第420話 生涯最高にして最低の夜篇⑪ 愛しいふたりとの夜の過ごし方〜不穏な電話を受ける龍神様

 * * *



 フェス会場の舞台袖から腕を組みつつ、担当アイドルの出番を見守る敏腕マネージャーのような雰囲気を醸し出していた僕は、彼女が持ち歌を歌い終えるのを見届けるなり脱兎のごとく踵を返した。


 心深は調子に乗って二回のアンコールをこなしていた。進行がタイトなフェスではあるが、ちゃんとアンコールの時間までも計算して作られているとは初めて知った。


 尺が長くなって全体の進行が遅れればフリートークを削り、逆にアンコールがかからず全体が短くなれば、フリートークを長めにしたり、アーティストに持ち歌を多く歌ってもらったり、臨機応変に対応する。


 もはや僕をすっかり心深の恋人兼自分の後継者として認識した例の女性マネージャーさんは、事あるごとにそのような知識をレクチャーしてくる。勉強にはなるが勘弁して欲しい。


 さすがに三度目のアンコールが掛かる前に、心深は素早く退場。進行も次へと移り、熱気が冷めやらぬ会場からはブーイングが漏れていた。


 というわけで僕の背後には僕を追いかける心深の姿が。捕まるわけにはいかない。あいつ、もしかして何か勘付いているかもしれない。


 午前中に抜け出すときも苦労した。今捕まれば、二度と離してもらえないかも……。


「待ちなさいよ! どこに行こうっていうの!?」


 おお。考えながら走っていたら追いつかれてしまった。そんな踵の高いブーツでよく走れるものだ。


 僕は懐からスマホを取り出し、振り返りながら指をさす。仕事仕事、みたいな感じで。


「知らないわよ! もう絶対逃さないから!」


 それはマネージャーとしてだと思いたい。

 あまりに必死過ぎて、まるで僕を一生涯逃さないとでも言っているように聞こえる。


 関係者入り口から外に飛び出すなり僕は、周囲に人気がないことを確認して魔法を展開。全身を水の魔素でミラーコーティングしながら風を踏んで飛び上がる。


「はあはあ、ちくしょう……逃げ足早っ! 元ニートの分際で!」


 遥か眼下から心深の怨嗟が聞こえてくる。

 だが許せ。今説明してる暇はない。季節外れとはいえ、沖縄の穴場のビーチに水着の美少女がふたり……なにも起こらないはずはなく。


 もしも、彼女たちがナンパでもされていたら僕は――!


「開門!」


 さらにさらに風に乗り、北海道の形がわかるほどの空の高みに到達してから、僕は心の鞘から刃を引き抜く。


 待っててくれ、セーレス、エアリス。

 今戻るぞ……!



 *



「――ッ、おおおおお!?」


 気がつくとそこは一面の海だった。

 着水までゼロコンマ。

 僕は己の失敗を甘んじて受け入れて入水を決意する。


 真希奈が居ないとどうしても大雑把な移動しかできない。ビーチに出ようとして、海面上空に出てしまったようだ。慌てていたのもまずかったのだろう。


 ザバンッ、と盛大な水柱を立てて没する。

 だが豊富な水の魔素を操り、すぐさま上昇。

 水中発射管から飛び出したミサイルのごとく、僕は雄々しく海面へと躍り出た。


「――ぷはっ、待たせたな!」


 ビーチに到着すると、そこにはポカンとした顔で僕を見つめるふたりの姿があった。


 パラソルを立てたシートの上にはセーレス特製のウォータークッションに仰向けになるエアリスと、その直ぐ側で砂の城を着々と建立中のセーレスがいた。


「タケル、どうしたの!?」


「何があった? それにその姿は一体……」


 しまった。

 水着姿のキミたちを心配するあまり、ホテルにも戻らずスーツ姿のまま来てしまった。しかもずぶ濡れで海から現れるという奇行っぷりである。さしものふたりも驚きを隠せないようだった。


