第422話 生涯最高にして最低の夜篇⑬ プレシャス・カルテットナイト〜それは生涯最高にして最低の夜

 * * *



 季節はもう間もなく年の瀬になろうかという時期。

 僕は子供たちや家人のいないところで、ふたりの愛する女性との時間を欲した。

 その結果、大金を叩いて沖縄新婚旅行を計画し、彼女たちとの甘い夜を得られるはずだった。


 話は変わって、僕は地球に来てから激動の日々を過ごしていた。

 まずは叔父夫婦のところへ結婚の報告。

 懐かしい同級生たちとの再会。

 そこから甘粕志郎の就職先の世話。

 さらに最後の大仕事とばかりに幼馴染である綾瀬川心深にも結婚の報告をしようと試みた。


 思えばそれが良くなかった。

 心の中で苦手意識のある彼女を週末直前の最後に回したのが敗因だったのだ。


 僕は相変わらず強引な幼馴染に振り回され、彼女のマネージャーとして北海道に向かう羽目になってしまった。


 そして沖縄と北海道という、対極の遠隔地を、自らのチートスキルを使って何度も何度も往復することになった。


 沖縄には愛しいふたりの嫁がいて、北海道には放っておけない幼馴染様がいたからだ。


 だがついに僕は決断を下した。

 幼馴染を切り捨てて、愛しいヒトの元へ帰ることを。


 辛かった。

 僕を好きだという女の子に背を向けるのが。


 苦しかった。

 僕に唇を強請る彼女を拒絶し続けるのが。


 だが仕方がない。

 たとえ魔族種だろうと、どんなスキルを持っていようとも、僕の身体はひとつ。


 本来ひとりの女性しか幸せにすることができないはずが、今は幸運と奇跡が積み重なり、ふたりもの女性と心を通わせることができた。


 しかもその女性ふたりは、女神のように美しく強く、僕のことを好いてくれていて、しかもふたりは同性でありながらも、お互いのことを好き合っているのだ。


 正に理想的な三角関係であり、そんな僕らが初夜を迎えるのを邪魔するものはなにもない……そう思っていた。



 *



「だーかーらー、あいつは本当にヒドイ男なの。今はマシになったみたいだけど、昔から一緒にいる私はいつもいつも泣いて暮らしてたの!」


「今の話本当……? タケルってば最低だよ。女の子が毎朝起こしに来てくれるんだよ。こんなにわかりやすい好き好き『あぴーる』はないのに。ねえ、エアリス?」


「う、うむ……確かにそうだな……」


「なんですか、その気の抜けた返事は。正妻の余裕ですかエアリス先輩?」


「ちゃんと聞いてるのエアリス?」


「だ、大丈夫だ。もちろん聞いている。酷いやつだ。私だったらぶん殴っているな、うん!」


 なにこれ。

 なんでこんなことになってるの。


 キングサイズのベッドは三人の美少女に占領されていた。

 シーツを肩から纏った心深と、セーレス、エアリスである。


 セーレスとエアリスの美しさは言うに及ばず、心深もアイドルなだけあって、相当お顔の造形は整っていらっしゃる。


 そんな美少女たちは今、僕を酒の肴に大盛り上がりを見せていた。

 元々僕を待っている間、セーレスとエアリスはお互いが不在だった間の、僕に関する記憶を共有していたという。


 それは以前から少しずつ進められていた、彼女たちにとって絶対欠かすことのできない事柄だった。


 セーレスは僕と初めての出会いから自分が攫われてしまうまでの間の出来事を、エアリスは人間ではなくなってしまった僕との邂逅から、聖都での出来事、そして地球に来てからの生活のことを話していたという。


