第411話 生涯最高にして最低の夜篇② 叔父さん夫婦への結婚報告〜元ニートは綺麗な嫁をもらいました

 * * *



 僕は今雑木林の中に立っている。

 駅からも街からも離れたなんにもない場所だ。

 ここは僕が一番最初に地球に降り立った場所である。


 かつての僕は、エアリスと共に本当に裸一貫、着の身着のままでこの地に足をつけた。


 今でこそ――

 今でこそ僕には協力者がいる。


 日本屈指の財閥にして古来より日の本を守護してきた巫女の一族、御堂百理。そして日本はおろか世界に名だたる一流ブランド、カーネーショングループの最高責任者カーミラ・カーネーション・フォマルハウト。


 地位も名誉も名声も破格で桁違いのふたりの協力を得ることは、僕に自由の翼を与えたのと同じ意味をもたらした。


 だがそれは二番目の翼だ。

 最初の翼をくれたヒトは誰だったろうか。


 婚姻という節目を迎えるにあたって、その最初の翼をくれたヒトに会いに行こうと、僕は思ったのだ。



 *



「タケル、ちゃん?」


 静かな住宅街のとある一角。

 こじんまりとした大きくもなければ小さくもない、ごくごく普通の一軒家。


 猫の額程度の中庭はよく手入れされていて、一年前にはなかった花壇が出来ている。


 僕はあの夜と同じように、しばし、インターホンを押すのをためらっていると、不意に後ろから声をかけられた。


「お久しぶりです、スミエおばさん」


 成華スミエ。

 僕の父の弟――成華モトハル叔父さんの奥さんに当たるヒトだ。


「あなた、今までどうして――」


 買い物袋を手にしたおばさんは、厚手のカーディガンにパンツルックで、パタパタとスニーカーを鳴らしながら僕へと近づき、マジマジと見つめてくる。


 歳も格好もどこからどう見ても壮年だというのに、僕の顔を覗き込んでいる表情はどこか子供っぽい。なんかちょっとだけアウラやセレスティアを思い出してしまう。


「笑った!?」


 クスっと漏らした僕に、おばさんは過剰反応した。そんなに驚くことかな、というほど、口をあんぐりと開けている。


 いや、そう言えば僕は彼女の前で笑ったたり愛想を良くした覚えがなかった。まだ人間でニートだった頃の僕は、本当にダメダメなヤツだったのだ。


「おい、家の前でなにを騒いでいるんだ」


 ガチャリと、玄関扉が開いて、中から見知った顔が現れる。成華モトハル。僕の叔父さんだ。


「おまえ――」


「あ、ども」


 幾分白髪とシワが増えている。

 相手の姿を観察しているのは相手も同じだ。

 おじさんは目を見開いた表情のまま、僕を見つめて固まっている。


「あなたっ、タケルちゃんが、タケルちゃんが来てくれたのよ!」


 おばさんが血相を変えて叫ぶように言った。

 おじさんは「静かにしなさい」と嗜めながら、震える指先で銀縁のメガネの位置を直している。


 それからキョロキョロと辺りを見渡すと、扉を大きく開き、僕をサッと手招きした。


「タケルちゃん、ほら早く!」


 おばさんがガシッと僕の腕を掴んだ。

 有無を言わさぬ力強さで、声が震えていた。


 また失念していた。

 僕は国際テロリストとして指名手配されていたのだ。


 もうそれは解除されているとはいえ、公的な名誉までは回復されてはいない。


 異世界ではブイブイ言わせているタケル・エンペドクレスも、地球の一般人の間では元国際テロリストなのだ。


 おじさんたちからすれば罪人を招き入れる感覚なのだろう。ふたりともかなり顔がこわばっているようだった。


 そのへんのことも説明しないとなあ、などと思いながら僕は「おじゃまします」と扉をくぐるのだった。



 *



 かつて、アダム・スミスによって攫われてしまったセーレスを追いかけ、エアリスと共に地球に降り立ったとき、僕は本当に無一文だった。着るものは愚か住む場所も、食べ物さえなかった。


