お昼を一緒に食べましょう

 翌日、ボクとディアは二人一緒に家を出た。前日の入学式は保護者として母も出席するため、父が出勤ついでに車で送ってくれた。

 しかし今日からは電車通学。ディアと二人で駅まで歩き、二人で電車に乗り、七つ目の駅で降りて二人で高校へ向かう。


(うう、視線が痛いぜ)


 電車の中でも道を歩いている時でもディアは注目の的だった。こんな田舎町では外国人の姿を見掛けることは滅多にない。しかもモデルと見紛みまごうばかりの美少女と一緒に歩いているのだ。こっちを見るなと言うほうが無理な話だ。


「おかしいデスネ。アオイさんが見当たりマセンネ」

「彼女は急行で来たんだよ。ボクらと乗車駅が違うからね」


 同じ中学でも家は学区の北端と南端だったのでアオイさんの乗車駅はひとつ前、急行停車駅だ。残念ながらボクらの乗車駅は普通しか停車しない。教室の座席を作為的に配置したのなら、同じ駅から乗れるように住所も改変してくれればよかったのに、と思わないでもない。


「これでは仲の良い姿を見せつけられマセンネ。残念デス」

「じゃあ、明日からひとつ前の駅へ戻って急行に乗車しようか。その分、早起きしなくちゃいけなくなるけど」

「それはお断りデス」


 いかにもディアらしい答えだ。夜は元気いっぱいなのに朝は壮絶なほどに弱いのだ。今日も時間ギリギリまで寝ていて、パンを食べながら駅まで歩いた。おまえは夜行性のフクロウかとツッコミたくなる。


「まあ、いいデス。教室で見せつけてあげマショウ」


 家とは全然違う言葉遣いに感心する。よくもまあ器用に使い分けられるものだ。その気になれば優秀な声優になれるんじゃないか。


「おっはようございマス」


 ディアの元気な声と共に教室に入れば、案の定、アオイさんはすでに着席して教科書を開いている。そのまま二人一緒に教室を移動し同時に着席する。ボクら二人の仲良しな姿を見てもアオイさんの様子に変化はない。まったく興味がなさそうだ。


「アオイさん、なかなか手強いデスネ。でも勝負はこれからデスよ、ふっふ」


 小声で笑うディアが不気味だ。


 入学式の翌日とあって授業はまだない。始業式、対面式、オリエンテーションなどなどが続く。それらの合間には必ずディアと話をした。もちろんアオイさんには何の変化もない。この教室唯一の同じ中学出身者なのに、まだ一言も口を利いていない。ちょっぴり悲しくなる。


 やがて昼の休憩になった。手を洗って戻ってくるとディアの机が横付けされている。


「お弁当、一緒に食べマショウ」


 その声はボクに向けられたのではなかった。ディアはアオイさんに声を掛けたのだ。


「えっ」


 突然話し掛けられて、常に沈着冷静なアオイさんもさすがに驚きを隠せないようだ。一瞬、石にでもなったかのように全ての動きが停止してしまった。


「私とヒフミ君の三人でお弁当食べるの、嫌デスカ?」

「べ、別に嫌ではないわ。せっかくだからご一緒させていただくわ」


(ディア、何を考えているんだ。このままでは効果がないとわかって作戦を変えたのか)


 三人となると机の配置も変えなければならない。ボクの机を後ろ向きにしてその前に二人の机をくっ付けた。正面にディアとアオイさんを見ながら食事をすることになる。


「それでは皆サン、いただきマス!」


 ディアの掛け声で食事を始める。もちろん視線はアオイさんに釘付けだ。背中まである黒髪。薄く赤い唇。これほどまでに接近するのは中学の時に図書室で受験勉強を教えてもらって以来だ。


(やっぱり美少女だな、アオイさんは)


