ちょっと何を言っているのかわからない
頭の中は混乱を極めていた。今日は厄日じゃないのか、そう思わずにはいられない。
夕食時から始まった数々の出来事。ドラマや漫画や小説でこんな展開の話にしたら「リアリティが無さすぎる」と苦情の嵐が殺到するだろう。
「いつまで自分の頬っぺたをつねっているのですか。これは夢でなく現実。いい加減に認めてください」
現実であることは認めよう。わざと下手な日本語を喋っていたことも認めよう。だがその他は認められない。別世界からこの世界へ転移したとはどういう意味だ。
「おまえがディアであることは間違いないんだな」
「はい」
「だけどこの世界の存在ではないんだな」
「はい」
「それならこの世界のディアはどこにいるんだよ。今もまだ叔母夫婦と一緒にイギリスに住んでいるのかい」
「うふふ、いい質問ですね」
可愛らしい笑顔だ。流暢な日本語を除けば、先ほどまでのディアと変わりはない。
「元々この世界にはディアなんて存在はないのです。それはあなた自身が一番よくわかっているでしょう。私を全然覚えていないのですから。叔母夫婦には子供がいなかった、それがこの世界の真実。正しいのはあなたの記憶。間違っているのはあなた以外の人々の記憶。どうですか。これで心のもやもやも少し晴れたのではないですか」
可愛い顔をして狡猾な真似をしてくれるな。覚えていないのが当たり前だと知りながら「忘れてしまったのデスネ、悲しいデス、クスン」などと泣き真似をしていたわけか。そのおかげで心にもない詫び言を述べてしまったじゃないか。
「いや、心のもやもやは余計に大きくなった。両親や姉や叔母夫婦の記憶をどうやって変えたんだよ。それだけじゃない。写真、手紙、入学手続きに必要な戸籍、そんなものまで改変されているじゃないか。どう考えたって不可能だ」
「いいえ、全然不可能ではありませんよ。なぜならこの世界は私たちのプログラムに支配された世界なのですから」
また訳のわからないことを言い始めたぞ。この娘、もしかして誇大妄想癖があるんじゃないのか。そのうち「我は神の子、創造主である」とか言い出すかもしれないぞ。
「あ~、ちょっと確認させてくれ。つまりこの世界はおまえが作った、と言いたいのか」
「私が作ったわけではありません。私たちの世界で支配されているのです。詳しく言えば、この世界は私たちの世界でプレイされているゲーム世界なのです。私はそのゲームで遊んでいたプレイヤー。あなたは私がゲームの中で選択したキャラクター、char一二三号です」
おいおい、いきなり人間としての存在を否定されてしまったぞ。char一二三号ってなんだよ。そんなキャラ名でプレイしていたのか。センスなさすぎだろ。
「ほほう。そして君はある日突然、自分がプレイしていたゲーム世界へ転移してしまい、現在、このような状況にある、と言いたいんだね」
「ご名答! さすがは一二三号。物分かりが早くて助かります」
なにが一二三号だ。おまえの世界ではそう呼んでいたとしても、この世界ではこの世界の名前で呼ぶのが礼儀ってもんだろ、まったく。
「それで、このゲーム世界へ入り込むことになった理由は何だ? トラックにはねられたとか、ゲーム画面が突然光ったとか、夢の中に女神様が出現したとか、そんな理由なのか?」
「あ~、それに関しては秘密です」
なんだよ。肝心なところは教えてくれないのか。どうも怪しいな。
「それって、まだ転移の理由を考えてないから聞かれたら困るって意味じゃないだろうな」
「ち、違いますよ。理由を考えるとか何を言っているのですか。私の言葉を信じていないのですか。理由はちゃんとあります。でもこちらにはこちらで言えない事情が色々とあるのです」
おっ、少しドギマギしている。顔の前で両手を振って否定する仕草がカワイイぞ。
もちろんディアの言葉なんぞ最初から信用してはいない。ゲーム世界へ転移したなんて話、ラノベでもアニメでもそこら中に転がっているありふれたストーリーだからな。もう少し奇抜な設定でも考えてくれるのかと思っていたのに、正直がっかりだ。
「まあ話したくないならいいよ。それでボクひとりだけ記憶の改変が発生しなかったのはどうしてなんだ」
「それについては私も驚いているのですよ。たぶん一二三号が私のキャラだったからではないかと推察しています。一二三号と力を合わせなければゲームクリアは難しいですからね。一二三号には全てを打ち明けて協力プレイを依頼しろってことだと思います」
どうにも一二三号が耳障りだな。人間性どころか生物としての尊厳さえ軽んじられている気がする。ロボットやAIじゃないんだぞ。
「悪いけど、その一二三号って呼び名、なんとかしてもらえないか。元の世界ではそんな呼び名だったとしても、この世界では君と同じ人間なんだ。ひとりの男子高校生として扱ってくれないか。でなくちゃ協力プレイなんて絶対無理だよ」
「あ、そうですよね。気が付きませんでした。では漢字読みでヒフミ君ではいかがですか」