「やっぱりタケル、何か変だよ。本当は私達と遊んでる暇、ないんじゃないの?」


「それはこの世界での正装だったな。貴様、私達に隠れて何をしているのだ?」


 あと飲み物もないし……、とセーレスに呟かれ、僕は自分の不甲斐なさを恥じた。


 なんのために沖縄の海までやってきたというのか。少なくともふたりを不安にさせるためでは断じてない。


 僕はびしょ濡れのまま無言でふたりに詰め寄り、しっかと抱き寄せた。左腕にセーレス、右腕にエアリスと。


 突然の抱擁に戸惑っていたのも最初だけ。

 やがてクタッと力を抜き、僕へと身体を委ねてくる。


「もう、もう……! こんなことしても誤魔化されないんだから」


 などと十分に誤魔化されいてるセーレスが赤ら顔でむくれている。


「たかが抱擁一つで……私も安い女になったものだ。貴様のせいだぞ」


 対するエアリスはとても穏やかな顔で僕の背中に手を回してくる。


「すまなかった。だけど大丈夫だ。今夜はでかけることはもうないから」


「本当?」


 セーレスが、まるで捨てられることを恐れた子供のような目で見てくる。ああ、やっぱり僕がいなくなることで、こんな顔を彼女にさせていたのか。


「本当だとも。ずっと側にいる。約束するよ」


 それはなにも今日だけに限ったことではない。

 僕の命が尽きるのが先か、それとも世界が――この宇宙が終わるのが先か。


 どのみち、キミたちが終わるその時までずっと――


「言ったな。違えることは許さん……私とセーレスが証人だ」


「もちろん」


「約束を破ったらひどいんだから」


「ああ」


 そのときの僕らは、心と心が通じた気がした。

 今までより以上に強く響き合った。


 多分この後、何十年も何百年も経って思い出せば、きっとこの瞬間こそが、僕たちが本当の夫婦になった瞬間と言えるだろう。


「よし、一旦ホテルに戻ろう。次の予定が迫ってるんだ」


「次の予定?」


「今度は私達になにをさせるつもりだ?」


 全身ずぶ濡れた僕をエアリスの風が瞬時に乾燥させる。手早く荷物をまとめ終えると、トートバッグをセーレスが、畳んだパラソルをエアリスが奪っていった。


 両手がフリーになった僕の両隣に立ったふたりが自然な仕草で手を繋いでくる。ふたりに引っ張られた僕は、慌てて追いつき、歩幅を合わせた。


「ああ、日頃からふたりにはがんばってもらってるから、エステを予約しておいたのさ」


「なんだそれは?」


 もしかしたら向こうの世界でも、王侯貴族なら似たようなことをしているかも知れない。でも魔族種領では聞いたこともない。


「セーレスにはいい勉強になるかもしれない」


「なになに、按摩とか整体?」


「近いけどちょっと違うかな。まあお任せでお願いしていたから、細かいことは気にしなくていいよ」


 まあふたりには本来必要ないものかもしれない。

 むしろエステティシャンがお金をこちらに払ってくるレベルのふたりだ。


 だが普段と違う環境で、普段と違うことを体験させてあげたい。全身コースは大変値が張ったが後悔はない。


「あ、そういえば僕がいない間、大丈夫だったか?」


 穴場のビーチとはいえ、こんなタイプ別に特化した美少女ふたりが水着でいるのだ。ナンパなどはされなかったかと聞いてみる。


「え、そんなの居なかったよね。ねえ、エアリス?」


「まったくだ。貴様の居ない間、そのような不埒者どもは手打ちに――いや、居なかったとも」


 ゾクっと僕の背中が泡立った。

 しまった、と思った。


 僕が居ないことで警戒レベルをマックスにまで引き上げた精霊魔法師ふたりなのだ。彼女たちの心配より、身の程知らずのナンパ男どもの心配をするべきだった。


