言葉にしないと伝わらない、言葉にすると誤解される
イベントチケット、それはプレイヤーの苦境を打開してくれる超便利な課金アイテム。使用すればプレイヤーに有利なイベントが発生し、クエスト進行を容易にしてくれるのだ。
このチケットのおかげで第一指令をクリアし次のステージへ進むことができた。今回も頼らない手はない。
「で、やはり千円なのか」
「今回は第二ステージ用のイベントチケットなので一枚二千円になります。買いますか?」
二千円か。高いな。しかし背に腹は代えられない。財布から千円札を二枚取り出す。
「買う」
「毎度あり~。では課金しますね」
二枚の千円札を受け取ったディアは再び空間の各点を指先でクリックし始めた。前回とまったく同じ動作だ。
「はい。ゲットしましたよ。イベントチケットです」
これもまた前回と同じくパジャマのポケットから紙切れが出てきた。今回もあらかじめ仕込んであったのだろうか。
「そしてそのチケットを使用しますかと聞いて、ボクが使用すると答えればまたポケットに仕舞い込むんだろう」
「その通りです。使用しますか」
買ってしまったのだから使用するしかない。「する」と答えると前回同様チケットをポケットに入れ空間を操作し始めた。
「はい、終了しました。これで第二指令はクリアできたも同然です」
「そうか。で、イベントはいつ発生するんだ。前回は翌日起きたよな。今回も明日なのか」
「う~ん、そうですねえ」
そうですねえ、とは何だ。設定上はゲーム世界がイベントを発生させるのであって、おまえが起こすわけじゃないんだろう。
「まあ数日中には起きるのではないかと……」
「おい、もしかして何のイベントも考えてないんじゃないだろうな」
「な、何を言っているのですか。イベントは私が起こすのではないのですよ」
「とか言って、前回の毛糸編み一式はおまえが用意したんだろう」
「いいえ。あれはゲーム世界が用意したのです。ヒフミ君はゲーム内キャラなの
ですから、余計な気を回さずに私の命令に従っていればいいのです」
仕方ない。ここはディアを信じて待つしかないな。待てば海路の日和あり、だ。
そして翌日。何も起きなかった。さらにその翌日、朝、家を出る時、ディアにあるものを渡された。
「今日はこれを持って学校へ行ってください」
渡されたのは折り畳み傘だ。かなり大きい。二千円くらいしそうな立派な傘だ。
「いや、今日は必要ないだろう。こんなに晴れているし、降水確率も一〇%だし」
「いいから。黙って持っていけばいいのです」
いつになく強引な態度。もしやこれはイベントに関係があるのか。突然夕立に襲われるとか、そんなイベントが発生したりするのか。そのためにあの二千円を使ったのか。
「わかった。持っていこう」
大型の傘を強引にカバンに仕舞い込む。折り畳み傘は何本もあるのにわざわざ二千円も出して買ったということはきっと特別な傘に違いない。
「ヒフミ君、今日こそは決めてくださいね」
「ああ、やってやる。任せてくれ」
もちろん期待通りに雨が降ってくれればの話だがな。
その日、午前中は快晴だった。しかし昼過ぎから雲が広がり始め、三時頃には一面の曇り空となり、終礼が終わるころには本降りとなった。
(まさか。本当に降って来るなんて)
いくらディアが他の世界から来たプレイヤーでも、ゲーム内に居ながらにして天候を操れるとは思えない。あのチケット、本物だったのか、それとも単なる偶然か。いずれにしてもチャンス到来だ。
「こりゃ、すぐにはやみそうにないな」
「お母さんに電話してみようっと」
教室内は大騒ぎだ。ほとんどの生徒が傘を持ってきていないのだろう。家を出る時にあれだけの快晴を見せられては、傘を持参しろと言うほうが無理な話だ。
「さようなら」
生徒たちの大騒ぎをよそにアオイさんは平然と教室を出て行く。まさか傘を持っているのか。慌ててディアが声を掛けてきた。
「ヒフミ君!」
「わかってるよ」
少し時間をおいて教室を出る。早過ぎず遅過ぎずアオイさんを追う。階段を降り、昇降口に入り、靴を履き換えたところでアオイさんの動きが止まった。空を見上げている。やはり傘を持ってはいないようだ。
「雨、やみそうにないね」
いかにも自然な感じで話し掛ける。このまま振り続けてくれよ、夕立さん。
「ええ。けれど今日は用があるから早く帰りたいの。濡れるのは嫌だけど走って駅まで行くわ」
「あの、ボク、傘を持っているんだ。よかったら一緒に帰らないか」
「えっ……」
空を見ていたアオイさんの目がこちらに向けられた。いつもの冷たく鋭い眼差しではない。子犬のように素直な瞳だ。
「いいの? いつもディアさんと一緒に帰っているのでしょう」
「ああ、ディアは今日、図書室に寄るって言っていた。傘も持っているから心配ないよ」
もちろん口からでまかせである。ボロが出ないように家に帰ってから口裏を合わせておかないとな。
「そう。それならお言葉に甘えさせていただこうかしら」
やった。成功だ。二千円も出した甲斐があったってもんだ。さっそくカバンから折り畳み傘を取り出して広げる。うわ、こりゃ大きいな。まるで相合傘専用の傘みたいだ。
