生涯最高にして最低の夜篇

第410話 生涯最高にして最低の夜篇① 幕間・週末お泊りデート計画始動〜黒猫メイドは寝取られがお好き?

 * * *



 これは真希奈(JKバージョン)と出会ったり、甘粕くんを異世界へと導いたりする数日前のお話。


「うーん、こいつはすごいな……。かなり高いけど、でも最高の思い出にしたいし。僕のヘソクリを削ればいけるか……」


 龍王城が壊れて修復中の間、地球は日本で仮住まいを始めたその日の夜。僕はみんなとの夕食を終えると、歓談も早々に切り上げ、自室でひとり、あーでもないこーでもないとパソコンとにらめっこをしていた。


『タケル様?』


 ビクンっ、と震える。

 振り返ればそこには、真希奈(人形)が訝しげな顔で僕を見ている。


 しまった。ドアが少し開いていたようだ。

 真希奈は隙間から難なく侵入し、今はふわふわと宙に浮いている。


『なにか調べ物ですか? よろしければ真希奈がお手伝いいたしますよ』


「ああいや、大したことはないよ。ほら、去年まで読んでた漫画の続きがどうなってるのかなーってちょっと、ほんのちょっとだけ調べてただけだから!」


『そうでしたか。ちなみにそれはなんという漫画ですか?』


「え、あ…………ハ○ター○ンター……」


『残念! またしても休載中です!』


「は、はは……まあ僕が死ぬまでには完結するだろ。気長に待つよ」


 僕は自分の身体でノートPCの画面を隠しながらにこやかに対応する。


 こればっかりは真希奈に調べてもらうわけにはいかない。自分の手で成し遂げなければならない。男タケル・エンペドクレス、一世一代の大勝負なのだ。


 ましてや娘の手を借りるわけには――


『そんなこと言って隙ありです!』


「おっとぉ!?」


 フェイントを入れた真希奈の機動に虚を突かれる。僕は一瞬早くノートPCのディスプレイを畳むことに成功した。


『むう……タケル様が真希奈に隠し事をされてると非常に気になります』


「いやいや、隠し事だなんてそんな。僕はいつでもお前にオープンなマインドでいるんだぜ?」


『真希奈はタケル様がエッチなサイトを見ていても気にしませんよ?』


「気にしろよ! あと違うからな!」


 などというやり取りをしているが、これは一種のプロレスである。本来なら真希奈は問答無用でノートPCにアクセスして閲覧記録を覗けるのだ。


 だが彼女は僕が本気で嫌がったら絶対にそのようなことはしない。代わりに今のようなお約束的なボケ・ツッコミを応酬し合うのだ。


『ですがなぜでしょう。今回ばかりはかなり気になります。ここで引き下がっては何か致命的なミスをやらかしてしまうような――』


「真希奈様〜」


『あ、はーい』


 廊下からアイティアの声が聞こえてきて真希奈が返事をする。


「失礼します」とドアが開かれ、艷やかな黒髪をした黒猫メイドが現れた。


「アウラ様とセレスティア様がお呼びですよ。確か一緒にお風呂にお入りになるのでは?」


『そうでした。今行きます』


 真希奈はふわふわ浮遊しながら扉の向こうへと消えていく。ほっ、助かった……。


「危ないところでしたね?」


 安堵の息をついていたところ、至近距離から声をかけられる。僕の肩に触れるくらい近くに、アイティアが立っていた。


「あ、危ないって何が?」


 慌ててすっとぼけて見せるが、黒猫は一枚上手だった。


「廊下までタケル様の慌てた声が響いてましたよ。察するに、真希奈様にもお教えできないようなことをお一人で調べになっていた、とか?」


「なぜそれを……!?」


