第419話 生涯最高にして最低の夜篇⑩ フェス前夜・レセプション会場にて〜売れっ子アイドル声優に迫る魔の手

 *



 冷たい空だ。

 それは僕の心の温度と一緒である。


 先程までは熱いもので満たされていたはずなのに、今はこんなに寒々しい。その通り、見上げる空には重たい雪雲が垂れ込めていた。


 ポケットの中にねじ込んでいたストラップのついた関係者IDカードを首から下げる。目当てとなるフェス会場は、屋内のコンサートホールのようだった。


 警備員のいる関係者口から入り、忙しそうに駆け回るスタッフを避けながら控室へと入っていく。


「やっと来たわね!」


 たくさんの声優さんや、アーティストさんたちが、自分の出番を待っている大部屋で、心深の声はよく通った。僕はいらぬ注目を浴びてしまい、げんなりとした顔になってしまう。


「こっちよ。早く来なさい」


 壁際の一画に陣取った心深は椅子に背を預けながら読んでいた台本をひらひらさせて声を張り上げた。僕は憮然とした顔のまま出演者たちの間を縫って心深の元へと向かう。


 子役時代から始まり、声優としてのキャリアはそれなりにある心深は目立った。


 特にここ一年あまり、トントン拍子で大きな仕事を獲得しているため、同業者たちからも探りを入れられるような目で見られている。


 あからさまな嫉妬を匂わせる粘ついた視線が半分。残りの半分は純粋な好意と憧れを含んだものだ。


 声優として成功を収めただけでなく、ふたつの大きな勲章を授与されていることからも、悋気りんきと憧憬の対象になっているのだろう。


「あんたその格好で出歩いてたの? ちゃんと暖かいところにいたんでしょうね」


「ああ、常夏の気分を味わってたよ」


 僅か数分前まで、僕は沖縄の空の下、この手で愛しい女性の柔肌にオイルを塗る寸前まで行っていたのだ。それなのにお前に呼び戻されたせいで、今は暗澹あんたんたる気分だよ。


「なに、そんなに石狩鍋食べたかったの?」


 ちげーよ。


「鍋はこの際どうでもいいんだ。僕が言いたいのは、もう僕の役目は終わっただろうってことだよ」


 昨晩のうちに僕は、心深の魔力暴走を抑えるためのアイテムを渡してある。今彼女の胸で光沢を放っているドルゴリオタイトのペンダントがそれである。


 これは商品にはならない、魔法が込められていないブランク状態のものだった。形もいびつで研磨やカッティングもしていない。ただし護符職人リシーカさんによる刻印はされているため、魔法を感知すればそれを吸収してくれる仕様だ。


 心深自身がこれを身に着けていればどんなに感情を込めて歌っても、その『言霊の魔法』を吸収してくれる。石のキャパシティがいっぱいになる前に交換すれば、彼女の問題は完全に解決するのだ。それなのに……。


「ホントはもっとお洒落なのがいいんだけどなあ。まあこれはこれでもらってあげるわ。なんてったってあんたがくれた初めてのプレゼントだもんね」


「断じてそんな浮ついたもんじゃないぞ」


 昨晩これを渡してからというもの、終始上機嫌なのだこの幼馴染様は。対処療法の一環だというのに、やたらと僕からの贈り物だということを強調する。なんだか後々怖いことになりそうだ。


「でもね、魔法に関して素人の私には本当に効果があるのかわからないし、万が一のことを考えてあんたには側にいて欲しいわけ。わかるわよね?」


 なるほど。全然わからん。

 