 それは今夜、僕を待っている間にも行われており、いい加減全てを語り尽くしてしまっていたところ――新たな心深ネタがやってきたというわけだ。


 聖剣が開く『ゲート』を潜り、僕を追ってきた心深は、まんまと僕らが滞在する高級スィートへと便乗してきた。


「――今夜は三人とっての初夜なのね」


 察しのいい心深が、ベッドの上でくつろぐセーレスとエアリスの姿を見てそう呟いた。


 それは――――超シビアに言って大正解だった。

 だから帰ってくれ、今すぐ出ていってくれ。

 …………などと言えるはずもなく。


 文字通り裸一貫で、僕を追いかけたい一心で、服すら纏っていない心深を放り出すことなど不可能だった。


「こんばんは、あなたは心深でしょう?」


 いの一番に切り込んだのはセーレスだった。

 僕は立ち尽くし、エアリスさえ硬直するほどの気まずさのなか、真っ先に声をかける胆力はさすがと言えた。


「そうだけど……もしかしてあなたがタケルの、その……」


「そうだよ。アリスト=セレス。セーレスって呼んでね」


 ニコっと一切の嫌味も毒もなく微笑む。

 100万ドルの夜景と言えば函館だが、それに負けない100万ドルの笑みだった。


「うっ」


 心深が気圧されている。

 セーレスの放つ笑顔は癒やしであり、時には武器にもなる。

 正妻を譲ろうと頑なになっていたエアリスさえ解きほぐす包容力攻撃力にあふれているのだ。


「なんで、私の名前を……?」


 ギュッとシーツを掻き抱きながら、心深が不安そうに問うた。


「私はね、セレスティアと記憶を共有しているの。心深が操られて、あの子にどんなことをしたのかも知ってるよ」


 それは去年のクリスマスのことだ。

『言霊の魔法』を持つ心深はアダム・スミスにより操られ、セレスティアの無防備な心を侵した。


 そのせいでセレスティアは僕に襲いかかり、さらに街中を巻き込んでアクア・ブラッドの八竜を顕現させた。


 結果的に、セレスティア自身はもうその時のことは一切覚えていない。精霊合体したエアリスの圧倒的浄化力によって、穢れた記憶は全て洗い流されてしまったのだろう。


 暴走したセレスティアには、そのような経緯があったのだと、後に心深自身から僕へと説明がされていたのだ。


「そ、それは――」


「ううん、わかってる。心深のせいじゃない。もう済んだことだからそれはいいの……」


 そうだ。あれは決して心深の責任ではない。

 そして僅か数日の逃亡生活の間、心深とセレスティアの関係は良好だった。


 心深は本来無垢なセレスティアと接するうちに罪悪感を募らせ、改めて謝るべきかと僕に相談してきた。


 だが、本人が忘れていることを掘り返す必要はないと進言し、それならばごくごく普通に子供にするように優しく接して欲しいと言った。その通り、心深は彼女に善くしてくれていたと思う。


