第407話 キミが笑う未来のために篇2⑫ ビーチでBBQ inナーガ・セーナ〜懐かしき教え子たちとの再会
* * *
強い日差しに照らされた白浜と、寄せては返す穏やかな波。
なだらかな坂道が続く街を背景に、蒼く澄んだ雄大な海が広がっている。
ここはナーガ・セーナ。
獣人種領の中にあってどこの列強氏族にも属さない中立地帯。
逆を言えば属さない故に全ての列強氏族から徴用される可能性のある街。
だが今この場所は、実質ラエル・ティオスによって支えられている。
それを象徴するランドマークが、アーク巨樹をくり抜いて造られた獣人種共有魔法学校である。
ヒト種族の魔法師は、すべからく国立の魔法学校へと進学し、その後数年の兵役が義務付けられる。
獣人種の場合は特に魔法の才を持って生まれてきた子供は、魔法の実力が確かな学長が開く私学塾へと入学させられ、魔法師の力を身につける代わりに、学長の思想に染まっていく。
そしてその学長たちは、各列強氏族と密接な繋がりを持ち、列強氏族は力のある生徒を優先的に雇用し、自身の兵隊にしていく。
私学塾に入学した瞬間から、もうすでに列強氏族のパワーゲームの駒として利用されてしまう現状を打開するために、いずれの列強氏族にも属さない、広く門戸を開けた魔法師学校を創設したのがラエル・ティオスなのだった。
*
「という背景があることは頭に入れておいて欲しい」
「了解した。どの道俺は政治的な駆け引きになぞ興味はない」
蒼い海を背景に、これから甘粕くんが住むことになるであろう、ここナーガ・セーナの説明を僕はしていた。
その背後では中天に差し掛かる日差しの中、針生くんたちが水遊びに興じている。
地理的なもので、ナーガ・セーナには冬らしい季節がない。一年を通して暑い日とむっちゃ暑い日、過ごしやすい日が一定の期間で巡っている。そして今は比較的過ごしやすい日にあたる期間だ。
「てめっ、やったなこの!」
「もー堪忍してぇ、ビショビショやん」
「ほらほらぁ、情けないぞ男どもー!」
「あっはは〜、こんな綺麗な海、パナマに行って以来だよ〜」
地球の観光地とは違う、圧倒的にヒトの少ない海を独り占めにしながら、みんなは青春の水かけっこの真っ最中だった。
まあ、彼らにはこの世界の政治の話に興味を持たれても面倒なので、遊んでくれている方が助かる。
正直、僕や甘粕くんも混ざりたいところだが、でも僕は今体面的にそのようなこともできない状況にあった。
「エンペドクレス王、そろそろ食事の用意ができるぞ。アマカスや他の客人たちも、大したもてなしはできんが、存分に腹を満たして欲しい」
そう言ってにこやかに話しかけてきたのは、話の中心だったラエル・ティオスそのヒトである。
列強氏族雷狼族の長であり、ディーオ・エンペドクレスとは先々代の雷狼族長から旧知の仲だったという獣人種だ。
成熟した大人の女性であり、家族や仲間を大切にする獣人種の中でも、一際情に厚い女傑である。
魔族種となったばかりで、なんら後ろ盾を持たなかった僕に、最初に協力をしてくれたのは彼女であり、地球渡航の方法を探していたところ、白蛇族のオクタヴィアを教えてくれたのも彼女だった。
「ああ、世話になるよ」
「世話になるなどと他人行儀な。自分の家臣のように、いくらでも私に命令してくれて構わないのだぞ、エンペドクレス王よ」
「その呼び方やめてくれない?」
現在の彼女は、ゆったりめのサマードレスっぽい衣装をまとっていて、やや日に焼けた小麦色の手足を惜しみなく露出させている。
当然狼の種族なので、お尻の上あたりからはフッサフサの尻尾が出ているが、その狼耳だけは作り物である。
本来あるべき彼女の狼耳は、ヒト種族の領域で奴隷となっていた獣人種を開放する作戦の中で、彼女が自ら切り落としていた。なので今頭についているのは、僕が半ばネタで彼女に買い与えた犬耳である。ちなみにド○キで購入した。
「なんだ……な、名前で呼べということなのか。それは色々、対外的に誤解を招きそうなのだが……そなたが良いというのなら私は構わないが――いや、やっぱりダメだ。エアリス殿に申し訳ない……!」
頬を赤らめ、何やら身悶える妙齢の美女。