 昨晩きちんと実験もして成功したではないか。

 ドルゴリオタイトのペンダントを首から下げた状態で例のマネージャーさんに命令をしてみたのだ。


 その際、普通のお願いをしたのではほいほいお使いに行ってくれそうだったので、絶対に聞いてもらえないような突飛な命令をしてみた。


「ねえマネージャー」


「なに? 猫なで声なんかだしちゃって」


「今すぐ這いつくばって靴をなめて」


「あんたがうちの稼ぎ頭じゃなかったらグーで殴ってるところよ」


 ノータイムでニッコリと返したマネージャーさんの額には綺麗な青筋が浮かんでいた。どうやら実験は成功したようだ。


 心深もその効果に驚き、これなら思い切り歌えると喜んでいたのに……。


「なによ、あんた私のマネージャーのくせになにか文句があるわけ? マネージャーなら私が気持ちよく歌えるように側で見守るのは当然じゃない」


「僕はお前のマネージャーじゃない」


「残念でしたー。昨晩の件であんたは私のマネージャー……というよりボディガードみたいに思われてますー」


 プギャー、みたいなしたり顔になった心深は、僕を指さしてケタケタ笑いだした。あまりにも子供っぽい態度にムカついた僕は、その指をムンズと掴んであらぬ方に向けてやる。


 心深は「なによー」などとニヤニヤしながら僕を指さそうとし、終いには指先で僕の頬をグリグリする。やめろ。


「あ、あの〜」


 僕が手を払いのけると今度は反対の手で……。

 何度かそんなやり取りを繰り返していると、唐突に背後から声をかけられた。


 振り返ればそこには僕や心深よりも小柄な、それでも顔立ちはやや大人っぽいショートカットの女の子が立っていた。


「綾瀬川さん、お疲れ様です」


「あ、冬本さん。お疲れ様です、お久しぶりです」


 悪戯っぽい声で僕をからかっていた心深が、いきなり真面目な声を出した。椅子から立ち上がり、相手の子と一緒にペコペコと頭を下げ合っている。知り合いか?


「ほら、なにしてんの。あんたも挨拶して」


「ああ……、どうも、いつも綾瀬川がお世話になっています」


 マネージャー(断じて違うが)としてあいさつの仕方などわからない。とりあえず頭だけは下げておく。


「いいえ、こちらこそお世話になっています」


 相手の女性は心深より年上だろうか、温和な笑顔と、濁りのない綺麗な声をしていた。


「タケル、こちら冬本真亜沙ゆふもとまあささん。よく現場が一緒になる先輩声優さんなの。これからも顔を合わせると思うから覚えておいて」


 ちょっと待て待て。


「心深、おまえと冬本さんはこれからも付き合いがあるだろうが、正直僕はコレっきりだぞ。いい加減辞めさせてもらう」


 第三者へのあいさつで先程の話を流されてはたまらない。僕は改めて自分の考えを主張したが、返ってきたのは足の甲への鋭い痛みだった。


「すみません、こいつマネージャー歴浅い上に礼儀知らずで。辞める辞めないも持ちネタのひとつですから。あとで私が責任持って調教しておきます」


「あはは、仲がいいんですねえ」


 この人は視力に難があるのだろうか。

 僕らの有様のどこに仲のいい要素があるんだ。


「困っちゃうなあ。やっぱりそう見えます?」


 一ミリも困ってない顔で心深はしきりに頭の後ろを掻いている。どうでもいいけど足どけろ。


「だって、今もお互い名前で呼び合ってるし、綾瀬川さん、先程こちらのマネージャーさんが来た途端すごくリラックスした表情になりましたよね」


「あはは、空気を悪くしてごめんなさい。こいつってば目を離すとすぐひとりになりたがるんで、ずっと来るの待ってたものですから」


「そうなんですか。孤独がお好きなんですね。ちょっぴり影があって格好いいです」


「は?」


 僕は目を丸くした。

 今なんと言った?

 カッコいいだって?