「心深がね、セレスティアにお歌を唄ってくれたこととか、一緒に遊んでくれたのも知ってるよ。だからね、むしろありがとうって思ってるから」


 おお……。

 なんというかすごいな僕の嫁は。そしてエアリスの夫か。

 僕はすっかり感心してエアリスを見た。

 彼女は何故かドヤ顔で「ふん」と息を吐いていた。


 スーッと、心深の顔から陰が消えていく。

 憑き物が落ちるとでもいうのか、昏かった表情が取り払われ、素へと戻っていくのがありありとわかった。


 なんといういたわりと友愛だろう。

 嫉妬に狂っていた心深が心を開いたようだった。


「あ……私、その、ごめ、ごめんなさい……!」


 これはセレスティアのことに関しての謝罪ではない。

 今現在、僕たちの大切な時間に土足で踏み込んでいることに対しての謝罪だ。

 心深は真っ青になって震えている。そしてそのまま踵を返そうとした。


「さすがにそれはな。常識的に考えてダメだ」


 僕は心深の腕を掴んでいた。

 まさかその格好のままホテルの外――夜の街に行かすわけにはいかない。


「は、離して、放っておいてよ! もういいから、私帰るから!」


「バカ、ここ沖縄だぞ」


「うそ……!?」


 しかも飛行機のフライトはもう終わってる時間だ。

 どうあっても心深はここにいるしかないのだ。


「わ、私恥ずかしい……、すっかり盛り上がって、でもセーレスさんとエアリス先輩の顔見たら急に冷静になって……」


 穴があったら入りたい心境なのだろう。

 心深はその場にしゃがみ込むと、膝を抱えて蹲ってしまった。


 やはり『百聞は一見にしかず』とは本当だなと思う。

 どんなに僕が『結婚した』と言ったところで心深は納得しなかった。


 しかし今まさに『初めて』を迎えようとしている花嫁たちを見て、急激に自分の場違い感を悟ったのだろう。グズグズと鼻を啜りながら、さめざめと泣いている。


「なんか、ごめんな……」


 多分僕は一ミリも悪くないのだが、泣いている女の子には頭を下げたくなってしまう。それが幼い頃から知っている幼馴染なら尚更だ。


 とりあえず落ち着くまで待って、それから再び『ゲート』を開いて、北海道のホテルまで送り届けよう……。


「タケル?」


「タケルよ」


 振り返れば、そこには笑顔のセーレスとエアリスが立っていた。

 だがふたりとも剣呑な空気を纏っている。一体どうしたことか。


「私の見間違いじゃなければ、心深は敷布シーツの下は裸じゃないかな?」


「我らを放っておいて全裸の綾瀬川と何をしていたのだ貴様は……?」


 おっと。そういえばそうでした。

 しゃがみこんだ拍子にシーツがはだけ、心深は大きく肌を露出させていた。

 具体的に言うとおっぱいペロ〜ンという感じだ。


 しかも今の立ち位置というか構図は、僕が裸の心深を泣かせているように見えてしまう。これは花嫁たちにとってものすごく面白くない絵なのでは!?


「まて、話せばわかる。僕はなにもしちゃいない!」


 まさか自分の口からこんな間男みたいな台詞が出てくるなんて。なんか感無量?


「何もしてないのになんで心深が裸なのかなあ?」


「アイティアといいパルメニといい、あのレイリィ王女といい、最近の貴様は節操がなさすぎる」


 僕がその三名に手を出した事実は一切ないぞ! などと言っている場合ではない。セーレスの手に握られているのはアブレシブ・ジェットの剣で、エアリスが指の間に通しているのはホロウ・ストリングスだ。


 これは死んだなあ。

 僕の中にあった甘やかな気分が完全に消えていた。

 今はただ、差し迫った死の恐怖に震えるのみだった。



  *



 そんな経緯を経て、冒頭の三人の会話に繋がるというわけだ。

 元々僕を待っている間、セーレスとエアリスはお酒を飲んでおり、もうすっかり出来上がってしまっていた。


 そして何故か未成年の心深も酔っ払ったみたいにベロベロだ。お酒は一滴も飲んでいない(←ここ重要)はずなのに不思議なこともあるものである。多分雰囲気に酔ってるんだろうねきっと。


「あいつは本当に子供の頃から捻くれたヤツで、そんなんだから友達がひとりもいなかったの。遠足の時だって誰も組んでくれなくて、それでも平気そうな顔してるから仕方なく私が一緒のグループになってあげたのに……。なのにそのときのタケルはなんて言ったと思う!?」


 キングサイズのベッドの上は心深の独演会だった。

 ベッドの上、セーレスは赤ら顔で身を乗り出しながら熱心に聞き入っている。

 エアリスは時々僕に同情的な目を向けながらグラスを揺らしていた。


「タケルのことだからきっと心深にこっそり『ありがとう』って言ったのかな。ねえ、エアリス?」


「いや……、心深の言うタケルの話は、我らと出会う遥か以前のもので、今のタケルとは別人と考えるべきだろう」


「はーい、時間切れ。正解は『僕はひとりでよかったのに、よけいなことするなよ』でしたー」


「うわあ……、タケルってば最低だよ」


「貴様、鼻つまみ者だったくせに自分の立場をわきまえていなかったのか?」


 もう勘弁してくれ。

 僕はひとり、ベッドの下で正座しながら、ガックリと肩を落としていた。

 まるで親戚のおばちゃんに嫁の前で、子供の頃の恥ずかしい話を延々聞かされている気分だ。


「でもね、それでもね、私子供の頃は親の方針で、既成品のお菓子とか食べちゃダメって言われてたの。だからみんながお小遣いでおやつ買って食べてるのが羨ましかったんだけど、そしたらね……なんとタケルが自分のを黙って分けてくれたの!」