「大きいわね。相合傘の相手がディアさんではなく私でごめんなさい」
「ふっ、ディアなんか頼まれたって入れる気はないよ。ボクらそんなに仲は良くないんだ」
「そう」
雨の中を歩き出す。会話は途切れてしまった。アオイさんは口を閉ざしたままだ。
(当然だよな。アオイさんの信条は『歩きながらのお喋りは論外』なんだから)
数日前の会話が頭をよぎる。この状況で話し掛けたらアオイさんは間違いなく嫌悪感を抱くだろう。だがこうして歩いているだけでは第二指令をクリアできない。親密トーク、これが絶対の条件なのだから。
(くそっ、こうなったら一か八かだ)
覚悟を決めた。嫌悪感よりクリアを優先だ。
「あの、アオイさん、ちょっと話をしていいかな」
「いいわよ」
「えっ!」
拍子抜けしてしまった。こうも呆気なく許可が下りるとは思ってもみなかった。何が起きたんだ。アオイさんが自分の言葉を忘れるはずがない。簡単に自分の信条を変更できるような出来事が発生したのだろうか。
「驚いているみたいね。そうよね、お昼を食べながら『歩きながらのお喋りは危険』なんて偉そうなことを言っていたのだから」
「まあ、でも君子豹変すってことわざもあるし。さほど驚くことでもないよ」
「あれは嘘なの」
「ウソ!」
加速度的にアオイさんの印象が崩れていく。真面目で頑固で融通の効かない女子だとばかり思っていたがお茶目な面もあるようだ。
「どうして嘘なんか……」
「あなたたちの考えがわかったから。いつもひとりで歩いている私を気の毒に感じたのでしょう。それで私と一緒に三人で下校しようと目論んだ。そのために突然登下校の話題を持ち出した。どう、図星でしょう」
「う、うん。そうだね」
正確には三人ではなく二人なのだが、それを除けば全て当たっている。やはりアオイさんの洞察力は侮れないな。まさかここまで読まれていたとは……
「じゃあ、ボクらと一緒に帰るのが嫌であんなことを喋ったって言うのかい」
「そうよ」
これは少なからずショックだった。昼は三人、今はひとり増えて四人だが、とにかく一緒に弁当を食べているので良好な友人関係を築けているものだとばかり思っていた。本当は一緒に帰りたくないくらい嫌われていたのか。
「残念だな。ボクもディアも君の気に障るようなことをした覚えはないんだけどな」
「ええ。そうよ。あなたもディアさんも本当にいい人だわ。だからこそ一緒にいるとつらいのよ」
いい人だからつらい? まるでなぞなぞだ。何を言いたいのか全然理解できない。
「ごめん、もう少しわかりやすく説明してくれないかな」
「私、不思議だったの。中学三年の時、それまでは全然パッとしない成績だったあなたが突然『受験勉強を手伝って欲しい』って頼んできたでしょう。その理由がずっとわからなかったの。でも今はわかる。ディアさんと同じ高校へ通いたかったから。そのために猛勉強したのでしょう」
直ちに反論したかったがまだ話の途中だ。黙って聞くことにしよう。
「手芸部だってそう。どうしてあんなに無理をしてまで入部しようとしたのか。それはディアさんと同じ部に入りたかったから。それでわかったの。ああ、ヒフミ君はディアさんが好きなんだって」
「いや、それは違う」
ここまで言われては話の途中でも異議を申し立てないわけにはいかない。アオイさんは大変な誤解をしている。
「別に照れる必要はないわ。私だけではなくクラスのみんなも薄々気付いていることよ。小さい頃に引き離され数年ぶりに再会した幼馴染。そして今はひとつ屋根の下に住んでいる。お互いに好意を抱き始めたとしても何の不思議もないわ。従兄妹同士なら結婚もできるしね」
「いや、だからディアとはそんな関係じゃないんだよ。あいつはゲームのプレ……」
「ゲームの、何?」
言えない。本当のことを言っても信じてもらえるはずがない。だからと言って別の言い訳も思いつかない。黙っているとアオイさんの低い声が聞こえてきた。
「そんなあなたたちを見ているとつらいのよ。まるで二人の仲の良さを見せつけられているみたいで。自分の孤独を再認識させられているみたいで。わかる、私の気持ち」
「う、うん。わかるよ。ごめん、全然気が付かなかった。じゃあ昼食の時も随分と無理をしていたんだね」
「以前はね。今はトウノ君がいるからそれほどでもないわ。だからお昼は今まで通り一緒に食べましょう。でも三人での下校だけはお断りするわ。私ひとりだけ離れて歩く姿が目に浮かぶから」
そうじゃない。アオイさんは何もかも勘違いしている。しかしそれを根本から理解させるのは不可能だ。ディアが別の世界の存在であることから説明しなくてはならないんだからな。
「いけない、お喋りしながら歩いていたら遅くなってしまったわ。どうしても次の急行に乗りたいから走るわね。今日はありがとう、ヒフミ君」
アオイさんは傘から飛び出すと駅に向かって駆け出した。雨はもう小降りになっている。ボクは立っていた。二〇メートルほど先の駅の西口にアオイさんの姿が消えても、まだその場所に突っ立っていた。
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