 見た目だけでなく食事の仕草も清楚で品がある。もしディアがいなければクラスの注目の的は間違いなくアオイさんになっていたはずだ。


「二人は仲がいいの?」


 いきなりのアオイさんの質問。どちらに話し掛けたのだろう。迷っているとディアが答えた。


「はい。とても仲良しデス。幼稚園の頃は一緒にお風呂へ入ったこともアリマス」

「なっ!」


 いきなり何を言い出すのだ。それに一緒に風呂へ入った覚えはないぞ。


「ディア、いい加減なことを……」


 言い掛かけてはたと気付く。いや待てよ。覚えていないのは当然か。自分には記憶の改変が起きていないのだからな。それに母から見せられたアルバムに、それっぽい写真が貼ってあったような気がする。


「どうかしマシタか。ヒフミ君」

「いや、何でもない」


 ここは一旦引き下がろう。しかしたとえ本当だったとしてもアオイさんに教えるような話じゃないだろう。もう少し気を配って欲しいものだ。


「お弁当もお揃いなのね」

「はい。私も手伝って作りマシタ」


 大嘘である。全て母が作ったものだ。ギリギリまで寝ていたくせに、よくもそんなデタラメが言えるものだ。


「そう。彼女のお手製のお弁当ならどんなおかずでも嬉しいでしょうね」

「ぐふっ」


 芋煮が喉につかえそうになった。ディアが彼女だって。冗談じゃない。見ろ、変な話ばかりするせいでアオイさんはトンデモナイ勘違いをしているじゃないか。


「えっ、いや違いますよ。ボクとディアはそんな仲じゃ……」

「味は超一流デスよ。食べてみマスカ」


 弁解の言葉をぶった切ってディアが口を挟んできた。こいつ、何がしたいんだ。これじゃ誤解されたままになってしまうじゃないか。いくらヤキモチを焼かせる作戦だとしてもやり過ぎだ。


「結構よ。私なんかが食べちゃ二人に悪いから」


 なんだか気まずいなあ。せっかくの母自慢の弁当なのにだんだん味がわからなくなってきたぞ。


「う~ん、美味しいデス」


 おまえ、こんな状況なのにどうして平気な顔で食事を続けられるんだ。心臓に剛毛でも生えているのか。


(ディア、なんとかしろ)


 目配せをして合図を送る。頷くディア。さすがにこの険悪な雰囲気には気付いていたようだな。おまえの陽気な一言で状況を好転させてくれ、頼むぞ。


「そう言えばヒフミ君はあなたをアオイさんと呼んでいるのデスヨ。知っていマシタカ?」

「おいっ!」


 思わず叫んでしまった。馬鹿、なんてことを言い出すんだ。


「アオイ? どうして私がアオイなの」

「源氏物語デスヨ。光源氏の最初の正妻、葵の上によく似ているからそう呼んでいるのデス。私もあなたをアオイさんと呼んでいいデスカ」

「葵の上……ふ~ん、なるほどね。あなた、私をそんな風に見ていたのね」


 アオイさんの目付きが怖い。言葉遣いもちょっとはすになっている。まずいな。この話題は完全に裏目に出ているぞ。


「そうね、そうかもしれないわね。高慢で素直になれず夫が浮気してもとがめることもしない女、それが葵の上。私にはお似合いのあだ名ね」

「ち、違うよ。そんな性格的なことじゃなくて、容姿や振る舞いに気品があるから……」

「オウッ、葵の上ってそんな女性だったのデスネ。ちっとも知りませんデシタ。それならばアオイと呼ぶのはやめマショウか」

「お気遣いは結構です。あなたがそう思っているのなら好きに呼べばいいわ。その代わり私もあだ名で呼ばせてもらうわよ。構わないわよね、ヒフミ君」

「あ、ああ、うん。よろしく」


 くそっ、またしても弁解の言葉をぶった切りやがった。ディア、おまえ完全に空回りしているぞ。アオイさんを嫉妬させたいのなら、おまえだけを憎まれ役にしろよ。こっちまで憎まれ役にされたら、ボクへの嫌悪感が大きくなって嫉妬どころじゃなくなるぞ。


