第二話 高校生活前途多難

とても偶然とは思えない

 高校の入学式はつつがなく終了した。静かな緊張と淡い期待に満ちた教室内では、現在、一学期最初の試練である自己紹介が行われている。

 同級生たちに対して如何に良好な第一印象を与えられるか。その出来不出来によって、教室内での自分の立ち位置はほぼ決定されると言っても過言ではないはずだ。


(別にみんなの上に立ちたいなんて思ってはいないさ。波風立てずに過ごせればそれで十分)


 そう、人の思惑は千差万別。クラスの先頭に立ってみんなを引っ張りたいという目立ちたがりがいれば、なるべく脚光を浴びず日陰を歩んでいきたい者もいる。

 自分は後者だ。奥深い森で朽ちていく埋もれ木のような人生こそ至高。よって今回の自己紹介も通り一遍の挨拶だけで済ますつもりだ。


(それにしても驚いたな。これもディアの仕業なのか。それとも単なる偶然なのか)


 最後尾の席からもう一度教室を見回す。中学時代の友人知人は十人近く合格しているはずだが、この教室にはひとりしかいない。こともあろうにそのひとりが意中の彼女、アオイさんなのだ。ちょうど自分の右隣の席に座っている。


(しかもあいつまでいるじゃないか)


 今度は左隣をチラリと見る。そこに座っているのはディアだ。学園モノの主人公やヒロインの定位置である窓際最後尾が彼女の席である。

 アオイさん、自分、ディア、この三人が教室の最後尾で横一線に並んで座っている。ここまで都合よく登場人物を配置されると、やはり自分がいるこの世界は、ディアたちによって作られたゲーム世界なのだなと改めて認識させられてしまう。


(と言っても、ディアとボクが最後尾になっているのは偶然ではなく必然だけどな)


 座席は名簿順だ。廊下側から五十音順に男女交互の列で並んでいる。ボクの場合は名字の関係で小学、中学と名簿の最後になることが多かった。ディアの場合はアルファベット表記なので名簿の末尾になり、さらに窓際は女子の列なので窓際最後尾になっているのだ。


「……中学出身です。趣味は……」


 おっ、よそ事を考えているうちにアオイさんの自己紹介が始まっているぞ。少し低めの良く響く声。聞いているだけで心が癒される。ディアの作為によって彼女と同じクラスになれたのなら、この点だけは感謝しないといけないな。


「……以上です。よろしくお願いします」


 至福の時はあっという間に過ぎてしまう。やがて自分の番が回ってきた。適当に喋って終了。

 そしてとうとう自己紹介最後を締めくくるディアの番が回ってきた。ほとんどの生徒の顔が窓際最後尾へ向けられる。まあ無理もない。一目で外国人とわかる金髪碧眼の女子生徒だからな。どんな日本語を喋るのか、みんな興味津々しんしんなのだろう。


「ハーイ、皆さん、初めまシテ。ディアと言いマス!」


 学校では片言の日本語しか喋れない帰国子女で押し通すつもり。だからヒフミ君も黙っていてねと昨晩ディアから頼まれている。こちらもディアの正体を明かすつもりはない。ここがゲームの世界だと話したところで本気にしてくれるヤツなどいないだろうからな。


「小学生途中まで日本にいマシタ。それからあちこちの国を転々としマシタ」


 長いな。持ち時間一分をとっくに超えているぞ。しかし誰も文句を言わない。教師も黙って聞いている。すでにクラス一の人気者の座を獲得してしまったようだ。


「今は従兄の家に御厄介になっていマス。あそこの男子、あれが私の従兄デス」

「おおー!」


 教室から湧き上がる歓声。ディアがこちらを指差している。馬鹿! どうしてそんな余計なことを言うんだ。目立たず出しゃばらず注目されずがモットーなのに。これじゃおまえの次に目立ってしまうじゃないか。


「家ではヒフミ君と呼んでいマス。皆さんもそう呼んであげてくだサイ。あっ、でも将棋は苦手みたいデス」


 教室中が笑いの渦に包まれた。こいつ、聞き流せって言ったのに。あの後ヒフミと将棋の関係を調べたみたいだな。


(うう、彼女まで笑っているじゃないか)


 こっそり右隣に目を遣れば、滅多に笑わないアオイさんが苦笑している。これは喜ぶべきなのか悲しむべきなのか、実に複雑な心境だ。


「ひふみん、よろしくなー!」


 教室のどこかからこんな声が飛んできた。どんなに頼まれても将棋だけは絶対にやらないぞと固く心に誓った。



「ディア、どういうつもりだよ」


 その日の夕食後、丸テーブルを挟んで座るディアへの第一声だ。

 初対面のあの夜以来、ボクの部屋での話し合いが習慣になってしまった。主に就寝前に行われるその会合は「ゲームクリア戦略ミーティング」と名付けられ、飲み物とお菓子を用意した本格的な議論の場になるはず、だったのが、実際のところは単なる愚痴の言い合いになっている。


「え、どういうつもりとはどういう意味ですか」


 とぼけているのか本当に理解できていないのか、ディアの表情からは読み取れない。こちらは本気で怒っていることを示してやらないといけないな。


「あんな自己紹介をするなんてどうかしている。どうしてボクらの関係をみんなに教える必要があるんだ。しかも同居していることまで喋るなんて。変な誤解を招きかねない。秘密にしておいたほうがよかったんじゃないのか」