 最近精神面の成長が著しいアイティアだ。

 以前までの彼女は与えられた仕事を可能な限り上手くこなそうと頑張っていた。


 でも今は違う。

 与えられた仕事はこなして当然。


 さらに与えられていない仕事を自分で見つけては、そこでも主人である僕に対して最高の結果を出そうと努力している。


 先輩メイドであるソーラスでさえ、最近は教えることが少なくなったと愚痴っているほどである。


「あ、これ、知ってます。『いんたーねっと』をするための魔法道具ですよね。イリーナ様もお使いになってた……。様々なことがこの場にいながらできちゃうとか」


 言いながらアイティアは椅子に座る僕の肩にピッタリと密着した。


 僕の背中越しに、机の上の四角くて薄いノートPCを興味深そうに見つめているのだが、今の僕はそれどころではなかった。


(むっ、胸が……以前より大きくなっている……だと!?)


 無意識なのかわざとなのか。僕の肩にアイティアの片パイが乗っていた。


(お、重い! そして柔らかくて温かい! アイティアはこんなものを左右に標準装備しているのか!?)


 そりゃあ胸の大きな女性が肩こりに悩まされるはずだよ。こんな重質量物が歩くたんびに重力に引かれて「したへーしたーへー」って下がろうとするんだもの。


 最近でこそ地球のブラを付けるようになってラクになったと言っていたのは大げさでもなんでもないんだ……。


「えい、見ちゃえ!」


「あ、ちょっ!?」


 僕が左肩に全神経を集中させている隙に、アイティアが手を伸ばす。パカっと開かれたノートPCは、スリープ状態から即座に復帰し、僕が直前まで閲覧していたとあるホームページを映し出した。


「わあ、綺麗な絵ですね……!」


 バインとアイティアが身を乗り出す。

 僕の肩に乗ったアイティアのおっぱい――略してアイパイが、柔らかく形を変えていくのを感じる。


 下唇を噛んで、吹っ飛びそうになる意識をつなぎとめる。そして平静を装うって解説する。


「こ、これは絵じゃなくて、写真っていうんだよ。風景やなんかをそのまま切り取って、精巧な絵にして保存しておけるんだ」


「へえ、そうなんですか。でもそれじゃあ、タケル様のいらしたこちらの世界では、絵かき屋はみんな失業してるんですね」


「しないしない。ヒトが描く絵と写真はまったく別のものだから」


 アイティアは「なるほど」とわかったのかわかってないのか判別し辛い返事をして、さらに僕の肩に体重を預けてくる。グニグニ……不味い。意識が遠のく。


「これって海のおしゃしん、ですか。とっても綺麗ですね」


「うん、沖縄ってところの海だよ。僕らがいるところは東京と言って、今は少し肌寒い季節だけど、沖縄はずっと南の方で、まだ暑いくらいなんだ」


「ステキなところですね」


 アイティアが顔を上げ、にっこりと微笑む。

 僕は内心失意のどん底にいた。

 アイパイが離れてしまったからだ。


「でもでもタケル様」


 アイパイ復活。

 僕の心は至福に満たされる。


「ここに書いてある『ほてる』って、旅籠のことですよね。三名様でご予約って、私やソーラスちゃんはともかく、アウラ様とセレスティア様は置いて行かれるんですか?」


「――ッッッ!?」


 どうせ日本語なんて読めやしないだろうと思っていたアイティアから、真希奈にさえ秘密にした事実を告げられ戦慄する。


 高次元情報生命――魔法師にとって世界に変革を促すための『OS』である精霊から得た知識で日本語を読解したのか!? こんなにあっさりバレてしまうとは……!