どうしてそうなるんだ。素直にこの世界の名前で呼んでくれればいいじゃないか。一二三号にそこまで思い入れがあるのか。まあいいや。あだ名なんてものは本人の意思とは関係なく付けられることがほとんどだからな。
「じゃあヒフミ君でいいよ。将棋は全然強くないけど」
「はっ、将棋?」
「そこは聞き流してくれ。とにかくおまえの話はわかった。この世界がリアルでないのならこれまでに起きた事象は全て説明が付く。おまえがゲーム世界へ入り込んだことで、本来ディアという存在がなかったこの世界が、元からディアが存在する世界へ改変されてしまった、ボクの記憶を除いて。そう考えていいんだな」
「はい、その通りです。納得してもらえてよかったです」
「いいや、全然納得していないよ。と言うより、おまえの話はまるで信用していない」
「ええっ!」
今度は両こぶしを頬に当てて驚いている。帰国子女だけあってジェスチャーが仰々しいな。しかしこれだけわざとらしいと逆に疑わしくなってしまう。演技しているんじゃないのか。
「どうしてですか。私の何が信用できないのですか」
「話に現実味がなさすぎるよ。ゲーム世界に転移なんて話、誰でもすぐ思い付く安直な理由だし、そもそも世界の改変なんてできるわけがない」
「そしたら私に関してヒフミ君の記憶がないのはどう説明するんですか」
「そう、それだけが唯一の違和感なんだよ。もしかしてみんなでボクを騙しているんじゃないのかい。今のところ、両親と姉と君、この四人が口裏を合わせるだけでこの状況を作り出せるからね。あの写真も手紙もわざわざ用意したんだろう。現在の顔を基本にして幼児期の顔を作り出せるアプリとかあるみたいだし。それを使えばあんな写真は簡単に合成できる。手紙も同様。きっとボクの昔の筆跡を参考にして製作したんじゃないのか。母は昔から人を驚かすためなら時間も金も惜しまない人だったからね。高校合格のお祝いに盛大な嘘つき大作戦を発動させたとしても不思議じゃない」
「それなら私は何者なのですか。私は、このディアは、今日からこの家でヒフミ君と一緒に暮らすのですよ」
「う~ん、それはおまえの口から説明してもらうしかないな。もしかしてバイト? 明朝まで騙し通しすように依頼されたとか? それならもういいよ、ばれちゃったし。ご苦労さま」
「違います。本当に私は別の世界からこのゲーム世界へ転移したのですっ!」
しつこいなあ。なんだかもうどうでもよくなってきたぞ。学校生活が始まる前の貴重な長期休暇もあと数日で終わる。こんなどうでもいいことに時間を取られたくない。
「とにかくもう寝よう。明朝まだおまえがこの家にいたら、その時また話し合おう」
これで話は打ち切りだ。ディアに背を向けて椅子に座り直す。パソコンは相変わらずゲームのデモ画面を表示し続けている。音が鳴らなかったのはイヤホンを挿していたからだ。夕食後は周囲の迷惑も考えて外付けスピーカは使わないことにしているからな。
「char一二三号のステータス。レベル一三、体力二〇、知力一〇、容姿八、信頼度九、魅力八、運二……目を覆いたくなるくらい貧弱なキャラですね。だからこそ育て甲斐があるのです」
ディアが背後で何か言っている。話が終わったことに気付かないのか。さっさと帰ればいいのに。
「おい、ディア。続きは明朝だと言っただろう。何をやっているんだ」
振り向くとディアは宙を見詰めていた。少し顔を上向きにして、何もない空間を右手でスクロールしている。
「答えろよ。何をしているんだ」
「見ての通りです。ヒフミ君のステータス画面を開いているのです」
ステータス画面だと。どこにそんなモノがあるんだ。目を凝らす。何も見えない。立ち上がってディアの横に並び、一緒に空間を見詰める。やはり何も見えない。
「そんな画面、どこにも見えないぞ」
「うふふふ。ゲーム内のキャラに自分のステータスが見えるわけないでしょう。これはプレイヤーだけの特権なのです」
また演技か。バイトだったとしてもそこまで頑張る必要はないだろうに。あんまり職務に忠実過ぎると、何かの手違いでブラック企業に就職した時、大変なことになるぞ。
「え~っと、初恋は幼稚園の時。受け持ってくれた保育士のお姉さんに一目惚れ、か。ヒフミ君って年上に弱いタイプみたいですね」
母さんめ。そんな情報まで提供しているのか。いくら何でもやり過ぎだろう。
「そして現在は中学三年で同じクラスだった女子に淡い恋心を抱いている」
「えっ!」
心臓が止まりそうになった。それは誰も知らない、両親にも友人にも話したことのない秘密。どうしてディアが知っているのだ。
「その女子に勉強を教えてもらい、ゲームもせずに猛勉強したおかげで同じ高校に合格。四月からも同じ学校へ通える喜びで幸せイッパイ、ですよね」
虚空を見詰めていたディアの目がこちらへ向けられた。何もかも見透かしているかのようなその瞳には、底知れぬ邪悪さと魔性が宿っているように思われた。
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