ゲームクリアは突然に

 山頂から見下ろせば下界の絶景が目の前に広がる。山頂から見上げても目に入るのは見慣れた空ばかり。山に登ったのなら上ではなく下を向いたほうが楽しめる。


「絶景カナ、絶景カナ。夏の眺めは値千金とは小せえ小せえ、デシタッけ」

「ディアさん物知りね。歌舞伎は日本人でも知らない人が多いのに」


 ディアとアオイさんは柵にもたれて下界を眺めている。山頂を吹き抜けていく風が心地良い。心が洗われるようだ。


「来てよかっただろう、ヒフミ君」

「ああ。天気も晴れてくれたしな」


 今日ばかりはトウノに感謝だな。金曜日の昼にトウノがあんな提案をしなければ、この四人が安積山あづみやまに登ることはなかっただろう。



 木曜日の最後のダンス練習は、結局替えた相手を元に戻すことなく終了した。


「私はまだヒフミ君に希望を抱いていマス。明日の本番までに考え直してくれると嬉しいデス」


 そう言いながらもディアの声には覇気がなかった。ほとんど諦めているに違いなかった。


「すまないな、ディア」


 最後の練習が終わっても決意は変わらなかった。ディアを見捨てることになるが仕方がない、そう思った。

 しかし天はディアを見捨てなかった。体育祭が予定されていた金曜日は朝から本降りの雨となった。


「本日は雨のため体育祭は来週月曜日に延期します」

「オウ、これぞ神の御加護に違いありマセン!」


 ディアは手を叩いて喜んだ。だが所詮はぬか喜びだ。今日言い渡されるはずだったゲームオーバー宣言が三日後に延びただけにすぎない。もうダンスの練習もないし、ボクの決心が翻ることもないはずだ。そう、トウノがあんなことを言い出すまでは。


「明日の土曜日、安積山に登ってみないか」


 昼食時、いきなりこう言われてボクら三人は少なからず驚いた。安積山はこの町の児童、生徒ならば誰でも知っている山だ。遠足、写生会、マラソン大会、郊外学習などに利用され、山頂の展望台付き芝生広場は町民の憩いの場所になっている。


「どういう風の吹きまわしだい、トウノ」

「安積茶屋の甘味引換券があるんだ。期限が六月までなので使っておこうと思ってね」


 安積茶屋は山頂の芝生公園にある休憩処だ。季節に合わせて限定スイーツを発売するので人気がある。


「安積茶屋デスカ。その券はどんなモノと引き換えられるのデスカ」

「今ならさくらんぼアイスがお勧めかな。山形の佐藤錦を使っているらしいよ」

「行きマス。絶対に行きマス。皆さんで行きマショウ!」


 ディアの大食い特性を知っていたか。まあ、毎日昼を一緒に食べているんだ。わかって当然だな。


「決まりだね。アオイさんとヒフミ君もいいね」

「いいに決まってイマス!」


 結局トウノとディアに押し切られる形でボクとアオイさんも同行することになった。

 山頂に着くや直ちに安積茶屋に直行し、さくらんぼアイスを頬張るディア。トウノが自分の券を譲ったのでディアは二人分を賞味して大満足だ。


「はあ~、シアワセ、です!」


 おい、幸せ過ぎて片言の日本語が逆になっているぞ。


「そんなに幸せならゲームクリアできなくても構わないだろう」

「それとこれとは話が別デス! 幸せ気分をぶち壊すようなことは言わないでくだサイ」


 ゲームクリアに懸ける執念はアイス如きでは太刀打ちできぬか。トウノと違っておまえの幸せに貢献できなかったボクを許してくれ。


「ヒフミ君。甘味も賞味したことだし、少し男だけで話をしないか」


 ようやく本題を切り出す気になったか。聞かなくても予想は付いているがな。


「ああ、いいよ」


 ディアとアオイさんから離れて柵にもたれる。下界の絶景と初夏の風を楽しみながらトウノの話を待つ。


「単刀直入に言おう。ハピダンではアオイさんと踊ってくれないか」


 思った通りだ。ディアにボクの説得を依頼されたのだろう。トウノは女子の頼みを断れるような男じゃないからな。


「悪い。それについてはディアにも言ってある。こんな気持ちのままでアオイさんと踊るのは逆に彼女を侮辱するような気がするんだ。その頼みは聞けない」

「こんな気持ち、か。ディアさんは明るく陽気で面倒見もいい。好きになるなと言うほうが無理な話だ。だけど彼女に会う前の君はアオイさんが好きだったのだろう」


 こちらの気持ちもお見通しか。この世界で恋愛経験度最高値に設定されたキャラだけのことはある。


「そうだけど、だから何だって言うんだ。ボクを非難したいのかい。浮気な男だと軽蔑するのかい」

「いや、そんなつもりはない。浮気は避けて通れない現象だと思っているからね。誰だってそうさ。飲み屋の女性にいつもチヤホヤされていれば、男は簡単に妻を捨ててそちらの女性に走ってしまう。いつも一緒にいるディアさんに気持ちが移ってしまった君の行動はそれと大差ないよ」


