第406話 キミが笑う未来のために篇2⑪ 襲来・ゲルブブ・キングとの戦い〜モンスター退治なんて簡単でしょ?

 * * *



「ここが異世界、なのか……?」


 呆然とした様子の甘粕くんが震える声で呟く。

 都心の邸宅、その中庭にいたはずなのに、突如として異なる場所へと連れてこられたのだ。驚くのも無理はない。


「で、でもよ、本当に違う世界なのか。ここは草原? どっか日本国内の山の中とかじゃねえのか?」


 針生くんも信じられないようで、キョロキョロと辺りを見渡している。


「みんな、アレ見ぃ!」


 星崎くんが僕らの頭上を指さした。

 そこには地球よりもずっと濃い色の青空が広がり、真昼の月が浮かんでいる。ただしその数はひとつではなかった。


「うっそー、月がふたつある……!」


「本当に私達、全然違う世界に来ちゃったの〜!?」


 未だ人類は月の有人着陸以外、どこの星にも降り立った事実はない。


 アポロ13号は月の裏側を通って帰還した際、地球から最も遠い40万171キロに到達した。


 その記録を優に飛び越え、地球人類で初めて他の惑星へと降り立った高校生に、みんなは成ったのだ。


「なんかようわからん、センセの手が真っ白に光り輝いたかと思ったら突然景色が変わっとったわ」


「うん、ちょっと特別な魔法があるんだよ。あんまり気にしないで」


 なるほど、星崎くんの言葉から察するに、聖剣という存在自体を知らないみんなには、その姿さえ認識することは出来なかったのか。


 僕が持つ聖剣とは、元は形のない概念的な存在で、僕や周囲の認識により『剣の形をしているもの』として姿を成すのだ。それすらも出来ないみんなには、単なる光にしか見えなかったのだろう。


『獣人種領域、ラエル・ティオス領主本館裏手、後方300メートルに魔の森が広がっています』


 真希奈が言った通り、当たりを見渡せば、平らに均された草原の上に僕らは立っていた。ラエル・ティオスの邸宅の裏に広がる魔の森、ちょうどその狭間の境界のような場所だった。


 獣人種の領域は決して肥沃とはいえない。

 何故なら彼らの領域の8割が魔の森によって埋め尽くされているからだ。


 獣人種は列強氏族と呼ばれる実力者たちを先頭に、魔の森を開拓し、日夜その版図を広げんとしている。


 だがそれはかなりの困難な道のりと言えるだろう。何故なら魔の森には魔物族モンスターたちが跳梁跋扈ちょうりょうばっこしているからだ。


 列強氏族は版図拡大と魔物族モンスターの討伐を同時に行う義務を負う。さらに領内の治安を守り、雇用を創出し、他の列強氏族とも政治的な駆け引きを日夜繰り返している。


 自分の領土さえ守れればいいという封建的な魔族種とは違い、獣人種は実にフロンティア精神に溢れ、どんな土地にも順応してしまう習性は、彼ら特有の強みと言えるだろう。


「お、おい、アレなんだ?」


 何かを見つけた針生くんが何もない平原を指差す。


 いや違った。何もなくはない。

 みんなもそれを見つけると「うわっ」と驚きの声を上げた。


「これは……懐かしいな」


 草原のど真ん中が広範囲に渡ってすり鉢状に抉れていた。


 一番深い場所で50メートルほどあるだろうか。

 穴の外縁には等間隔で杭が打たれ、ロープが張り巡らされている。


 むき出しだった土の表面にはうっすら草が生えており、時間の経過を感じさせた。


「僕が初めて大規模魔法を使った時の跡地だ」


「なん、だと……?」


 甘粕くんを始め、みんな恐る恐るといった様子で、穴の手前で首を伸ばすようにして中を覗いている。


 そんな時、「懐かしいですねー」と手を打ったのはソーラスだった。


「あのときはエアリスさんピリピリしてたから、私とタケル様がちょっとイチャついてただけで、もー怒る怒る」


「なにそれ、私初耳なんだけど……その話し詳しく教えてソーラスちゃん?」


 瞳から光が消えたアイティアが先輩メイドに詰め寄っている。うっかり口を滑らせたソーラスは悲鳴を飲み込みながら後ずさった。


「かふぇですうぃーつ食べた時にタケル様の話はこれで全部って言ってたよね!?」


「いやホントホント、もうないから!」


「うそ、絶対ある! 私にだけしゃべらせて自分だけどんな思い出を守ってるの!?」


「誤解だにゃー!」


 気炎を上げるアイティアとタジタジのソーラス。会話から察するにこの前ふたりで日本の街を観光して歩いたときのことか。


 ちなみに、基本的に僕と甘粕くんたちの会話は日本語で行われ、僕とソーラス、アイティアとの会話は獣人種の言語で行われている。常時真希奈がみんなに翻訳をしているのだが……。


