第四話 揺れ動く恋心
ディアが帰る世界
新入生にとって最初の難関、一学期中間試験は無事終了した。いや、ボクにとってはあまり無事ではなかった。赤点が一科目あった。めでたく追試となった。期末試験で赤点を取ると夏休みに補習があるらしい。それだけは避けたいものだ。
「気を落とすことはないですよ。ヒフミ君の設定は低レベル弱小キャラなのですから。赤点はお約束通りの展開です。確か学力値は一三でしたっけ」
言わないでくれ。言われなくても自覚している。慰められているのか馬鹿にされているのかよくわからんな。
「ディアの成績だってたいしたことなかったじゃないか。英語は満点だったけど、それ以外は月並みな点数だったし」
「それはわざとです。本気になれば全科目満点なんて朝飯前なのですが、それでは目立ってしまいますからね。英語の満点はキャラの設定上不自然にならないようにです。一応帰国子女なのですから」
物は言いようだな。あんなに遊んでばかりいたのに合格点を取れる設定が羨ましい。
「アオイさんとトウノ君は設定通りの優秀さでしたね」
「まったくだ。学力値を半分くらい分けて欲しいよ」
あの二人には驚かされた。トウノが上位一桁に入っているのはある程度予想していたが、アオイさんは学年トップ。しかも全科目満点だ。
中学の時は張り出されたりしないので、ここまで優秀だとはわからなかった。このキャラ設定、もはやチートだ。
「素直に勉強を教えてもらえば赤点なんか取らずに済んだのに、どうして断ったのですか」
耳が痛い。アオイさんから申し出があった時、本当はかなり嬉しかった。放課後、図書室で試験勉強を付き合ってくれると言うんだからな。だが、同時に恐ろしくもあった。あの思い出は中学時代のトラウマになっている。
「アオイさんはなあ、勉強に関しては途轍もなく厳しいんだ」
スパルタなどという言葉では生温い。地獄の鬼から受ける責め苦とでも言おうか。繰り返される罵倒と叱咤の嵐。その度に自分の不甲斐なさと情けなさを思い知らされ、何リットルの悔し涙を流したことだろう。さりとてアオイさんを恨んではいない。彼女のおかげでこの高校に入学できたのだから。
「何はともあれ試験も終わったことですし、これでやっとゲームに本腰を入れられますね。さっさと最終ステージをクリアしてゲームを終了させちゃいましょう」
ゲーム終了……その言葉を聞くと胸がうずく。あの日、傘を持って来てくれた母と三人で家に帰った後、ゲーム画面を開いたディアが歓喜の声をあげた。
「やりました! 第二ステージをクリアして、遂に最終ステージ突入です。ここを抜ければゲームもクリアです」
これまで通りのペースで進めれば試験期間中にゲームを終えられたかもしれない。しかしそうはしなかった。一旦ゲームから遠ざかることにしたのだ。
「ディアにとってはどうでもいいことだろうけど、ボクにとっては大事な試験だからね。勉強に集中したいんだ」
その日以降、毎日開いていた戦略ミーティングを封印して試験勉強に邁進した。もちろん、それは単なる口実に過ぎない。本音はゲームを終わらせたくなかったのだ。ゲーム終了はディアとの別れを意味する。その時をできるだけ先に引き延ばしたかったのだ。
「最終ステージは厳しいですよ。イベントチケットがありませんからね。完全に自力でクリアしないといけないのです。でも現在のアオイさんの信頼度はちょうどゼロ。休火山大噴火現象が一番発生しやすい値です。きっとすぐにクリアできると思いますよ」
「そのことなんだけどさ、ディア」
トウノが味方になった時から始まった胸のもやもやは今もまだ続いている。その原因もわかっている。
「教えて欲しいんだ。ゲームをクリアしてしまったら、ディアはこの世界からいなくなるんだろう」
「そうですよ。クリアの瞬間に消滅するわけではないですけどね」
「その後、ボクらはどうなるんだい。この世界はどうなるんだい」
「ん~、どうですかねえ。ゲーム世界に来たのは初めての経験なので、その辺についてはよくわからないのです。でも、元々私が存在しなかった世界に改変されると思いますよ」
「じゃあボクらもディアを忘れてしまうのかい」
「たぶん、そうでしょうね」
その答えを聞いた瞬間、鋭い短剣で貫かれたかのように胸が痛んだ。ディアに対するボクの想いは、ボク自身でさえも気付かぬうちにとんでもなく大きくなっている。もはやそれを認めないわけにはいかない。
「そのう、どうしても元の世界へ帰らなくちゃいけないのかい。ずっとここに留まるわけにはいかないのかい」
「ヒフミ君……」
鈍感なディアもようやくこちらの気持ちを察してくれたようだ。いつも陽気な碧眼は憂いを含んだ情感で満ちている。
「そうですよね。お別れは寂しいですよね。猫も三日飼えば情が移るって言いますもんね。わかります、その気持ち」
いや、別におまえが猫だと言っているわけじゃないんだぞ。それから猫じゃなくて犬だ。「猫は三日で恩を忘れる」とごっちゃになってるぞ。こんなしんみりする場面で言い間違えるんじゃない。