 以前までならコミュ障などと言われたり、社会不適合者やニートなどと言われていた。間違っても『孤独好き』や『影がある』などと、好意的に取られることはなかった。


 だというのに冬本さんは小柄な背丈で見上げながら、僕への賛辞を続ける。


「私と同じくらい……もしかしてもう少し年上かな、すごく大人っぽい方ですね。昨日のレセプションの時も綾瀬川さんのことちゃんと守ってたし、すごく頼りがいがあって……こんな方がマネージャーだなんて羨ましいなあ」


 僕は混乱した。なんだ、この女は何を考えている? 僕を持ち上げておいて、あとで塩かけて食べるつもりだろうか。


 ふと隣を見ると、目を白黒させる僕の様子を心深が見つめていた。さきほどのしたり顔より一層のドヤ顔だった。


 その瞳が如実に「わかった? 今のあんたは周りからそう見えるのよ」と語っていた。


「もしかしてもしかして……おふたりはお付き合いしてたりして?」


「いやちょっと、あんたなぁ――」


 いい加減にしろよと。

 僕は断固たる態度に出ようとして、文字通り心深の掣肘せいちゅうを脇腹に食らう。おふっ、鋭角に抉ってきやがる……!


「あははは、冗談キツイですよ冬本さん。こいつはマネージャーですよマネージャー」


 僕が文句を言おうとするのを足を踏みつけて心深がまんざらでもないにやけ顔で否定している。その手はわざとらしく胸元のドルゴリオタイトを触っており、誘導されるように冬本さんが目を留めた。


「あれ、以前はそんなペンダントしてませんでしたよね?」


「あちゃー、バレちゃいました? これってこいつの手作りなんですよー。何か特別なお守りなんですって。ね?」


「あ、ああ……」


「えー、すごーい! 見せて見せて! うわあ、不思議な色の石! お手製のペンダントをプレゼントしてくれるなんて、大切にされてる証拠ですね!」


 キャッキャウフフと、その後もふたりはガールズトークを続けた。ふたりの和気あいあいとした雰囲気に、大部屋の空気も浄化されていくようだった。


 気がつけば、周囲の出演者――声優やアーティストたちも、好意的な目で僕と心深を見ていた。僕は内心複雑な心境になって、手近な椅子に腰を下ろした。


 心深の出番はまだか。コイツが歌うのを見届けたらすぐに沖縄に戻らなければ。


 時間を潰す間、僕は昨晩のことに思いを馳せる。

 冬本さんが言っていたレセプションのことを――



 *



 昨晩、新千歳空港に降り立った僕らは、ホテルにチェックインするなり、再びタクシーに乗り込んで別のホテルへと移動した。


 フェスとはお祭りだ。

 規模も大きくて当然スポンサーがいる。


 アニメコンテンツを利用した地域活性化の一環として、今回心深が参加するアニソンフェスにも地元から多くの有志が協賛していた。


 レセプション――歓迎会という通り、地元の協賛スポンサーが、前日入りしている出演者たちを集めて大きなパーティを催していた。


 折しも『サランガ災害』によって活気を失った経済を立て直そうと、このようなフェス・イベントは全国規模で、以前よりも活発に行われているらしい。


 そんなパーティ会場に心深が到着すると、披露宴にも使われるホテルの大広間に集まった人々は、万雷の拍手で彼女を出迎えた。


 まるで主役が心深であるかのような――いや、実質的に心深こそが主役といえるのかもしれない。


 サランガ災害時の危険を顧みなかったインターネット放送は、その後の勲章授与を通じてプロパガンダに利用され続けており、日本全国津々浦々、老若男女の垣根を越えて、彼女の勇名は未だに轟いている。


 今回のフェスも心深を呼ぶために企画されという意図があるのだろう。ちなみに心深のツイッターアカウントのフォロワーは、昨年末から現在までで急上昇し1000万人に迫る勢いだとか。

 

『本日は、お招きいただきありがとうございます。このような素晴らしい祝宴の席に皆様ととも参加できることを、心から嬉しく思います』


 外行きスイッチが入った心深がマイクを手に、壇上の上から見事な挨拶を始めた。


 会場にいるのは地元の政治家、テレビ、新聞、ネットなどのメディア関係者、協賛している企業や商店街関係者、そして心深と同じく明日のフェスに参加する出演者とそのマネージャーたちである。


