四者四様の想い
体育祭は二日後に迫っていた。明日木曜日は最後の練習、そして体育祭のリハーサルが行われる日だ。
夕食後、何をするでもなくぼんやりと勉強机に向かっていると部屋のドアが開いた。ディアが立っている。
「おまえ……ノックくらいしろよ」
ディアは悪びれる様子もなく無言で部屋に入ってきた。折り畳み式の丸テーブルを広げ、持参したペットボトルとスナック菓子をそこに置く。
「なんだ、久しぶりに戦略ミーティングか」
丸テーブルを挟んでディアの正面に座る。最後にこうして向かいあったのは五月の中旬を過ぎた頃。もう一カ月近く仲違いしているのか。ディアもボクも頑固な点は同じだな。
「いつまでこんなことを続けるつもりですか」
いきなり本題をぶつけてきやがった。まずは雑談から始めるのが交渉の基本ってもんだろう。
「こんなことって、どんなことだよ」
「ダンスに決まっているでしょう。ずっと待っているのですよ、ヒフミ君がダンスの相手を替えようと言い出すのを。まさか本番もトウノ君と踊るつもりではないでしょうね」
今頃何を言っているんだ。そもそもどうしてこちらから言い出さなきゃいけないんだよ。
「いや、本番もこのままいくつもりだ。それに替わって欲しいのならディアのほうから頼むべきだろう」
「私が頼んだらヒフミ君は替わってくれるのですか。アオイさんと踊ってくれるのですか」
「それは……」
さすがに二つ返事で「もちろん」とは言えない。頼まれてもきっと断わるだろう。ボクがアオイさんとダンスをすることは、ディアがトウノとダンスすることを意味するんだからな。
黙り込んだままのボクを見てディアの表情が少し和らいだ。いつになく穏やかな口調で話し始めた。
「教える必要もないと思って今まで黙っていました。でも言います。このゲームの期限は夏至の日。私はその日にこの世界を去ります。もしハピダンという絶好の機会を逃したら九日の猶予しかありません、ゲームクリアはほぼ絶望的になってしまいます。ヒフミ君、これまで私たちはゲームクリアを達成させるために力を合わせて頑張ってきました。それなのにどうして今回に限ってこんなに非協力的なのですか。お願いです。これまで通り、プレイヤーに忠実なキャラとして行動してください。お願いです」
今度は泣き落としか。そんな手段を取らなければならないほど、ディアは追い詰められているんだろうな。
「悪いけどそれはディアの勘違いだよ。ボクにとってはこんなゲーム、最初からどうでもよかったんだ。クリアできようができまいが知ったことじゃない。単に利害が一致していたから協力していただけのことさ。でも今は違う。アオイさんとの恋愛成就なんかよりもっと大事なものが出来てしまったんだからね。今となってはゲームクリアなんて何の価値もないんだ」
ディアに初めて会った時のボクと今のボクはまるで別人だ。この恋愛ゲームのターゲットがディアだったらどんなに良かっただろう、今はそんなふうにさえ思っている。
「ヒフミ君は私を誤解しています。私の何を知っていると言うのですか。今あなたが見ているこの姿はゲーム内のアバター、つまり本当の私ではないのです。年齢だってそうですよ。あなたの
「うっ、それは想定外の設定だな」
たじろくボクを見てディアの口元に小悪魔の微笑が浮かぶ。こいつ、自分を恋愛対象から外すためにでまかせを言っているんじゃないだろうな。
「た、たとえそうだとしても今のこの気持ちにウソはつけない。アオイさんよりディアが好きなことに変わりはない」
「私は夏至を過ぎたらいなくなるのですよ。記憶も消えるのですよ。好きになったところで決して実らない恋愛なのですよ。意地を張っても意味ないでしょう」
「いなくなったらその時に考える。もう一度アオイさんへの想いが復活したらまた最初からやり直す。とにかく今はダメなんだ。ディアへの気持ちを残したままアオイさんに告白なんてできるはずがない。むしろ彼女に対して失礼だ。他に好きな人がいるのに別の人に告白するなんて相手を騙すのと同じじゃないか。アオイさんを欺くような真似はしたくない」
「待ってください。これは恋愛ゲームなのですよ。キャラがターゲットをどう思っているかなんてどうでもいいことです。重要なのはゲームクリアなのですから」
「違うよ!」
思わず声を荒らげてしまった。この世界に対するディアとボクとの意識がこれほどまでに食い違っていることに腹が立って仕方がない。
「ディアにとってはどうでもいいだろうさ。ここはあくまでも仮想のゲーム空間でボクもアオイさんも単なるゲームキャラにすぎないんだから。でもボクらにとっては違う。この世界こそが唯一のリアル。ボクらはキャラなんかじゃない。感情と血の通った肉体を持った実存。ゲームクリアだけを目的にして生きているわけじゃないんだ。これまで頑張ってきたディアには申し訳なく思う。けれど自分を偽ってまでおまえのお遊びに付き合うことはできない。わかってくれ」
「そう、ですか……」
ディアは力なく顔を伏せた。もうボクに何を言ってもムダだと悟ったのだろう。慰めてやりたいが適切な言葉が浮かんでこない。
「ボクみたいな弱小キャラでなく、もっと優秀なキャラを選べばよかったのに。そしたら楽勝でクリアできたんじゃないのか」
「いいえ、どうしてもヒフミ君でなくてはいけなかったのです。それに関しては後悔していません」
ディアは丸テーブルに置いたペットボトルとスナック菓子の袋を掴んで立ち上がった。よく見ると口をつけていない。飲食すら忘れていたようだ。