「なるほど、成華が王様だというなら……」


「マジかよ、妾ってことか」


「あああ、センセと僕の間には男としてどんだけの差が……」


「エアリス先輩とセーレスさんが可哀想ー」


「成華くんマジ最低だよ〜」


 そんなことまで律儀に訳さなくていいから真希奈!


 あと誤解だから。ソーラスとイチャイチャなんてしてないから。純粋な知的好奇心から耳を触らせてもらっただけで――あ、二回目は違ったなあ。


「そ、それよりもタケル様、この規模の穴を埋め直すのも一苦労なんです。たまに家令たちが下まで落っこちて、助けに行くこともあって。いい機会だから今ちょちょいと埋めてくれませんか?」


 アイティアを押しのけながらソーラスが提案する。


 魔法世界マクマティカ帰還直後、僕はずっと休養していて、その後はナーガ・セーナの獣人種共有魔法学校へ行き、それから間を置かずヒルベルト大陸へと向かった。


 ここに立ち寄ったのも本当、かなり久しぶりになる。確かにこの場所に降り立ったのもなにかの縁だ。


「真希奈?」


『サーチ開始。内部に生体反応なし。及び周囲に私達以外に誰もいないようです』


「じゃあちょっとみんな、離れて離れて」


 全員がすり鉢の穴から遠ざかるのを確認してから僕は土の魔素への干渉を始める。


 ここで魔素分子星雲クイックドローをするほど僕も横着ではない。しっかりみんなに見せつける意味でも真黄の魔素を集めていく。


『愛の意志』を以て十分な魔素量を確保し魔力を点火する直前、僕は急ぎ背後を振り返る。


 森の方角を見たまま動かない僕にみんなが疑問符を浮かべる中、真希奈だけが反応してくれた。


『警告・後方6時の方角、魔の森から生体反応多数。――タケル様!』


「ああ、なんかトラブルらしい。ソーラス、アイティア、みんなを頼む」


「かしこまりました」


「了解です!」


 甘粕くんたちを守るよう、前面に展開する赤猫と黒猫。


 ソーラスはバッ、とスカートを捲りあげ、太もものシースから短剣二本を引き抜く。「やった、見えた!」という歓声は星崎くんか。


 アイティアもクッと顎を引き、胸の前で両手を組んで炎の魔素への干渉を始めている。


 みんなの守りは十分として、僕はさらに森の方へと歩を進めていく。


 いつの間にか肩の上にはアンティーク・ドールの真希奈が定位置のように座していた。


『タケル様、来ます!』


「おいおいおい、アレは……!?」


 魔の森の方角、林冠部から土煙が吹き上がり、次いでバキバキバキっと木々が倒される音がする。いや、その破壊音はどんどんこちらへと近づいてきている。そして――


「ブモォォォォッッ!!」


 森を抜けて姿を表したのは全身毛むくじゃらの猪豚――ゲルブブだった。


 かつて大河川ナウシズを渡り、魔の森からヒト種族の領域、リゾーマタの川辺にも現れたことのある巨大四足獣だ。


 僕とセーレスが初めて共同で仕留めた獲物であり、落とし穴にハメて、セーレスの弓と槍でトドメを刺すことができた。


 でも、今僕の目の前に再び現れたそれは、記憶にあるゲルブブの体躯を優に超え、10メートル以上もある巨大ゲルブブだった。


「逃げろー! 誰かラエル様に知らせをー!」


「このままじゃ町にまで被害が!?」


「誰でもいい、このバケモノを止めるんだ!」


「魔法師たちを呼んでこいー!」


 ラエル・ティオスの従者たちだろう、ノコギリやナタ、斧を持った森の男たちが力の限りに叫んでいる。僕の耳に届いたのは彼らの声だったようだ。それにしても――


「本当にデカイなあ。僕が昔仕留めたやつの倍以上あるぞ」


 落ち着き払った僕の声に、逆にみんなの方が慌て始めた。