 挨拶の終わりにフェスの主催者である札幌市長から花束が贈呈される。フラッシュの嵐が心深を包み込み、彼女は咲き誇る花びらのような笑顔を見せていた。さっきまで蕩けきった顔でキスをせがんでいた女と同一人物とはとても思えなかった。


 会場のパーティは立食式で、心深は壇上での花束贈呈を終えると、今度はマネージャーさんを伴って、地元有志の元へと挨拶回りを始めた。


 一体どれだけのテーブルを回らなければならないのか、会場を見渡すかぎりでも30席はくだらない。僅か二時間前まで別のイベントをこなし、飛行機で移動してからも、休憩はおろか食事をする暇さえない。


 これが綾瀬川心深の日常なのか。

 僕とて一国を治める王として、以前とは比べ物にならないくらい忙しい日々を送っているが、それでも人々を治める立場に立つものと、あくまで市井の側に立ち、多くの権力者、スポンサーへと顔を売っていなかければならない立場とでは、苦労の桁が違うな、と思ってしまう。


 僕はせいぜい邪魔にならないよう会場の片隅で、懸命に笑顔を振りまくアイドル声優・綾瀬川心深を見守り続ける。


 どれだけそうしていただろうか。

 祝宴のムードはやがて歓談へと移り変わり、北海道の旬のさちを並べた豪勢な食事に舌鼓を打っている。


 心深は依然として飲まず食わずで関係者への挨拶を続けている。やれやれ。まっとうな人間の分際でホントよく頑張るなあ。


 と、その時、会場の入り口が大きな音と共に開かれた。大広間に入ってきたのは小さな男と大きな男の二人組だった。


 小さい男の方は五十代だろう、小綺麗なスーツ姿で銀縁のメガネをしている。それに対して、大男の方は派手なカーディガンをひっかけててニット帽を被っている。一見して只者ではないわかる風貌のふたりだった。


「うわ、誰だよ呼んだの……」


 耳をすませば、会場の各所でそのような声が聞こえた。決して本人たちには聞こえないような声量で、誰もが嫌悪感を顕にしていた。


「や、やあやあ、まさかキミたちが来てくれるなんて驚いたよ」


 先程壇上で花束を贈呈していた市長さんだった。

 すばやく二人組の元へ向かい、顔を青くしながらヘコヘコと頭を下げている。


「秋の特番収録が終わりましてね、打ち上げを近くでやっていたものですから。招待はされていませんが、挨拶だけでもと思いまして。ご迷惑でしたか?」


「いやいや、とんでもない!」


 慇懃な態度でスーツの小男が会場を見渡す。目が合ったのだろう、何人かがビクッと肩を震わせて顔をそらす。顔をそらしたのは地元の有志たちばかり。どうやら相当恐れられている人物のようだ。


「ところで、市長にぜひ紹介して欲しい人がいるんですよ。お願いできますか?」


「も、もちろんだとも。キミたちから会いたいと言えば、地元で喜ばないものはいないさ。さあ、どなたかな」


「ええ、それでは、かの有名な綾瀬川心深さんをお願いします」


 ザワッと、聞き耳を立てていた者たちが色めき立った。市長は「いや、それは……」と言葉を濁している。


「どうしました。市長は今回のフェスの主催者のおひとりだ。招聘したゲストと会わせてはいただけないのですか」


 どうもに雲行きが怪しい。

 僕は魔族種の特別な耳と魔素情報星雲エレメンタル・クラウドを駆使して情報を収集する。


 それによるとふたりは地元テレビ局のチーフプロデューサーとチーフディレクターの立場にあるらしい。


 特にスーツの小男の方は道内のテレビ界隈で多大な影響力を持っているようで、政治家から企業まで、ひとたび彼に逆らえば、自分が不利になる報道をされるばかりでなく、スポンサーや支援者からも支持を失ってしまうとか。


