第一指令「ターゲットと同じクラブへ入部せよ」
入学式から一週間が過ぎ、高校生活は勉強一色に染まり始めた。毎晩の戦略ミーティングもさすがに時間短縮を余儀なくされている。高校生の本分は勉強と部活。恋愛などは二の次である。
「こいつも随分とご無沙汰だな」
勉強机の上に鎮座していたゲーミングパソコンは床の上に置かれている。入学式の翌日から一度もゲームをプレイしていない。毎日の学業の妨げになるから、建前はそうだ。しかしもうひとつ大きな理由がある。ディアに止められたのだ。
「あ、そうそう、言い忘れていました。今日以降、ゲーム機やスマホやパソコンでゲームをプレイするのは一切やめてくださいね。よろしく~」
それを言い渡されたのは数日前、第一指令のついでに軽い調子で付け加えられた。当然、異議を申し立てる。
「待てよ。その命令は受け入れられないな」
そもそもなんだ、その軽い口調は。まるで「麦茶を飲み干した後で、くは~って言うのはやめてくださいね」みたいな、取るに足りないお願いのような言い方に腹が立つ。
自慢じゃないが物心付いた時からゲームに親しんでいるんだ。初クリアを目指しているゲームだってある。いくらプレイヤーでもこちらの趣味の領域まで立ち入る権限はないはずだ。
「おや、どうしてですか。ゲームをやれと言っているのではなくて、やるなと言っているのですよ。簡単でしょう」
「食事をしろと言われるより、食事をするなと言われるほうがつらいだろう。それと同じだよ。然るべき理由を提示してもらえないのならそんな命令には従えない」
「あっ、なるほど」
右拳で手のひらをポンと叩くディア。本気でわかっていなかったみたいだ。賢そうでどうか抜けているんだよなあ、この異国娘は。
「理由は簡単。ターゲットのアオイさんがゲーム嫌いだからです。ゲームをプレイすることも、話題にすることも、ゲーム音楽を耳に入れることも、全てを嫌っています。アオイさんの信頼度がマイナスになった今、これ以上、信頼を落とす必要はありませんからね。ヒフミ君もしばらくゲームからは身を引いてください」
筋は通っているな。確かにアオイさんとゲームは似合わない。嫌っていても不思議ではないだろう。
「だからって自宅でのゲームまで禁止することはないだろう」
「いえいえ、ゲームをプレイしていると、ふとした拍子にそれを口にしてしまったりするものです。『おいおい、あのケーキを見ろよ。まるでマリオのキノコじゃないか』みたいにね。そんな不用意な一言がターゲットの信頼度を低下させたりするのです。ここは慎重を期してゲームからは完全に遠ざかってください」
ほほう。ようやく恋愛ゲームの攻略らしくなってきたじゃないか。これからは信頼度を上げることに全力を注げというわけだな。
「それにアオイさんは優秀な頭脳の持ち主を好みますからね。これまでゲームに費やしていた時間は全て勉強に当ててください。成績上位になればそれだけ信頼度もアップします」
「納得した。しばらくゲームは封印する」
そうして数日が経過して本日に至っているわけだ。意外なことにゲーム断ちによる禁断症状はほとんどない。現在の自分はゲームの中のキャラクター。その役割をこなすだけでゲームのような面白さがあるからかもしれない。
「毎日の生活、それ自体がゲームみたいなものだからな」
とにかく今はゲームクリア目指して頑張ろう。それはまた自分の幸福につながるのだから。
「アオイさん、クラブは決まりマシタカ」
今日もまたこの質問でいつもの昼食会は始まった。ここ数日、弁当を開く前にディアが発する言葉は必ずこれだ。
「またその質問なの。聞き飽きたわ」
アオイさんも食傷気味のようだ。こう毎日聞かされていては耳にタコができているだろう。
しかしディアにとっては、そしてボクにとってもこの質問は大きな意味を持っている。数日前にディアから発せられた第一指令が「ターゲットと同じクラブに入部せよ」だからだ。
「放課後、アオイさんは速やかに帰宅することが判明しました。この時間を有効に利用するためにはアオイさんを部活動に参加させ、かつ、ヒフミ君も同じクラブへ入部するしかありません。授業とは違った自由な時間を二人で過ごすことにより、アオイさんとの親密度は大幅にアップするはずです」
と指令の意義を懇切丁寧に説明してくれた。この指令に目新しさはまったくない。ラノベでもアニメでもお決まりのお近付き手段である。さりとて実行しておいて損はないので受け入れた。
「実はどうしようか迷っているのよ。他の仕事も引き受けちゃったし」
この高校の部活動参加は自由である。三年間帰宅部でも何の問題もない。しかもアオイさんの場合、運の悪いことに副学級委員長に選出されてしまった。部活動不参加を押し通すに足る大義名分が揃っている。第一指令は早くも頓挫の危機に直面していた。
「イエイエ、高校時代の部活動は青春の思い出作りには不可欠と聞いていマス。悔いのない高校生活を送るためにも、ぜひクラブに参加してくだサイ!」
ディアは毎日必死に説得に当たっている。もしかしたらこの指令をクリアしないと、次のステージへ移行できないのかもしれない。まだ完全に信じているわけではないが、ここはディアの世界で作られたゲームの中なのだから。
「そうねえ……ディアさんはどうするの。青春の思い出作りのためにどんなクラブに参加するつもりなの」
