浮気の責任を遺伝子に押し付けないでください
丸テーブルの前に座ったディアは駄菓子を馬鹿食いしている。夕食のカレーをお代わりして、デザートのアイスも二個食べて、それでどうしてまだこんなに食えるのだ。ひょっとして胃袋だけ元の世界に置き忘れてきたんじゃないのか。
「今日のヒフミ君には失望しました。私が一所懸命アオイさんを説得しているのに邪魔ばかりして。あそこは力を貸してくれなくてはいけない場面でしょう。プレイヤーに協力しないキャラなんてキャラ失格です。モグモグ」
「悪かったよ」
素直に謝る。こんなに機嫌の悪いディアは初めてだ。当たり前か。裏切り行為に等しい仕打ちを受けたのだからな。怒って当然だ。
「トウノ君が取り成してくれたおかげでアオイさんも応募してくれることになりましたけど、もしあのまま説得できず、アオイさんがハピダンに出なかったらどうするつもりだったのですか。計画が丸潰れではないですか。ポリポリ」
「別にそれでもいいじゃないか」
「よくありません。ハピダンよりも告白に最適な場面なんてどこにあるのですか。この機会を逃したらゲームクリアできなくなるかもしれないのですよ。グビグビ、ぷは~」
喋るか飲み食いするかどちらかにしろよ。行儀の悪いヤツだなあ。それにここまで悪し様に言わなくてもいいだろう。確実にハピダンに出られる保証はないんだから。
「確かにおまえの足を引っ張ったのは悪かったよ。でもこの計画は初めから運頼みだ。四人のうち最低二人は当選しなくちゃその時点で計画失敗なんだからな。応募して計画が潰れるのも、応募せずに計画が潰れるのも、たいした違いはないじゃないか」
「ああ、もう。ヒフミ君は全然わかっていません。私が怒っているのはそんなことではないのです」
飲み食いをやめたディアの表情は真剣さが増している。キツイ言葉が飛んできそうだ。
「アオイさんの言葉にどうして答えてあげなかったのですか。ヒフミ君をダンスの相手にするように勧めた時、アオイさんは言いましたよね。『私はよくても、ヒフミ君がどう思うか』って。アオイさんは待っていたのですよ。ヒフミ君が『ボクもアオイさんでいいよ』って答えてくれるのを。その返事を聞けばアオイさんはすぐにでも応募を承諾してくれたはずです。なのにヒフミ君は答えてあげなかった。それどころか嫌ならやめればいいとまで言った。いったい何を考えてあんなことを言ったのですか。説明してくださいよ」
その話か。こうして面と向かって自分の犯した悪行を言い立てられると、如何に自分が愚かな男かよくわかる。正直に理由を話せばさらに軽蔑されるだろうな。だからと言って口からでまかせの言い訳では納得してくれないだろう。いいよ、言ってやるよ。
「ダンスをするのが嫌なんだ。もっと正確に言うと、ディアとトウノがダンスをするのが嫌なんだ。正直に言おう。ボクは確かにアオイさんが好きだった。だが今はディアのほうが好きだ。毎朝一緒に家を出て、毎日一緒に行動し、毎晩作戦を考えているうちに、おまえによって占有されている脳内の思考領域が、日増しに大きくなっていったんだ。今ではもうアオイさんによって占められている領域を遥かに凌駕している。ハピダンが最終指令遂行のために絶対必要な場面であることは理解している。だが、それ以上におまえとトウノをダンスさせたくない気持ちのほうが強いんだ。そんな姿を見るくらいならゲームクリアなんかできなくてもいい」
それが現在のボク自身の紛れもない本音だった。ディアは目を丸くし口を半開きにして呆然としていた。こんな話を聞かされるとは予想だにしていなかったのだろう。が、すぐにその瞳は険しい輝きを放ち始めた。
「ふっ、何を言い出すのかと思ったら本当にくだらない理由ですね。それを何と呼ぶのか教えてあげましょうか。浮気って言うのですよ」
「浮ついてなんかいない。本当にディアのことが気になって仕方ないんだ」
「あ~、嫌だ嫌だ。これだから男子は信用できないのですよ。ヒフミ君、少し前にトウノ君は遊び人だって悪口を言っていましたよね。それなら自分はどうなのです。アオイさんも好き、私も好き、遊び人そのものではないですか。よくも人の悪口なんか言えたものですね」
「いや、それは……」
くっ、過去の失言で揚げ足を取られたか。人の悪口は言うもんじゃないな。
「言っておきますけどね、私はヒフミ君なんか何とも思っていませんからね。ただのプレイヤーとキャラの関係、それ以上でも以下でもありません。それからもうひとつ。私は絶対にゲームをクリアさせます、そのためにこの世界へ来たのですからね。どんな手段を使っても、私の命に代えてもクリアしてみせます。覚えておいてください。今日の戦略ミーティングはこれで終わり! おやすみなさい」
ディアは残りのお菓子を鷲掴みにすると部屋を出て行った。こんな時でも食い物への執着は忘れないようだ。
「やれやれ。思いっ切り失恋したみたいだな」
もしディアが恋愛ゲームのターゲットならこの時点でゲームオーバーだったな。いやいっそのことゲームオーバーになってくれたほうがよかった。今夜は眠れそうにない。
翌日からディアはほとんど口を利いてくれなくなった。家でも学校でも必要最低限の言葉しか喋らない。もちろん戦略ミーティングは開店休業状態だ。あの夜以来ディアは部屋へ来ないので、丸テーブルにひとりで座ってお茶を飲む夜が続いている。
