昨日の恋敵は今日の友

「ハーイ、そこの男子高校生。そんな所に立ち止まって何をしているのデスカ」


 背後から聞こえてきた陽気な声。振り向く気力もない。そのまま駅に向かって歩き出す。


「おやおや置いてきぼりとはつれないなぁ」


 この声を聞かされたら無視などしていられない。振り向いたボクの前にはディアとトウノが立っていた。二人でひとつの傘を差している。


「どういうことだよ。どうして二人で相合傘なんかしているんだよ」

「トウノ君が傘を持っていなかったからデス。私は持っていたので入れてあげたのデス」

「いや、でもトウノはサッカー部なんだろ。放課後の部活はどうしたのさ」

「うちの部は軟弱でね。雨が降ったら休みになるんだ。風邪でもひいたら大変だからね」


 本当に軟弱だな。うちの中学のサッカー部なんか、雨が降ると校舎の階段を駆け上がってトレーニングしていたぞ。体育会系でも進学校だとこんなものなのか。強くなれないわけだ。


「さてと、いつまでも相合傘をしていてはヒフミ君にヤキモチを焼かれそうだし、この辺でお暇するよ」


 ヤキモチだと。アオイさんだけじゃなくこいつも誤解しているのか。困ったもんだな。


「勘違いするなよ。ディアとはそんな仲じゃなくて……」


 不思議だった。最後まで言い切れなかった。ディアに対しては何の感情も抱いていないはずなのにどうしてだ。並んで立っているトウノに対してどうしてこんなに苛立ちを覚えるのだ。


「おや、そうなんだ。これは失礼。ディアさん、今日はありがとう。おかげで濡れずに済んだよ」

「イエイエ。どういたしマシテ」


 トウノは持っていた傘をディアに渡して西口へ歩いていく。あいつが乗る電車は反対方向だ。今日はここでお別れだな。


「うふふ」


 ディアが脇腹を小突いてきた。にんまりとした笑顔はまるで招き猫だ。


「どうやらヒフミ君もうまくいったみたいデスね」

「う、うん、まあ……」

「ヤッター。これでステージクリアデスね」


 親密トークには違いないだろうが、あれでうまくいったと言えるのだろうか。さすがに自信がない。

 言葉少なに駅へ入り改札を抜けてホームに立つ。線路を挟んだ向かいのホームで電車を待っているトウノが手を振った。もちろん無視だ。ディアは律義に手を振り返しているがな。


「さあて、見てみマショウかね」


 胸の前で合わせた両手をゆっくりと広げるディア。こんな所でゲーム画面を開くつもりなのか。


「お、おい。家に帰ってからゆっくり見ればいいだろう」

「待ちきれないのデス。二人の関係はどうなったかな……ええっ、ウソオオー!」


 ディアが絶叫に近い大声を上げた。向かいのホームにいるトウノが驚いている。


「どういうことデスカ。ステージクリアできていないではないデスカ」


 返す言葉もない。やはりあの会話の内容では親密トークと認定されなかったか。


「訳は家で話す。この場は一旦収めてくれ」


 そう答えるのがやっとだった。



 その夜の戦略ミーティングは完全に針のむしろ状態だった。現在、ディアの前に正座させられて情け無用の説教を受けているところである。


「ヒフミ君がここまで無能なキャラだとは思いませんでした。イベントチケットを使用したのにクエストをクリアできないなんて初めてです。前代未聞です」

「すまん」

「どうしてアオイさんの誤解を解かないまま別れたのですか。否定しないってことは認めたのと同じなのですよ。これまでは不確かな疑惑でしかなかったの、ヒフミ君が曖昧な返答をしたために確証へ変わってしまったはずです。嫉妬を通り越して諦めの状態に入ってしまったに違いありません。この状態で何を言っても全て見苦しい言い訳としか受け取ってもらえませんよ」

「面目次第もない」


 謝りながら考える。あの時、どんな行動を取るのが正解だったのだろうか。時間に追われているアオイさんに短時間で全てを説明するのは不可能だ。それらしい理由をねつ造してもアオイさんならすぐに見破ってしまうだろう。結局、説得を先回しするほかに取るべき道はなかったのではないか。


「こら、聞いているのですか。出来損ないキャラのヒフミ君」


 ディアの機嫌はなかなか直らない。こんな不毛なお叱りを続けていても仕方ないだろうに。


「なあ、ディア」


 正座をやめてあぐらで座り直す。ディアが頬を膨らます。


「勝手にリラックスしないでください。まだ教育的指導は終わっていないのですよ」

「ひとつ訊きたいんだ。アオイさんは人並み外れて先見の明に優れている。もしかしてテレパシーを使っているんじゃないかって思えるくらい超人的洞察力を持っている。それなのにどうしてボクとディアのことを誤解してしまったんだろう。今回のアオイさんのミスは、彼女のキャラ設定と矛盾しているんじゃないか」

「ふむ。言われてみれば変ですね」


 ディアが何もない空間を見上げた。考えている。やがて両手を広げてゲーム画面を開いた。そしてまた考える。


「何かわかったか」

「そうですねえ……あっ、これかな。アオイさんの洞察力、五〇。キャラが取り得る最大値。ただし恋愛に関しては幼稚園児並みの見識しかない」

「それだ!」


 どんなキャラにも必ず弱点がある。それがゲームというものだ。知性最強キャラアオイさんの弱点、それは男女の恋愛術だったわけだ。

 まあ、それに関しては他人事ではないな。自分の恋愛経験値は恐らくゼロ。下手すりゃマイナスだろう。


「恋愛経験不足からくる誤解でしたか。アオイさんってモテモテだと思っていましたけど、そうでもなかったみたいですね。でもこれで方法が見付かりました。恋愛関係で誤解したのなら恋愛関係で誤解を正せばいいのです」