隣から甘粕くんが無表情のままコツンと肘で突いてくる。
つい数時間前、久方ぶりに再会したラエル・ティオス。どれくらいぶりかというと、我竜族に占領されていたダフトン奪還に向かってそれ以来となる。
たかだか数ヶ月ぶりだというのに、その間にあった様々な出来事により、彼女は変わっていた。具体的には全体的に張り詰めていたものがなくなり、より女性的に物腰が柔らかくなったのだ。
「先程の歓待っぷりといい、おまえは大分好かれているみたいだな」
「ああ、いつの間にか好感度が限界突破してたみたいだ。おかげで話が通しやすかったし……」
ゲルブブ・キングをチャチャッと倒し、その報告も含めてラエル・ティオスの屋敷に向かったところ、ラエルを始め、家令一同全員が僕の前に跪いて出迎えるというとんでも事態に遭遇したのである。いつの間にかソーラスとアイティアもその場に跪いていたほどだ。
僕の魔法を目の当たりにし、半ば放心状態にあった友人たちは、この待遇で完璧僕を見る目が変わってしまったのは言うまでもない。
「タケル・エンペドクレス王、本来ならばこちらから馳せ参じて礼を尽くす所、わざわざのご来着、心より歓迎いたします。また、度重なる我ら獣人種の窮地をお救いくださいましたこと、厚く御礼を申し上げます」
ラエルが深々と頭を下げると、他の家令たちも同様に頭を下げた。
ああ、後ろの方で真希奈がみんなに翻訳してる。
やめてくれ、これ以上僕の貴重な友人たちを遠くにやらないでくれ。
「面を上げて欲しい。こちらにも多くの利益があってしたことだ。とはいえ、おまえにとっては長年の肩の荷がようやく下りたことだろう」
「然り。あの悪しき
ヒト種族以外の、特に獣人種に対する非人道的な教義を持っていた
聖都という総本山が消滅し、その跡地を浄化したことにより、僕はヒト種族の王都・ラザフォードに大きな貸しを作り、獣人種へと向けられていた宣戦布告や政治的な圧力を一気に解消することに成功していた。
そればかりか、聖都亡き後も獣人種への態度を改めなかった
もちろんその内容は他種族を排斥するものなどではなく、博愛と友愛を目指した真っ当なものだ。
これらのことにより、ラエル・ティオスは領地経営以外にも多くの労力を割いていた、
言わばようやく、自分本来の生き方が許されるようになったのだ。そりゃあ僕に頭を下げて感謝したくもなるだろう。
「また、炎の精霊が発現したアイティア・ノードを保護してくれたことにも感謝している。我らでは持て余すほどの存在でも、多くの精霊魔法師を擁するタケル・エンペドクレス王ならば安心して任せることができる」
最近でこそおとなしくしているが、いつプッツンするかわからないのがアイティアの中の炎の精霊モリガンである。
アクラガスの宿場町で彼女が行った葬送の炎以来、表には出てきてはいないが、アイティアの操る炎の魔法は格段に強いものとなっている。モリガンの精神的安定が実力に結びついているようだ。
それにもし万が一、彼女が暴れることになっても、僕やセーレス、エアリスならば抑えることができる。
獣人種から新たに誕生した精霊魔法師として、アイティアは未だ修行中の身であり、いずれ時期を見計らって大々的にその存在が告知されることになる予定だ。
「どうだろう、アイティア、ソーラスともに、そなたを煩わせてはしないだろうか」
「とんでもない。彼女たちはとても優秀だ。それにこれからの我が家のことを考えれば、アイティアとソーラスの存在はとても心強い」
「これから……? エアリス殿に何かあったのだろうか……」
跪いたままのラエルが眉根を寄せる。
エアリスとの付き合いはディーオの頃からかなり長いものになる。純粋に彼女のことが心配なのだろう。
ええい、ちょっぴりまだ恥ずかしさが残っているが、いい機会だから言ってしまおう。
「実は近々身を固めようと思っている。エアリスとそして
「おお……それはめでたい!」
ラエルだけでなく周囲の家臣たちからもどよめきや感嘆のため息が聞こえてきた。何気に今日一番大きな知らせである。特にこの中にはエアリスと顔見知りも多いのだろう。
