相手に言い出すのは簡単なことではありませんでした。ダンスの相手を申し込むのは愛の告白に等しい行為ですからね。

 ヒフミ君は言い出す勇気がなく、アオイさんはヒフミ君の自由を尊重しすぎて、結局二人は相手を替えることなくハピダンに参加してしまったのです。


「やっぱり私のことなんか何とも思っていなかったのだわ。それどころかダンスの相手を校内一のイケメン委員長に選ぶなんて。あの人の恋愛対象は女子ではなく男子だったのね」


 失恋のショックに加えてヒフミ君の性癖まで誤解してしまったアオイさん。彼女が受けた心の傷は想像を絶するものでした。

 その傷を癒すためにアオイさんはそれまで以上にゲームにのめり込んでしまったのです。深く傷ついたアオイさんの心は人智を超越した集中力と神の領域の指さばきを生み出しました。こうして勇者アルスちゃんの怒涛の進撃が始まったのです。


「もはや勇者アルスちゃんを止められる者はおらぬ。こうなれば直接プレイヤーに働きかけるしかない」


 宰相は新たな策を練りました。勇者アルスちゃんを操作するアオイさんを弱体化しようとしたのです。

 こちらの世界がゲーム空間としてむこうの世界と同調されたのなら、むこうの世界をゲーム空間としてこちらの世界に同調させて、私たちの世界からアオイさんたちの世界を操作してやろう、それが宰相の考え出した策でした。

 ジイ=ユーシャによって二つの世界は既に結合していますから、この同調に禁忌魔法術は必要ありません。私たちは最高位魔法術を駆使してなんとかゲーム空間の同調に成功しました。

 そしてアオイさんをゲームから引き離すために、恋愛シミュレーションに仕立て上げたゲーム空間を通して、ヒフミ君とアオイさんを両思いにさせるために血の滲むような努力を積み重ねたのです。


「これは……厳しいわね」


 ゲーム進行は困難を極めました。以前ヒフミ君に『この世界は私たちのプログラムに支配されている』と言いましたが、あれは誇張した言い方でした。

 実存するキャラを通してこの世界に介入するには限界があったのです。例えばchar一二三号に何かをさせようとしても、選択肢に適切な行動が表示されません。どれもこれもヒフミ君の性格を反映した選択肢ばかりでした。そしてそのどれを選んでもアオイさんとの仲は険悪になるのです。結局何もしないのが最善の選択、そんな場面ばかりが続きました。

 私たちの世界とゲーム空間の同調を断つ魔法術の完成にはまだ相当な日数が必要です。焦燥感に苛まれる日々が続きました。

 そしてとうとう勇者アルスちゃんは魔王城へと乗り込んできました。同時に的中率百パーセントの先読み水晶玉が恐るべき予言を表面に映し出しました。


「本日夏至の太陽が沈む時、魔王ディアモンは勇者アルスちゃんによって倒され、この世界は滅亡する」


 魔王城謁見の間は沈黙に包まれました。宰相が重々しい口調で言いました。


「こうなれば我らも禁忌魔法術を使うしかあるまい」


 私は反対できませんでした。このまま座して滅亡を待つよりそのほうがましだと思ったのです。


「ゲーム画面を通しての介入に成果が上がらぬ今、ジイ=ユーシャと同じく禁忌魔法術を使い、魔王ディアモン様自らがあちらの世界へ転移してください。そして直接二人に働きかけるのです」

「しかし今あちらの世界へ行ったとしてもに日没までにあの二人を両思いにさせるのは不可能です。意味がありません」

「転移術だけならば確かに無駄足となりましょう。そこでもうひとつの禁忌魔法術、時間逆行術を使います。これを使えば最大三カ月前に転移できるはずです」

「しかし宰相、それらの魔術を使うためには……」


 私は迷いました。それらの魔術が禁忌とされるのは発動に当たって供物を要求されるからなのです。供物とは術に見合っただけの魔力と生命力。つまり誰かの命を奪わねば術は発動しないのです。


「私の命をお使いください。長らくディアモン様にお仕えできたこと光栄に思います」

「宰相……」


 私は彼の願いを聞き入れました。そうして術を発動させ、時をさかのぼってこの世界へやって来たのです。

 ここは魔力の源となるマナが微量しか存在しないため魔術はほとんど使えません。この世界で使える術と言えば特定のキャラとの以心伝心術、そして短時間局所的な天候変化術程度のものとなりました。

 こうして私は普通の女子高生ディアとしてあなたたちと時を過ごすことになったのです。その後はもう話す必要はないでしょう。



「そんな事情があったのか」


 長い物語を読み終わったような疲労感に襲われた。全てを理解できたのに喜びはあまり感じられなかった。むしろ申し訳ない気持ちでいっぱいだった。

 ディアがどんな気持ちでこの二カ月半を過ごしていたか、それを思うと胸が苦しくなった。アオイさんはもっとつらいだろう。沈痛な表情をしている。


「それならそうと全てを打ち明けてくれれば良かったのに。ディアさんに頼まれれば私はすぐにでもこのゲームを消去して二度とプレイしなかったはずよ」


 同感だ。あんな回りくどいやり方をしなくてもそのほうがずっと簡単だ。だが、ディアは力なく頭を横に振った。


「いいえ。アオイさんは忘れています。私が元の世界へ帰ったら私に関する記憶は全て消去されるのですよ。私の話も、ゲームをしないという約束も、ゲームを消去してしまった理由も、全て忘れてしまうでしょう。そうなれば再びゲームを開始し、最強化した勇者マスルちゃんが復活しないとも限りません。禍根を残さないためにも二人を両思いにすることは滅亡を逃れるための必須条件だったのです」