「嘘っ、タケル超優しい!」


「貴様のわかりにくい優しさは相変わらずだな」


 ふはは、もっと言ってくれ心深さん。

 嫁二人からの熱い眼差しが心地よすぎる。


「んぐんぐ……、あれ、もうない。なくなったー、セーレスぅ、お水もういっぱいちょうだい」


「はいはい。それでそれで、その続きは……?」


「待てセーレス、それは水ではないぞ」


「え?」


 時すでにお寿司……いや遅し。

 心深のグラスに注がれているのはお酒っぽい(が、お酒ではない)透明な何かだった。


 もしそれが仮に本物の泡盛だとしたら、日本酒よりもずっとアルコール度数は強いはずなのに、心深はグイーっと水のように飲み干していた。


「セーレスのお水おいしー」


「私はなんてったって水の精霊魔法使いだからねー」


「そなたも心深ももうその辺りでやめておいた方が……」


 最後の良心であるエアリスが、ベロベロで真っ赤なふたりを止めようとする。ちなみにいつの間にか三人共お互いを名前で呼び捨てにしている。仲良きことは素晴らしきかな。


 女性が三人よればかしましいとは言うが、まさにその通りだった。

 思えばこうなることは当然と言えば当然だったかもしれない。


 セーレスとエアリスの間でさえ、お互いに知らない僕の記憶を共有しているのだ。そこにやってきたのは、僕との付き合いだけなら、ふたりよりも遥かに長い心深である。


 心深も心深で、セーレスとエアリスに僕を巡って喧嘩を売ったところで意味のないことだった。異世界に於いても稀有な能力と美貌を持つふたりに、少し魔法が使えるだけのただの人間が張り合えるものではないからだ。


 では心深がふたりに勝っているものと言えば、唯一僕との思い出だけだった。しかもセーレスたちと出会う以前の、幼い頃からの僕との記憶。それはセーレスとエアリスをしても大層魅力的に見えたらしい。