「エンペドクレス王、ご立派になられました……。しかし初婚でいっぺんにふたりの精霊魔法師を娶ろうとは豪気な。世界広しといえど、エアリス殿とセーレス殿にふさわしい
「そのときはよろしく頼むよ」
こうやって周知させていくことで僕自身も自覚が生まれてくるのはいいことだ。でもなあ、やっぱり照れちゃうよね。
「して、今日はその報告に?」
「ああ、実は少し相談があるんだ」
「エンペドクレス王からの相談とは。このラエル・ティオス、できる限り力になりましょう」
そうして僕は、背後の甘粕くんたちを振り返るのだが、みんなが見よう見まねで地面に跪いている姿には参った。
どうやら真希奈が律儀に僕らの会話を同時翻訳していたらしく、彼らの中で僕はすっかり異世界の英雄になってしまっていた。
今まで通りの態度をお願いするものの、以前よりずっとぎこちない感じだ。
我竜族の町を水害から救ったアウラとセレスティアが、それまでの子供扱いから神様扱いになったときの寂しさがよく分かる。
ふ――英雄はつらいよ。
*
「タケル様、ラエル様、アマカス様、お食事の準備が整いました」
声をかけてくれたのはアイティアである。
彼女以外にも幾人かのラエルのメイドさんたちが持ち込んだテーブルや椅子をセッティングしてくれている。
僕は早速今回の目的をラエルに話し、魔法学校側に一緒に交渉しに行ってくれることとなったのだ。昼時だったのもあり、『ゲート』の魔法で移動した後は、昼食を摂りながら話を進めることとなった。
白浜には肉を焼くいい匂いが立ち込めている。もちろん、先程のゲルブブ肉である。血抜きして解体した部位を優先的にもらったのだ。
残りの肉や毛皮、牙はラエルに譲る予定である。
あの巨体だけで一財産ができてしまうので、再びラエルには感謝されるハメになった。
「しかし魔法師共有学校の美術教師か。よく考えたものだな」
円卓を意識したようなラウンドテーブルに上座も下座もなく座ったラエルが果実酒のグラスを優雅に傾けている。
海で遊んでいた針生くんたちはびしょ濡れなので、真希奈が魔法でシャワー&乾燥を行ってくれていた。
僕は隣に腰掛ける甘粕くんのグラスに同じく果実酒を注ぐ。「いや、俺は酒は」と遠慮した彼に「香り付け程度しかアルコール入ってないし、挨拶代わりに進められることが多いから慣れておいて」と言うと、「そうか、なら」と口をつける。「香料のないジュースだなこれは」というのはかなり的確な表現だと思った。
「美術の知識に精通した指導員はどのみち必要になるだろうと思ってね」
魔法師共有学校に、僕が導入した魔素との対話方法と、モノの形を絵に描いてイメージ力を養う訓練。特に後者の訓練では、思わぬ才能を開花させる子供たちが現れ始めているのだ。
同じ道具で同じ時間、同じモノしか描いていないのに、そこにはやはり絵の才能を発揮させる子供がおり、どうしても上手い下手が出てきてしまう。
だが、獣人種の世界ではそれほど芸術は重要視されておらず、他の子供より絵の才能がある子どもたちをどのように指導していったらいいのか困っていると、実は以前から相談を受けていたのだ。
甘粕くんが異世界の高名な画家の孫であり、本人も稀有な才能を持っていること。現在は職を探しており、僕が後ろ盾となることで幼い子供たちの未来に、別の可能性を与えることができるのではないかと、そう考えたのだ。
僕の話を聞くなりラエルは「なるほど。しかし実際にどれほどの実力があるのか」と疑いの目を向けてきたので、僕と針生くん、星崎くんはしたり顔になってここまで苦労して運び続けてきた巨大キャンバスを開帳した。
「こ、これは……!」
地球よりも
無地のキャンバスに『愛の意志』を丹念に描き込み、ただそこにあるだけで周囲の魔素に干渉するという逸品。
しかもここに来る直前に、絵のモデルとなった精霊アウラから風の祝福を受けているのだ。白地のカバーを取っ払った瞬間、明らかに地球のときよりも強い風が吹き抜ける。
褐色の乙女が風に抱かれる風景画は、まるで生きているかのようだった。
キャンバスの向こうに別の世界があって、僕らはそれを外の世界から眺めているような……。テレビ画面越しに動画を見ていると言えばわかるだろうか。