 テレビの力が衰えたとはいえ、未だにその影響力は大きく、実際に彼の胸三寸によってスキャンダルを暴露され、潰されてきた政治家や企業がいくつもあるらしい。


 そして派手派手カーディガンを着たニット帽の大男はそんなプロデューサーの忠実な下僕で、数々のバラエティ番組を演出しながら、彼の手足となって働いているらしい。


 まさか今の時代にこんなコテコテの二人組がいるとは驚きだったが、このようなハイソサエティが集まる場所では、前時代的な風習が未だ強く続いていることを感じさせた。


「お話の途中失礼します。私に御用でしょうか」


 会場全体が息を飲む。

 進退窮まっていた市長がギョッとした。


 現れたのは誰であろう、僕の幼馴染様だった。

 彼女の後ろでマネージャーさんが顔面蒼白になっている。よほど有名人なんだなあの二人。もちろん悪い意味で。


「やあ、初めまして綾瀬川さん。もしかして私のことを存じ上げてくれてるのかな?」


「はい、もちろんです。今回のフェスに招待されるに当たり、関係者様のお顔とお名前は覚えてきましたので」


「はは、なるほど。でも関係者となると、私達の名前が入っているのはおかしい。今回のフェスとはまるで無関係ですからね。よほどマネージャーが優秀なのかな?」


 ちらっと小男が首をかしげ、背後にいるマネージャーさんを見た。彼女はそれだけで魂が抜けたように蒼白となった。


「きちんとリストの中にお名前がありましたよ。要注意人物っていうカテゴリーでしたけど」


 負けじと心深が放った牽制に、背後のマネージャーさんは燃え尽きて真っ白になった。


 張り詰めた雰囲気が支配する会場。固唾を飲む人々の中心、心深の正面に立つ小男は、クックと喉を鳴らした。


「そう邪険にしないでください。私は純粋にあなたのファンなんですから」


 ニッコリと柔和な笑みを浮かべ、小男は心深に対して一礼する。会場の空気が一気に弛緩した。それくらいみんなが、小男の一挙手一投足に注目していたのだ。


「私も昨年のあなたの放送を見ていた口ですよ。あれにはしてやられました。長く番組制作に携わってきたものとして、あれほどまでに刺激的で型破りな放送はお目にかかったことがない。おそらくあの場所で原稿を読み上げていたのがうちの局の看板女子アナだったとしても、あなたのように民衆の心を掴むことはできなかったでしょう」


 綾瀬川心深だったから。僕とは幼馴染であり、そして魔法の世界に深く関わるようになってしまったから。


 僕を信じ、エアリスやアウラ、セレスティアといったバケモノたちに対抗しうる力を持った者たちの存在を胸に秘めていたからこそ、彼女はあの極限の状況下でも取り乱さず、決死の放送を続けることができたのだ。


 そして何より本人の決意と勇気。

 自分ができる最大限の役割を見つけ、躊躇わずに実行する行動力。若さだけでは片付けられない英雄としての資質が、心深には確かにあったのだ。


「テレビに携わるものとして業腹ではありますが、国民に対するあなたの献身には脱帽せざるを得ないと、そう思っているんですよ」


 会場の空気はもとに戻りつつあった。

 最初は恐ろしい男が来たと張り詰めていたものが消え、和やかなムードが漂い始める。


 心深もまっすぐに称賛を贈られ、照れたように顔を赤くしていた。だが僕は油断しない。会場から見聞きした男たちの情報には、決して看過できないものがあったからだ。


「いやあ、それにしても本当に凛としていて美しいですねえ。まさにあなたは日本が誇る宝。いずれ世界に羽ばたく逸材と言えるでしょう。あなたが出演される映画のスポットCM、とても評判がいいんですよ」


