第412話 生涯最高にして最低の夜篇③ 猫娘たちの異世界赤裸々トーク〜炎の精霊モリガン再び!前編

 * * *



 タケル・エンペドクレスが叔父夫婦に結婚の報告に行っていたその一方で、精霊娘たちとネコ娘たちにもそれぞれイベントが待ち受けていた。


「諸君。そのままで聞いてくれ、最終ブリーフィングだ」


『サー・イエス・サー!』


 薄暗いリムジンの車内で、恰幅のいい男がつぶやく。


 否、恰幅はいいが決して太ってはいない。タイトに着こなされた漆黒のスーツは、下から隆起する筋肉によって押し上げられ、今にも弾けそうになっている。


 さらに言うなら男、というのも間違いだった。その声音は紛れもなく若い女性のもの。だが彼女は女性の平均を遥かに上回る長身であり、男性といえども多くを見下ろすことができる上背を持っていた。


「現在、都内にあるカーミラ会長のプライベートハウスに、さる事情から日本に来ている異国のファミリーが滞在されている」


『…………』


 リムジンの車内には女と運転手のみであり、彼女の言葉はすべてインカムマイクを通じて、その後ろにピッタリと張り付くワンボックスカーへと流されていた。


「カーミラ会長とも親交厚く、大変ご懇意にされている方々だ。今日おもてなしするのは、そこの娘さんふたりだ。準備はいいな?」


『もちろんです。衣装もメークも撮影機材もバッチリです!』


 インカムマイクから弾んだ声がした。

 彼女たちも気合が入っているようだ。


「とにかく相手を不快にさせてはいけない。衣装は店舗ごとに変えるが、メークの必要はないだろう」


『え、いくら小さなお子さんでも最低限のものは――』


「もう一度言う。必要ないんだ。現物を見ればわかる」


『はっ……!』


 リムジンと後ろのワンボックスカーは大通りを抜けて閑静な住宅街へと入っていく。高級住宅街が並ぶ中、そのなかでも一際長い塀に囲まれた白亜の邸宅。そこが彼女たちの目的地だった。


「とにかく我がカーネーションブランドキッズ部門の新たな戦略は、今日の撮影にかかっている。部門責任者である夷隅川部長も見守っている。諸君らの奮闘に期待する」


『サー・イエスサー』


 音もなく停まったリムジンから、長身の美女が降り立つ。服を押し上げる筋肉と隻腕――左腕は肩の付け根から先がなく、左目にもアイパッチを着用している。


 彼女の名はベゴニア。姓はなくただのベゴニア。

 どこからどうみてもカタギには見えないが、公的な立場ではベゴニア・フォマルハウトを名乗ることもある。


 世界に名だたるカーネーションブランドの社長であり、現場には滅多に来なくなって久しい。そんな彼女が溢れんばかりの喜色に顔を歪ませていた。


「さあ、お母さんと一緒に遊びましょうねえ……!」


 スモークの入った車内のモニターからその姿を見た他のスタッフたちは震え上がった。ベゴニアの心からの笑みは、野獣が牙をむく捕食の瞬間のそれに酷似していたからだ。


 だがその後、タケルたちに背中を押されるように玄関から現れた天使たちの姿に、ワンボックスの中では悲鳴が上がった。


 そして出迎えたベゴニアもまた、ふたりから「お母さん」「ママ……」とタケル仕込みの敬称で呼ばれ絶叫したという。


 それくらいアウラとセレスティアの姿は愛らしく、またふたりから好意を向けられることは天にも昇る多幸感を齎していた。


 こうして精霊娘たちと吸血鬼の眷属はスウィーツ巡り(兼撮影会)へと繰り出すのだった。



 *



「今日はなに、お祭りでもあるの……?」


 いつかの湯治の際、タケルに買ってもらった洋服に身を包んだソーラスが目前の喧騒に立ち尽くしていた。


「す、すごい数のヒト……。きっと国中から集まってきてるんだよ……!」


 同じくアイティアもタケルに買ってもらった服を着こなし、さらにふたりの頭の上には最近買ってもらった帽子を被っている。ソーラスがバケットハット、アイティアはキャスケット帽だ。