「いえいえ、それは違いますよ。いつまでも隠しておけるものではありませんからね。私に対する皆さんの興味は人気アイドル並みに相当なものです。ヒフミ君と同じ住所であることはすぐに判明してしまいますよ。それなら下手に隠し立てしたりせず、最初から洗いざらい言っておいたほうがいいのです。そう思いませんか」

「うっ、それはまあ、そうかもしれないけど……でもアオイさんはどう思うかな。従兄妹同士って言っても法律上は結婚できるわけだし。同級生の女子と一緒に暮らす男子なんて恋愛の対象にはできないだろう」


 結局のところ、それが一番気掛かりな点だ。アオイさんをボクに置き換えて考えてみればすぐわかる。もしアオイさんが同級生の男子と一つ屋根の下に住んでいるとしたら、それだけで二人の仲を疑いたくなってしまうだろう。それが素直な感情というものだ。


「おや、心配ですか。大丈夫です。このディアにお任せください。確かに私たちの同居はゲーム進行上マイナス要素かもしれませんが、災い転じて福と成す。うまく利用すればいいのです。ちなみにアオイさんの現在の状況は、っと」


 ディアは顔の前で両手を広げた。何もない空間を右手がスクロールしている。何かゲームに関する画面を見ているようだ。


「ふんふん、予想通り昨日に比べると信頼度が半分になっていますね。うふふ、無理もないですね。こんなカワイイ女子と一緒に住んでいるとわかればアオイさんの心も揺れて当然です」

「えっ、もしかしてボクだけじゃなく、アオイさんのステータスまでわかるのか」

「はい。全てお見通しです。プレイヤーだけの特権です」


 随分緩い恋愛シミュレーションゲームだな。ターゲットの状況がわかれば攻略は簡単じゃないか。


「なら教えてくれよ。アオイさんは今どれくらいボクに好意があるのか」


 ディアの口元に笑みが浮かぶ。可愛さと邪悪さが同居する小悪魔の微笑だ。


「教えてあげません。それを知るのはプレイヤーだけの特権ですからね。ゲーム内のキャラはそんなことは気にせずに、素直にプレイヤーの指示に従えばいいのです」


 こいつ、本当に見えているのか。アオイさんのステータスが見える振りをしているだけなんじゃないのか。そもそも今日の自己紹介でボクへの印象が悪くなったことくらい、ステータス画面を見るまでもなく誰にもでもわかることだ。


「おや、その顔、私の言葉を疑っているようですね。困りますねえ、そんなことでは。パートナーへの信頼なくしてゲームクリアは不可能です。それにこれは通常のゲームと違ってセーブやロードはありません。全ての選択はやり直しの効かない一発勝負。ハッピーエンドを迎えたいのなら私に全幅の信頼を寄せてください」

「わかったよ。で、明日からどうすればいいんだい」

「まずは私とヒフミ君の親密ぶりをアオイさんに見せつけてあげましょう。毎日仲良く登下校。授業の合間の休憩時間は楽しくお喋り。お昼は机を並べてお弁当。放課後は図書室で復習予習。まあ、こんな感じでしょうか」


 正気か。ターゲットが完全に仲間外れになっているじゃないか。


「おい待てよ。それ完全に逆効果だろう。ゲームの目標はボクとアオイさんをくっ付けること。なのにおまえとボクが仲良くなってどうするんだよ」

「ああ、もう。女心がわからない男子はこれだから困るんです。いいですか。女子にもてない、成績は普通、得意なスポーツはなし。そんな取るに足りない男子を好きになる女子なんているはずがありません。今のヒフミ君は完全にその条件に当てはまっている凡人なのです。ところがもし私みたいなカワイイ女子に好意を寄せられているとなったらどうですか。それなりの価値がある男子として認められるはずです。そうなればしめたもの。アオイさんの中に『あんな女に渡すくらいならあたしが奪い取ってやる』なんて競争心がメラメラと燃え上がり、ヒフミ君を巡って女同士の熾烈なバトルが繰り広げられることになるのですっ!」


 興奮気味に話すディアとは逆にこちらの気持ちは冷めていく。いや、おまえ、ドロドロの恋愛小説の読み過ぎなんじゃないのか。元の世界の恋愛事情ってどれだけ過酷だったんだよ。


「そんな想像通りにいくと思うか。アオイさんって男子以上にドライな性格なんだぞ。ボクとディアの親密な姿を見せつけられたら、ただでさえ少ない好意は一瞬で消滅して、他の男子へ興味が移ってしまうんじゃないのか」

「そんなことはありません。私はゲーム登場キャラの情報を全て把握しています。その上で作戦を立てているのです。失敗などあり得ません」


 本当かなあ。この過剰なまでの自信が逆に不安を煽るんだよな。


「ところでディアって元の世界では何作くらい恋愛系のゲームをプレイしたことがあるんだ」

「今回が初めてです。でもクリアの自信はあります。任せてください」


 自信満々のディアとは逆に不安でいっぱいのボクである。

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