 さすがに殺してないよね。

 などとは恐ろしくてとても聞けやしないのだった。



 *



 その夜の夕食は豪勢に、ホテル近くの沖縄料理店で行われた。


 地元の人たちも集まる大衆居酒屋的な店ではあるが、個室の予約が取れたので、ホテルで上品なフルコースを頼むよりもいいかと思いこちらを選んだのだ。


「すっごいごちそう……!」


「どれもこれも初めてみるものばかりだな!」


 並べられた料理はゴーヤチャンプルー、トンファン、ミミガー、チム汁、海ぶどうにソーキそば、沖縄おでんなど、地元の名物料理の数々だ。


 とにかくメニューにあるものを片っ端から頼んでみた次第である。


 お米を貨幣として畜産を禁止していた本土とは違い、沖縄には昔から食肉の文化がある。特に豚肉を使った料理が多く、セーレスなどは目をキラキラと輝かせている。


 対するエアリスは料理人として初めて見る料理をギラギラとした目で見ていた。恐らく自分の技術で再現が可能か、特別な調味料が必要なのか、などを考えているのだ。


 ふたりとも、いつかの温泉慰安の時に買ってあげた可愛い私服姿だ。淡い電球色が照らす間接照明の個室で、テーブルを挟んだ僕の向かいに座っている。


 まるでそれ自体が光を放っているかのように、ふたりの髪も肌も唇も爪も、何もかもが輝いて見える。


 直前までふたりは、ホテルが用意する完全予約制全身エステを受けていたのだ。


 ヘッド、フェイシャル、ボディ、フッドと、体中余すことなく磨き上げられたふたりは、全身を上気させたしっとりツルツルたまご肌で僕の前へと現れた。


「私、勉強することが増えたかも!」


 セーレスならそう言うだろうと思っていた。

 彼女の知識向上に役立ってくれるなら大金を払ったかいもあっただろう。


「まったく、同性だったからよかったものの。他者に肌を許すのは慣れないものだな……」


 プルンプルンのトゥルントゥルンになった顔で、エアリスがそっぽを向く。褐色の肌がまるで鏡面処理を施されたように光を反射している。僕は思わずその頬に手を伸ばしていた。


「おお、しっとりしててモチモチだ。手に吸い付くみたいだ!」


 これが本当に同じ生き物の肌なのかと思ってしまう。今のエアリスに比べたら、僕の肌など靴の底にも等しいだろう。


「タ、タケル……!」


 気がつけばエアリスは顔を真赤にして、潤んだ瞳で僕を睨んでいた。胸が上下して息が荒い。触れた頬は焼けるように熱くなっていた。


「エアリスばっかりいいなあ。タケル、私も触ってよ」


「よ、よし。どれどれ」


 つ、と目をつぶり、顎を反らせてくるセーレス。

 ありがとうございます。どう見てもキス顔です。

 なので思わず指先でプルプルの唇に触れてみる。


「ふえ?」


 エアリスの頬に負けないプルプルした感触。

 ただ弾力ではこちらに軍配があがる。

 ずっと触っていた気分だ。


 と、何を思ったのか、セーレスは「はむ」っと僕の指先を咥えた。


「セーレス!?」


「ふふふ、ひゃふるの、ふひー」


 趣旨が変わってる。

 だが抗えない。


 上気した肌よりも、セーレスの口内はずっと灼熱だった。そしてさらに熱く滾った舌が、僕の人差し指を舐め回してくる。


「こ、こら。今からごはんに行くっていうのに駄目でしょう」


 何が駄目なのか具体的に口にすることはできないが、セーレスは「もっと食べたかったのに」と不満顔だ。


 そしてエアリスはセーレスの唾液がついた僕の指先をじっと見つめている。対抗しなくていいから。セーレスなら無邪気ないたずらで許されるが、エアリスが同じことしたら見た目がとってもエッチになるからね。