「これで三人はすっかり仲良しデスネ。これからも毎日昼食会を楽しみマショウ」


 ディアの明るさは変わらない。どこまで鈍い娘なんだ。仲良しどころか前より仲が悪くなっているじゃないか。

 アオイさんの表情は不機嫌モードに固定されたままだ。こちらを見ようともせず黙々と箸を口に運んでいる。胃が痛くなってきた。


「両手に花か。羨ましいぜ」

「ひふみんだから両手に飛車角だろう」


 クラスの男子連中の声が聞こえる。くそっ、好き勝手なことを言いやがって。そんなウキウキした状況じゃないんだぞ。前門の虎、後門の狼ならぬ、右門のお気楽娘、左門の鬼娘って感じだな。これから毎日この二人と昼食を共にしなければならないのかと思うと気が重くなる。


 昼食が終わり午後の時間が始まった。地獄だった。アオイさんから発せられる針のように鋭い殺気が右半身に突き刺さってくるのだ。怖すぎて右隣をチラ見する勇気すらない。


「ハーイ先生。質問デス」


 こちらがこんなに苦しんでいるのにディアはいつも通りのお気楽状態だ。誰のせいでこんな目に遭っているかわかってんのか、と文句のひとつも言いたくなる。今晩は激しい愚痴の言い合いになりそうだな。

 ちなみに「放課後は図書館で復習予習」はキャンセルになった。終礼が済むやいなや、アオイさんはさっさと下校してしまったからだ。見せつける相手がいないのでは図書館で予習復習をしても仕方ない。ボクらもさっさと下校した。



「ディア、今日こそは完全に愛想が尽きたよ」


 その夜の戦略ミーティングは昨日にも増して腹が立っていた。ディアは空間を右手でスクロールしている。アオイさんのステータスをチェックしているのだ。どんな有様になっているか見なくてもわかる。


「おお、ついにアオイさんの信頼度がマイナスになっちゃいましたよ」

「そうだろうな、当たり前だよ。あれだけ相手の気に障るような話ばかりしたんだ。マイナスにならないほうがおかしい」

「作戦通りです。うふふ」


 笑っている。正気か。そもそも恋愛シミュレーションゲームってのはターゲットの信頼度を上げて、こちらに好意を持ってもらい、最終的に恋人同士になる、そういうゲームのはずだろう。やっていることが真逆じゃないか。


「ディア、おまえ本当にゲームをクリアするつもりがあるのか。ひょっとしてボクとアオイさんの仲を引き裂こうとしているんじゃないのか」

「心外ですね。どこをどうすればそんな思考が発生するのですか」

「今言ったじゃないか。信頼度がマイナスになったって。上昇させるべきパラメーターを低下させてどうするんだよ」

「ですから作戦なのですよ。いいですか。一本調子に上げていけば必ずどこかで飽和状態が来て、それ以上はなかなか上がらなくなるものです。けれども最初にある程度下げておけば、何かの切っ掛けで爆発的な上昇が発生し、一気に最高値近くまで跳ね上がる、そんな現象があるのですよ。私はこれを休火山大噴火現象と呼んでいます」


 本当かな。そんな言葉聞いたことがないぞ。まあこの手のゲームは一度もプレイしたことがないので何ともコメントのしようがないけど。


「嘘じゃないんだな」

「私が嘘をつくような人間に見えますか」

「今日ついたじゃないか。弁当のおかず作りを手伝ったって」

「あれはアオイさんに対する嘘です。ヒフミ君に対する嘘ではありません」


 どこまでも口の達者なヤツだ。まだ信用はできないが、こんな事態になった今となっては休火山大噴火現象に賭けてみるしかないだろう。


「で、次はどんな手を打つつもりなんだ」

「指令を発動します。ヒフミ君への最初の指令です。心して聞いてください」


 指令とはまた仰々しい言い方だな。その言葉に見合うだけの重要性があるのか。


「わかった。言ってみろ」

「第一指令、それは……」


 ディアの言葉を聞いた途端、気が抜けてしまった。居住いを正して聞いた自分が馬鹿だった。誰にでも思い付く、実にありふれた指令だった。

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