ゲームの国から来た娘

沢田和早

 

第一話 春休みの侵略者

試験前には部屋の掃除がしたくなる

 二階自室の勉強机に鎮座しているのはデスクトップパソコン。隣町に住む祖父が高校合格のお祝いに買ってくれたものだ。


 祖父は子供に甘い。生れたのは太平洋戦争最大の転機であるミッドウェー海戦の年だ。幼少期に戦中戦後の貧しい時代を体験したので、自分の孫に同じつらさを味わわせたくないという気持ちが強いのだろう。物心ついた時からどんな要求でも二つ返事で了承してくれた。


「おお~、小学校に上がるのかい。何かお祝いをしてあげよう」

「じいちゃん、ボク、ゲーム機が欲しい。買って買って。ゲームソフトも忘れないでね」

「よしよし。買ってあげるよ」


 こうして小学生時代はゲームにのめりこむ日々となった。当然学業成績は中の中である。


「おお~、中学校に上がるのかい。何かお祝いをしてあげよう」

「そろそろスマホを使ってみたいんだ。頼むよ」

「よしよし。買ってあげるよ」


 こうして中学生時代はアプリゲームにのめり込む日々となった。当然、学業成績は中の中である。


「おお~、あの難関校に合格したのかい。何かお祝いをしてあげよう」

「ゲーミングPC希望」

「よしよし。買ってあげるよ」


 というわけで、高校入学が決まった現在、目の前の勉強机にはハイスペックなデスクトップパソコンが鎮座している。

 年を取るごとにこちらの言葉遣いがぶっきら棒になっていくにもかかわらず、祖父の愛想の良さとお人好しな性格は、どんな座標でも常に一定の光速度のように恒久的不変さを保持している。願わくはこの太っ腹がいつまでも続きますようにと祈りながらパソコンの電源をオンにした。


「さてと、やるか」


 ディスプレイのアイコンをクリックする。見慣れた画面が表示された。言うまでもなくゲーム画面だ。小学、中学とゲームにのめり込んでしまった今となっては、もはやゲームなしには余暇を過ごせない体になっている。


「そろそろ生活を改めないとなあ」


 ゲームは面白い。プレイしていると楽しい。その感覚に嘘偽りはない。だが、いつからだろうか、ゲームのもたらす愉悦の片隅に微かな罪悪感が混じり始めたのは。それは体重を気にしながらスイーツを食べる時の感覚とよく似ている。若干の後ろめたさを感じるのだ。


 小学生の時は無心でゲームを楽しめた。中学生でもさして胸は痛まなかった。となると、この意識が紛れ込み始めたのは高校受験が目前に迫った三年になってからだろう。勉強しなくちゃいけないと思うほどにゲームをしたくなってしまうのだ。


「試験の前には無性に部屋の掃除がしたくなる」


 あれと同じ現象だ。自発的障壁付与。思い通りに事が進まなかった時のために、その理由をあらかじめ用意しておく心の動き。「部屋の掃除をしていたからテストで赤点になったんだ」と言い訳できるように自分に負荷を課しているのだ。


 これを拡大解釈すれば人生においてゲームをプレイし続けるのは、思い通りにならない人生への理由付けを準備していることになるのだろう。「ゲームをしていたからこんな人生しか送れなかったんだ」と言い訳できるように。


「わかっちゃいるんだよ。高校入学前に真新しい教科書を読んで、少しでもたくさん予習しておくべきだってことはね」


 わかっていてもその通りに行動できないのが人間というものだ。そしてこの行為の正当化のために別の理屈もちゃんと用意してある。

 二日後には高校生活が始まる。そうなれば家での時間はほとんど勉強に費やされるだろう。こうして一日中自由に過ごせる今のうちにゲームをやり込んでおいたほうがよいのではないか。昔から言われているだろう。「よく遊びよく学べ」と。全力で遊んでこそ勉強にも身が入るのだ。


「大丈夫。授業が始まれば本気出す」


 と自己弁護の常套句をつぶやきながらマウスをクリックする。IDとパスワードを入力してゲームスタートだ。


「しかし何度見ても地味だな」


 起動したゲームを一言で表現すれば、平凡、これに尽きる。内容はドラクエに代表される剣と魔法のファンタジーRPG。描写されるグラフィックは野暮ったく、ありふれたキャラ造形と中世ヨーロッパ風な背景。外付けスピーカーから鳴り響くBGMはどこかで聞いたような旋律。効果音に至っては明らかにフリー音源を利用している。


「う~ん、遅い」


 キャラの動きはもっさりとしてアクションやバトルは単調。たまにラグが発生。ゲーム仕様のハイスペックは完全に宝の持ち腐れになってしまった。おそらく安いノートパソコンでもプレイの快適さはほとんど変わらないだろう。


「まあ、はっきり言ってクソゲーだよな」


 などとつぶやきながらも毎日プレイしているのには理由がある。このゲームをクリアした者がまだ一人もいないのだ。



「ウソ、そんなゲームがあるんだ」


 切っ掛けは中学三年の冬。受験勉強の息抜きにスマホで口コミサイトをサーチしていたら、偶然このゲームの書き込みに出くわした。実に興味を引く内容だった。難易度の高さはこのゲーム独自のルールに起因しているように思われた。