 というようなことがあり、僕らはホテルのロビーに併設されたリラクゼーションコーナーから、町にある沖縄料理のお店へとでかけたのだった。



 *



「いただきまーす!」


「いただきます」


 我が家で習慣化した食べるまえの挨拶。

 もちろん食べたあとの「ごちそうさま」も含めて定番だ。


 ちなみにこれらに対応する言語が魔法世界マクマティカにはなかったので、日本語で「いただきます」と「ごちそうさま」が敢行されている。


「むぅ、これは……!」


 エアリスが最初に選んだのはラフテーである。

 黒砂糖と醤油、泡盛でじっくり煮込んだ豚肉の塊は、口の中に入れただけで溶け崩れてしまう。


 エアリスは達者になった箸使いで口に運ぶと、目を見開いて咀嚼を始めた。まるで舌先で肉に染み込んだ味を細分化するようにコクコクと頷いている。


「柔らかさもさることながらコクが深いな。これは煮込む前から下処理を施しているのだろう」


 正解だ。

 肉を柔らかくするのは泡盛の仕事であり、泡盛は日本酒よりもアルコール度数が高いため肉の下ごしらえに適しているという。


「こっちも美味しいよ!」


 出た。

 セーレスが食べているのは「てびち」である。

 つまり豚足を煮込んだコラーゲンたっぷりの料理だ。


 ちなみに脂質は普通の豚肉の部位、例えばロースなどに比べて低い。これも下処理で一度茹でてから煮込むので、匂いもカロリーも抑えられるためだ。


 まあセーレスはまったくそんなこと気にしないだろうけど。


 彼女と出会い、一番最初に食べさせてもらったのが何やら蹄のついた豚足状のアレな食べ物だったなあと思い出していると――


「タケル、これはなんという食材だ?」


 お次にエアリスが食指を動かされたのは海ぶどうが乗ったサラダだった。我が家でももちろんのことサラダは野菜盛りと称して毎回の食卓に登る。


 アウラとセレスティアが「うへえ」などと言い、苦労しながら食べている。


「それは海藻の一種だな。エアリスが作ってくれる味噌汁に入れるワカメがあるだろう。あれの仲間だ」


「そうなのか。それにしては色も形も食感も違う……美味いな」


 別名グリーンキャビアとも呼ばれる沖縄以外の海域ではほとんど見られない貴重な海藻だ。ミネラルと食物繊維が豊富で、美容にもってこいの食材である。


 テーブルに並べられた料理はあっというまになくなっていく。セーレスは言うにおよばず、普段はみんなの食事の世話に回っているエアリスも遠慮なく箸を動かし続けている。


 そして食いも食ったり。

 おかわりの分も含めると、軽く十人前は食べたのではないだろうか。


 お店の人も空いた皿を下げる度に、ギョッとしながら料理を運んでくれていた。


 あまりの健啖っぷりに気を良くした店主が、なにやら箱に入ったおみやげをエアリスに渡している。


「これはかたじけない」などとエアリスが言うと、白髪のおばあちゃんが「しにチュラサンな人ねうんじゅや。そちらの人もうじらーさんわ」などと言いながらニコニコ笑っていた。


「タケル、何を言っているのかわからん。未知の言語か?」


 ああ、沖縄弁だ。多分綺麗だね、とか可愛いねとエアリスとセーレスを褒めてくれたんだよ、と教えてあげた。


 さすがに季節柄、夜道は肌寒かった。

 それでも、手をつないで帰る僕ら三人には関係がなかった。


 車の通りもまばらな国道を歩いてホテルに戻るまでの間、僕らはずっと無言だった。


 とはいえ気まずいわけではない。なんだかふわふわとした雰囲気が漂い、心が浮ついてしまっているのだ。


 左隣のセーレスを見やればバチッと目が合う。

 途端彼女は俯いてしまうが、外灯の下を通る時、顔が真っ赤になっているのが見えてしまった。


 僕は間髪置かず右を向いた。

 バッ、とエアリスの銀髪が翻り、今慌てて顔をそらしたのが丸わかりだった。僅かに覗いた首筋の後ろ――うなじは赤く火照っていた。


 この心地よさがいつまでも続いて欲しい。

 だが、もうすぐホテルに到着してしまう。

 そうしたら終わり――いや、ようやく始まるのだ。


 今夜、僕は大人になる。

 セーレス、エアリスと一緒に。

 誰にも邪魔はさせない。


 立ちはだかる者があれば、僕は持てる力の全てで粉砕するだろう。


 誘導灯に従って、エントランスまでの緩やかな坂を登っていく。ロビーに入ると、受付のお姉さんが無言で会釈をしてくれる。


 ここのホテルは各部屋が完全に独立した作りになっており、その中でも僕らが泊まる部屋はかなりグレードが高い。


 リビングから自由に入れるプールも着いているし、キングサイズのベッドがダブルで置いてあるため、家族4〜5人で寝られる。


 もちろん今夜はひとつしかベッドを使うつもりはないのだが……。


「はあ、ちょっと食べ過ぎちゃったかなあ」


「そなたの食い意地は相当なものだな」


 セーレスとエアリスは、部屋に入るなり、僕の手を離し、自然な仕草でベッドの方へと腰掛けた。


 僕はリモコンを操作し、ベッド前のカーテンを開く。そこは全面ガラス張りで、淡い色に照らされたプライベートプールが横たわり、その向こうには東シナ海を望む夜景が広がっている。