深緑の空に浮かぶ白い雲が滞留し、少女の髪が風に棚引いている。幻でもなんでもなく、甘粕くんの描く絵は、世界が変わっただけで、生命を吹き込まれたように輝き始めた。
ラエルはしきりに瞬きを繰り返し、他のメイドさんたちも目を丸くして息を呑んでいる。おお、これこれ。このリアクションが見たかったんだよ。
「絵? これが本当に……?」
信じられない様子のラエルに悪戯心が働く。
僕は彼女の言葉をちょっぴり挑発的に甘粕くんに意訳する。
「む。なんなら少しくらい触ってくれても構わないが……」
「ラエル、触ってもいいってさ。優しくな」
「いいのか? で、では……」
ラエルの女性らしい細い指先が恐る恐る差し出される。ふわっと、指先に風を感じ、ラエルの手が停まる。再び伸ばされる手は、ペンッ、と風に弾かれた。
「ははは、やめてってさ。嫌われたな」
なんかもう絵自体に自我のようなものが宿っているのかもしれない。そしてそのパーソナルは間違いなく女性だろう。
「ほ、本物だ……見た所魔法師でもなんでもない男が描いたただの絵に、これほどの風の魔素が……。ア、アマカスと言ったか。ぜ、是非この絵を売ってはくれないだろうか。屋敷にこの絵を飾れば、あらゆる病魔や厄災を退けられそうな気がする……!」
「いや、悪いがこの絵はまだまだ未熟だ。売るつもりはない」
甘粕くんの言葉を今度は意訳なしでそのまま伝える。
「未熟? この絵のどこが未熟だというのだ? 私にはこれ以上無い完成度に見えるのだが……」
「まあまあ、彼はまだ成長途中なんだよ。自分の作品においそれと自信を持ってしまっては先に進めないと己を戒めているのさ」
「これほどの絵を描いておきながらまだ満足できぬとは。芸術家とは恐ろしいほどの修練者なのだな」
ラエルの甘粕くんを見る目が変わっていた。
僕の友人とはいえただのヒト種族と思っていた侮りが消え、油断なく彼の一挙手一投足を観察している。今甘粕くんはラエルの中で同格以上に認められたのだと確信した。
「とにかく彼の作品を僕の許可なく売買しちゃダメだぞ。それだけは徹底してくれ」
「承知した。これほどの才能の持ち主、欲しがる貴族や列強氏族は数多といるはず。だがその者たちも、今やそなたを敵に回すような愚か者はいまい」
こうしてラエル・ティオスからも実力を認められた甘粕くんを連れて、僕らは就職先となるナーガ・セーナへと向かったのだった。
*
「うめえ! なんだこの肉!?」
「旨味が半端やないねえ!」
「それに柔らかくて口の中で溶けていくよー」
「私が食べてる部位は噛みごたえがあって最高〜」
うん、案の定というかなんというか。
切り分けられた肉の塊――一般的なスーパーマーケットで売ってるような状態になった途端、みんなゲルブブ・キングへの抵抗は完全になくなったようだ。
嗅覚から食欲を刺激された針生くんたちは、ゲルブブ・キングステーキをおかわりする勢いでがっついている。
網焼きの上で
ちなみに着火から火加減の調節まですべて彼女が魔法で制御してくれている。まさに火の番人と言えた。
「アイティア、適当なところでキミも食べなよ」
「そんな、私はメイドですので。あとで残り物をいただきます」
「ラエル、我が家ではメイドも一緒に食卓を囲んでいるんだ。なにか問題あるか?」
「ないと言えば嘘になるが、彼女はもうすでに私の手を離れてそなたの家令だ。もしアイティアに文句をいうような者がいれば、それはタケル・エンペドクレスに唾を吐くのと同じになる。そして、この場にそんな度胸があるものはいないだろう」
「というわけでアイティア、周りの目が気になるなら僕の隣で食べればいいよ」
「は、はい……、それでは失礼します」
他のメイドさんに焼き方を譲ったアイティアが、余った椅子を持って僕の隣に腰掛ける。真向かいにラエル、右隣に甘粕くん、そして左隣にアイティアだ。気のせいかな、ずいぶん距離が近い気がするんだけど。
「タ、タケル様」
「ん?」
自分の皿から一口サイズの肉の塊を木さじに乗っけたアイティアが、顔を真っ赤にしながらそれを僕へと差し出す。
「お、お口を開けてください」
「ほう……!」