「あ、すみません」


 歩道の真ん中で立ち止まっていたので、後ろから来た通行人の邪魔になってしまった。


 ぶつかりそうになり、とっさに謝ったソーラスだったが、立ち止まった男性――スーツ姿のサラリーマンは一瞬ポカンとしたあと、あわてたように立ち去っていく。その際、二度三度とこちらを振り返っていた。


「そっか、私獣人種の言葉しかわからないから……」


 地球に来てからというもの、アイティアは邸宅の管理や掃除、その他の家事をこなしながらも、空いた時間で日本語を勉強していた。しかしやっぱりとっさに出てくるのは母国の言葉であった。


「今のは違うと思うなあ」


 ふたりして歩道の隅っこに避けながら、アイティアはニンマリとした笑みを作る。


「今の男のヒトね、きっとソーラスちゃんに見惚れてたんだよ」


「はあ? 私に? アンタじゃなくて?」


 ソーラスとアイティアはペアを組むようになって長い。もともとは聖都の獣人種奴隷同士ということで親しくなった間柄だ。


 その後、自立心が芽生えたアイティアはソーラスの元主であるラエル・ティオスの元へ奉公を願い出て、彼女の命令により、ヒト種族の領域へとスパイ活動に出ていた。


 そのスパイ活動の内容というのが、娼館に出入りする男連中からねやで重要な情報を得るという、女性ならではの諜報活動だった。


 この時、情報を聞く前から男性を酩酊状態にし、聞き出したあとは即眠らせているので、乙女たちは己の身体という対価を差し出すことなく任務をこなしていた。


 そしてその際、ソーラスは自らを傷つけて止まないひとつの質問を男たちにしていた。つまり――「私とアイティア、どちらを召し上がりますか?」と。


「まさか、私に見惚れるなんてありえないでしょう」


 自分で言っていて悲しい台詞ももう慣れてしまった。なぜなら諜報活動中、上記の質問によりソーラスが男性から選ばれたことは一度としてない。その事実が、彼女から女性としての自信を喪失させていた。


「そんなことないよ。私抜きにしたらソーラスちゃんだって十分可愛んだから」


 隣で力説するアイティアだったが、無自覚にも特大級の地雷を踏み抜いていた。


「私抜きなら、ねえ。言ってくれるじゃないのさアイティアさん。おまえさんあれかい、所詮私なんか自分には勝てないと、そうお云いなのかな?」


「ち、ちがう、そんな意味じゃなくて……」


「じゃあどういう意味だよ!? 一度も指名もらえなかった私に対する優越感から出た発言だろう!」


「優越感なんて持ってないもんー!」


 見知らぬ異国の言葉で、仲睦まじくじゃれ合う美少女ふたり。ソーラスはアイティアを後ろから羽交い締めにし、柔らかな布地の上からその豊満な乳房を弄ぶ。


 道行く人々――特に男連中は、その光景に足を止め、ギョッとしながらも目が離せないでいた。


「このこのぉ! 私の女としての自信を返せ! あとこのおっぱいも寄越せ!」


「ちょ、ダメ、自信とかおっぱいなんて自分で身につけないと――って危ない!?」


 いつの間にか車道にはみ出していたふたりに、けたたましいクラクションが鳴り響く。


 タケルから散々『車』という馬なしの馬車に気をつけるよう、地球の一般常識と一緒に散々言われていたのだ。


「馬鹿野郎っ! 何やってんだ、殺されてーのか!?」


 いきなり車線にはみ出してきたふたりに対し、当然のように運転手は怒鳴った。しかし――


「ご、ごめんなさい(獣人語)」


「申しワケ、ありません(片言の日本語)」


 帽子を取って、猫耳を曝け出しながら殊勝に頭を下げる美少女――片や鮮やかな赤毛のくせっ毛に、片や流れるような黒髪。涙目になって上目に見上げてくるふたりに、ドライバーの怒気は吹き飛んだ。