 トゲのある言い方だな。さんざん遊んできた自分の所業を棚に上げてよくも言えたもんだ。


「なら構わないだろう。ボクのことは放っておいてくれよ」


 トウノは視線を外すと柵にもたれて空を見上げた。何かを思い出しているように見えた。


「アオイさんは君に好意を持っている」

「みたいだな。ディアもそう言っていた。とても信じられないけど」

「私が君たち三人と昼の時間を一緒に過ごそうと思ったのはアオイさんのためなんだ。学級委員の仕事で一緒になると、決まって口にするのが君の話題だった。中学の時は全然勉強ができなかったのに同じ高校に入れたのは私のおかげ。高校でも同じクラスで席も隣同士なんて迷惑もいいところ。ディアさんのために手芸部に入るなんて自分の意思がなさすぎる……その他にも色々と話してくれたよ。それを聞いて私は確信したんだ。ああ、アオイさんは君が好きなんだってね」


 どこをどう聞いたらそんな結論になるんだ。けなしてばかりじゃないか。


「でもアオイさんは君を眺めるだけで何もできなかった。全てにおいて優秀な彼女も恋愛に関してだけは不器用だった。そんなアオイさんを見ているのがたまれなくなってね、何かの役に立てればいいなと思って君たちの昼食に参加したのさ。チャンスはすぐやってきた。雨傘作戦は大成功だった。これで全てがうまくいくと思った。だがこんなことになるなんてね。読みが甘かったよ。人生最大のミスだ」


 トウノにも悪いことをしたな。力を貸してもらったのにその厚意を踏みにじった形になってしまった。


「君の友情には感謝するよ。だけどこれはボクの人生だ。とやかく言われる筋合いはない」

「いや、言わせてもらう。アオイさんは自分に好意を持っていない、君はそう感じている。確かにあんな態度を取られたら誰だってそう思うだろう。でも逆にそれが君への好意の表れだと考えたことはないのかい」

「あの態度が好意の表れ……」


「そんな詭弁が通用するとでも思っているのか」……今の言葉を平凡な男子から聞かされたのなら即座にそう返答しただろう。だが相手は恋愛マスターのトウノだ。何の根拠もなくそんな戯言を吐くはずがない。反論はせずしばらく耳を傾ける。


「君は中学でアオイさんに受験勉強を手伝ってもらったそうだね。ディアさんの話によると鬼のように厳しかったとか。でもそれこそアオイさんの好意の表れではないのかな。誰だって人には好かれたい、嫌われたくないと思っている。だから相手に嫌悪感を抱かせるほど真剣に教えようとはしない。だがアオイさんは違った。嫌われるのも厭わず君に勉強を教えた。君を合格させたかったからだ。それが君の幸せだからだ。嫌われたくないという自分の幸せを犠牲にして君の幸せを優先させたんだ。ここまで君のことを大切に思ってくれる人が他にいると思うかい」


 閉じていた扉が開かれたようにボクの目の前は明るくなった。上辺だけに気を取られ、その奥に潜む真実を見ようとしなかったあの頃の自分を、そして何も変わっていない今の自分を叱り飛ばしたくなった。


「ディアさんもそうだよ。彼女はずっと君とアオイさんをくっ付けようとしてきた。その理由は色々あるみたいだけれど、一番大きな理由はそれが君の幸せだからだ。アオイさんもディアさんも君の幸せを考えている。君に幸せになって欲しくて行動している、なのに君はどうだい。自分が幸せになることしか考えていない。彼女たちの幸せなんかこれぽっちも考えていない。そうだろう」

「……」


 その通りだ、という言葉さえ出てこなかった。なんて自分勝手で冷たい男だったんだろう。見えなかった。本当の自分の姿がまったく見えていなかった。これほど愚かな男だとは夢にも思わなかった。自分を一番大切にしてくれているのは誰なのか。自分が一番大切にしなくてはいけないのは誰なのか、そんなことすら見えていなかったなんて……ボクは無言で頷いた。トウノが優しく笑った。