「とても嬉しいです。ありがとうございます」


 手放しで褒める小男に恐縮しっぱなしの心深。

 会場も、このまま続くなら拍手でも沸き起こりそうな雰囲気だ。


 だがついに、小男が本性を現す。紳士然とした仮面の下に隠したケダモノの本性を覗かせる。


「どうでしょう綾瀬川さん、これから私共と一緒に仕事のお話をしませんか」


「え――」


 ズイッと、小男が距離を詰める。

 油断しきっていた心深のすぐ目の前に、イヤらしい笑みがあった。


「実は今度新しい音楽情報番組を企画していまして。まずは深夜帯からになりますが。もしよろしければあなたを司会にと推す声が局内にはあるんですよ」


「え、え、ちょっと」


 迫る小男にたじたじになった心深は後ずさるも、そこにはいつの間にか回り込んだチーフディレクターの大男が立っていた。


 テレビマンふたりに挟まれる形になった心深がその場で硬直する。小男がさらに迫る。


「ただまだ企画の段階ですし、今後のことも考えると、お互いにもっと親睦を深めた方がいいと思うんです。どうでしょう、行きつけのお店があるので食事でもしながら是非お話を――」


 このチーフプロデューサーの噂とは、所謂『女喰い』という最悪のものだった。


 道内のテレビ関係者や、タレント、広告代理店の出向社員などなど。この男の毒牙にかかったものは数知れず。


 そのくせ手当たり次第なので、多くの女性たちは春を売って仕事をバーターしてもらうつもりが、結果的にハシゴを外される結果になるとか。そのくせ影響力があるため誰も逆らえず、泣き寝入りをするしかないという。


「みなさん、綾瀬川さんをお借りしても構いませんね?」


 ことフェスに関しては外様の分際で、メインゲストを掻っ攫おうとする小男に、異を唱える関係者は誰もいなかった。


 心深と同じく女性声優の何人かがハラハラした様子で「誰か助けてあげてよ」と周りに訴えかけている。


 それでも地元有志たちから救いの手が差し伸べられることはない。ついにその子達は心深の境遇に同情し泣き始めてしまった。


「問題ないようですね。では行きましょうか。今夜は長い打ち合わせになりそうですねえ――」


 キャーっと女性の悲鳴が。

 小男がドレス姿の心深の肩を抱こうと手を伸ばしたからだ。


 だが、素肌に触れる直前、当然のようにその手首は僕によって掴み取られていた。


「…………どちら様ですか?」


「どうも、綾瀬川のマネージャーその2です」



 *



 フェスの前夜祭であるレセプション会場に現れたのは、地元テレビ局の超大物プロデューサーだった。


 政治家や企業関係者も手が出せない中、その男の毒牙が心深に迫るのを黙ってみている僕ではない。


 自分こそが一番偉いのだと。

 余裕の笑みを浮かべていた小男が初めて動揺していた。


 撫で付けていた前髪が乱れ、額には脂汗が浮かんでいる。僕は男の手首を掴んだまま、ズイッと、心深と小男との間に身体を滑り込ませた。


「申し訳ありませんが、綾瀬川は連日の過密スケジュールのため本日はもう休ませてもらいます。お仕事の話でしたら、後日正式に事務所を通していただけますようお願い申し上げます」


