第二指令「親密トークは登下校の時間に実行せよ」

 強引な手段に訴えれば学内でも二人きりになれる。例えば、

 手紙で体育館の裏へ呼び出したり、

 女子トイレの前で待ち伏せしたり、

 目の前で階段から転げ落ちて足を痛めた振りをして保健室へ連れて行ってもらったり、

 知恵を絞ればなんとでもなるものだ。

 そう、普通の女子ならばそんな作為的な手段でもなんとかなる。しかしアオイさんに対しては完璧なまでに無力である。先ほどの例を実行したとしても、


「こんな手紙如きで私が体育館の裏に行くとでも思ったの」

 と言われるに決まっているし、


「あら、こんな所で待ち伏せ。立派な変質者になれそうね」

 と虫けらでも見るような目で小馬鹿にされるに決まっているし、


「ひょっとして自分の体を使った重力の実験。落下の衝撃力は体重に比例するのよ。もう少し痩せたらどう。くすくす」

 と嘲笑されるに決まっているのだ。


「アオイさんに対しては下手な小細工は通用しない。あくまでも自然に、偶然に、思いもよらない形で接触を図らなければ、確実に返り討ちにあってしまう」

「だからこその第二指令なのです。登下校時ならば自然にさりげなく偶然を装ってアオイさんに出会えるでしょう」


 たった今ディアから聞かされた第二指令は「親密トークは登下校時に実行せよ」だ。もし学外で接触を図るとすればこの時しかあるまい。

 ボクもアオイさんも電車通学。駅から高校までの道を毎日徒歩で往復している。その所要時間は約一〇分。電車の発車時刻から逆算すれば、通学路途中にいるアオイさんを確実に狙い撃ちできる。


「そうだよな。やっぱりその時を狙うしかないよな。でも、かなり難しいような気がするんだ」

「どうしてですか」

「思い出してみろよ。一カ月以上高校に通っているのに、これまで通学路の途中でアオイさんに出会ったことがあるかい」

「あっ!」


 そう、ないのだ。登下校の途中でアオイさんを見掛けたことが一度もないのだ。登校時は仕方がない。向こうは急行、こちらは普通。利用する電車が違うのだから会えないのは当然だ。だが、下校時に一度も会えないのは単なる偶然で済ませられるだろうか。


「ディアには言わなかったけど、実は何度か試してみたことがあったんだ。急行の発車時刻に合わせて校門を出てみたり、授業が終わってアオイさんが教室を出たらすぐに後を追いかけてみたり、部活終了後、アオイさんと同時に家庭科室を出てみたり、そのまま駅まで同行できたらいいなと思ってあれこれ試してみたんだ」

「そう言えば、ヒフミ君、不意に姿を消してしまったことが何度かありましたね。あれはそんな理由だったのですか。ちっとも気付きませんでした」


 そうなんだよ。おまえの知恵に頼ってばかりじゃみっともないと思ってな。色々と試行錯誤していたんだ。ちょっとは気付いてくれよ。


「でも結局、彼女と話をするどころか、駅まで一緒に歩くことさえできなかったんだ」

「どうしてですか」

「駅で待っていた時は急行の発車時刻になってもアオイさんは来なかった。後を追いかけて教室を出た時は図書室へ行ってしまった。部室を同時に出た時は女子トイレに入ってしまった」

「えっ、それで諦めちゃったのですか。軟弱ですねえ。駅に来なかったのは仕方ないとしても、一緒に図書室まで付いて行けばよかったのに」

「できるわけないよ。『あら、あなたみたいな勉強嫌いが図書室に何の用なのかしら?』とか言われるに決まっている」

「それなら女子トイレの前で待っているとか」

「それは『立派な変質者になれそうね』と言われることで意見が一致しているだろう」

「あ、そうでしたね。ふ~む……」


 ディアはそれだけ言うと空間を見上げて考え始めた。またゲーム画面でも開いているのだろうか。何を見て何を考えているのだろう。きっとゲーム内キャラの自分には窺い知れない深遠な思考を巡らせているのだろうな、と思いたい。


「何となくわかってきましたよ」


 思考の時間が終了したようだ。結論を聞くとしよう。


「どうやらアオイさんは意識的にヒフミ君を避けているようですね。そのような行動を取るようにプログラムされているのでしょう」

「プログラムって何だよ。アオイさんはロボットじゃなく人間だぞ」

「ああ、言い方が変でした。そんな意思を持っているってことです。何らかの理由でヒフミ君と二人だけの行動を取りたくないのでしょう」

「じゃあ、ディアと三人なら一緒に駅まで歩いてくれるのかな」

「たぶんそうです。お昼のお弁当だって私やトウノ君がいるから付き合ってくれているのだと思いますよ」


 アオイさんは思ったより照れ屋さんなのかもしれないな。男子と二人だけの行動は避けたいというわけか。


「しかしディアがいたら二人だけの親密トークはできないしな。理由がわかっても二人きりになる方法が見付からないんじゃどうしようもない」

「そうですねえ。こうなったら自分に正直になるしかありませんよ」

「自分に正直? どういうことだ」

「アオイさんにお願いするんです。二人だけでお喋りしながら一緒に駅まで歩いて欲しいって。懇切丁寧に頼み込めばきっと願いを叶えてくれますよ。アオイさんは優しい女の子なのですから」