「い、いや、いいんだよ。こっちも怒鳴って悪かった。頭のアクセサリー可愛いね!」


 プップーと軽快なクラクションを残し、車は去っていった。ソーラスとアイティアはホッと胸をなでおろしながら帽子をかぶり直す。


「ビックリしたー。あんな大きな音、どうやって出してるんだろう」


「怖かったねー。タケル様が車には気をつけろって何度も言ってたものねえ」


 とりあえずふたりは、当初の目的の通り、駅前の繁華街に向かうことにする。今自分たちがいる街は、この国で一番の人口密度を持った街のようだが、ここに準じる街は全国に無数にあるという。


 目に映るあらゆるものが珍しくて、ソーラスとアイティアは手をつなぎながら散策を続けていると――


「ちょっと彼女たち、僕らどっかで会ったことないかなー?」


「え?」


「はい?」


 見ず知らずのナンパ男に引っかかってしまっていた。



 *



「気に入らないわね……」


 ここは日本橋のとあるカフェ。

 バリスタでありパティシエでもある店主は先程やってきた客に対して密かに悪態をついた。


 前日になっての予約――ここまではいい。

 機材を入れさせろ――これもよくある。


 だがオープンなカフェで仕切りを作り、三席を独占するという振る舞いに不快感がにじみ出ていた。


 調和が取れていた店内は、大きな衝立のせいで異様な雰囲気だ。


 会計を終えた客も食事中からずっと気になっているようで、後ろ髪が引かれるよう振り返りながら退店していく。


 予約者の名前はベゴニア・フォマルハウト。

 知っている名前だ。つい先月あたりニュースになっていた。


 有名なハリウッド女優のお忍び来日旅行。その目的が旧友であるカーネーショングループ会長の見舞いであり、帰り際にエスコートをしていた男装の麗人だったとして一躍有名になった女性だ。