 一. オンラインゲームでありながら他のプレイヤーとは一切協力できない。

 二. 途中セーブは可能。ただし戦闘不能などによってゲームオーバーを迎えるとセーブデータは完全に消失。再プレイも不可能なので永遠にゲームできなくなる。

 三. パソコンでのみ提供されている。完全無料。課金システムはない。


「これはやってみたいなあ。よし、受験頑張ろう!」


 中学二年まで中の中の成績であったにもかかわらず難関校に合格できた理由のひとつは、このゲームに対する渇望であったと思われる。

 あの祖父ならばどんな高校だろうと合格祝いにパソコンを買ってくれただろう。だが対価に見合う業績を挙げずに報酬を受け取っては素直に喜べない。前人未到のゲームクリアのためにはパソコンを入手せねばならない。パソコンを入手するためには勉強せねばならない。猛勉強の原動力を生み出してくれたのは紛れもなくゲームへの渇望だった。


「今日はレベル上げでも頑張るか」


 ゲーム内容は他のRPGと大差ない。雑魚を倒してレベル上げ。クエストをこなしてアイテムゲット。登場する中ボスを倒して次のステージへ進む。そんな感じだ。

 クソゲーには違いないがそれなりに楽しめるのはシナリオやシステムがしっかり作り込まれているからだ。傑作とは言えないまでもつまらなくはない。この種のゲームに慣れたプレイヤーでも十分楽しめる内容だ。


「どうしてこんなゲームに手こずるのかな。ネットには攻略サイトもあるのに、まだ一人もクリアできないなんて」


 これがプレイ初日の感想だった。しかしプレイ二日目にその理由がわかった。攻略サイトがまったく役に立たないのだ。ゲームの内容がプレイヤーによって変わるのである。

 基本的なシステムは同じだ。しかしクエストの種類、モンスターの特性、ダンジョンの構造、マップなどは各プレイヤーに対して完全に別物となる。他のプレイヤーからの情報はほとんど役に立たない。攻略サイトの意味がないのだ。

 しかもゲーム中に登場するキャラは自分以外全てNPCである。オンラインなのに他のプレイヤーは登場しない。パッケージのゲームを購入してプレイしているのと同じ感覚である。


「どこの会社がどんな目的で提供しているんだろう」


 これに関する情報はまったく入手できなかった。ゲーム画面に制作会社や関連会社名、スタッフ、使用ツールのロゴなどは一切表示されない。ググってもそれらしきサイトは見当たらない。完全無料で提供され課金するシステムもないため無報酬で運営していることになる。


「どこかの金持ちが道楽で作っているのかな」


 気にはなるがプレイする側としてはどうでもいい話である。あるいはゲームクリアを成し遂げた瞬間、それらが全て判明する仕組みなのかもしれない。そう考えればヤル気も出るというものだ。


「うおっと、危ない危ない」


 背後から敵が迫っていた。素早く身をかわして剣を振るう。レベル上げ用の狩場とはいっても油断大敵だ。ターン制ではなくアクションタイプなので、何もせずに突っ立っているだけで敵に攻撃される。最悪の場合ライフ0になってゲームオーバーだ。


「慎重第一だからな、このゲームは」


 最初の登録時は面食らった。ID、パスワード、メールアドレスの入力は当然だが、その他に住所氏名電話番号、そしてマイナンバーまで入力を要求された。

 この厳密さによってプレイヤーは完全に個人を特定され、ゲームオーバーになってしまうと再トライは不可能になる。もう一度最初からやり直すことすらできない。永遠にゲームから締め出されゲームクリアは見果てぬ夢となる。ささいなミスも命取りなのだ。


「万が一失敗した時は家族のマイナンバーを使うって手もあるけど、それだとゲームクリアの手柄を他人に譲ってやるようなものだからな。頑張る意味がない。とにかく凡ミスだけは避けるようにしないと」


 ゲームを始めて二週間。それなりに強くなったが無理な冒険は絶対に慎まねばなるまい。中ボスへの挑戦は百パーセントの勝利が見込めるまで行わない方針だ。「初のゲームクリアプレイヤー」の称号は欲しい。だがそのために危険を冒して失敗し、このゲームから永遠に追放されては元も子もない。急がば回れというやつだ。


 こうしてゲームにのめり込むこと数時間、気が付けば部屋の中には夕暮れの闇が忍び込み始めていた。照明を点灯させると階下から母の声が聞こえてきた。


「ごはんよー」

「ああ、もうそんな時間か」


 休日は六時半、平日は七時。それが我が家の夕食時刻だ。今日は平日だが春休み中なので休日仕様である。


「今行くよ」


 キリの良いところでゲームを終え一階のリビングへ入る。

 我が家は四人家族。四才年上の姉は実家を離れて大学生活を満喫している。サラリーマンの父は遠距離通勤のため夜八時以降でなければ帰宅しない。つまり最近一年間、平日の夕食はだいたい母と二人きりで済ませてきた。当然本日もそうなるはずなのだが、


「おや?」


 そうはならなかった。リビングの食卓には見知らぬ女子が座っていた。

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