第415話 生涯最高にして最低の夜篇⑥ 家族の許しと最後の難関〜お久しぶりです幼馴染様
* * *
「さて、最後の大仕事にかかるかな」
引き続き僕は都内の住宅街に建つ白亜の邸宅を拠点に、地球ライフを楽しんでいた。
外の空気は涼しいからやや肌寒いくらいの陽気になりつつある。強い風に庭木が葉鳴り、一瞬そちらに気を取られると、すかさず反対側から声がかけられた。
『よう、今日も出かけんのか?』
「ああ、ちょっと行ってくるよ――って、何してるんだおまえ?」
そこには人型となった水の妖精くんの頭部に収まった半分仮面アズズがいた。
最近でこそ見慣れた光景だが、それより僕が驚いたのは水の妖精くんの格好だ。おそらく僕のものだろう、カッターシャツに下はジャージを着用し、サンダル履きで自転車に跨っているのである。
「おう、この足漕ぎ車がおもしろくってな、俺もこいつもすっかりハマっちまってよ」
水の妖精くん・オンザ・アズズはママチャリを器用に操り、後輪立ちをして見事にバランスをキープしている。達者だなあ。
『でもなあ、エアリスの奴が怒ってくるんだ』
「エアリスが?」
事情は知らないが、それは100%キミたちが悪いんだろう。一応言い訳は聞くけど。
『庭ん中で遊んでるだけだっていうのに、服を着てヒト種族のフリしろって言うんだぜ。まったく、嫌がる
「まあそれは仕方ない。エアリスに従ってくれ」
背の高い木々や塀で囲まれているとはいえここは日本である。今どき写メでも撮られたらあっというまにネットで拡散してしまう。人間のフリくらいしてもらわないと。
『それよりおめー聞いたぜ。ついに男になるらしいな』
アズズは自転車を降りると僕の肩をムンズっと掴んできた。『へっへっへ』などと言いながら肩をサワサワもみもみしてくる。
彼は表情がない分、こうやって感情を伝えてくることがままある。正直言ってウザい……。
『いやあ、俺は嬉しんだぜ。てっきりお前さんは男色かさもなくば女に興味のねえ灰色野郎かと思ってよう。そういうのをこの国じゃ「草食系」っていうらしいじゃねえか』
「おまえワイドショーに毒されてないか?」
急速に日本の文化に染まりつつあるアズズ。
精霊ほどではないにしろ、世界との調和の元に存在する妖精は、必要な知識を世界から汲み取ることができる。
それは妖精と接続状態のアズズにも共有され、最近地球への理解度がどんどん増してきているのだ。
『まあこっちのことは俺らにまかせて決めてこいや!』
ガッハッハッハとアズズは大爆笑し、バシバシ結構な力で背中を叩いてくる。
そう、昨夜僕は夕食の席で今週末のことを話した。甘粕くんを異世界に就職させて、ようやく迎えた全員での食事だった。
*
週末、僕はセーレスとエアリスとでかけると。
その際、一泊旅行をするつもりであると。
さも何でもないかのようにみんなの前で告げた。
一瞬ポカンとしたのはアウラとセレスティアだった。
「えー、それってお父様とお母様とエアリスだけ?」
「…………私たち、は……?」
う。自分のことは置いていくのかと、目で訴えかける精霊娘たちのうるうる瞳攻撃。僕の良心がちくちくとダメージを負う。だがここで折れるわけにはいかない。ハッキリと言わなければ。
「おまえたちと一緒に行くのはまた今度な」
「なんでー、なんで私達はダメなのー?」
「…………一緒にいきたい……」
セレスティアは握り箸の柄でテーブルを叩き、両足をブンブン振っている。アウラは身じろぎせず静かなものだが、ジトっと目の力がすごい。まさに口ほどにモノを言っている感じだ。
「ねえ、お母様、なんでダメなのー?」
「え、うん、それは…………えへへ、タケルに聞いてみるといいかも」
「ママ……」
「こほん。アウラ、パパに聞きなさい」
