イベントチケットを購入してください
その夜の戦略ミーティングも白熱したものとなった。
結局あの後、入部を認められなかったボクは何もせずに家庭科室を去らざるを得なかった。ディアも付き合って一緒に帰宅したが、アオイさんは、
「せっかくだから私は見学していくわ」
と言ってそのまま部室に残った。きっと部の先輩たちとパッチワーク談議に花を咲かせていたのだろう。
「ごめんな、ディア。せっかくアオイさんを部活動に参加させてくれたのに、肝心のこっちが参加を拒否されそうだ」
「何を弱気になっているのですか。作品提出まで一週間もあるのですよ。ヒフミ君なら余裕でクリアできるに決まっていますよ」
その自信はどこから来るんだ。ボクのステータスは分かっているんだろう。器用さの数値は目を覆いたくなるくらい低いはずなんだが。
「いや、悪いけど小さい頃からモノ作りは苦手なんだ。裁縫だけじゃなく、小学校の図画工作でも、中学校の技術家庭でも、夏休みの宿題でも、できた作品は『ガラクタかよ』と言われるくらい不細工なモノばかりだった。作品と実技の両方をパスするなんて、どう考えても無理だよ」
「ひとりでは無理かもしれませんが、誰かの手を借りれば何とかなるのではないですか。母上様に頼んでみてはいかがですか」
母さんかあ。料理の腕は凄いけど繕い物をしている姿なんか見たことがないからなあ。うちにはミシンもないし。でもダメ元で頼んでみるか。
「わかった。ちょっと待ってて」
部屋を出てリビングへ行く。母はいつものようにテレビを見ていた。
「母さん、小学校の時の裁縫セットってまだある?」
「いきなり何よ。あんなものとっくに捨てちゃったわよ」
そうだろうな。母の特技は断捨離だもんな。
「突然で驚くかもしれないけどさ、裁縫の仕方を教えてくれないかな」
「何それ。新しく考え出したおねだり作戦。買って欲しい服があるなら素直に言いなさい」
完全に論理が飛躍している。母の頭の中では次のような会話が一瞬で成立したようだ。
「裁縫を教えて欲しい」→「理由は?」→「服を手作りしたい」→「買いなさい」→「高くて買えない」→「仕方ないわね。母さんが買ってあげるわ」
この結果が先ほどの台詞である。頭の回転の速さは認めるが方向は完全に間違っている。
「いや、純粋に裁縫を習いたいんだよ。カバンとか小物入れとか、そんな手作りの品を作ってみたいんだ。簡単なものでいいから教えてくれよ」
「無理ね。母さんには手芸の心得なんてこれっぽちもないんだから。それに家には針も糸も布もないわよ」
ウソだろ。普通の専業主婦が家事全般を任されている世帯に裁縫道具がないなんて。
「それで今までよくやって来られたね。ズボンや上着が破れたりボタンが取れたりしたらどうしていたのさ」
「捨てて新しいのに買い替えていたわ。その方が楽でしょう。高校の制服も大切に使ってね。高いんだから」
断捨離もここまでくると弊害とかしか思えないな。どれだけ裕福になろうと物を大切にする心はいつまでも持ち続けたいものだ。
「ありがと。おやすみ」
二階の自室へ戻って成り行きをディアに話す。さすがに呆れ顔だ。
「この母にしてこの子あり、ですね」
その通りだよ。たぶん姉に頼んでも無駄だろうな。破れた短パンを平気で履いているようなヤツだし。
「ディア。残念だけどここでゲームオーバーみたいだ。所詮アオイさんは高嶺の花。ボクには手の届かない存在だったんだよ」
「いいえ、こうなれば最後の手段です」
ディアは立ち上がると胸の前で両手を合わせ、ゆっくりとそれを広げた。ゲーム画面を開いているようだ。
「課金します」
課金? ガチャを引いたり特殊アイテムを手に入れるためにリアルな金銭をつぎ込む、あの課金か。
「そんなことが可能なのかい」
「はい。今回はラッキーアイテムのイベントチケットを購入しましょう。これを使用すれば主人公にとって有利なイベントが発生し、行き詰っているクエストもスムーズに進行できるようになるのです」
う~む、本当にゲームらしくなってきたな。そんな便利なアイテムがあるのなら金に糸目を付けずに買い漁って、バラ色の人生を送りたいものだ。
「よし。さっそく課金してそれを買ってくれ」
「承知しました。値段は千円です。お願いします」