 ヒト種族の魔法師部隊の集中砲火によってボロボロだったとはいえ僕はまだいい、エアリスなどは衣装が燃え落ち、本当に全裸の状態だった。


 エアリスの風魔法によって周囲の景色と同化し、街を抜けてたどり着いた場所が、僕の叔父夫婦が住まう家だった。


 僕ひとりだったらきっと犯罪に手を染めてでも、お金も衣食住もなんとかしたかもしれない。でもそうしなかったのはエアリスがいたからだ。


 彼女にまでひもじい思いはさせたくないと、叔父夫婦に頭を下げてお金の工面をお願いしたのだった。


 僕が叔父夫婦の家に来たことは、本当に数えるくらいしかない。それでも、家に足を踏み入れた僕は真っ先に感じたことを口にしていた。


「なんか、雰囲気変わりましたね」


 ざっと見渡した感想がそれだった。

 もともとモノ自体が少ない家だったが、今では本当に閑散としていて、最低限の家具しかない。


 居間にあったはずのソファーセットがなくなっていて、その代りに小さな丸テーブルに座布団が置いてある。


 テレビがあった場所には何かの雑誌が積まれているだけだ。そういえば、玄関脇にあったはずの軽自動車もなかったな……。


 僕は一年前と同じように、キッチンのダイニングテーブルに座るよう勧められた。


 おじさんが対面で、難しそうな顔をして腕を組んでいる。おばさんは家の中に入ってからはルンルン上機嫌で、今はヤカンからお湯を注いでコーヒーを淹れてくれていた。


「はい、どうぞ」


「ありがとうございます」


 お礼を言うと、再びおばさんがポカンとする。

 なんというか、過去の僕が今目の前にいたら殴りつけたやりたい気分だ。


 おばさんに何かしてもらっても、素直に礼すら言わなかった僕はアホとしか言いようがない。


 おばさんは「ふふ、あのタケルちゃんがねえ」などと言いながらおじさんの前にもコーヒーを置き、自分には緑茶を淹れる。成華家でコーヒー党は男だけのようだ。


「それで、今日は一体なんの用件で来たんだ。また金か?」


 いきなり高い壁を感じた。

 僕はコーヒーに口をつける直前で手を止める。


 なんと切り出したものかと考えていると、突然おじさんが「ぐふっ」と吹き出した。脇腹を押さえながら浅い息を繰り返す。隣のおばさんの肘が鋭角に突き出されていた。 


「せっかく訪ねてきてくれた甥っ子になんて言い草ですか。あなたがそんな態度だから、この子も今まで家に寄り付かなかったんじゃない」


「い、いや、俺はだな、またぞろ金の無心なら、切り出しやすいようにだな――」


「だからって言い方ってものがあるでしょう?」


「はい……」


 おお、なんだなんだ。このふたりってこんな感じだったか?


 一年前までは、おばさんはおじさんの影を越えず、一歩下がって慎ましく微笑んでるだけって感じだったのに、今では積極的に夫を嗜めている。この夫婦に一体何があったんだろう。