食事の手を止めことの成り行きを見守っていたセーレスとエアリスは僕に丸投げしてきた。
いや、ここで彼女たちが折れるようなことにならなくてよかった。「しょうがない一緒に行こう」などと言わないということは、それだけ彼女たちも僕との旅行を楽しみにしているのだと思いたい。
ここで説得に成功すればあとは薔薇色まっしぐら(?)だ。
再び疑問と不満で顔をいっぱいにしたお子様ふたりが僕を見上げてくる。頭の中で幾度もシュミレートした理由を話そうと口を開きかけると、それより早く発言するものがいた。
『いい加減になさいふたりとも』
穏やかだが嗜める口調は真希奈だった。
ついこの間、人間と寸分たがわぬ肉体で僕の前に現れた彼女だが、今はいつもの人形姿で食卓の隅っこに陣取っている。
すっくと立ち上がると、器用に皿を避けながら、セレスティアとアウラの前で止まった。
『今回三人だけで旅行に行くというのは、お母さんふたりの慰労を兼ねているのです』
「いろう?」
「……ってなに?」
真希奈は『やれやれ』とばかりに両手をヒラヒラさせる。一度でも人間に限りなく近い肉体を動かした影響か、今までとは比較にならないほどなめらかな所作だった。
『エアリスは龍王城の管理に加えて全員の食事を毎日毎食作り、セーレスさんは治癒魔法師として働いています。地球に来てからはふたりとも、それぞれの得意分野を伸ばそうと専門学校に通いつめ、さらに帰ってくればあなた達のワガママを聞いて世話をしてばかり。これではふたりはいつ休めるというのですか』
「ぐ、ぐぬぬ。それは……」
「あうあうあう……」
セレスティアとアウラは何も反論することができず黙り込んだ。
助けを求めるようそれぞれの母を見るが、セーレスもエアリスも困った顔をするばかりだった。
『いいですか、地球には【母の日】【父の日】なる風習があります』
「ははのひ?」
「ちち……のひ?」
『そうです。その日は常日頃の感謝の気持ちを込めて子供がお母さんやお父さんに贈り物をしたり、普段は任せっぱなしの炊事、洗濯、食事を代わりにしてあげたりするのです』
真希奈の説明に惹き寄せられたふたりは、いつのまにか固唾を呑んで聞いていた。周りで見ているソーラスやアイティアも、地球文化に興味があるのか食い入るように聞いている。
『よいではないですか一日くらい。お父さんお母さん、いつもありがとう、ゆっくりしてきてねと送り出してあげれば。今はまだ小さなあなた達が背伸びをして何かする必要はありません。感謝の気持ちを以て、少しだけ一緒にいたい気持ちを我慢をしてあげればいいのです』
その言葉にセレスティアとアウラは唇を尖らせていたが、やがてコクリと頷いた。真希奈は満足そうに『偉いですね。いい子たちです』と、ふたりの頭を撫でていた。
エアリスとセーレスが真顔になって真希奈を見ている。僕もまさか真希奈から、こんな的確な援護射撃がくるとは思ってなかった。
むしろ一番説得に苦労するのは真希奈なんじゃないかとすら覚悟していたほどだ。
「そうですね、真希奈様のおっしゃるとおりですね。たまにはご夫婦だけのお時間があってもいいと思いますよ」
「セレスティア様とアウラ様のお世話は私達に任せて、楽しんできてくださいタケル様」
「ありがとう、ふたりとも……!」
ソーラスとアイティアに背中を押され、僕は感動のあまり頭を下げる。
するとセーレスとエアリスもまた「ありがとう、お土産いっぱい買ってくるね!」「すまんがよろしく頼むふたりとも」と若干恥じらいに頬を染めながら礼を言っていた。
「絶対絶対、今度は私とアウラも連れて行ってよね!」
「パパと、ママと、エアリスママと、一緒に行きたい……」
「もちろんさ」