「最後にひとつ教えてあげます。ゲームクリアの条件はターゲットの信頼度を四五以上にすること、そう言ってきましたがそれだけではないのです。もうひとつあるのです」
「何?」
「好感度です。ヒフミ君に対するアオイさんの好感度も四五以上にしなければクリアできないのです」
「それは厳しいな。中学の時も高校に入ってからも優しい言葉なんて滅多に掛けてくれなかったからね。そんな条件があるなら元々クリアは絶望的じゃないか。どうして隠していたのさ」
「言う必要がなかったからです。アオイさんの好感度は最初から最高値の五〇、この世界で最もヒフミ君に好意を寄せているのが彼女だからです。そしてそれは一度たりとも下がったことはありませんでした。すでに条件を達成しているので言わなかったのです」
「アオイさんの好感度が、最高値……そんなはずが」
衝撃だった。と同時に信じられなかった。
これまでのアオイさんを思い返す。あれは好意を持った相手に対する態度ではない。受験勉強中の罵倒も、昼食時の射るような眼差しも、氷のように冷ややかな返事も、アオイさんがボクに見せる態度は、好意とは真逆の感情から発現しているものばかりだ。
「冗談だろ、ディア」
その問いに対する返答はなかった。部屋に来た時と同じく、ディアは無言で部屋を出て行った。
翌日の放課後、最後のハピダン練習が始まった。今日もトウノと一緒にダンスをする。十日間頑張ったおかげで目を閉じていても華麗なステップを踏めるほどに上達していた。継続は力である。
「素晴らしいよ、ヒフミ君。君をパートナーにできる私は校内一の果報者だ。明日の本番は頑張ろうね」
「ああ、お互い無様な姿だけは晒さないようにしような」
トウノは踊り慣れているのか練習初日から完璧なダンスを披露していた。十日経ってようやく彼のレベルに追いついた感じだ。
「ヒフミ君、何か気になることでもあるのかな。さっきから視線が定まらないようだけど」
「い、いや別に」
と言いながらも目はディアとアオイさんを追っている。昨晩のディアの言葉が心に引っ掛かり続けているのだ。「アオイさんの好感度は最大値の五〇……」それを確かめたくて今朝からずっとアオイさんを見ていた。
彼女はいつも通りだった。無駄な仕草も、余計な一言も、無用な愛嬌も、全て彼女には無縁のものだ。そこにはボクに対する特別の好意など微塵も感じられない。嫌われていないのはわかる。だがそれだけだ。
(やはりディアとは大違いだ)
いつも笑顔を振りまき軽口を叩くディア。ボクのために編み物セットを揃え、折り畳み傘を準備し、トウノを仲間に引き込んでくれたディア。そんな優しさを与えられたらボクだけでなく誰だって心変わりしてしまうはずだ。
「ヒフミ君、今日はなんだか集中力を欠いているようだね」
トウノが動きを止めた。先ほどからボクのステップは乱れに乱れている。心ここにあらずの状態で踊っているのだから当然だ。
「すまない。ちょっと休ませてくれないか」
「それはいいが……ふむ、そうだな」
トウノはボクの手を放すとディアたちに近寄っていった。何か話している。
「何してんだ、あいつ」
しばらくすると三人で戻ってきた。
「ねえ、ヒフミ君。今日で練習も終了するし、最後の仕上げとして相手を替えて踊ってみようかと思うんだ。どうだろう」
「たまには別のパートナーとダンスするのも気分が変わっていいものデス」
トウノの横に立つディアは上機嫌だ。やられたと思った。トウノを利用してこんな手を使ってくるとはな。
「全員賛成なのか? アオイさんもいいのか?」
「別に。構わないわ」
こうなるとボクひとりだけが反対するわけにもいかない。渋々同意するとディアが顔を寄せて耳打ちしてきた。
「これが最後のチャンスデス。ここで告白しちゃうのデス」
無茶言うなよ。百人の出場者と大勢の見物人のいる前で告白なんかできるわけないだろ。無視だ。
「さあ、では始めようか」
「ハイ!」
トウノの手を取ろうとするディア。が、その手は冷たくはね
「ああ、言ってなかったね。私はアオイさんと踊る。ディアさんはヒフミ君と踊ってくれたまえ」
「エッ!」
そのまま凍り付いたように動かなくなるディア。構わず踊り出すトウノとアオイさん。毎日見学に来ているトウノ大好き女子生徒たちから一斉に悲鳴が上がる。
「皆さーん、心配しないでください。ちょっとした余興です」
トウノがなだめても女子生徒たちの嘆きの声は体育館中に轟いている。アオイさんもやりにくそうだ。
「ディア、トウノは何を考えているんだ」
「私が知るわけないデショウ。あ~、これでもう本当にお仕舞いデス」
理解できなかった。ボクとアオイさんをくっ付けるというディアの目的をトウノは知っているはずだ。なのにどうしてアオイさんの相手をボクではなく自分にしたのだ。
「仕方ありマセン。私たちも踊りマショウ」
ディアは渋々手を差し出した。その手を握って踊り出す。トウノと踊るよりも数百倍楽しい。やはりダンスは女子とするものだな。本番もこの組み合わせならもっと楽しいだろうに……そう、楽しいに違いないはず、なのに……
(何だろう、胸に湧き上がるこのもやもやは)
やはりボクは彼女を見ていた。トウノと一緒に踊るアオイさん。その姿がボクの目を捉えて放さないのだ。トウノがこちらを見てにっこりと笑った。
(本当に今の君は楽しいのかい、ヒフミ君)
彼の笑顔はそう言っているように思われた。
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