 僕はわざと棒読みしながら傲然と小男を見下ろした。小男の方は動揺を沈めながら、僕を見返す。


 その瞳の奥にあるのは怯え、そして強烈なプライド。自尊心が上回ったとき、小男は目を剥きながら、僕へと食って掛かった。


「なんだキミは! は、離しなさい! 私はただ綾瀬川さんと仕事の話がしたいだけだ! 関係のない者は引っ込んでいたまえ!」


 こいつ、僕の話聞いてないのか。マネージャーだって言ったのに。


 小男は顔を真赤にして、壊れたスピーカーのように叫び続ける。それも当然、僕は彼の手首を掴んだまま微動だにしていないのだ。


 どんなに引っ張ろうが押そうが、一ミリたりとも動かない。土の魔素を全身に纏い、地に足をつけた粘り強さと硬度を獲得しているためだ。


「もう一度だけ言います。綾瀬川はあなたとは直接、ましてやふたりきりでなど、話し合いの場を設けることは一生涯あり得ません。…………わかったらとっとと消えてくれ」


 会場中が、先ほどとは違った意味で騒然となった。誰もが恐れる大物プロデューサーへの暴言に、全員が色を失っていた。


「き、貴様、私を誰だと思っている! お前のような木っ端モノ、いくらでもクビにできるんだぞ! この業界で一生飯が食えなくしてやる!」


 やれやれ、ホントにバカだなコイツは。

 もう本当に面倒くさい。

 ちょっと乱暴な方法でわからせてやろう。


「なあ、あんたさあ、大丈夫なのこれ?」


「なんだと……?」


 突然労るような僕の態度と口調に、小男が首をかしげる。僕は握り込んだままの手首を見せながら、


「ほら、折れちゃってるよ、手首」


 と、さもなんでもないように教えてやった。


「はあ………………ひッ!?」


 小男の手首が本来曲がってはいけない方向に曲がっていた。


 小男は「ひぃぃぃぃ――!」と叫ぶが、周囲はまさか本当に人間の腕が一瞬で折られるとは思いもせず、ひとりで勝手に悲鳴を上げ始めた小男を訝しげに見ていた。


 無論これは挑発である。小男が叫んだ途端、背後にいた大男が拳を振り上げた。


「――ッ!?」


 驚愕する大男。

 そして周囲からの悲鳴。

 なぜなら僕は今、大男に後頭部を殴られのだ。


 だが、なんの魔力も通っていない人間のパンチが僕に通じるはずもなく。


 大男はさらに二発、三発と僕の頭や背中に全力のパンチを叩き込むが、僕は痛がる素振りも見せず、涼しい顔のまま、小男の折れた手首を握り続けている。


「もうやめ、離して……! 千切れる、千切れるがらぁ……!」


 あれほど自信に満ちていた顔が見る影もない。

 涙と鼻水とヨダレを流しながら、小男が僕の手をタップしてくるが、僕の怒りは収まらない。二度と心深に手を出さないよう、徹底的にやらないと。


「どうしたって言うんですか。あなた、全身の骨がバキバキですよ?」


「は、はああ……!?」


「ほら、脚も」


 僕は魔力を操作し、常人には見えない透明なかいなを創り出す。その腕は、予告した大腿部の骨をプレッツェルのようにへし折る。


「腕も、背中も、肩も、全身が粉々だ――」


「みぎゃああああああああああ――」


 小男はもはや自重すら支えられない有様だった。

 全身の骨を砕かれ、失禁しながらへたり込もうとするが、僕に掴まれた腕のせいでそれもままならない。手足をあさっての方向に曲げた奇っ怪なオブジェになっていた。


「もう勘弁してくれ――してくださいぃぃぃ!」


 拳が砕けるほど僕を殴りつけていた大男が、終いには羽交い締めにするように抱きつき泣きついた。


「おまえもバカだな。僕は一切なにもしていないぞ」


「何もって、貴様あ――!」


 もちろん嘘だけど。

 呆気にとられる大男に見えないよう、僕はポケットから治癒石を取り出し、口の中で素早く呪文を唱える。


 一瞬だけ、小男の全身がカメラのフラッシュのように輝く。光が収まるのを待ってから、僕はようやく小男を解放した。


「ゆるひて、ゆるじて……」


「急にどうしたんですか。別に僕はなにもしてないでしょう?」


「…………は?」


 真顔になった小男は自分の身体をまさぐり始めた。


 手足を触り、身体を抱き、首を回す。