「余計なことを言っちまったな」
だが後悔はしていない。こんな気持ちのままアオイさんに告白なんてできるわけがない。この恋愛ゲームを続けられるはずがない。いつかディアに打ち明けなくてはいけないことだったのだ。
「オウ、みんな当選デス!」
体育祭の二週間前、ハピダンの当選者が発表された。驚くべきことに四人とも当選していた。俄には信じられなかった。久しぶりのゲーム内チャットでディアに尋ねる。
(おい、おまえイベントチケットは使えないと言っていたけど、何か別のチケットを使ったんじゃないだろうな)
(使っていません。偶然です。くだらないことでチャットしないでください)
冷たくあしらわれてしまった。しかし目論見通りに事が運んでいるので機嫌はすこぶる良いようだ。
「ヒフミ君、これらかしばらくの間お世話になるね。よろしく」
「世話になるのはこっちだよ。よろしくな」
トウノに話し掛けられて思い出した。ダンスの相手をトウノにして応募していたのだ。体育祭までの十日間、放課後毎日こいつと一緒にダンスの練習だ。
「しかし驚いたな。まさか四人とも当選するとはな。偶然にしては出来過ぎている」
「ふっ、その通り。これは偶然ではないからね」
トウノの謎めいた言葉。やはり何か裏があるのか。
「どういう意味だ」
「厳密な意味での抽選ではないのさ。体育祭のフィナーレを飾るハピダン。参加した生徒が暴れたり騒いだりして台無しにされたら困るだろう。だから生徒会と各委員会が応募者全員の審査をして決めているのさ。学級委員長と副委員長の私とアオイさんはほぼ無審査で当選。帰国子女のディアさんも有名人ということで当選。そして君はディアさんの従兄であり同居人であり私のダンスの相手ということで当選。つまりこうなることは最初からわかっていたのさ」
なんてこった。それなら四人で応募する必要はなかったんじゃないか。ボクとアオイさんの二人だけで参加なら、ディアと気まずくなることもなかったのに。後悔先に立たずだ。
「じゃあアオイさんを誘ったのはどうしてなんだよ。自分の当選確率を上げるためとか言っていたけど、確実に当選するとわかっていたのなら意味がないじゃないか」
「ヒフミ君は鈍いね。君のために決まっているだろう。アオイさんが応募しなければ君も応募しないと思ったのさ。でも今の君は少し違うみたいだね」
なるほど。トウノには雨傘作戦で協力してもらったからな。ボクとアオイさんの仲をまだ気に掛けてくれているわけか。その友情は有難いが今となっては重荷にしか感じられない。
「ヒフミ君にとっては地獄の十日間になると思うけど、挫けずに頑張ろうね」
「あ、ああ。頑張ろう……」
地獄? ダンスの練習がそんなにつらいのか。まあそのうち慣れるだろう。と甘い考えでいたボクが馬鹿だった。トウノの意味する地獄はダンスではなかった。女子生徒の嫉妬だったのだ。
掲示板に貼り出された当選者発表には学年、氏名の他に希望する相手の名も記されていた。トウノの相手はボク。これが女子生徒の嫉妬を買ったのだ。
「うわ、まただ」
朝、登校すると下駄箱に手紙が入っている。
『何故男のあなたがあの方のダンスの相手なのですか。即座に辞退してください。そして私と交替してください』
ほとんどがこんな感じの文面だ。これが毎日数通届く。手紙だけではなく廊下で擦れ違いざまに、
「相手役を降りないとどうなるか、わかっているわね」
と見ず知らずの女子からドスの利いた声で脅されたこともあった。トウノはゲーム内随一のプレイボーイ設定のキャラ。当然の反応ではあるが、いくら何でもこれはやり過ぎだろうと文句を言いたくなった。
「ははは。予想以上の災難続きだねえ。それほどひどいのなら私から女子生徒たちに言っておくよ。ヒフミ君は私の親友。彼を苦しめるような女子は私の敵とみなす、ってね」
その甲斐あって次の日からは手紙も脅しもほとんど影を潜めてしまった。ただダンスの練習が行われる体育館には、相変わらず毎日大量の女子生徒が押し掛けていた。そのほとんどがトウノの親衛隊だ。全員タオルやペットボトルや砂糖漬けレモンなどを持参している。もちろんトウノに手渡すためだ。
「やあ、君たち、今日もありがとう。嬉しいよ」
「きゃあー、トウノさーん!」
という黄色い声に包まれてダンスの練習は行われる。思った以上に濃密なダンスだ。トウノと体を密着させ、時に頬をすり合わせ、時に腰へ手を回し、時に唇を接近させる。その度に感じる女子生徒の視線。妬みと憎悪と敵意と殺気に満ちた彼女たちの視線が体に突き刺さり、恐怖と戦慄で強張った体はロボットみたいな動きになってしまう。
「まさに地獄だな」
「まさに地獄だね。頑張れ、ヒフミ君」
ディアとアオイさんは淡々と練習をこなしていた。彼女たちと接近し目を合わせることがしばしばあった。そんな時、ディアは不愛想な顔をしてすぐ目を逸らすが、アオイさんはじっとこちらを見詰めていることが多かった。その何かを懇願するような眼差しを見ると、ボクの胸は疼くように痛んだ。
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