などと僕はいいながら、その時にはもっと家族が増えているかも……などと一瞬思ってしまう。
そんな不埒な気持ちを持ったままセーレスとエアリスを見やれば、バチッと目があった。
かああああっと、唐突に頬を染めながらふたりは、慌てて顔を背けた。可愛い仕草だけど……まさか同じこと考えてたりして。
『やれやれ……手が焼けるお父さんですねえ』
呆れたように言いながらも真希奈の声音はどこまでも優しい。
彼女の中で、等身大の肉体で行ったあのキスはどう決着がついたのだろう。僕にはわからずじまいだが、決して悪いようにはなっていない気がする……。
さて、こうして僕は最大の難関を突破し、いよいよ最後の大仕事に取り掛かるのだった。
*
アズズに散々冷やかされてから、僕はひとり屋敷を後にした。
今週はまず最初に叔父夫婦に結婚の報告に行き、翌日は針生くんたちと再会した(その前に真希奈・完全体と邂逅)。
その日の夜には甘粕くんの現状を知り、彼のために翌日は関係各所に根回しをして、さらに翌々日にはみんなを連れて
その報告も兼ねた夕食の席で僕は無事に家族たちの了承を得て、セーレスとエアリスとの旅行を勝ち取ったのである。
さて、もう週末だ。
明日の今頃は羽田空港から沖縄那覇空港行きの飛行機に乗っていなければならない。
その前に今日中に終わらせておかなければならないことがある。それは僕の幼馴染である綾瀬川心深への報告である。
綾瀬川心深。
僕と同い年であり、現在は高校三年生。
小学生の頃から劇団の子役として活躍し、中学生のときに声優に初挑戦。現在では売れっ子声優として数多の作品に出演し、歌手としても活躍している。彼女は所謂アイドル声優でありインフルエンサーというやつだろう。
心深のやつがSNSでスイーツの写真を発信すれば、その店にはファンが押しかけるようになり、誕生日ともなれば事務所には抱えきれないほどのプレゼントが届くという。
昨年は特に、声優綾瀬川心深にとっては試練の年だった。夏には大作アニメ映画のオーディションに合格し、年明けに控えていた公開を前に『サランガ災害』に遭遇。
その時、人々に多くの希望を届けたとして、彼女のそれら英雄的行為は賛否両論を呼ぶことになる。後に政府認定で『国民栄誉賞』と『紅綬褒章』が授与されると、一躍時の人となった。
今では単なるアイドル声優の枠を越えて、広く日本国民から愛されるトップアイドルになっているそうなのだが……。
で。そんなアイドル様と僕は家が近所同士の幼馴染であり、小さい頃からの腐れ縁だったりする。
元ニートだった僕の世話をあれこれと焼く心深に嫉妬したクラスの男子生徒が、僕を虐めてきたりもしたのだが――まあ今ではどうでもいい思い出だ。
当時は悔しかったし恨んだりもした。
でも今の僕には卑屈になる要素がこれっぽっちもない。なんてったって、家に帰ればセーレスとエアリスがいるからね。
とにかく。
すっかり生活の拠点を異世界に移し、学校すら辞めてしまった僕と心深の接点は、たまの買い物だったり、今のように地球に長期滞在する場合にのみ、僕の方から彼女の携帯へと連絡を入れて、彼女の仕事先だったり、自宅や事務所の近所で短時間だけ会って近況報告をするというものに留まっている。
本日はその短い間に、セーレスとエアリスという伴侶を得たという報告をぶち込まなくてはならないのだ。先手必勝。僕はスマホを操作して彼女の携帯を呼び出した。
『現在、お掛けになった番号は使われておりません。もう一度番号をお確かめになって、お掛け直しください』
「これは……」
なんだ心深のやつ、携帯変えたのか。
僕のスマホは地球と
実は今回心深に連絡をしたのはすごく久しぶりなのだ。どれくらいぶりかというと、最後に会ったのは聖都浄化前だから、数ヶ月は前のことになる。