「そ、そんなこと……」


 できるかっ! と言いたいがそれ以外の良策が思い付かない。結局その案を採用してその夜の戦略ミーティングは終わった。


 採用された作戦を実行に移すべく、直ちに次の日から行動を開始した。

 朝、教室で「おはよう」の挨拶をする時、

 授業中わざと落とした消しゴムを拾ってもらう時、

 昼の弁当を四人で食べている時、

 終礼が終わって「さようなら」の挨拶をする時、

 喉の奥深くに用意されている「あっ、よかったら駅まで一緒に帰らない」の言葉を発しようと最大限の努力を払い続けた。

 だが一週間を経過してもその言葉が音声となってアオイさんの鼓膜を振動させることは遂になかった。


「あ~、もう。情けないですよ、ヒフミ君」


 ディアの言葉が胸に突き刺さる。そうだよ、情けないよ、認めるよ。そもそも作戦発動初日に出鼻を挫かれたのが痛かった。


「話を付けるならお昼のお弁当タイムが最適です。私も加勢できますからね」


 単独でお願いするよりディアの口添えもあったほうがアオイさんの心を動かせるはず。三人が揃うのは昼、もしくは週に一度の部活動の時だが、さすがに多くの女子生徒に囲まれた家庭科室で私的なお喋りはできない。昼食時こそが格好の機会と言える。


「善は急げ。さっそく明日トライしてみましょう」


 戦略ミーティングの翌日の昼、昨日に引き続きトウノがやって来た。まるで当たり前のように机を寄せて着席する。


(ちっ、こいつには聞かせたくないが仕方がない。隣に座っているのはカボチャだと思って話を進めよう)


 まずはいつものようにディアの世間話。ボクは適当に相槌。アオイさんは無言。トウノは陽気に受け答えしている。傍目にはディアとトウノが和気あいあいのお喋りを楽しんでいるように見えることだろう。


(ディアそろそろ作戦開始だ)

(OK!)

「あっ、ところでアオイさんは毎日一人で通学しているのデスカ」


 それまでの会話をぶった切って、いきなりアオイさんへ話題を振る。ディアならではの力技である。普通の人間ならば唐突すぎる無茶振りだが、ディアなら許せてしまうのが不思議である。


「え、ええ。登校も下校もひとりよ」

「ひとりで一〇分間も歩くのは、退屈ではないデスカ」

(よし、いいぞディア。その調子だ。これはうまくいきそうだな)


 と油断をした時が一番危ういのである。トウノが口を挟んできたのだ。


「そうなんだよ、ディアさん。私はサッカー部だからね、毎朝、毎夕、駅と高校の間を走って登下校しているのさ。ひとりランニングは寂しいものだよ。ディアさんも一緒に走らないかい」

「いえ、遠慮しマス」


 トウノめ。少し黙ってろ。おまえのランニングの話なんか誰も聞きたくないんだよ。それにしても羨ましいヤツだな。学級委員でサッカー部でイケメンか。モテる要素が全て揃っているじゃないか。


「えっと、アオイさんはどうなの。ひとりの通学はつまらなくない?」


 勇気を出して話し掛ける。ディアはトウノの相手でそれどころじゃないからな。


「私?」


 アオイさんの箸が止まった。顔を上げてこちらをじっと見詰めてくる。心臓の鼓動が若干早くなる。


「別に。むしろひとりのほうが気が楽だわ」

「そ、そうなんだ」


 まずいな。これは予想していなかった展開だぞ。すかさずディアのフォローが入る。


「あっ、でもお喋りしながら歩いたほうが楽しくはないデスカ? 今もお喋りしながら食べているデショウ」

「楽しいかどうかが問題ではないの。危険なのよ。交通事故はいつどこで発生するかわからない。こちらがどれだけ注意していても注意しすぎることはないはず。お喋りしながら歩くなんて論外よ。自ら危険を招き寄せているようなものだわ」

「うんうん、アオイさんの意見に同感だな。私も万全の注意を払ってランニングしているからね」

「交通事故は怖いデスからネ。私も気を付けたいデス」


 おい、ディア。アオイさんに言いくるめられてどうするんだよ。話が終わっちゃったじゃないか。


「ヒフミ君は毎日ディアさんと登下校しているのでしょう。通学中のお喋りはほどほどにしたほうがいいわよ」

「ご忠告、ありがとう」


 これ以上何も言えぬ。ここまで頭ごなしに否定されておきながら「一緒にお喋りしながら帰りませんか」と言えるほどの度胸はない。その後は無言で弁当を食べた。


 作戦発動初日の大失敗によって、ボクの意欲は大きく削がれてしまった。話し掛けようとしても、あの時聞かされた言葉が脳裏をよぎり、絶対拒否されるに違いないと尻込みしてしまうのだ。

 そんな情けない日々がズルズルと続き、気が付けば一週間も経過してしまった。


「すまない、ディア。このステージは難関すぎる。今度こそゲームオーバーだ」

「そんな弱気な言葉は聞きたくありません。どうして一緒に帰ろうくらいのことが言えないのですか」

「だって考えてもみろよ。一緒に帰ろうなんて告白と同じだよ。付き合ってくださいって言葉とどれほどの違いがあるんだよ」


 告白できるだけの度胸があれば中学の時にしている。「図書室で受験勉強を手伝って欲しい」それが中学の時にオアイさんに言えた限界だった。アオイさんに告白するより成績を上げるほうが遥かに容易だったのだ。


「仕方ないですねえ」

 ディアの両手が空間で広げられた。ゲーム画面を開いたようだ。

「こうなればあれに頼るしかありません。二枚目のイベントチケットを購入しましょう」


 そうか、その手があったか。ディア、頼むぞ。

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