「いや、でも他にも方法はあったんじゃないのかなあ」


 別にディアのやり方が気に入らないわけではないが、口を出さずにはいられない。


「ここへ転移する際、たくさんの人々の記憶や様々な物証を改変したよね。そんなことが可能ならあのゲームそれ自体の存在を消すこともできたんじゃないのかい。そのほうが効率的だよ」

「はい。可能でした。しかしそれには途轍もない魔力が必要だったのです。あの時点でゲームのプレイヤーはすでに数十万人に膨れ上がっていました。彼ら全員の記憶とゲームに関する全ての物証を改変するには、城にいる全ての魔導師の魔力を集めても足りなかったのです。しかしディアという存在を付け加えるだけなら、数人の記憶とわずかな物証の改変だけですから、魔力の消費は格段に少なくて済みます。ゲーム空間の同調を断つ魔術が完成していない段階で多くの魔力を失うわけにはいきません。ですからこのような選択をしたのです」

「それならボクじゃなくアオイさんに働きかければよかったんじゃないのかい。例えばアオイさんの設定をゲーム嫌いな性格に変更するとか」

「記憶の改変は単純にデータを置き換えるだけですが、行動の規範となる主義や考え方を変更するのは不可能です。別人格になってしまいますからね。魔法による強制改変ではなく言葉による説得という形でしかアオイさんの行動を変えられなかったのです」

「説得じゃなく物理的な方法ならどうだったの。例えばアオイさんの手を不自由にしてゲームをできなくさせるとか……」

「ヒフミ君! あなた本気で言っているの」


 しまった。これはさすがに言い過ぎだった。少し調子に乗り過ぎた。アオイさんだけでなくディアまで神妙な顔つきになっている。


「そうですね。強硬な手段も視野に入れるなら、そのような方法もあったでしょう。もっとも手っ取り早いのはアオイさんの命を奪うことでした。一度命を失ってしまえば、私がこの世を去っても生き返ることはありませんからね」


 背筋が寒くなった。ディアの世界の人たちにとっては、アオイさんの死こそが最善の策だったに違いない。プレイヤーを消しさえすれば、そのキャラである勇者アルスちゃんも永遠に葬り去れるのだから。


「だからと言ってその策を推す者は一人もいませんでした。こう見えても私たちは心優しい種族なのです。自分たちの世界を救うために自分たちの命を犠牲にするのは仕方ありません。けれども何の関係もない世界の人々を犠牲にはできません。この世界の誰一人として不幸にならない方法で私たちの世界の破滅を回避したい、そのためにはあなたたちを恋人同士にするしかありませんでした。なにより私自身がそれを望んでいたのです。あなたたちの気持ちを叶えてあげたい、私の世界を幸福にしたいと望むように、あなたたち二人も幸福にしてあげたかったのです」

「ディア……」


 嬉しくて涙が出そうだった。ディア自身、のっぴきならない危機的状況に追い詰められているにもかかわらず、ボクとアオイさんのことをこれほどまでに気に掛けて行動してくれていたのだ。どんなに感謝しても感謝しきれないくらい嬉しかった。


「ねえ、ひとつ聞かせて、ディアさん」

「はい」

「話に出てきたジイ=ユーシャはどうなったの。もう発見できたの」

「いえ。未だ行方不明のままです。彼は私のように別キャラとしてこの世界に来たのではなく、元々この世界にいた人間に成りすまして隠れているようなのです。しかも彼は私たちとは違い、微量のマナでも通常の魔術を使える技を持っています。きっと術を使って私たちの目をごまかしているのでしょう。彼の特定にはまだまだ時間がかかりそうです」


 これはあまり良い情報ではないな。そんな物騒なヤツがこの世界のどこかに潜んでいるわけか。早く見つけ出して欲しいものだ。


「そのジイ=ユーシャの目的って何だろう。そいつは何がしたいのかな」

「わかりません。彼は異世界を渡り歩く漂泊者のような存在です。今回、企みが失敗したことでまた別の世界へ行く可能性もあります。いずれにしても確かなことはわかりません。さて」


 ディアが机の置き時計をチラリと見た。もうすぐ午後三時になろうとしている。


「私は夏至の日の午後三時に元の世を発ちました。同じ時刻に帰還しなければなりません。アオイさん、ヒフミ君。短い間でしたがお世話になりました。あなたたちのおかげで私の世界の滅亡はひとまず回避できました。元の世界に戻ったら早急にゲーム空間同調断絶術を完成させるつもりです」

「お世話になったのは私たちのほうだわ。本当にありがとう」

「ボクも礼を言うよ。ディアと出会えてよかった。記憶がなくなるのだけが残念だな」


 ディアは明るく笑った。毎日ボクらに見せてくれた明るい笑顔だ。そう、それはまるで太陽のように明るく輝き、全ての者の心を温かく包んでくれる笑顔だ。その輝きがディアを包んだ。時計が午後三時を示す。ディアを包んだ輝きが鋭い閃光を放ち、やがてその光が収束した時、ディアの姿はもうそこにはなかった。

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