僕が反応するより早く、甘粕くんが感嘆の息を漏らす。振り返れば彼は腕を組んで高みの見物を決め込んでいた。
「なるほど……!」
今度は真向かい。
ラエルが頬杖をつき、さも面白そうに目を細めている。
隣のテーブルを見やれば、あれほど食欲旺盛だったみんなが、ポカンとした顔で僕を見つめている。
「ア、アイティア、それはキミの分だろう、ちゃんとキミが食べないと……」
「い、いつもはエアリスさんやセーレスさんに遠慮していますが、おふたりがいないところでくらい、タケル様のお食事のお世話をしたいです!」
「ちょっと待って。まるで僕が普段からセーレスやエアリスに今のキミみたいなことをされてると誤解されるのは困る!」
とくに今は地球からの友人たちを招いているのだ。このままでは誤解されたまま地球に帰られてしまう。それは非常にまずい。
特に希さんと夢さんは僕の幼馴染様とも交友関係がある。結婚の報告をすることだって足取りが重くて先延ばしにしているというのに、さらにいらぬ誤解を与えかねな――
「えい」
「んぐっ」
口の中に広がる上質の脂。
サラサラと舌の上に広がり、ガツンと鼻孔に香りが突き抜ける。
そして噛んだ途端に肉汁が溢れ出し、噛めば噛むほど旨味が増していく。
これほどまでにTHE肉と呼ぶにふさわしい肉も存在しない。
そう、これに比べれば僕らが今まで食べていた肉などサンダルの底だった――
「モグモグ……ゴクン。ってアイティア、ダメでしょヒトの口の中に勝手に肉を放り込んじゃ!」
「だって、タケル様が小さくお口を開けてらしたので、食べてくれるかなって……いけませんか?」
「いけないとか、そういうことではなく――はッ!?」
ニヤニヤとイヤらしい笑みが突き刺さる。ラエルと甘粕くんだ。それだけでなく、向こうのテーブルでは針生くんは僕に親指を立てながら頷き、星崎くんはナプキンを噛んで血の涙を流している。
希さんと夢さんは――ちょっとまって、そのスマホでまさか撮影を? ダメだ、さっきのシーンを地球に持ち帰らせるわけには――
反射的に振り返る。
僕の背後、何もない白浜の上で、土の魔素の気配が急速に増大する。
大きなヒト影が、みるみる形を成していく。
否、その姿はヒトではなく、ずんぐりむっくりとした土熊だった。
「え、あ――」
アイティアは突然の熊出現にただただ目を丸くしていた。
「アイティア、ラエル、手を出すな」
僕は短く言い残すと、椅子を引き倒しながら背後へ跳ぶ。
やおら大きな腕を振り下ろそうとしていた土熊に体当たりし、食事中のみんなから一気に引き離す。
――風を切る音がした。
遥か彼方からヒトの頭大はある火球が飛来する。
僕は一瞬そちらを迎撃しようと身構え――即座に空へと飛び上がった。
「なッ――、でござる!?」
土熊の胴体を背後から抜いて現れたのはハイア。
一撃に重きを置く灰猿族の少年であり、彼が今放ったのは、純粋な魔力を推進力とした暴風のような拳撃。
だが僕という目標を失った彼は、まるで糸の切れた風船か鉄砲玉のように、猛烈な勢いで砂煙を上げて地面を転がっていく。
「――まだまだッ!」
飛び上がった僕の頭上に影が差す。
そこには太陽を背に、僕へと急降下するコリスの姿があった。
骨格からして細身な彼は女の子のような見た目をしているが、その攻撃は大人顔負けでえげつない。落下の速度に加え、手足の先から発射するコンプレッサーのような風の圧力は、たやすく少年の身体を重力の枷から解き放つ。
右へ左へ、前後左右へ。トリッキー極まりない機動に織り交ぜながら、拳による怒涛のラッシュが僕を襲う。
「どらららららァ――ッ!」
逃げ場さえないような拳の弾幕に視界を塞がれる。その全てをいなしながら滞空していると、コリスとは別の風の魔素が膨れ上がる気配を感じた。
「なるほど、お前とレンカかの二人がかかりか」
「気づいても遅え!」
ハイアの背後、さらにさらに上空に風の三連星――デネブ・ベガ・アルタイルと共に陽光の中に隠れていたレンカが流星さながらに落ちてくる。
つま先に風の三連星を纏ったレンカ・タイフーンキック。よほど練習したのだろう、拳のラッシュの間隙を突いて、その蹴りは見事僕へと叩き込まれた。