「イヤね、恥ずかしいわ。タケルちゃんを前にこんなこと。でもね仕方ないのよ、今このヒト無職なんだから」


「えッ!?」


 僕の方こそびっくりだ。

 おじさんはごくごく普通のサラリーマンだったはずだ。


 夫婦ふたり、問題なく暮らして行けるだけの収入があったはずなのに。


「おまえ、子供にそんな話はすることないじゃないか」


「なに言ってるんですか。雀の涙の退職金は積み立てて、今は私のパート代で生活してるくせに」


「うおおッ、おまえ、それは――」


「そうなんですか!?」


 なんてことだ。わずか一年の間に元ニートだった僕のおじさんはヒモになってしまっていた。あと物静かだったおばさんは鋼鉄のハートを手に入れたようだ。


 パワーバランスは完全に逆転していた。お金とか仕事のある無しで威厳とか立場ってたやすく吹っ飛ぶんだなあ。


「まあこのヒトの名誉のために言っておくと、完全に無職ってわけじゃないのよ。ごくごくたまーに、原稿料は入ってくるんだけどね」


「原稿料……。それって――」


「おい、それはさすがに待――ぐッ」


 再びおばさんの掣肘せいちゅう。的確に同じ所をえぐっている。恐ろしい技術だ。


「このヒトね、脱サラして今は文芸雑誌に小説を書いてるの。ちょっとずつだけど、読み切りを載せてもらってるのよ」


「へえ……!」


 感心する僕をよそに、おじさんは真っ赤になってうつむいていた。


 僕の中での印象は冷たく、イライラカリカリしてるのがおじさんだったが、おばさんに頭が上がらず、縮こまっている姿の方がずっと親しみを覚える。


 話を聞いてみると、おじさんが会社を辞めた原因は、やっぱり去年末にあった『サランガ災害』の影響によるものだった。


「もともとね、ずっと危ないって言われていた会社だったの。数年前からは依願退社を募っててね。その上であのおっかないバケモノがやってきて、もう経営がどうにもならなくなったみたいなの」


「本当ですかそれ……?」


『サランガ災害』が齎した混乱は未だに世界中に爪痕を残している。特に復興予算に加えて、再び侵略者に備えるために軍備を拡張するべきだという意見が日に日に強くなっている。


 経済が受けたダメージも大きく、特に被害が大きかった日本やアメリカの沿岸部は、港湾施設が軒並み壊滅し、輸出入の停止による物流の遅延が、サランガにる被害がなかった地方にまで波及した。今でこそ回復しているが、当時は人々が食料を求めてパニックに陥ったそうだ。


「なんかすみません、まさかおじさんの会社が煽りを食らっちゃうなんて」


「なんでおまえが謝るんだ……?」


「いや……」


 まさか僕がサランガを退けたから、とは言えない。それが遅くなったせいで被害が増えたなどと思うのは見当違いだと、百理やカーミラからも言われていることだった。


 それでも実際に自分の親族にまで影響が出ていると知れば、僕は大いに反省しなければならないだろう。


「それでもね、このヒトが前に進む切っ掛けになったのは、あなたのおかげなのよ」


 おばさんが湯呑を傾け、ほうっと息をつく。

 まったく見に覚えがない話だ。僕のおかげとはどういうことだろうか。


「あのおっきなロボットと戦ってたの、タケルちゃんなんでしょう?」


「…………はい」


 そうか。やっぱりわかってしまったか。

 アダム・スミスからの挑戦状を受け、僕は世界中の人々が見守る中、あの男が持つ人類の英知の結晶とも言える人型兵器と戦った。


 優に30メートルはあろうかという本物の人型兵器は、あろうことか四大魔素による魔法を駆使し、僕へと襲いかかってきた。


 その当時の僕は、魔力出力に著しい制限があり、真希奈の的確なサポートが無ければ戦うことすらままならない状況だった。


 アダム・スミスは僕をスケープゴートにし、それを誅伐する姿を世界に見せつけ、さらなる信仰と支持を自身へと集めようとしていた。


 それはやがてやってくるカタストロフを前に全人類の意思を統一させるためのパフォーマンスだったのだが……大きな誤算は彼が制限付きの僕にまんまと敗北したことと、十年後を見越していたカタストロフが、早々にやってきてしまったことだった。


 聞くところによれば、今あの男は戦後処理と世界の調停に忙殺されて24時間フル稼働状態だという。


 超大型歩兵拡張装甲の開発計画は中止で、アイツ自身は決戦当時ろくに役に立たなかったとして相当評判を落としたらしい。ざまあだ。まあヤツの話はどうでもいい。


「詳しい事情は知らないけど、でも明らかにフェアじゃなかったじゃない。いくらなんでもヒト一人にあんな大きなロボットで。ほとんどイジメにしかみえなかったわ」


 あのロボットの巨体は魔法を処理するために必要なスケールだったというのが本当のところのようだ。それよりも、おばさんからしてもあの戦いという名の吊し上げは、スカッと爽やかではない、後味の悪いものを視聴者に届けていたようだ。


「あのぐーたらだったタケルちゃんが、あんなにボロボロになってまで戦ってるんだもの。何かよっぽどの理由があったんでしょう? なら、肉親である私達だけでもあなたの味方でいなくちゃってこのヒトが言い出して……」