「それにこの文字はあらびあ数字……タケル様から明日のお買い物のために頂いたお金が二万円だから、えっと……十倍以上のお金が必要なんですか!?」


 何、何なのこの子。

 ついこの間まで生まれたての子羊のようによちよち歩きだったのに、今は肩で風きって全力スプリントで理解力を身に着けてやがる。


 僕は言い訳さえできずに「う、ああ、うああ」などと呻くしかなかった。


「ふーん。私わかっちゃいましたタケル様……」


 アイティアはアイパイを離しながら僕の顔を覗き込む。


 その表情は怒りでも悲しみでもなく、ただひたすらに生暖かい。一言でいうなら妖艶というのか。


 トロンと目尻が下がり、口角はわずかに釣り上がっていた。


「セーレスさんとエアリスさんとお泊りをされるおつもりなんですね?」


 ビンゴだった。

 男タケル・エンペドクレスの野望は計画段階で年下猫耳メイドによって看破されてしまった。


「こんな風に寝台があるお部屋から綺麗な海を眺めて、セーレスさんとエアリスさん、そしてタケル様のお三人で、一体どんなことをされるおつもりなんですか?」


「いや、ちょっと落ち着いてくれアイティア。ぼ、僕は決して不純な目的ではなくてだな、常日頃の慰労を兼ねて、たまにはふたりにゆっくりと羽を伸ばしてもらいたくて……」


「いいなあ、セーレスさんとエアリスさんは。タケル様のお妃様ですものね。私なんてお慈悲を一度も頂いていないどころか、寝所にすら呼ばれたことがないのに」


「いや、いやいやいや……キミはメイドだろう? お慈悲とか意味わかんないんだけど……」


 鈍くなった思考回路でなんとか上手い言い訳を考えるがまるでダメだ。


 そんな僕を見下ろしていたアイティアが、不意にその場で跪き、僕の腰にそっと抱きついてくる。ウーッと首を伸ばし、上半身でしなだれる姿は猫が甘えているようにも見える。


 だが腿の上には、両のアイパイが座礁したクジラのごとく打ち上げられており、その感触と見た目のダブルパンチは、僕から考える力をごっそり奪い去った。


「若い男性の主人の元へ奉公へ出るということは、当然メイド兼愛人という意味になるんですよ。タケル様にそんなおつもりがなくとも魔法世界マクマティカでは私も、そしてソーラスちゃんも、とっくにタケル様の所有物として認知されているんです」


「嘘、だろ。じゃあなんだ、僕はみんなからセーレスやエアリスだけじゃなく、キミたちにも手を出してるって思われて――もしかしてパルメニさんも!?」


「当然ですよ。タケル様とお近づきになって、龍王城に出入りできるようになった女性は、もちろんお手つきになっているものと、みなさん認識されてます」


 なんてこった。

 その理屈から行けば、もしや冒険者組合のハウトさんも?


 あのヒト家に来たのは数回なのに、その度にお手つきされてるって思われてるのか!?


 いや、さすがにそれは……でももしかして。

 異世界怖い……。


「まあでも、ダフトンにいる女たちで、タケル様のご寵愛を拒める者はほとんどいないでしょう。なんといっても、タケル様のお気に入りになることは女たちの夢……。敵対する他種族を退けた上に平定し、その労力で新たな事業を起こし、東に西に貿易の手を拡げようとされている。並のオスが100回分の生涯をかけても成し遂げられない偉業を成してしまうようなお方がタケル様なんですから……」


 アイティアは僕の腿の上でうごめく。

 アイパイをわざと押し付けるようにこすりつけ、さらに上目に見上げてくるのだ。


 そして次第に饒舌になっていく彼女の顔は赤く上気している。僕の偉業を讃える一方で、「はあ、ふう……」と興奮しているように見えた。


「ア、アイティア、おまえ……」


「でもダメ……。そんじょそこらの安い女なんかにタケル様は渡さない。エアリスさんとセーレスさんは仕方ない。お二人ともとってもお綺麗で、タケル様への愛も深い。悔しいけど敵わない。ソーラスちゃんは何を考えているのかわからないけど、そこそこ経験が豊富そうで油断できない。でも良いかな、とも思う。パルメニさんはむしろタケル様が気に入られていて嫉妬しちゃう……」