 そういうわけで、僕はすっかり宴会の肴にされてしまっていた。


「もう、タケルの話が聞きたいって言ったのはふたりでしょーがっ! あいつのは話はシラフじゃ無理なんだから、ひとりだけなにすまし顔してるのエアリスってば!」


「そうだよエアリス、さっきから全然飲んでないでしょう?」


「いやいやいや、待て、待つのだ。本日我らはなんのためにここに集まったのかをそもそも思い出すのだ。こんな酒盛りをするためでは断じてなかったはずで――」


 エアリスが、僕の心を代弁してくれる。

 そうだ、今夜は僕らにとって大事な夜だったはずじゃないか。

 夫婦の共同作業的なアレをするつもりだったはずだ。

 心深だけをさっさと(透明なお水で)酔い潰してくれ。


「…………うーん、なんだっけ。よくわかんない……。でもまあ、楽しければ何でもいいんじゃない……ヒック!」


 ああ無情だった。

 花嫁の片割れであるセーレスは記憶が曖昧になるほど既に酔っ払っていた。


 途端心深は大爆笑した。「ザマー、プギャーww 忘れられてやんのーwww」などと僕を指さして笑っている。


 エアリスは憔悴しきった僕に申し訳なさそうな顔をしたあと「すまん」と一言だけ告げ、グラスを一気に煽った。もう絶望しかなかった。


「お次は小学校三年生からー! まだまだ中学三年生まで、七年分あるからねー!」


「いえーい!」


「いいぞ心深!」


 僕はもう部屋の隅で膝を抱えて不貞寝するしかなかった。



 *



 それからどれくらい経っただろうか。

 僕はいつの間にか仰向けになって眠ってしまっていた。

 背中はゴツゴツとした固い感触ではなく、柔らかいふかふかしたものに包まれている。


 ぼんやりとした意識の中で、どうやら自分がベッドの上に寝ているらしいことがわかったが…………それにしてもこの匂いはなんだろう。鼻の粘膜から出血しそうなほど甘ったるい匂いだ。僕は喘ぐように空気を求めて口を開いた。


「ん」


 口を開いた途端蓋をされた。

 仕方がないので鼻で息をするのだが、さっきよりもずっと濃密さを増した香りにせそうになってしまう。


 瞼を開けた細い視界の中に金色がさらさらと揺れていた。

 愛しいヒトを連想させる色に、僕は安堵して再び瞼を閉じた。

 口が開放された。



 *



 甘い甘い。

 甘くて吐きそうだ。

 鼻を摘みたくなる匂いだ。


「あ」


 僕が口で息をしていると、再び蓋をされた。

 誰だろうさっきから邪魔をするのは。

 薄く開いた視界の中で、銀色がさらさらと揺れていた。

 愛しいヒトを連想させる色に、僕はすっかり安心して瞼を閉じた。



 *



 もう限界だ。

 甘く蕩けるような、それでいてマグマのような灼熱を孕んだ香り。

 胸の奥が焼けてしまいそう。

 これ以上吸い続けるのは無理だ。


「はっ、あっ、ぷっ」


 三度、口に蓋をされてしまった。

 今度はそれだけじゃない、口の中に何かを流し込まれた。

 それは甘ったるい匂いを集めて凝縮したように濃厚な液体だった。


 飲み下した瞬間、喉が焼けるようにヒリついた。

 なのに胃の中に入った途端、痺れるような心地よさが全身に広がっていく。


 ぼやけた視界の中に、漆黒が揺れていた。

 艷やかでいてどこまでも妖しい。

 黒なのに光を跳ね返し、千差万別の彩りを見せている。


 これは誰だったか。

 かつて好きだったかもしれない女の子がそんな髪の色をしていなかっただろうか。


 僕は無意識に手を伸ばしていた。

 やはりそれは女性の黒髪で。

 手のひらでさらさらとこぼれ、指の間で梳くと、ひんやりとした感触が気持ちいい。


 もっと……、と聞こえた気がした。

 手を伸ばしていくと、髪の付け根にたどり着き、その頭を優しく撫でた。


 頭を撫でるのは得意だ。アウラやセレスティアは甘えん坊だ。毎日必ず風呂上がりの濡れた頭でじゃれついてくる。僕は風を集めてふたりの髪を乾かしながら、膝の上で頭を撫でてやるのだ。


「んぷっ、あ……」


 そうしていると左から口を塞がれる。

 同時に甘い液体が流し込まれる。

 ゴクリと、僕は飲み下す。

 身体が熱い。


 今度は右から口を塞がれた。

 甘い液体が口端から溢れてしまう。

 それでも懸命に飲み込んだ。

 身体が燃えている。



 *



 酩酊する意識の中、金と銀と黒が揺れている。

 しっとりと全身が汗ばんでいる。

 裸だ。何故か僕は服を脱がされていた。


 そして体中をヌルヌルとしたものが這い回っている。

 それは同時にいくつも存在し、僕の顔をドロドロになめ溶かし、首筋、胸、お腹、脚、そして下腹部を這い回っていく。


 気持ちが悪いなんてことはない。

 甘ったるい匂いは相変わらずだが、とてつもなく気持ちがいい。

 熱心に僕の顔を舐めていたモノに触れ、優しく撫でてみる。


「タケル……貴様はまだ寝ていろ。私達にすべてを任せるがいい……」


 まるで母親のような、優しい優しい声音だった。

 僕は夢うつつの中、子供のように「うん」と頷いていた。

 そうしたら頭を撫でられた。ああ……嬉しいなあ。



 *



 ゆらゆら、ゆらゆらと、視界が小刻みに上下していた。

 まるで揺りかごに揺られているような心地よさだった。


 どこか遠くで誰かが泣いている。

 でもそれは悲しいから泣いているのではない。

 切なさ? 嬉しさ?