「おじさんが……?」


 脇腹を押さえながら話を聞いていたおじさんは、一切の発言を放棄したように口を引き結び、真っ赤になって顔を背けていた。


 ああ、いいな、と思った。

 なんの説明もしていないのに、ただ僕のことを信じてくれていたのだ。


 世間様から後ろ指を刺される扱いをされていても、僕の肉親だけは僕の味方であり続けてくれたのだ。


「ありがとうございます。僕は、僕の大切なヒトを助けるために戦っていました。色々と不名誉な烙印も捺されましたが、僕は一切、間違ったことはしてません」


「うん、信じてたわ。ねえあなた」


「ああ……自分の女のために恥も外聞も捨てて頭を下げられるヤツが、馬鹿なことはしないだろうしな」


 一年も経ってから、こんな嬉しくて泣き出したくなるような気持ちになるなんて思ってもみなかった。それくらい口下手で不器用であろうおじさんの言葉は、僕の胸に染みるのだった。


「それでね、タケルちゃんの姿を見て、このヒトも勇気をもらったみたいなのよ」


「それが脱サラで小説を書くことだったんですか?」


「まあねえ、私もこの歳で離婚なんてかっこ悪いから、仕方なく支えてあげることにしたのよ」


「離婚するつもりだったのかおまえ……?」


 今更の告白におじさんは愕然とつぶやく。途端おばさんは眉根を吊り上げた。


「当たり前じゃないですか。僕小説家になりたいから会社辞めるだなんて、最初は正気を疑いましたよ。ちなみに立派な離婚事由として認められるそうですよ。弁護士さんにも相談しましたし」


「そこまでしたのか!?」


 おじさんは顔面蒼白でガタガタと震えていた。

 自分が首の皮一枚で生かされ、細い蜘蛛の糸を渡っていたとようやく気づいたためだ。


 正直おばさんの支えがなければおじさんなんてすぐ干上がっていただろう。小説なんて書いてる余裕もなかったはずである。


 おじさんはスックっと立ち上がったあと、床に膝をつき、深々と土下座した。「見捨てないでくれてありがとうございます」と、どこか片言でロボットみたいな口調でおばさんに頭を下げていた。


「まあまあ、甥っ子の前でなんて醜態なのかしら。でもまあ、その覚悟に免じてもうしばらくは養ってあげましょう」


「ははーっ!」


 頭を上げたあと、おじさんは恐る恐る僕の顔色を伺ってきた。僕は親指をそっと突き出し、おじさんの勇気と覚悟を讃えた。


 今のアンタ、最高に輝いてるよ。

 こうして僕はいざという時、女性への土下座の有効性を再認識するのだった。



 *



「そういえばタケル、今おまえはどこで何をしてるんだ?」


「そうよ、あの子、えっとエアリスちゃんって言ったかしら。あの子は一緒じゃないの?」


 時間を置いて、なんとか威厳を取り繕ったおじさんが、本日の本題を切り出す。


 今僕がどこで何をして生活しているのか。かつて僕の保護者だったふたりにとっては一番気になる事柄だろう。


「えーと、実は今僕、全然違う世界で暮らしてまして」


「なに?」


「そこで王様をしながら色々商売をしてたりしてます」


「えっと……」


「それで今度結婚することになったので報告に来ました」


「…………」


「…………」


 元ニートの甥っ子が異世界で成功した。

 多くの仲間と美しい伴侶に囲まれ、仕事も順調。


 僕はおじさんとおばさんに、「さすが俺たちの甥っ子だ」と誇って欲しくて、ありのままを伝えた。だが――


「おまえは、おまえというヤツは……俺の感動を返せ馬鹿者が……!」


「おばさん悲しいわ……どんなに現実が辛くても、もうそんな虚構には逃げない強い子になってくれたと思っていたのに」


 まさか泣かれるとは思っていなかった。

 しかもガチ泣きだった。


 ふたりとも溢れる涙を隠そうともせずに、失望を宿した光のない瞳を向けてくる。やめろ、そんな目で僕を見ないでくれ……!