「えー、エアリスだって結構食べてたよ」


「む。確かにな。どれもこれも食べごたえがあって美味かった」


「美味しかったよねー。あれ、全部あのおばあちゃんが作ってるんだって」


「そうだったのか。味わいに年季が感じられた。私にはまだ出せない味だった」


「そうかな、エアリスの料理も全然負けてないと思うけど……」


 ふたりの会話を耳にしながら、僕は高鳴る心臓を鎮めようと努めていた。


 焦るなと、夜は長いのだからと。僕も含めてふたりはかなりの量を食べていた。それでいきなりアレをするというのもどうなのかと思ってしまう。


 気持ちとお腹を落ち着ける意味でも、しばし歓談しようじゃないか。


「あー、ふたりとも、少しプールの方に出てみないか。夜景を見ながらお酒でも飲もう」


「わあ、いいねそれ。私、お酒って飲んだことないんだよねー」


「酒か。普段は味覚が鈍るから飲まないが、今日くらいはいいか……」


 ちなみに。

 僕はこの世界では未成年ではあるが、仕事上こちらでの扱いは成人となっている。正式な身分証もあり、もちろん百理に頼んで作ってもらったものだ。


 セーレスは実年齢は60歳以上で問題ないし、エアリスはそもそもこの世界の人間の法律は適用されない。どちらにしろ僕らは全員合法でお酒が飲めるのである(重要)。


 ただし、見た目は僕とエアリスは成人ギリギリか若いくらいに見えるし、セーレスに至ってはまるっきり中学生くらいだ。なので外で飲む時は周囲に誤解されないよう飲まないと決めている。沖縄料理を食べている最中もずっとノンアルコールだった。


 プライベートプールがあるベランダに出ると、セーレスは真っ先にプールサイドに座り、足を浸してパチャパチャさせ始める。


 エアリスはビーチチェアに身体を預けてすっかりくつろぎモードだ。


 そういえば、と僕は沖縄料理店のおばーが持たせてくれたお土産を開ける。


 箱の形状からわかっていたが案の定泡盛だった。一応僕らの中では一番年長に見えるエアリスに渡してくれたのでもしかしたら、と思っていたのだ。


 ラベルには「琉球王朝古酒くーす」と書かれている。これってかなりいいお酒では?


 とりあえず僕は、三人分のグラスと氷を用意する。冷蔵庫の中から取り出した氷を取っ手のついた氷入れに移し、美しい文様の琉球グラス三つと一緒にお盆に乗せる。


 ごそごそと用意をしている際、ふと気になったので、ベッドルームにあるサイドチェストを開けてみる。


 そこには大入りのティッシュボックスと一緒に、避妊具的なアレの箱が大中小サイズ取り揃えられていた。


 僕は「ふっ」と笑みをこぼすと扉を閉じる。今日は必要ない。必要ないのだ(重要)。


「ほら、用意できたぞ」


「ありがとうタケル!」


「すまんな、そなたに任せてしまって」


 エアリスでは地球の家具や食器棚に慣れていない。自宅でもない出先なら尚更だ。ここは適材適所、僕が用意するのが正しい。


「気にするなよ。今日はそもそも日頃のふたりを労うために来てるんだから。もっと甘えてくれていいんだぜ」


「まったく……、ただの元ヒト種族が頼もしい男になったものだ」


「本当だねえ。出会った頃とは大違いだよ」


 昔の話はやめてくれませんかね。

 自分でも思い出すと、結構やらかしまくってて恥ずかしいんだから。


「これ、さっきの店のおばあちゃんが持たせてくれたお酒な。強いお酒だから一気飲み厳禁。絶対だぞ」


 そもそも酔いつぶれてしまっては元も子もないのだ。それだけは注意しなくては。


 僕は氷をグラスに二〜三個ほど入れてから瓶を傾ける。トットット、と心地のいい音がしてグラスが満たされていく。飴色の液体が、琉球グラスの濃い青色を映して煌めいている。