 カーネーションブランドは有名である。

 かく言う店主もファンのひとりだ。

 だがそれとこれとは別である。


 ビッグネームに萎縮して横暴な振る舞いを許容することはできない。とはいえ客は客。飲食の代金に加えて撮影代と称するお金ももらっている。


 だがそれでも気に入らないものは気に入らないのだ。


「失礼します」


 バックヤードに引っ込もうとしたタイミングで声をかけられた。振り向けばそこにはフォーマル姿のメガネの女性が立っていた。


 入店時の挨拶でもらった名刺にはカーネーショングループ広報部所属と書かれていたか。どうでもいいことだった。


「はい、なにか御用ですか」


 客商売故の悲しい性質さが

 心の不満はお首にも出さずにこやかに対応してしまう。


「この度はご無理を聞いていただき誠にありがとうございます」


「ああいえ……」


 そういうのならさっさと出ていって欲しい。

 見ろ、仕切りが目障りでしょうがない。


「本日は私共も特別なゲストをもてなしておりまして、おふたりともこちらの料理とデザートに大変満足されています」


「そうですか、それはよかった」


 ゲスト。

 相手はハリウッド女優さえ接待するハイセレブだ。


 なるほど、そんなやんごとなき相手がこの店を気に入ってくれたというなら溜飲も下がろうというもの。店主は幾分気持ちを上向けながらニッコリと微笑んだ。


「それで、ゲストの方々が是非お礼を言いたいとおっしゃられてまして、少しよろしいでしょうか」


「ええ?」


 この申し出は想定外だ。

 自慢ではないがうちのカフェは有名店だ。店内の雰囲気もインテリアも、食事もデザートも好評をもらっている。


 とはいえ所詮カフェ飯はカフェ飯である。

 改まってお礼などと言われると恐縮してしまう。


「そんな、大変うれしい申し出ですが、今日は私このような格好ですし、どのような方が来られているのかは存じませんが、却って失礼にならないでしょうか」


 真っ白なショップシャツに黒いカマーエプロン、下はパンツルックだ。


 おまけに化粧は最低限、髪はギチギチに縛ってお団子にしている。清く正しいスタイリッシュスタイルだった。


「いえ、あの方たちはそのようなこと気にしません。さ、お早く」


「は、はい……!」


 世界に名だたるカーネーショングループの社長が自ら接待するほどのゲスト。


 果たしてそれはどれほどの人物なのか。アラブの富豪か、ブリティッシュ貴族か、はたまたハリウッド俳優か――


「お連れしました」


「し、失礼します。本日はご来店誠にありが――」


 店主は緊張と共に衝立ての中に入る。

 入った途端、目の前の光景に脳がフリーズした。


「あっ、あなたがこれ作ったの? すっごく美味しいよ!」


「……あまずっぱくて、おいしい」


 店主を出迎えたのは小さな小さなお姫様たちだった。


 ひとりは金糸の髪をゆるふわウェーブさせた少女。瞳は翡翠の中に星々が散りばめられたように輝いており、肌は雪のように真っ白だった。


 もうひとりは浅葱色の髪をツインテールにし、根本を大きなリボンで飾っている。肌は褐色でなめらかなチョコレート色。瞳は月を浮かべたような琥珀色だった。


 どちらもひと目で日本人ではないとわかる容姿をしている。


「そうかそうか、ここのレモンケーキアイスは有名だからな。気に入ってくれたよかった」


 そんな異国のお姫様たちは、とても可愛い洋服を着ており、彼女たちを両脇に侍らせながら鼻の下を伸ばしている人物こそ、ベゴニア・フォマルハウトそのヒトに違いなかった。


「あ、ああ……、ありがとう、ございます。お気に召していただいたようで、大変光栄です」


 店主としての条件反射でそう言うと、少女たちはニコっと笑みを浮かべた。


 心臓が縮み上がり、血流が加速する。まるで天使の矢で射抜かれたみたいに心臓が爆発し、ドコンドコンと鳴っていた。


「店主、無理を言って悪かった。もうすぐ御暇させてもらうので今しばらく勘弁してほしい」


「ひ、ひえ! どうじょ、心いくまでお寛ぎくださいまひぇ!」


 急激に舌っ足らずになった店主は飛び上がりながら頭を下げ、回れ右して立ち去る。衝立てを越えると、ようやく店内のBGMが聞こえてきた。さながらあちらから向こうは異界のようであった。


(はああああ……す、すごかった……!)


 なんだったんだあの少女たちは。

 美少女なんてレベルじゃない。

 お姫様のようであり、それともまた少し違う。


 そう、まるで神様にでも会ったような、声をかけられただけで天にも昇るような、自分の存在を全肯定されたかのような幸福感が全身を支配した。


 今日はなんて日だ。

 一生に一度あるかないかの体験をしてしまった。

 今夜から日記をつけよう。是非そうしよう。


「あの、ちょっと失礼」


 立ち尽くしていると、先程の女性――カーネーションの広報部の女性が自分の腕を引き、バックヤードの方へと連れて行く。店主はされるがままふわふわと歩いた。


「これを」


 差し出されたのはポケットティッシュだった。

 何故と思っていると、つつつっと鼻に違和感が。


「――ッ、すみません!」


 なんと鼻血だった。

 一枚もらったティッシュが見る見る赤く染まっていく。


 試しに頬に触れてみると、跳ね返すような熱を感じた。どうやら湯沸かし器のように瞬間的に体温が上がっていたらしい。


「お、お見苦しいところを」


「いえいえ、無理からぬことです。私も今朝同じようになりましたので」


 恥ずかしそうに広報部の女性が目を伏せた。

 あのふたりの姿を拝謁し、さらに微笑みまで投げられたら、誰だってこうなってしまうだろう。


 それを両側に侍らせているベゴニア社長はさすがだ。それを伝えると、思わぬ返答があった。


「これはオフレコですが、社長は本日を迎えるあたって、医師の立ち会いの元、瀉血しゃけつをされています。今も場を汚さぬよう、必死に堪えておいでなのです」


「そ、そこまで……!」


 まさか自分の血を敢えて抜いているとは。それにしては肌ツヤがかなりよかったので、お姫様たちと接しているうちに造血が激しくなっているのかもしれなかった。


「あ、あの、もしよかったらまた是非! 場所は何時でも開けておきますので……!」


「ありがとうございます。おふたりもここのデザートを気に入ったようなので喜ばれるでしょう」


 ぱあああっと、店主の顔が明るくなる。

 両鼻にテュッシュをギュウギュウに詰めた間抜けな姿だったが気にもしない。


 差し出された広報部女性の手を、店主は両手でしっかりと握り返すのだった。


 続く。

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