「いえ、冗談でもなんでもなく、本当のことなんですが……」


「まだ言うか……! 金か、やっぱり金が必要なんだろう!? いくら欲しいんだ、言ってみろ! お前が現実に復帰するためなら老後の蓄えを崩してでも……!」


「おばさんがコツコツ溜めてきたパート代のヘソクリだって全部上げるわ! あなたはあれだけの強さと勇気を見せてくれたんですもの。もう一度立ち上がれるはず……!」


 もう僕の声はふたりには届いていないようだった。まさか自分の肉親にこんな哀れんだ目で見られながら泣かれるなんて。それがこんなに辛いことだなんて思っても見なかった。


 ふたりは両脇から僕の肩をガシッと掴み、必死な様子で懇懇と説教をしてくる。僕はそっとスマホを取り出すととある番号にコールする。時間的にはそろそろ頃合いのはずなのだが……。


「あ、お疲れ俺だよ。うん、うん……そう、そこにいる。あ、一緒にいる? ちょうどよかった、今から一緒に来てくれないかな。一度来たことあるよね。頼むよホント。今回に限っては魔法を使ってもいいから、大至急きてくれない?」


 通話を終えると、まるで親の仇を見るような目で僕を睨むおじさんとおばさんたちへと口を開きかけてやめる。再びふたりの説教が始まるが僕は黙って聞いていた。下手な言い訳は火に油だからだ。


 僕は祈るような気持ちで、彼女たちの早い到着を待つしかないのだった。



 *



 それからどれだけの時間が経っただろうか。

 5分か10分か。あるいは1時間か。


 おじさんとおばさんは涙も枯れ果てた様子で、僕への説教も諦めて生ける屍となっていた。


 僕はふたりのこんな姿を見たくて報告にやってきたのでは断じて無い。ただ喜ばせたくて、祝って欲しくてやってきたのに。それなのに……。


 窓の外は夕暮れから、段々と夜の色が濃くなってきている。


 どの家庭からも夕飯の匂いが漂い始める時刻だと言うのに、我が成華家は火が消えたような有様だ。


 電気も点けていない薄闇の中、おじさんとおばさんと、そして僕だけが外気と同期し始めた室内の冷たい空気に震えていた。


 寒い。身体だけでなく、心が凍てつくようだ……!


 永遠にも思える極寒地獄の中、ついに救いの時はやってきた。ピンポーンと来客を告げるインターホンが鳴ったのだ。


「来た……、僕が出ます!」


 真っ暗な廊下を抜けて、玄関へと赴く。

 迷うことなく扉を開ければ、彼女たちはそこにいた。


「こちらはナスカの家で――と、タケルか」


「やっほー、遅れてごめんね……ってどうしたのタケル?」


 僕は両手を広げ、彼女たちを――エアリスとセーレスを抱きしめた。


 今日はそれぞれが専門知識を学ぶために学校へと赴いていた。


 アウラとセレスティアはベゴニアが連れ回していて遅くなるし、アイティアとソーラスも地球観光を楽しんでいるはずである。


 学校が終わったらぜひ会って欲しい人がいると話していたのだ。


「タケル、貴様泣いているのか? 一体なにがあった!?」


「どこか痛いの? すぐに治してあげるよ?」


 ああ、彼女たちは現実だ。

 決して引きこもりニートがベッドの上で思い描く幻想などではない。


 脅迫のように現実を見ろとおじさんたちに言われ続け、いくら本当だと訴えてもまるで信じてもらえなかった。


 そんなときふたりのぬくもりに触れたら、ふいに泣けてきてしまったのだ。情けないけどしょうがないよね?


「大丈夫だ。ふたりがいてくれれば僕は無敵だ。恐れるものはなにもない。僕の親代わりのヒトたちに紹介するから上がってくれ」


 そう言うとエアリスとセーレスにサッと緊張が走る。さすがの精霊魔法使い様でも両親にご紹介ともなれば、それがどういう意味を持つのかわかったようだ。


 お互いがお互いを見つめ合い、ササッと手ぐしで髪を整えてから、襟元や裾の乱れを直し合っている。ただでさえ完璧な彼女たちがさらに完璧になった。


 よし、往くぞ――!