ディアが右手をこちらに差し出した。早くくれと言わんばかりに上下に揺すっている。
「ディア、何をしてるんだ」
「何をって、ヒフミ君が千円くれるのを待っているのです」
「ちょっと待てよ。課金するのはプレイヤーだろ。どうしてゲーム内のキャラであるボクが千円出さないといけないんだよ」
「普通ならそうですけど、プレイヤーである私はゲーム内に入り込んでいますからね。立場はキャラと同じです。となれば課金することで一番得をする人がお金を出すべきです。ヒフミ君が手芸部に入っても私には何の得にもなりません。一方ヒフミ君は見事な手芸の技を身に着けられます。得をするのはヒフミ君だけなのですからヒフミ君がお金を出すべきです」
むっ、言われてみればそうかもしれないな。そもそも最終目標であるボクとアオイさんとの恋愛成就を達成したところで、ディアには何の恩恵もないんだからな。千円くらいなら出してやるか。
「わかったよ。ちょっと待ってろ……ホラ、受け取るがよい」
財布から千円を取り出し、差し出されたままの手のひらにのせる。ディアはにっこりと笑い千円をパジャマのポケットに仕舞い込んだ。
「毎度あり~。では課金しますね」
再び空間の各点を指先でクリックし始める。よくはわからないが課金及びアイテム購入の操作をしているのだろう。
「はい。ゲットしましたよ」
一連の動きを終えたディアはポケットから映画の前売り券に似た紙を取り出した。「イベントチケット」と書かれている。
「えっ、どうしてポケットの中から出て来るんだよ。もしかしてあらかじめ用意していたのかい」
「違いますよ。たった今、購入したのですよ。ここがゲーム世界だってこと、忘れたのですか」
本当かなあ。千円と引き換えにこの紙切れを出したようにしか思えなかったぞ。自分からイベントチケットなんて言い出したのも、ちょっとわざとらしいし。
「で、このチケット、どうすればいいんだい。このまま持っていればイベントが発生するのかい」
「まさかあ。使用しなければ効力は発揮されません。使用しますか?」
「する」
「では……」
ディアは紙切れをポケットに仕舞うと、また空間を操作し始めた。今度はすぐに終わった。
「はい。完了です。これで明日にでもイベントが発生するはずですよ」
なんだか一杯食わされたような気分だな。今、この部屋で起きたのは、ボクの財布の中にあった千円がディアのパジャマのポケットに移動した、これだけだ。つまりディアに千円を騙し取られたのと同じじゃないか。
「ディア、ちょっとパジャマのポケットの中を見せてみろ。おまえの言った通りなら千円も紙切れも使用済み。つまりポケットの中には何も残っていないはずだよな」
右手を伸ばしてパジャマの裾を掴む。ディアが大声を上げた。
「イヤア~、何をするんデスカ!」
「ば、馬鹿!」
慌てて手を引っ込める。一階には母だけでなく父もいるんだぞ。叫び声を聞かれでもしたら大変だ。
「わかった。信じるよ。だから大声をあげるのはやめてくれ」
「うふふ。それでいいのです。キャラはキャラらしくプレイヤーの言うことだけを聞いてくださいね」
ディアの口元には不敵な微笑が浮かんでいる。まさに小悪魔だな。
翌日の放課後、ボクは一人で帰宅した。それまではディアと一緒に登下校していたのだが、「今日は用事があるので先に帰ってください」と言われたからだ。
「珍しいな。あいつの単独行動なんて初めてじゃないか」
ディアがここに来てひと月近く経つ。ボクらは家の外でも中でもいつも一緒に行動していた。それがプレイヤーの義務ででもあるかのようにディアはいつも自分の身近にいた。
鬱陶しいと感じたこともあったが、こうして一人になってみると物寂しさも感じる。プレイヤーが寝落ちしてしまったゲーム内のキャラもこんな風に感じているのだろうか。
「ただいまー!」
などと物思いに耽っていると一階から元気な声が聞こえてきた。ドタドタと階段を駆け上がる音がしたかと思うと、ノックもなしに部屋のドアが開いた。
「イベント、発生ですっ!」
ディアは紙袋をぶら下げている。朝の登校時には持っていなかったものだ。
「その紙袋がイベントなのかい」
「そうです」