「つまりどんな方法だ」

「簡単ですよ。アオイさんは私とヒフミ君がデキてると思っているのでしょう。だからそうではないって教えてあげればいいのです。言葉ではなく態度で示すのです」

「つまり具体的にどんな方法なんだよ」

「私が恋人を連れてきてオアイさんの前でイチャつけばいいんですよ。恋愛経験皆無のアオイさんなら、その光景を見ただけで誤解を解いてくれるはずです」


 どこが簡単なんだ。おまえ、恋人なんかいないだろう。もしかして「イギリスにいるボーイフレンドが送って来てくれたビデオレター」なんてものをでっち上げて、それをアオイさんに見せるとか、そんなオチか。


「恋人ねえ。当てはあるのか」

「ありますよ。トウノ君です」

「はあ?」


 ちょっと待てよ。トウノのターゲットはアオイさんだろう。数日前のミーティングでも「強力なライバルだが当面放置」ということで話が一致していたじゃないか。そのトウノがおまえの恋人役なんか引き受けるはずがないだろう。そんなことをしたらアオイさんの心が離れてしまうのは目に見えているからな。


「冗談も休み休み言えよ。トウノが好きなのはアオイさんなんだぜ」

「そうですね。でも私も好きみたいですよ。実は今日、傘の下で告白されたのです。ディアさん、よかったら私と付き合ってくれないかなって」

「はあああ?」


 なんじゃあ、あの男は。軽薄にも程があるぞ。

 いや、しかし待てよ。これはゲーム進行上、イベントチケット五枚分に相当するくらいのラッキーイベントかもしれないぞ。トウノとディアがくっ付けば強力なライバルが消滅するわけだからな。ボクとアオイさんがハッピーエンドを迎える確率は飛躍的に跳ね上がるはずだ。


「明日は土曜日で学校はお休み。さっそく明日にでもトウノ君を呼び出して頼んでみましょう」

「あ、ああ、そうだな。えっとクラスの連絡名簿はどこだったかな……」

「あ、大丈夫です。アドレス交換しましたから。メール打ちますね。ピッピッ、はい終了……まだかな……プルル、あっ、返事が来た。明日午前一〇時学校最寄り駅にて待つ、ですって。話に乗ってくれるみたいですよ。ヤッタネ!」

「そ、そうか。それはよかったな」


 う~む、これが平均的な高校生の男女の付き合いなのか。学校から駅までの一〇分間でこれほどまでに二人の仲を進展できるとは。同じ高校生とは思えん。

 それにしても胸にわだかまるこの気持ちは何だ。ディアが誰と仲良くなろうとこちらには関係ないのに、あの相合傘の光景を思い出すだけで胸がもやもやする。


「どうしたのですか。浮かない顔をしていますね」

「いや、別に。さあ、明日は頑張るぞ」


 そうだ。今度こそ首尾よく事を進めてステージをクリアしないとな。



 翌日の朝一〇時、高校最寄り駅前にあるファミレスで、ボクとディア、そしてトウノの三人は仲良くテーブルについていた。


「ディアさんの私服姿、もう最高。その姿を見られただけでも今日ここに来た甲斐があったよ。サンキュー」


 トウノが発した第一声である。どうやらこいつのキャラは「女たらしの遊び人」に設定されているようだ。


「だからって何もせずに帰ってもらっちゃ困るからな。取り敢えず現在の状況を説明するよ」


 簡単に事の成り行きを説明する。もちろんディアの素性については何も話さない。トウノに教えるのはアオイさんの誤解に関する事柄だけだ。


「ふんふん、なるほどね」


 トウノは真剣に話を聞いてくれた。言動は軽薄そのものだが、担任が学級委員に選ぶほど明晰な頭脳の持ち主である。かなり頼りになる男子のはずだ


「了解。では君たちの現状をまとめてみよう。アオイさんは誤解している。その誤解を解きたい。これが君たちの希望だね。で、解くべきアオイさんの誤解は次の二点である。一、ヒフミ君が高校も部活もディアさんと同じにしたのはディアさんが好きだからである。二、ヒフミ君とディアさんはすでに恋人同士である。よろしいかな」

「よろしいデス! はあ、美味しかったデス」


 こちらが一所懸命説明している間に、ディアは期間限定いちごパフェを平らげてしまった。どんな時も食うことだけは熱心だな。


「そして君たちの依頼は私がディアさんの恋人役になること。そうだね」

「そうだ。頼めるかな」

「もちろん。こちらからお願いしたいくらいだよ。でもね、これでは誤解の半分しか解くことができない」

「どうして?」

「ディアさんがヒフミ君に気がないことしか証明できないからさ。つまり二番目の誤解しか解くことができない。ヒフミ君がディアさんに気がないことを証明しなければ、一番目の誤解は解けない」

「オウ、確かにそうデスネ。あっ、お代わりいいデスカ」

「どうぞ」


 簡単に「どうぞ」なんて言うなよ。金を払うのはこっちなんだぞ。

 しかしトウノは鋭いな。ボクらが両思いでない証明はできても、ボクが片思いでない証明ができないからな。言葉で「好きなのはディアではなくアオイさんだ」と言っても、今の状態なら信じてもらえないだろう。と言うか、そんなこと、言えるはずがない。


「何か策はあるか」

「ありますよ。ほかの人の手を借りましょう。そうですね、ヒフミ君のお母さんにお願いしましょうかね」

「母に?」


 トウノはにっこりと笑った。ディアの小悪魔の微笑とは違う、底知れぬ深みを感じさせる笑みだった。

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