「おじさん! おばさん!」


 真っ暗なダイニングで、ふたりは屍のように項垂れていた。僕は急ぎ電気をつけながら、ザオラルを唱えるような気持ちで宣言した。


「紹介します、このふたりが僕のお嫁さんです……!」


「お邪魔する」


「お邪魔しまーす」


 凛とした声に、鈴の音のような声。

 リビングデッドが生者に反応するように僅かに首を向けたおじさんがフリーズする。おばさんは見る見る目に輝きを取り戻しながら椅子を引き倒して立ち上がっていた。


「その、タケル・エンペドクレス――いや、ナスカ・タケルと、この度婚姻の儀を交わす予定のエアスト=リアスと申します」


「は、はじめまして、私はアリスト=セレスだよ。タケルとエアリスのお嫁さんになるの。いーでしょ!」


 世界は一度死んで、そして今蘇った。

 退廃に包まれていたリビングは色とりどりの花が咲き乱れる桃源郷へと変貌した。


 論より証拠がこれほど威力を発揮した例は古今東西ないだろう。ダメニートの姿を散々見せている僕が千の言葉を重ねても信用を得られないのは自業自得だ。


 でも彼女たちは紛れもない現実。

 いつかの温泉のときに買った地球用のカジュアルに身を包んだふたりは、僕が言うのもなんだが、十人中十人が振り返るほどの美しさだった。


「これは夢か? 俺たちの脳が辛い現実を拒絶して、都合のいい夢を見ているのか?」


「今流行りのARだかVRだかプロジェクションマッピングとかそういうアレかしら?」


 まだ言うか。

 僕はふたりに目配せする。


 エアリスはおばさんに、セーレスはおじさんの手をそれぞれ握った。


「一年前は挨拶もできずに失礼した。あのとき、あなたからいただいた厚意には今でも感謝している。ありがとう」


「私は夢なんかじゃないよ。ほら、暖かいでしょ。っていうか手がこんなに冷えてる。ダメだよ、ちゃんと暖かくしてなくちゃ」


 おじさんとおばさんの乾ききっていた目頭から熱いものが溢れ出た。確かな体温と質感を持ったふたりの女神の手を握り返しながら嗚咽を漏らす。


「どうか……どうか私の甥っ子を末永く、よろしくお願いします!」


「あなた達みたいな子がいてくれれば安心だわ……どうか見捨てないであげて!」


 良い年した大人が涙ながらに懇願する姿は、普通ならドン引きするところだろう。でもエアリスとセーレスは真剣な表情になると、手を握り返しながら返事をする。


「もちろん、もちろんだとも。我が生ある限り、タケルの支えとなり、共にあり続けることを誓う」


「タケルは私を救ってくれた大切なヒトなの。だから私の全部はもうタケルのものなんだから……!」


 聞いてるこっちの顔から火が出そうな告白。

 それは確かな聖句となっておじさんとおばさんの心へと降りていく。


 こうして僕は、なんとかかんとか、結婚報告をすることができたのだった。



 *



 その日の帰り道。

 人通りも失せた住宅街を僕たち三人は歩いていた。


 あの後、僕たちは家族の食卓を囲んだ。

 腕を奮ったのは王宮料理人であるエアリス。


 メニューはいつものお母さんカレーだったが、おじさんとおばさんは泣きながら「美味い美味い」と食べていた。


 地球の材料を使ったごく普通のカレーだったが、それだけに料理人の腕前が如実にわかってしまうのだろう。おじさんとおばさんは口を揃えてまた食べたいと言い、エアリスも快諾していた。