「うわあ、綺麗……。また食べに行きたいねあのお店。今度はセレスティアやアウラも連れて」


「そうだな。ではいただくとしようか。タケル、地球ではこういうときカンパイというのをするのではないのか?」


「そうだな、それじゃあ僕らの初めての夜に……」


 などと口にしてから後悔する。

 セーレスもエアリスも途端顔が赤くなったからだ。


 でももう後には引けない。今日の僕はかっこ悪くとも、みっともなくとも前に進むしか無いのである。


「乾杯」


「かんぱーい」


「カンパイ……」


 チン、とグラスを合わせてセーレスはグイッと、エアリスはスーッとお酒を飲む。僕もちょっとだけ舌に馴染ませる程度に飲んでみる。


「おいしー、するする入ってくよー」


「うむ。まろやかで飲みやすいが、かなり強いな」


「そ、そうか。口にあったようでよかった」


 まっず。いや、ふたりは美味いと言っているから、お酒としてはかなり上等な部類なのだろう。


 ただひたすら僕の舌だけがお子様仕様になっているようだ。今後飲み慣れていかないとなあ。


「はー、なんか夢みたい」


「なに? セーレス?」


 グラスを持ったまま、足をブラブラとさせているセーレスが、ポツリと僕らにも聞こえるように独りごちた。


「なんかね、私時々思うんだ。本当はこれ、全部夢の中のできごとなんじゃないのかって」


 セーレスはアダム・スミスによって無理やり地球へと連れてこられた。その結果待っていたのは「死」だった。


 この世界にとって異物でしかない彼女は、世界そのものから殺されかかっていた。現代医学の粋を集めても衰弱していき、余命幾ばくもなかった。


 ところがそんな彼女を救うため、セレスティアという精霊が具現化し、アクア・ブラッドの中にセーレスを封印したのである。


 封印されている間、セーレスは長い長い夢を見ていたという。


 過去・現在・そして未来の夢を見続け、今自分が感じている幸せもまた、そんな夢の続きなのではないのかと、そう言っているのだ。


「ばーか」


 僕は容赦なく後ろからセーレスの脇の下に手を入れ持ち上げる。そしてそのまま自分の方へと抱き寄せた。専門用語でいうところの「あすなろ抱き」ってやつだ。


「バカってひどい。タケルのバカ」


「いや、今の発言に関してはセーレスが悪い。お前を取り戻すために僕もエアリスもどんだけ苦労したと思ってるんだよ」


 僕なんか国際テロリストの汚名まで受けて、終いにはついでで世界を救う羽目になったんだぞ。


「ここは紛れもない現実だ。この確かな温もりを嘘だなんて言わせない」


「うん、そうだね……。ねえ、もっと強く抱きしめて」


「お安い御用だ」


 後ろから首筋に顔を埋めてハグする。

 ひだまりのような匂いをたっぷりと吸い込む。


 セーレスは足を宙に浮かせたまま脱力し、僕に全てを委ねてくる――かと思いきや、両手を広げて手招きする。


「わ、私か?」


 今まで眩しいものを見るように、空気に徹していたエアリスが驚いた声を上げる。


「タケルだけじゃ現実感が足りない。エアリスにも抱きしめてほしい。夢じゃないって証明して」


 エアリスは困った顔をしながら僕を見た。

 いまさら何を遠慮してるんだよ、と僕は頷いた。


「で、ではお邪魔する」


 おずおずと、セーレスの正面に回ったエアリスが両手を開く。セーレス、というより僕の背中に腕を回しながら、ピッタリとセーレスに覆いかぶさる。


 僕とエアリスでセーレスをサンドしながら、しばしそのままで立ち尽くす。そうすると、深い吐息とともにセーレスがつぶやいた。


「ああ、夢じゃないね。本物だね。よかった……」


 グスっと、鼻をすするセーレスを、僕とエアリスはことさら強く抱きしめた。もう二度とそんな馬鹿なことを言い出さないように、もう二度と離しはしないようにと願いを込めながら。


