まったく記憶にない女子である
(またか)
胸の内でつぶやきながら四人掛けの食卓につく。見知らぬ女子が座っていても別に驚きはしない。よくあることなのだ。一応挨拶をしておくか。
「こんばんは」
「ハイ。こんばんは、デス!」
片言の日本語。そうだろうな。艶のある金髪のツインテール、陶器のように白い肌、秘境の湖を彷彿とさせる碧い瞳。どこからどう見ても日本人以外の血が混じっている。
「えっと、君も新しく引っ越してきたのかな」
「アッ、ハイ。そうデス。どうぞ御贔屓にしてくだサイ!」
思った通りだ。この辺りは新興住宅地。今もまだ新築住宅が次々に建てられている。
古くからこの地の住民である我が家は数年前から町内会長の任を受け、新しく住人となった方々のお世話をしている。
それだけなら別に問題はないのだが、母は人並み外れた世話焼き体質で、歓迎の意を込めて彼らを食事に招待するのだ。まるで冒険の旅の途中に立ち寄った勇者を歓迎する村人たちのような振る舞いである。
(こんな田舎町に外人とは珍しいな。親は何の仕事をしているんだろう)
異国の女子はおとなしく座っている。年は同じくらいだろうか。
それにしてもいつ来たのだ。ゲームに夢中になっていて全然来客に気が付かなかった。これじゃ留守番も満足にできないな。インターホンのスピーカーを二階の自室に増設してもらおうか。
「今日のお料理は頑張っちゃった」
母はにんまりしながら食卓に皿を並べ始めた。確かに今日はいつもより豪勢だ。肉が出る日は魚は出ず、魚が出る日は肉は出ない。これがいつものパターンだ。
が、本日はトンカツと焼き魚が並んでいる。野菜も同じだ。肉じゃがとポテトサラダが並んでいる。主食も同じだ。中華飯と天津飯が並んでいる。普段の来客時よりも桁外れに気合いが入っている。異国の女子ということでかなり気を遣っているようだ。
「ワオ! 美味しそうデス。いただきマス」
遠慮なく食べ始める陽気な外国娘。片言ではあるが日常会話は問題なさそうだ。帰国子女なのだろうか。見事な食いっぷりだ。あの発育の良い胸はこの旺盛な食欲によって形作られたのだろう。
「ふふふ。たくさん食べてね」
母はニコニコ顔で大食漢の異国女子を眺めている。そろそろこの異国娘の紹介をして欲しいのだが母は一向に口を開こうとしない。いつもは饒舌なのにこんな時に限って寡黙なんだよな。仕方ない、自分で訊いてみよう。
「えっと、ウチの夕食に招待されたのは君だけなの? 御両親は都合が悪かったのかな」
「父と母はイギリスに居マス。私一人で日本に来マシタ」
なんだと。どう見ても未成年なのに一人だけでこんな異郷へ来たと言うのか。なにやら複雑な家庭事情があるようだな。
同じ町内に住んでいるとは言っても所詮は赤の他人。あまり深入りしないほうが良さそうだ。
「そう、大変だね。まあ頑張りなよ」
の一言で話を打ち切る。これ以上深刻な内輪話をされては、せっかくの料理が不味くなってしまうからな。
「ハイ、頑張りマス。今晩から、お世話になりマス」
「今晩から……」
変な言い方をする女子だな。明らかに用法を間違っているぞ。
「いや、その場合は今晩からではなく今日から……」
と言い掛けて口を閉ざした。相手は日本人ではなく外国人。日本語ができなくて当然ではないか。むしろこれだけ流暢に会話できる才能を褒めてやるべきだ。些細なミスを指摘するのはやめよう、と思い直して肉じゃがを口に放り込んだのであったが、続けて母の口から出た言葉を聞いて、肉じゃがが喉に詰まりそうになった。
「今晩からお姉ちゃんの部屋を使ってちょうだいね。二階の南側よ」
「ハイ。ありがとデス!」
「ぐ、ぐふっ! ごほごほ」
慌てて味噌汁を流し込み気道閉塞の危機は回避できたが身体的ダメージはかなり大きい。しばらく咳が止まらない。
「あらあら、美味しいからって急いで食べなくてもいいのよ。誰も横取りなんかしないわよ」
いや、そうじゃない。原因は料理の美味しさではなく母の言葉だ。
「ごほごほ、ふー、落ち着いた。ところで母さん、もしかして聞き間違えたかもしれないんでもう一度聞くけど、今、何て言ったの」
「美味しいからって急いで食べなくても……」
「いや、そこは聞き間違えようがないよ。その前だよ。今晩からどうするんだって」
「ああ、そのこと。今晩からお姉ちゃんの部屋を使ってって言ったのよ。この
「ハーイ、よろしくデス!」
「聞いてないよ!」
箸を握り締めたまま立ち上がってしまった。どうしてそんな重大事を何の相談もなく勝手に決めたりするんだ。
抗議の目で睨み付けると、母は特売セールで掘り出し物を見付けた時のような喜びに満ちた表情をしている。
「うふふ、それよ、それそれ。その驚いた顔が見たくて今日まで黙っていたのよ。驚いたでしょう。秘密にしておくの大変だったんだから」
「母さん……」
開いた口が塞がらない。いい年して何やってんだ。そもそも母は昔からこうだった。あれは小学一年のクリスマスの朝。妙に体に何かが当たって寝苦しいなあと目を開けると、隣に自転車が横たわっていた。