「でも人生に別れは付きものです。中学の同級生のほとんどは卒業式で別れてそれっきりでしょう。同じですよ。私のことはきれいさっぱり忘れてください」
そう単純に比べられるものじゃないだろう。同級生なんて学校だけの付き合いだ。しかしおまえはそうじゃない。プレイヤーとキャラという特殊な関係を保ちながら、家でも学校でもそれこそ一日中同じ時間を過ごしてきたんだ。別れがつらくなって当然だ。
「本音を言うとまだ信じられないんだよ。ディアが別の世界から来た存在だってことが。本当は普通の外国人で、みんなで示し合わせてボクを騙しているんじゃないか、そんな疑惑もちょっぴりだけど残っている」
「私に関する記憶がなかったり、ゲーム内チャットを使ったり、夕立が二回も降ったのはどう説明するのですか」
「記憶がないのは忘れたんだ。ゲーム内チャットは空耳だ。夕立はただの偶然だ。そんな風に都合のいい解釈を信じ込もうとしている自分がいる」
「重症ですね」
人の脳なんていい加減なものだ。思い込みで簡単に真実を捻じ曲げる。眼球の網膜には上下左右が反転して映っているのに、脳で勝手に修正して認識しているんだからな。ディアに関して発生した事象は脳が認識したもの。それらを真実として無条件に受け入れるほうがおかしいとも言える。かなり無理がある屁理屈だけどな。
「ヒフミ君がどのように考えようと構いませんよ。私は来月元の世界へ帰る、その事実だけは変えようがないのですから」
「それなら教えてくれないか。ディアが帰る世界とはどんな世界なんだ。前に訊いた時はゲーム進行に関わるってことで教えてもらえなかったけど、クリアはもう確定したようなものだし、ゲーム終了後はディアに関する記憶は消えるんだろ。それなら教えてくれても問題ないと思うんだけどな」
最初に会った時から一番気になっていたことだ。どんな世界からどんな理由でここへ来たのか。少なくともトラックに轢かれて転生したのではなさそうだが。
「そうですねえ。それならちょっとだけお話ししましょうか。以前、言いましたよね、剣と魔法のファンタジー世界に似ているって。似ているというよりそのものなのです」
ディアの口調が心なしか重くなった。話す気になってくれたようだな。
「歴史として
おい、ちょっと待てよ。いい気分でファンタジックな空想に浸っていたのに、どうしていきなり日常系ゲームの話になるんだよ。真剣に聞いて損した。
「いや、その設定は無理があるんじゃないか。剣と魔法の世界に日常系ゲームって、不釣り合い過ぎるだろう」
「どうしてですか。この世界だって同じではないですか。こんな平和な日常の世界に、毎日戦闘に明け暮れる幻想的なゲームが溢れ返っているのですから」
いや、それはそうだけどなあ。「逆もまた真」は必ずしも真じゃないからな。
「するとなんだ、おまえの世界では勇者とか魔王とかモンスターが日頃の憂さを晴らすために、スマホやパソコンやゲーム機で日常系のゲームを楽しんでいるとでも言うのか」
「ご名答!」
断言しやがった。勇者はまだしも凶悪なモンスターがコントローラーを操作している場面なんか想像できないぞ。
「で、おまえの場合は恋愛シミュレーションゲームで遊んでいたら、うっかりゲームの世界へ来てしまった、そう言いたいんだな」
「まあ、そんなところです」
「その原因は?」
「そこまではお話しできません」
う~ん、これはたぶん「お話しできない」のではなく「まだ考えていない」が正解だろうな。まあいい。これ以上不毛な会話をしていても仕方がない。戦略ミーティングらしくゲーム攻略の話に戻ろう。
「それで、このゲームをクリアするためにはどうすればいいんだ」
「ターゲットの信頼度を規定値より上げるのがクリアの条件です。具体的にはアオイさんの信頼度を四五以上にすること。それが達成できた瞬間、見事ゲームクリアとなります」
マジかよ! 現在の信頼度がゼロなんだろ。それを四五にするなんて難易度高すぎるだろう。ボクに期末試験でトップを取れって命令するくらい無茶な話だ。
「そのクリア条件、先に聞いておくべきだったな。そしたら試験期間中も休んだりせずアオイさんの信頼度を上げるべく頑張ったのに。いくらなんでも四五はハードルが高すぎる」
「もう忘れたのですか。休火山大噴火現象さえ発生させれば、信頼度なんて一瞬で最高値近くまで上昇するのですよ。そして今のヒフミ君なら簡単にその現象を起こせるはずです」
「ほほう。このボクが何をすれば休火山は大噴火すると言うんだい」
「最終指令をクリアしてください。そうすれば、最終ステージクリア→休火山大噴火→アオイさんの信頼度ほぼ最高値→ゲームクリア、の流れになるはずです」
「で、その最終指令とは?」
「ターゲットに愛を告白せよ、です!」
ディアの指令を聞いて、柄にもなく赤面するボクであった。
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