 高い山の上に登りつめるように、次第に悲鳴は甲高いものへと変わっていき――唐突に、まるで滑落するかのような悲鳴へと変わった。


 長い長い絶叫だった。

 それと同時に僕の下腹部で何かが爆発した。


 身体が真っ二つに引き裂かれるような衝撃。

 僕は無意識に全身を仰け反らせ、痙攣しながら爆発の余波を放ち続ける。


 ドッと、何かが覆いかぶさってきた。

 わからない。何かはわからないがとてつもなく愛おしい。


 口に蓋をされるのも構わない。

 いくらでも受け入れられる。

 これは離したくない。



 *



 もう何度目の爆発だろう。

 十回? 二十回? もしかしたら百は越えているかも。


 全身が絶え間なくドロドロで、ずっと甘く痺れていて、そして爆発を繰り返す。

 意識や理性なんてとっくにない。

 自分と他人の境界もなくなっていた。


 耳の奥で鳴き声と悲鳴だけが止まない。

 泣き止んで欲しいのに、どうにかしようと藻掻く度に鳴き声は大きくなり、頑張れば頑張るほど悲鳴は幾度となく上がっていく。


 わからない。

 僕は一体何をしているんだ。

 母親の胎内に抱かれているようでいて、宇宙開闢の瞬間に放り出され、生身で翻弄され続けているような気もする。


 だがやがて、静謐が訪れた。

 全てが終わり、時間の流れさえ停止してしまったように、誰も彼も、悲鳴も、爆発もやってこなくなった。


 もう、いいのか。

 これでお仕舞いなのか。

 お終いにしていいのか。


 ようやく眠れる。

 さすがに疲れた。


 底なしの闇の中に、僕の意識は沈んでいった。



 *



 ひんやりとした夜気が払われ、朝の光が部屋の中に注がれていた。

 覚醒した僕はしばし、ボーッと天井を眺めていた。


 全身がダルい。そして汗で気持ち悪い。

 喉がヒリヒリする。とてつもなく喉が乾いていた。


 水でも飲もうと身体を起こしかけて、指一本動かせないことに気がついた。

 なんだ、どうしちゃったんだ僕は……。


「ん……タケル、おはよう」


「おはようございます」


 反射的に挨拶する。声はガラガラだった。

 胸元に目をやると、裸のセーレスがほんのり顔を赤らめながら僕を見上げていた。

 え、あれ、なんだ、どういうことだ……?


「ようやく起きたか。まったく貴様というやつは……」


 右の肩の上にエアリスが頭を乗せている。

 どこか疲れたような、それでいてすっきりしたような表情だ。

 汗が乾いて額に髪が張り付いているのが見えた。


 と、いきなり頬を抓られた。

 僕の左腕を枕にした心深だった。


「変態……ケダモノ……死ぬかと思ったわよバカ……」


 それは罵倒というより、拗ねて甘えた子供のような口調だった。


 はああああああああああああ!?


 僕は混乱した。

 何なんだこれは。

 一体昨晩何があったというのだ!?


 ちなみに、指一本動かせなかったのは、左右の女性を同時に抱きしめ、なおかつその指が抱きしめた彼女たちの指に絡め取られていたからだ。これは……なんか両脚も左右から脚を絡められてガッチリとホールドされてるっぽい?