「な、なんでボクの横で自転車が寝てるの」
驚いて飛び起きるとカメラのシャッター音が聞こえた。
「やったー! クリスマスプレゼントびっくり大作戦大成功!」
母の仕業だった。息子の驚いた顔を見るために、わざわざ自転車を布団の中に潜り込ませておいたのだ。
とにかく母は人を驚かせるのが大好きだ。最近は年のせいか昔ほど大掛かりな作戦は発動されないが、それでも事あるごとに驚かそうとするので気が抜けない。
「ホラホラ、そんな不機嫌な顔するもんじゃないわよ。本当は嬉しいんでしょう。こんなカワイイ娘と一緒に暮らせるんだもの。嬉しくないはずがないわよね」
「うっ……」
さすがは我が母。年頃の男子の心理はお見通しか。
言い返せないのでこれ以上の反論は諦め、箸を握り締めたまま着席する。しかしまいったな。他人の家庭事情に首を突っ込みたくはないが、こんな事態になってしまってはそうも言っていられない。どうしてこの異国女子が我が家に住むことになったのだ。
「理由を教えてくれよ。なぜ見ず知らずの若い女の子を預からなきゃいけなくなったのか。納得できる理由なら納得する」
気が動転してこちらも
「おまえ、見ず知らずって……」
母は呆気に取られた表情でこちらを見つめている。そのまま何も話そうとしない。
「どうしたのさ。黙ってないで早く教えてくれよ」
「オウ! 見ず知らずとは、あんまりデス!」
異国女子は母とは逆に少々興奮気味だ。何か二人の気に障るようなことを言ったのだろうか。
「もう忘れてしまったの。この娘は
「はあ? 従妹? ディアちゃん?」
「そうデス。ディアデス。お久しぶりデス」
ウソだろ。いとこは何人かいるが外国人の従妹なんていないはずだ。それにディアなんて名前も初耳だぞ。何かの間違いじゃないのか。
「忘れるもなにも初対面だよ。母さん、いい加減に悪ふざけはやめてくれよ。今日まで同居の件を秘密にしていただけじゃ足りないのかい。いくらなんでも怒るよ」
「悪ふざけなんかしていませんよ。母さんの妹の旦那さんがロシア人なのは覚えているでしょ」
ああ、それは覚えている。国際結婚した叔母さんだ。隣町に住んでいたが十年近く前に引っ越していったはずだ。
「ディアちゃんはその夫婦の一人娘よ。小さい頃は一緒に遊んだじゃない。もう忘れたの」
「いや違う。叔母さんに子供はいない。引っ越した後で子供ができたという話も聞いていない。もちろん遊んだ記憶もない。母さん、作り話をするのはやめてくれよ」
「おまえ……」
母の呆気に取られた表情が困惑に変わった。食卓を離れリビングを出て行く。しばらくして戻ってきた母は二冊のアルバムを抱えていた。
「見てごらんなさい。これはおまえが幼稚園の時、ディアちゃんの御両親と一緒にディズニーランドへ行った時の写真よ」
開かれたアルバムを見る。息が止まりそうになった。そこには三人の幼児が写っていた。一人は姉、一人は自分、そして一人は金髪で碧眼の女児、目の前にいるディアによく似ている。
「馬鹿な……」
ディズニーランドで遊んだ記憶はある。叔母夫婦と一緒に行った記憶もある。しかしこんな金髪の子供はいなかった。姉と自分の二人しかいなかったはずだ。
「いや、他人の空似ということもある」
アルバムをめくる。写っている。焼き芋を食べる金髪の幼女。一緒に花火をしている碧眼の幼女と自分。幼い姉と絵本を読んでいる白い肌の幼女。アルバムのあちこちにディアと思われる人物が存在している。
「信じられない……」
「きっと忘れちゃったのね。ディアちゃんたちが外国に行ったのは、おまえが小学二年の時だったから」
いや、小学二年の記憶なら残っている。叔母さんたちが引っ越していった記憶だってあるんだ。だが、この写真の記憶はない。全て初めて見る光景ばかりだ。
まさか、これも母が仕掛けたドッキリなんじゃないだろうな。息子を驚かすためにわざわざ偽の写真を用意したんじゃ……
「アア、忘れてしまったのデスネ。悲しいデス。でも、これを見れば思い出すはずデス」
ディアがポケットから封筒を取り出した。かなり古い。ボロボロだ。おまけに子供っぽいイラストまで描かれている。
「中の手紙、読んでくだサイ」
渡された封筒から紙を取り出す。そこに書かれた拙い文字を見て愕然となった。「ち」を鏡文字の「さ」と書き間違えている。「ゃ」とか「っ」のような小書き文字は他の文字と同じ大きさで書かれている。間違いない。これはボクが書いた手紙だ。
――ディアちゃん、がいこくのくらしは、なれましたか。ぼくは元気です。日本にかえってきたら、またいっしょにあそぼうね……
子供の頃、自分はディアに手紙を書いていた。たとえ記憶になくてもこれは紛れもない事実。そしてディアが叔母夫婦の娘であることもまた疑う余地のない事実……これだけ証拠を突き付けられては、それを認めざるを得なかった。
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