丸テーブルを広げて紙袋の中身を取り出す。驚いた。出てきたのはカラフルな毛糸玉数個、編み棒、「初めての棒編み」というタイトルの本。
「これ、おまえが用意したのか」
「はい。棒編みなら同じ動作の繰り返しなので、すぐ覚えられると思ったのです。編み棒と毛糸玉は百均で、本は図書室で借りて来ました」
そうだったのか。あの千円を使ってこんなものを準備してくれたのか。疑って悪かったな。でもそれならイベントチケットなんて理由を付けず、正直に言ってくれればよかったのに。
「ありがとう。ここまでしてもらったら頑張らないわけにはいかないな。さっそく今夜から取り掛かるよ」
「ヒフミ君なら絶対に入部試験合格できますよ」
その夜から戦略ミーティングは編み物練習会に変わった。まずは基本のメリヤス編みからスタートだ。ネットには編み方の動画が多数アップされているので、それらを参考にすれば容易に編み方を覚えられた。
「部長さんは作品を用意しろと言っていましたよね。何を作りますか」
「まあ、簡単ところでマフラーだろうな。真っ直ぐ編んでいくだけだし」
ディアの言う通り、編み物は基本動作さえ覚えてしまえば実に簡単な手芸と言える。編み棒を穴に入れ、毛糸を引っ掛けて穴から抜く。これの繰り返しだ。慣れてしまえば楽しくなる。そうしてあっという間に一週間が経ち、運命の木曜日がやってきた。
「あら、本当に作って持って来たのね」
家庭科室に現れたボクを見て糸車部長は少なからず驚いていた。本気だとは思っていなかったようだ。
「はい。審査のほう、お願いします」
紙袋の中から一週間の努力の結晶を取り出す。家庭科室のあちこちからクスクス笑いが聞こえてきた。無理もない。編み棒が刺さったままの、極めて不細工な未完成作品だったのだから。
「何を作るつもりなの」
「マフラーになる予定です」
胸を張って答える。部長は手に取って点検を始めた。
「ひどい出来ね。手触りはゴワゴワ。網目は不揃い。目数が違う段もある。こんなゴミをよくも人に見せる気になれたわね」
きつい性格の女子だとは思っていたが、ここまで毒舌を吐かれるとは思わなかった。だがここは忍の一字だ。歯を食いしばって屈辱に耐えねばならない。
「まあ、あなたが編んだに違いないのでしょうけど一応実技も見させてもらうわ。続きを編んでみて」
「はい」
編み棒を握り指を動かす。またもクスクス笑いが起こる。わかっている。ぎこちない動きだってことくらい自覚している。しかしどんなに練習してもこれが限界だったのだ。
「はい、結構」
二段も編まないうちに部長が手を叩いた。早すぎる。やはりダメなのか。課金し、アイテムを購入し、これだけ努力したのに、ここでゲームオーバーを迎えてしまうのか。
「ヒフミ君、でしたっけ。あなたは毎週必ず部室に来てください。私が直接指導します」
「えっ、それって……」
「合格です。入部を認めます。記録に残る手芸部の歴史の中で、初めての男子部員の誕生です」
「ヤッター。これで次のステージへ行けマス!」
大喜びするディア。信じられなかった。作品も実技もひどいものだったのに。
「あの、本当にいいんですか。部長さんはわかっていると思いますけど、ボクは不器用でこんな作品しか作れないんですよ」
「いいのですよ。大切なのは器用さや能力ではありません。手芸への情熱です。あなたの作品は確かにひどい。でもよく見れば上の段に行くほど編み目が整っています。あなたの向上心の現れです。そして編み棒を持った時の真剣な眼差し。それほどの情熱を持った人物を入部させないわけにはいきません」
そうか。何事も手を抜かず真面目に取り組むのが一番なのだな。よくわかったよ。
「ありがとうございます。これからよろしくお願いします」
深々とお辞儀をする。そのボクの背中に温かい言葉が投げ掛けられた。
「頑張ったわね、ヒフミ君。おめでとう」
アオイさんの声だった。このまま昇天してもいいとさえ思った。高校に入学してから、いや、アオイさんに出会ってから、こんなに優しい言葉を掛けられたのは初めてだった。本当に次のステージへ進めたんだ、そう思わずにはいられなかった。
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