「アイティア、ブツブツと何を言って……」


 見る見るうちにアイティアは涙目になってグスンと鼻を啜りだした。


 何だこの状況は。ケモミミの女の子に縋りつかれて、おっぱいを押し付けられながら泣かれるなんて。


 最近落ち着いてきたと思ったアイティアだが、まだまだ情緒が不安定なところがあるようだ。これは精霊モリガンの影響なのか。そういえば黒髪が紫がかっているような……。


「ああ、あのお姫様もいた……。王族で上品で知性があって胸が大きくて……私じゃ勝てなそう……!」


「アイティア、落ち着け、落ち着くんだ!」


 今この状況で、どこを触ってもセクハラ扱いされそうではあるが、とりあえず僕は彼女の頭の上に手をおいた。


 艷やかな黒髪が手のひらに吸い付いてくる。しっとりしていて冷たくて、ずっと撫でていたくなる。アイティアは目を細めて気持ちよさそうに喉を鳴らした。


「タケル様……私」


 朱色に染まった頬。

 涙で潤んだ瞳。

 何かを強請るようなコケティッシュな雰囲気。


 僕は次に何を言われるのか気が気ではなかった。

 アイティアを傷つけずに拒絶する方法が思い浮かばなかったからだ。


「私、誰にも言いませんよ」


「え、何が……?」


 思わず聞き返してしまった。

 それくらい脈絡のない発言だった。


「タケル様が、セーレスさんとエアリスさんと三人で、お泊りに行くこと。少なくとも反対なんてしません。アウラ様とセレスティア様、真希奈様のお世話はお任せください」


「おお……あ、ありがとう」


 満額の回答だった。

 僕の計画の一番のネックは、如何にして当日まで秘密にし、そして家族の理解を得るのか、ということだったからだ。


 少なくともアイティアとソーラスには、アウラ・セレスティアのベビーシッターをお願いすることは確実だったので、この申し出はありがたかった。


「その代り、お帰りになってから、私のお願いをひとつ聞いてください」


「お、お願い?」


「いけませんか?」


 号泣寸前のように、目尻に決壊寸前の涙を溜めてアイティアが聞き返してくる。僕は頷くより他に術を持たなかった。


「わ、わかったよ」


「ふふ……やりました」


 アイティアが笑う。

 泣き笑いみたいないじらしい笑み。

 僕は胸がチクリと痛むのを感じた。


「色々わがままを言って申し訳ありませんでした」


「いや、いいんだ。気にしないで」


 涙を拭いながら立ち上がるアイティア。

 そのまま一礼すると、パタパタとスリッパを鳴らしながらドアの方へと向かう。


 ノブに手をかける直前、彼女はふと足を止め振り返った。


「私きっと当日の夜は……タケル様とセーレスさん、エアリスさんが三人で致している姿を想像しながら、たくさん自分を慰めちゃうと思います」


「えッ――?」


「はしたないけど……それくらいは許してくださいね?」


 そう言ってはにかむと、今度こそアイティアは退出していった。


 僕は半ば放心しながらPCへと向き直り、カタカタと操作をする。


 予約は週末三人。

 沖縄でも屈指の高級ホテルのロイヤルスウィート。ここで僕は決める。


 いままでのようなイチャイチャレベルを超越し、真なる男へとクラスチェンジを遂げる予定だ。


 でもその裏で、僕を想ってしとねを濡らす健気なメイドが若干一名、いることが判明してしまった。


「そうだった……彼女、悲恋愛好者なんだった」


 寝取り……いやむしろ寝取られか。

 向こうの世界では珍しい性癖も、地球では細分化された一つのジャンルに過ぎない。


 アイティアは自分の好いた男が他の女性と寝ている姿を想像して猛烈に興奮を覚えるイケない女の子なのだ。


「沖縄の太陽よ、海よ、珊瑚と白浜よ……僕に力を分けてくれ!」


 完成するはずもない元気玉に希望を託し、僕は気合いとともに予約決定ボタンを押した。


 直ぐ様返信メールが届き、入金の確認を行い、さらに幾度かのやりとりを経て予約が完了する。


 こうして走り出したら止まらない週末お泊り計画がスタートした。


 でもまさか、この時はあんなことになるなんて思いもしなかった。


 これから絶望するほど長い僕の人生で、生涯最高にして最低の夜は刻一刻と迫っているのだった。



 続く。

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