 彼だけには聞こえていたはずだ。

 自分の骨が砕かれる音を。

 だがそんな傷は跡形もない。

 僕が治癒石で治してしまったから。

 傷がなければ加虐の事実もないのだ。


「なっ、キ、キミは一体なんなんだ……?」


「綾瀬川のマネージャーです。ところで、あんたは随分僕を殴ってくれたな」


 背後を振り返り、ギロリと大男を睨みつける。

 失禁こそしないものの、大男は可哀想なくらい震え上がっていた。


 プロデューサーを守るために致し方なく殴った。

 そんな言い訳が通用しない、圧倒的不利な状況だと理解したからだ。


「け、警察を、誰か早く――」


「さすがにこれは庇いきれない――」


「キミ、大丈夫か――」


 周囲は蜂の巣をつついた騒ぎになった。

 心深を守るために間に入った僕が、一方的に殴られたのは周知の事実。


 中には小男の狂態から「クスリやってるって噂は本当だったのか」などと言い始める者までいた。自業自得だな。


『みなさん、お静かに願います――』


 ざわめく会場に、凛とした清廉な声が響き渡った。心深だ。ペンダントを外して、魔力が宿った声で、披露宴会場の隅々まで己の声を轟かせる。


『今ご覧になったものは余興の一環です。どうぞ【私達のことは】は気にせず、そのままご歓談ください――』


 見事なものだと思った。

 私達、と言った通り、僕と二人組、そして心深自身を周囲の認識から外したのだ。


 さらに、今まで見た暴力の事実すら、大した問題ではないのだと、会場にいる全員に思い込ませてしまった。


 会場内が、和やかな雰囲気に包まれる。

 本来あるべき笑い声や楽しげな会話が溢れる。


 まるで僕たちなど最初からいなかったかのように、会場の人々は料理やおしゃべりに夢中になっていた。


「………………」


「………………」


 テレビマン二人組は、目玉が溢れるほど周囲を見渡し、お互いに身を寄せ合って怯えていた。自分たちが触れてはいけないものに触れようとしたと、ようやく理解したのだろう。


「はあ、あんたやりすぎ……」


「怪我は治してやったんだから別にいいだろ」


「それでも全然スマートじゃないし。私がいなかったら大騒ぎじゃない」


「そうはなってないんだから細かいこと言うなよ……」


 僕はげんなりとしながら、床で震えるふたりを見下ろした。小男の方は髪がボサボサ、スーツもよれよれ。大男の方は拳から出血している。


 心深は腰に手を当て、ふたりに言い放った。


「ご理解いただけましたか。私に関わろうとすると、こいつが黙ってないので、今後二度とかかわらないでください。お仕事のオファーもお断りします」


 小男と大男は、言葉なく頷くと、すっ転ぶような勢いで会場から逃げ出した。おい、小便の跡を片付けろ――って、魔法でなんとかしますか僕が。


「タケル――」


「なんだよ、言っとくけどやりすぎたとは思って――」


「バカ」


 水魔法で汚れた床を拭いていると、突然首を掴まれてキスされた。今までで一番長く、ディープなものだった。


「無茶苦茶やりすぎ。でも嬉しかった」


「わかった、わかったからやめろ。今手が離せないんだから」


 少しでも手元が狂えば自分が被害を被ってしまう作業の最中なのだ。だというのに熱烈なキスの雨は止まない。


 心深の『言霊の魔法』により僕らを一時的に認識しなくなった衆人環視の中で、僕は一方的に唇を吸われ続けた。


「あの、キミたちねえ」


「――!?」


「えっ」


 僕らだけがいないものとされる世界で、マネージャーさんだけが呆れた顔でこちらを見ていた。


「そういうことはもうちょっとこっそりと…………、なんで誰もこっち見てないの?」


 そうだ、心深は「私達以外」を周囲の認識から外した。大雑把なその「私達」に、普段から一緒にいるマネージャーさんが入っていても不思議ではない。


 やがて僕が展開した魔素情報星雲エレメンタル・クラウドによって、会場全体の『言霊の魔法』を消し去るまで、マネージャーさんは首をひねり続けるのだった。


 続く。

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