「ふふ。ようやくわかってくれたみたいだね。でも、そんなに気を落とすことはないよ。自分が犯した過ちは正せばいいんだ。今からでも遅くない。彼女たちの幸せのために君ができることをしてあげてくれないか。君の一言で彼女たちは救われる。勇気を出してその一言を口にすれば、その瞬間、君の世界は大きな変貌を遂げるはずだ」

「わかった、やってみるよ。トウノ、ありがとう」


 柵を離れる。ディアとアオイさんはまだ山頂からの絶景を眺めている。声を掛ける。


「アオイさん、話があるんだ。いいかな」

「いいけど」


 アオイさんが柵を離れた。ディアがうさん臭そうにこちらを見ている。


「えっと、中学で勉強を手伝ってくれたお礼、まだちゃんとしていなかった。ありがとう」

「今頃? どうでもいいわ、そんな話」

「それから中間試験の勉強を見てくれると言ったのに、断ってすまなかった」

「それも済んだことよ。何とも思っていないわ」

「それから月曜日に延期になった体育祭のハピダンのことだけど……」


 さすがに言い難かった。言葉が続かない。アオイさんが苦笑した。


「いいわよ。ヒフミ君はディアさんと踊りたいのでしょう。どうぞ、ご自由に」

「アオイさんはそれでいいのかい?」

「構わないわ。私のことなんて考えなくてもいいのよ。あなたの好きにすればいいわ」

「ボクの好きに……」


 それはいつもの冷たい言葉に違いなかった。そう、いつもそうだった。中学の時から聞かされてきた無機質で、無感情で、気位の高い言葉。そこにはボクへの好意など一片もない、ずっとそう思っていた。


「アオイさん……」


 けれども今は違う。彼女の言葉はこれまでとはまったく違う響きを帯びてボクの耳に聞こえてきた。「私のことは考えず、あなたの好きにすればいい」その言葉の裏に潜む彼女の真意「私の幸せなどを考えず、あんたの幸せだけを考えて」それにようやく気付けたのだ。彼女はいつもそう言っていたのだ。ただボクが気付けなかっただけなのだ。


「わかった。ようやく理解できた。本当に大切にすべき人、一緒に踊るべき人。それが今ようやくわかった」


 ボクはアオイさんの手を握った。そうして彼女の目をしっかりと見詰めて、言った。


「ボクと踊ってくれないか。月曜日のハピダンで、ボクの相手をして欲しいんだ。アオイさん、君に」

「私と……いいの? 本当に、私で」

「うん」

「ありがとう。あなたの口からその言葉を聞きたかった」


 アオイさんが手を握り返してきた。瞬間、ボクは感じた。胸の底から沸き上がるマグマのように熱い噴流を。ステータス画面など見なくてもわかる。アオイさん同様、彼女に対するボクの信頼度も爆上げしたのだ。


(これが、これがディアの言っていた休火山大噴火現象なのか)


 瞬時に世界が変わった。トウノの言葉通りボクの一言は世界を変えた。最終ステージをクリアした先にあるエンディングが始まったのだ。祝福のBGMと歓喜のムービーがスタートする。そして最後の言葉をボクは口にする。


「やっぱりボクは君が好きだ、アオイさん」

「私も」

「ウワオ! やりマシター! ついにやったデスー!」


 ディアの雄叫びが聞こえる。ボクにもわかる。今、ボクらはゲームをクリアしたのだ。ディアと二人で力を合わせ、時に仲違いをし、トウノの力を借りて進めてきたこの恋愛ゲームを、今、クリアという形で終了できたのだ。


「ありがと、ひふみ君。アリガトです! 感謝デス! 本当に本当にお礼言います!」


 おい、興奮しすぎだ。片言のつもりの日本語が滅茶苦茶になっているぞ。


「やれやれ。これで一件落着だね。ディアさん。しばらく二人だけにさせてあげようよ」

「そうデスネ。では安積茶屋でアイスを食べマショウ」


 まだ食うのか。底なしの胃袋だな。

 そうして二人が茶屋へ消えたことを確認してから、ボクはもう一度アオイさんに向き合った。全てが終わった今、これだけはどうしても話しておかなくてはならない。


「アオイさん、実はもうひとつ話したいことがあるんだ。ディアと、それからこの世界についてなんだけど……」

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