 僕が動かせるのは首から上のみ。

 そうして見渡してみれば、右肩に頭を預けたエアリス(全裸)、胸の上にちょこんと乗っかったセーレス(全裸)、左腕に恥ずかしそうな心深(全裸)という有様だった。


「腹が減ったな。とりあえず飯の前に風呂に入るか」


「さんせー。エアリスと心深も一緒に入ろう」


「……ふたりともよく動けるわね。私全身がバラバラになりそうなんですけど」


 そうしてエアリスとセーレスに肩を借りながら、心深たちはバスルームへと消えていった。


 全裸の女性三人を見送った僕もまた、全裸のままベランダへと出た。

 顔を出したばかりの太陽は何故か黄色かった。

 そして体中に残る女性三人分の匂いやら汗やら体液やら諸々……。


 僕は倒れ込むようにプールへとダイブした。

 キンと冷えた水温が、火照った身体に心地良い。


 そのままプカリと浮かび上がり、顔だけ出したまま僕は呟いた。

 これはかの有名な映画の台詞で、自分自身をどうしようもなく蔑むときにはうってつけの言葉だった。


「最低だ……俺って」


 まさか初めての大切な夜が、ゲストを迎えての『ファンタスティック・フォー』になってしまうだなんて。しかもしかも、避妊をした記憶が一切ないのだ。はっきり言ってホラー以外の何物でもなかった。


 ああ、あああ、ああああッ!

 ブクブクブクっと、プールの中でのたうち回りながら、聖剣の力を使って時間遡行が本気でできないかと考え始める。


 そんな風にして、僕らの大切な、最高にして最低の初夜は終わりを告げたのだった。



 *



 おまけ。


「昨晩はお楽しみでしたねお客様」


 チェックアウトの際、支配人と思わしき壮年の男性がニコニコと揉み手をしながら話しかけてきた。なんだおい、そんなこと本気でいうなんて正気かこのジイさんは。


「ところで昨晩、私共スタッフが宿泊台帳になかった女性がひとり、お客様と一緒にお部屋に入っていくところをお見かけいたしまして。ええ、このようなことを言うのは野暮かもしれませんが、宿泊人数が増える場合は事前に言っていただけると次からは助かると言いますか……」


「払います。一人分。今、現金で。申し訳ないです……」


 あと僕が汗を流したプールの水は魔法で全部入れ替えておきましたよ。

 余った水は浄化して海にポイしたから大丈夫だろう。


 ドロドロのベッドはセーレスが、濃密な匂いが立ち込める部屋の空気はエアリスが浄化してくれた。


 そして心深は何故か、北海道のホテルに戻り、ひとりで帰るのが嫌だと駄々をこねたため、僕らと一緒のフライトで東京に帰ることになった。北海道のホテルの荷物は後で事務所に送ってもらうらしい。


 今はエアリスの洋服を着て、上機嫌な様子で那覇空港のお土産コーナーで買い物をしている。ちなみにお土産代も飛行機のチケット代も全部僕持ちだった。


「おまえ金持ちだろう、あとで返せよ」というと、「あたたた、まだあんたのがアソコに入ってる気がする。昨晩は激しすぎて本当に殺されるかと思ったなー」などとお腹を抑えながら大声で周囲に宣伝しやがる。


 まわりの人々はニヤついた目で僕らを見やがるし、何故か心深はセーレスとエアリスと仲良しになってしまったようで、あーでもないこーでもないとニコニコしながら土産を物色している。


 そんな三人を眺めながら、本当にこれでよかったのだろうかと自問する。

 いや、多分よくはないのかもしれない。道徳的に考えて僕がしたことは最低のはずだ。


 でも誰も泣いてはいなかった。

 セーレスとエアリスはもちろん、ふたりを選んだことで泣いていたはずの心深も今は心から笑っている。


 じゃあこれでよかったのかというと、よくわからない。

 ただ男としてこれだけは言える。

 ぶっちゃけ生涯最高の夜でしたと。


 さて、そろそろ魔法世界マクマティカに帰りましょうかね。


【生涯最高にして最低の夜篇】了。


【ピカレスク・ニート】完。

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