「なんだ、これじゃもう連絡の取りようがないな。やれやれだ。残念だが今回はやめておこう」
子供の頃から僕は綾瀬川心深という女の子を苦手としてきた。当時のニートだった僕は、ぐいぐい他人の領域に踏み込んでくる彼女が嫌いだったのだ。
今でもその苦手意識は抜けていないのだが、それでもここで連絡を諦めてしまっては、後々どのような大惨事になるのか――それがわかる程度には社交性が身についてきたと思う。
したがって僕は、散々迷いながらも心深の実家へと電話をすることにした。
『はいもしもし。綾瀬川です』
心深と同じ声質。母親である
「えっと、すみません、僕以前心深さんと同じ中学だった成華といいます」
心深のお母さんはずっと引きこもりをしていた僕のことを毛嫌いしている。面と向かってそのようなことを言われたわけではないが、家が近所なのでどうしても顔を合わせることがあった。そのたんびに軽蔑した目で見られればわかってしまう。昨夜のアウラのように目は口ほどに、というやつである。
『何を今更改まってるの。タケルくんでしょう。声でわかるわ。久しぶりね』
「え、あ、はい……」
若干声が優しい。
本当にあのキッツイお母さん?
『家に電話してくるなんて初めてね。どうなのあなた、今何してるの。ちゃんと食べてるんでしょうね』
緑子さんの中で僕は、中学までずっと引きこもりニートで、ある日突然自宅が火事になって生死不明になった少年Aのはずである。こんな
「は、はい。実はちょっと遠いところ――海外で働いてます」
『へえ。昼夜逆転で夕方になってからコンビニに行くだけだったあなたがねえ』
ぐっ。今でこそ自覚してるが、ダメニートだった頃を蒸し返されると猛烈な恥ずかしさに襲われてしまう。人気がないとはいえ、ここが往来であることも忘れてのたうち回りたくなる。
『まあいいわ。以前は心深のこと送ってくれてありがとうね。色々あってお礼も言ってなかったから』
「いえ……」
僕がまだ豊葦原学院の生徒として身分を偽っていた時のはなしである。まさか直前まで娘さんとラブホテルにいてキスされましたとは言えない。
『それで、もしかしてあの子の携帯につながらなかったから、家にかけてきたのかしら』
「は、はい。そうなんですけど……」
『あなた馬鹿? 今日は平日だから、普通は学校よ。携帯の電源を落としているとは思わないの?』
「あ」
そうか。よく考えれば――よく考えなくともその通りである。今も昔も、学生という身分から遠ざかりすぎて、まったくそのことを失念していた。いや、でも――
「番号が使われてませんってアナウンスだったんですが……」
『ええ、そうね。あの子最近、頻繁に電話番号を変えてるから。私も今の番号は知らないわ』
「そうなんですか……!?」
娘の電話番号を知らないなんてあり得るのだろうか。それともトップアイドル声優であるからこそ、色々と事情があるのか。
『番号は知らないけど、今日あの子がどこで何をしているのかはわかるわ。是非そこへ行ってちょうだい』
突然の「そこへ行け」発言に僕は戸惑う。
というか学校にいるんじゃないのか。
緑子さんが言うには、最近は立て続けにイベントをこなしているらしく、本日は都内で公開インタビューを受けているらしい。
僕は会場の場所を聞くと、お礼を言って電話を切ろうとする。その直前に、緑子さんは言った。
『お願い。あの子のこと、助けてあげてちょうだい』
その言葉は、母親として切実な響きを帯びていて、僕は思わず「はい」と頷くのだった。
とりあえず、その会場とやらに行ってみますか……。
続く。
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