「うそッ!?」
嵐を撒き散らすレンカの蹴りを、僕は
「今なのッ」
「なに!?」
レンカの叫びは眼下へ向けられていた。
そこには、両手を突き出すケイトの姿が。
セーレスに憧れる彼女は水の魔法の使い手であり、高分子重合体――非常に頑丈な水精の糸を創り出すことができる。
複数本を束ねることで
「やった! 早く離脱して!」
「了解なの!」
「しくんなよ!」
僕を釘付けにしていたレンカもコリスも、急ぎその場から離脱していく。
そして地上から、ものすごく膨大な量の炎の魔素が集まるのを感じた。
「おお、こいつは……!」
炎の魔素の申し子であるピアニが、天を食らうがごとく仰臥していた。
ノンレム睡眠を利用した明晰夢魔素対話方法により、誰よりも深く大量に炎の魔素を集めることができる彼女は、炎の魔法師にとっては無限の火薬庫と同じである。
そしてピアニの周囲では、炎の魔法を得意とするクレスとネエムが大規模魔法を紡いでいる。クレスは炎による蹴球弾を無数に作り出し、ネエム少年は土のガントレットを纏った両手で天を衝くような炎の大剣を創り出している。
「うぉらー、いっけえええええ!」
「ナスカ先生、いつかの借りを返しますよ!」
次々と蹴り上げられる炎の蹴球。
そして空気を焦がしながら迫る炎の剣。
どちらも威力は申し分なく、僕はケイトの糸に手足を拘束されて動くことができない。
着弾。爆発で空が紅蓮に染まり、炎の大剣が振り下ろされる。
「やったの……? ナスカ先生に一撃入れられた?」とケイトの呆然としたつぶやきが聞こえたが――まだまだ甘い。
「――すごい……。おまえたち成長したな。僕にこれを使わせるなんて驚いたぞ」
爆発の煙が晴れる。当然僕は健在。ケイトの糸も、クレスの炎の球も、ネエムの炎の大剣も、全ては僕に触れた瞬間雲散霧消していた。
「なにそれ……!?」
驚愕とともにケイトが叫ぶ。
白浜に着地したレンカもコリスも、土熊を操っていたペリルも、砂まみれになったハイアもみんな僕を見上げて口をあんぐりと開けていた。
「
四大魔素全てが励起状態になった
今の僕は首から下が、鮮紅、深緑、濃藍、真黄からなる極彩色に染まっており、さながら銀河のように渦を巻いている。
魔族種領ヒルベルト大陸最高の魔法師、歩く固定砲台ブロンコ・ベルベディアと戦うためにとっさに編み出したこの技は、少年少女たちにとっては初見のはずである。
「なにそれ……ずっるーい、そんなの卑怯、聞いてないの!」
「そうだそうだ、魔法を無効化するなんてありえねえ!」
風魔法の使い手たるレンカとコリスが真っ先に抗議し――
「あたたた……、ナスカ先生にはまだまだ敵わないでござるよ」
「まあ、今回は前のときよりはよかったんじゃないかなー」
以前なら一発で魔力切れを起こしていたハイアは自力で起き上がり、自分の身体にしか土を纏わせられなかったペリルは、土熊を遠隔操作できるまでに成長していた。
「今回は絶対一本とれると思ったのに……はああ」
「まあ、そんな簡単にいかねえから俺らの先生なわけだし」
「そうだね……。悔しいけど、ナスカ先生にはまだまだ僕らの目標でいてもらわないと……」
ガックリと、その場にへたりこんだケイトは、より強度を増した水精の糸を遠くに飛ばして相手を縛する術を身に着け、クレスの蹴球弾の数やコントロールも以前より遥かによくなり、土塊の剣に炎を纏わせていたネエムは見事、土のガントレットで自分を保護しながら、より高温の炎を操れるようになっていた。
「ふわ〜あ。……終わりましたです?」
最後に、相変わらずおやすみ大王ピアニは、魔法こそ苦手なようだが、炎の魔法師たちに代わり、大量の魔素を集める補佐的な役割を見事にこなしている。
僅か数ヶ月でこれほどの成長を見せつけてくれるとは、やっぱりコイツらは僕にとって最高の教え子たちだ。
「みんな、大分成長したな。とりあえず昼飯だ。肉食うか?」
僕がそう言うと、「食べる!」と元気のいい声が返ってくるのだった。
続く。
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