 ちなみに普段は大食漢であるところのセーレスは、緊張していたのかほとんど食事に手を付けようとしなかった。


 僕が普段の健啖ぷりを暴露すると、真っ赤になって怒ってきたが、おばさんに優しく促されると、次第に遠慮がなくなっていった。


 二杯三杯とおかわりをし、その都度幸せそうな顔をするセーレスの食べっぷりは見ていて気持ちがいい。終いにはおじさんたちは自分の娘のようにセーレスを可愛がっていた。


「やれやれ、それにしてもだ」


 夜道を歩きながら唐突にエアリスがため息をつく。


「貴様、私達と出会う前は本当にどんな生活をしていたのだ。モトハルとスミエからあれほどまでに信頼を損なうなど」


「う」


「あの喜びようって言ったらすごかったねえ。私、あんまりにも可哀想すぎてもらい泣きしちゃうところだったよ?」


「あう」


 ぐうの音も出ない。

 それだけ僕はあのふたりを裏切り続けてきたのだ。反省してます……。


「やはりな、貴様という男は私たちがいないとダメなようだな」


「そうそう、お馬さんみたいにお尻を叩き続けないとすぐサボろうとするもんね」


「そうだな。そのとおりだ」


 僕は外灯の下で足を止め、背後のふたりを振り返る。


 単なるLEDライトに照らされただけだというのに、ふたりは聖なる光を浴びたかのように神々しく輝いている。こんな奇跡みたいな女の子、もう二度と出会うことは出来ないだろう。


「改めて言うよ、これからもずっと僕の側にいて欲しい。ふたりが見ててくれるなら、僕はなんでもできそうな気がするんだ」


 エアリスとセーレスの顔がみるみる赤くなっていく。ほどなくして僕たちの影はひとつに重なり合った。


 ふたりをいっぺんに抱き寄せると、自然と顔が近づく。エアリスとセーレスが静かに目をつぶり、僕へと唇を寄せる。


「あれ……ほっぺ?」


 今のは確実にマウスツーマウスの流れではなかった?


「夜間とはいえ往来の真ん中だぞ貴様」


「ダメでしょタケル。今はこれで我慢しなさい」


 もじもじとしながら目をそらすエアリスと、いたずらっぽく舌を出すセーレス。ちくしょう、可愛すぎるぞ僕の嫁たちは……!


 あ、そうだ。

 今は我慢しろというなら、我慢しなくてもよくなるあの計画を話そう。


「今週の土曜……じゃない。今から五日後、実はふたりと出かけたい場所があるんだ」


「なに? 私とセーレスと、という意味か?」


「出かけるってどこに?」


 キョトンとするふたりに、僕は先程の告白とは別種の勇気を振り絞る。


「その日出かけるのは僕とセーレスとエアリスの三人だけだ。沖縄っていう南の海で、その、お泊りをしようと思っている」


「それは……」


「えっと、あは。そういうこと……?」


 恥ずかしい。

 僕の顔は真っ赤だが、ふたりも負けず劣らず真っ赤だった。


「アイティアたちに子供たちの面倒を見てもらう話はついてる。一晩だけでいい。完全に僕たちだけの時間が欲しい」


 ここまで言ってしまってはもはや誤魔化しも効かない。ゴクリと生唾を飲むと、その緊張感が伝わったのか、ふたりもおんなじタイミングで喉を鳴らした。そして――


「わかった。この身をすべて貴様とセーレスに委ねる。好きにするがいい」


「えっへへ……。なんか照れちゃうけど、これで本当の夫婦になれるんだね、私達……!」


 ふたりの返答を聞いた瞬間、僕の心臓が跳ね上がった。


 全身の血流が加速し、毛穴という毛穴から汗が吹き出す。


 密着していなかったら飛び上がって月まで舞い上がりそうな勢いだった。


 やったぞ……。

 16年という僕の人生はその日のためにあったと言っても過言ではないだろう。


 両思いの女の子たちと一夜をともにするという事実が、いやがうえにも僕に男を自覚させる。


 そうして僕らはひと目がないのを良いことに、しばらくの間、道端でイチャイチャを繰り返した。


 アウラやセレスティア、真希奈への説得はおいおいしていこう。


 アイティアは味方だし、ソーラスもきちんと話せば了解してくれるはずだ。


 アズズのやつは、面白がってからかってきそうだな。それぐらいは覚悟するか。


 というわけで今週の土曜日、沖縄への一泊旅行が決定する。


 そしてその前日金曜日から、僕の天中殺が始まるのだが、その原因となるのが例の幼馴染である綾瀬川心深だったりするのだ。


 僕の人生に於いてまさかあんな最高で最低の初夜が来ようとは思いもしなかったよ……。


 続く。

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