 そうしてどれくらい抱き合っていただろうか。

 ペタッと合わせた僕の胸とセーレスの背中が汗ばむくらいの時間だ。


「うん……」とセーレスが動いたのを切っ掛けに、僕ら三人はそっと離れた。


 赤く呆然としたエアリスの顔が至近にあって、僕らは自然なしぐさでキスをした。すると下からグイッと襟を引っ張られ、セーレスともキスをする。


 そして最後はセーレスとエアリスがキスをして、僕らは完璧になった。


 お酒やグラスを置いたまま、僕らは部屋の中へと向かう。サイドランプだけが灯るベッドルームへと――


 無粋なコール音が鳴り響いた。

 セーレスとエアリスは虚を突かれたような、びっくりした表情になる。僕は腰砕けになりそうだった。


「あー……、タケル?」


「貴様のスマホだな」


「何故だ……?」


 僕の知り合いで今夜用事のあるものは誰も居ないはずだ。ちなみに、幼馴染様の番号はフェスの出番を見届けてから着信拒否にしている。


 それ以外にコールしてくる者は誰もいないはずなのだが……。


「タケル、やっぱり私達のために無理してる?」


「私達なら大丈夫だ。夜は長い。いつまででも待っているぞ」


「すまん。本当に悪い……!」


 僕は急ぎ、トートバックに突っ込んだままになっていたスマホを手に取る。着信は見知らぬ番号からだった。


 ますます疑念が湧く。この番号を知ってるものは限られる。


 知っている連中ならすべからく登録しているので、身内以外にはかかってくるはずはないのに。


 何かのいたずら電話だったら、後日真希奈に逆探させてボコリに行ってやる。僕は通話ボタンを押した。


『やっと繋がった! 成華くん!?』


 まったく聞き覚えのない声だと思ったがそうじゃない。通話越しには初めて聞いたため反応が遅れた。


「あ、マネージャーさん?」


 絶賛着拒中の幼馴染様のマネージャーさんだった。


『今どこにいるの、探してたのよ!』


「いや、何度も言いますけど僕の仕事は終わりましたので。もうあとは東京に帰るだけで――」


『心深が大変なの!』


 僕に最後まで言わせず、性急に叫ぶ。


「は? 一体何が――」


『とにかく、宿泊中のホテルに戻ってきなさい! 大至急よ!』


 それだけ言うと、マネージャーさんは通話を切った。事情説明もなにもなし。後味の悪さだけが残った。


「タケル、大丈夫?」


「ん、ああ……別に大したことはないよ」


「とてもそうは思えなかったがな。心深とは綾瀬川心深のことではないのか?」


 うわ、エアリスには聞こえていたか。

 音とは空気を振動して伝わる。彼女が少し意識を傾けただけで、この部屋の風の魔素が彼女に音を届けてしまうのだ。


「あやせがわ……? タケルの知ってるヒト?」


「地球にいた頃の幼馴染だそうだ」


 できればセーレスには知られたくなかった心深の情報が、エアリスを介して共有されていく。ことここに至り、僕は認めるしかなかった。


「確かに認める。僕はふたりとの旅行中、幼馴染の心深と会っていた。でもそれは、あいつが魔法関連で問題を抱えていたから相談に乗っていただけだ。僕にとって何より大事なのはふたりの方なんだ……」


 言い訳がましく聞こえるかもしれないが本心だった。どちらか選べと言われれば、僕は間違いなく心深を切り捨てる。


 それがどれだけ彼女を絶望に突き落とすことになろうとも、僕にはもうセーレスとエアリス以上に大切な女の子なんて居やしないのだ。


「うん、知ってる。だから行ってあげて」


 あっけらかんと言われた言葉に、僕は目をむいた。


「え、セーレス?」


「そうだな。我らが伴侶たるタケルという男なら、自分の友人を放ってはおかないはずだ」


「そうそう、なんだかんだって文句をいいながら結局助けに行っちゃうよねー」


 エアリスはすっくと立ち上がると、プライベートプールのテーブルに置きっぱなしになっていた酒瓶とグラスを取ってくる。


「さっさと行って片付けてこい。私はその間、セーレスと酒盛りをしている」


「あ、れーぞーこの中にもいっぱいお酒入ってるよ」


「おお、果実酒ワインもあるではないか」


 ふたりは楽しそうに、新しいグラスを取り出し、お酒を注ぎ始めた。僕が行きやすいようにわざわざ……。本当によくできた妻たちである。


「すぐに戻ってくるよ」


「はーい。待ってるからね」


「綾瀬川によろしく伝えてくれ」


 心の鞘から抜き放った聖剣を室内で振りかぶる。

 切り裂いた空間から極彩の『ゲート』が顕になり、飛び込む直前、僕は振り返った。


「ふたりとも、愛してるから!」


 ぶふっ、とふたり同時にお酒を吹き出すのを見届けてから僕は『ゲート』に身を投じる。


 心深が心配じゃないといえば嘘になる。

 マネージャーさんの様子は尋常ではなかったからだ。


 もしまたレセプションのときのように、権力者に絡まれたというのなら――もう人間ではなく、龍神族の王として対応しよう。


 万が一、心深が怪我でも負っているというなら、セーレスの魔法を込めた治癒石のストックもある。


 早く、一秒でも早く帰るぞ――


 その決意を胸に刻み、僕は雪が舞い散る札幌へと降り立つのだった。


 続く。

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