おっと、アオイさんからの逆襲だ。さあディア、どう答えるつもりだ。それなりの回答をちゃんと用意してあるんだろうな。
「私はゲームが好きデス。スマホでプレイするソシャゲーとか最高デスネ」
「おいっ!」
思わず手に力が入ってしまった。危うく箸を折るところだったぞ。どうしてここでゲームの話をするんだよ。アオイさんはゲームが大嫌いだから話題にしちゃダメって言っていたじゃないか。その舌の根も乾かぬうちに何を言ってんだ。ひょっとして忘れたのか。
「ゲームねえ……」
見ろ、あからさまに嫌な顔をしているぞ。これじゃ信頼度が下がる一方だ。
「残念ですけど、この学校にはゲームに関するクラブはないはずよ」
「そうデシタっけ。それなら同好会を作るという手もアリデスネ」
どこまでゲームの話題を引っ張り続けるつもりだ。どうにも意図が見えてこないな。
困惑したまま箸を握り締めているとディアが目配せしてきた。
(ヒフミ君、今ですよ)
そんな囁きが聞こえた。アオイさんには聞こえていないようだ。プレイヤーとそのキャラだけに通じるゲーム内チャットとでもいうものだろうか。試しに頭の中で返事をする。
(今ですよって、どういう意味だ)
(ヒフミ君がゲームを否定してください)
返事が聞こえた。まるでテレパシーだ。しかし返事を聞いて意図が理解できた。直ちに実行する。
「あ、ボクはゲームは嫌いだな。あれは時間の無駄でしかないから」
「えー、ヒフミ君ってゲームが大嫌いなのデスカ。幼稚園の頃はよく遊んでいマシタよねえ」
ディアの台詞は完全に棒読みだ。演技しているのがバレバレである。
「そうだな、幼稚園の頃はな。だけど中学三年で受験勉強を始めてからは急に興味がなくなってねえ、今ではもうゲームのゲの字もプレイしていないんだよなあ」
ディアに釣られてこちらまで棒読みになってしまった。なんてことだ。
「そうなのデスカ。ヒフミ君を見習いたいデス」
「見習い給え。はっはっは」
「……ふうん」
下手な三文芝居を見せられたアオイさんは、熱湯さえも瞬時に凍り付きそうなくらい冷めた目をしている。さすがに恥ずかしくなってきた。
「あっ、ちょっといいかな」
男子生徒が話し掛けてきた。このクラスの学級委員長だ。
「先生から昼休みに来るよう言われたんだ。悪いけど食事が終わったら一緒に職員室へ来てくれないか」
「食事は終わったわ。今すぐ行きましょう」
アオイさんは弁当箱を包んで立ち上がると、学級委員長と肩を並べて教室を出て行った。
「昼も学級委員の仕事では、部活動どころではないデスね。これはまずいデス」
言われなくてもわかっている。何とかしないとな。
その夜の戦略ミーティングは久しぶりに白熱したものとなった。ディアの右手が空間をスクロールする。
「アオイさんの信頼度はほんのちょっぴりですけど上昇しています。ヒフミ君のゲーム嫌い情報はプラスに働いたようですね」
それはよかった。あんな恥ずかしい猿芝居をしたんだ。それなりの成果がなければやってられない。
「問題は部活動です。このままではアオイさんはどこにも入部せず帰宅部になってしまいます」
「それもただの帰宅部じゃないからな。学級委員の仕事を委員長と一緒にしているんだ。その結果、委員長のあいつに対して好意を抱き始める恐れもある」
「ゲームに悪役は付きものですからね。恋愛ゲームの悪役、それは主人公の邪魔をするライバル。あの委員長を打倒しない限りゲームクリアを成し遂げることはできません」
簡単に言ってくれるじゃないか。どうやって打倒するんだよ。今の段階ではどう考えてもこちらが不利だぞ。ディアの右手がまた空間をスクロールしている。
「委員長のステータスは……あらら、全てにおいてヒフミ君を上回っています。特に容姿と魅力が最高値の五〇ですか。これでは勝ち目はありませんね」
そんな話は聞きたくない。他キャラのステータスは秘密なんだろう。アオイさんの数値は教えてくれなかったのに、どうしてあいつのだけ教えるんだよ。嫌味か。あいつのほうが遥かにいい男なのは数値を聞くまでもなくわかっている。言葉にしなくていい。
「で、どんな作戦を立てる。何か名案はあるか」
「ありません」
即答かよ。どうやらこのゲームもここまでのようだな。アオイさんと委員長が恋人同士になってゲームオーバーか。
「こうなったら作戦なんか立てません。直接アオイさんにお願いします。『部活動に参加したいケド、ひとりでは心細いの。初めてのお友達であるアオイさんと一緒なら、どんなクラブでもうまくやっていけそうな気がしマス。お願い、私と一緒にどこかのクラブに入部シテ!』って頼んでみます」
もはやなりふり構わずという感じだな。しかしアオイさんはあれでなかなか頑固だぞ。哀れな帰国子女の頼みとは言っても、情にほだされたりするだろうか。
「目論見通りにいけばいいな」
「はい。当たって砕けろです!」
本当に砕けないことを祈っているよ。
そうして数日経過したある日の放課後、校門の前で待っているとディアが息を切らして走ってきた。
「やりマシタ、ヒフミ君。遂にアオイさんが入部を決意してくれマシタ!」
「やったか。で、何のクラブだ」
「はい、それは……」
そのクラブ名を聞いた時、地の底へ叩き落とされるような絶望感がボクを襲った。この恋愛ゲーム、どこまで主人公を弄べば気が済むんだ。
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