「いや、仕留めたってあんなバケモノをか!?」


「もう驚かねえって決めたけど、こいつは無理だぜ!」


「こここ怖っ! センセ、はよ逃げんと!」


「もうほとんど怪獣じゃんアレ!」


「終わった〜、短い人生だったよう〜うえ〜ん!」


 夢さんが自分の生涯を儚んでいるようだが、もちろんみんなには指一本、牙のひと欠片だって触れさせるつもりはない。


「大丈夫だよ、アイツはただデカイだけで魔力とかは持ってないから――」


『タケル様、敵の魔法攻撃、来ます!』


「え――?」


 ゲルブブが天を仰ぐ。

 一瞬その胴体が風船のように丸く膨らんだかと思うと、ヤツは自分の豚鼻を思いっきり地面に振り下ろす。次の瞬間、周囲の地面が次々と爆発を起こした。


 土柱が湧き立ち、破裂し、炸裂する。

 足元を攻撃していた獣人種の男連中が木の葉のように宙を舞う。


 こいつは驚いた。


「今のは土魔法か。地中に送り込んだ魔力を土の魔素と合わせて連鎖的に爆発させているのか」


 まさかゲルブブにあんな能力があったとは。

 僕がたまたま出会った個体は魔法など使えなかったのに。


 よし、あのゲルブブは『ゲルブブ・キング』と呼称しよう。


「あのぉタケル様、感心してるところすみませんが、ラエル様の木こり連中に被害が出てるのでそろそろ……」


「ああ、そうだね。さっさと片付けようか」


 ソーラスに頷くと、僕は足元に風を集め、それを一気に解き放つ。


 まるで弾丸のように上空へと飛び上がり、くるりと反転――彗星のようにゲルブブめがけて突撃する。


「魔力パーンチ!」


 魔力殻パワーシェルを纏わせた拳を振り下ろす。


 ボキンッ、と鈍い音をさせてヤツの大木のような牙がへし折れる。


 僕の拳に殴打されたゲルブブは、顔面から地面に突っ込み、あまりの勢いにバウンドしてから遥か彼方に転がった。


「グッ、ブヒッ、ブルルル!」


 四肢を折って地面に這いつくばったゲルブブはグググっと起き上がり首を振る。目は怒りに血走り、滞空する僕を睨みつけてきた。


「おっと、割と元気だ。手加減しすぎたかな……」


『タケル様、もしかして仕留めた後にコイツを食べるおつもりですか?』


「そうそう。ゲルブブの肉は高級食材なんだ。毛皮も牙も売れるんだよ」


『でしたら殴るのはおすすめできません――――敵魔力増大!』


 再び土爆弾かと思いきや違った。

 その巨体が風船のように膨らんだところまでは一緒だったが、今度は地面に鼻先を突っ込み、フガフガ、モゴモゴと首を動かしている。一体何を――


「フゴぉ!」


 顔を上げたゲルブブの鼻孔にはミッチリと土礫が詰まっていた。


 ヤツはそれを鼻息で押し出し、散弾のように放ってきたではないか。


「これ魔法かなあ。単なる力技のような気がする」


 どうみても鼻息で飛ばしただけだろう。

 ちょっぴりガッカリである。


『タケル様、周りへの被害が拡大しています!』


 おっといかん、ゲルブブの土礫が雨のように降り注ぎ、みんなはともかく、木こり連中が逃げ惑っている。倒すのは簡単だけど、でもなあ……。


『おまかせくださいタケル様、真希奈が倒し方をナビゲートします!』


「さすが僕の愛娘。どうすれば無傷で倒せる?」


 僕はヤツの鼻息の礫を躱しながら、真希奈の指示通り風の魔素に働きかける。


 霧状の深緑のフィールドを作り上げると、それですっぽりとゲルブブの頭部全体を包み込む。


 途端ヤツのは白目を剥いて、口からブクブクと泡を噴いて崩れ落ちた。ふう、勝った。


「みんな、被害はなかった?」


「あ、ああ……俺たちはなんともない」


「それにしても、おまえ一体どうやってあのバケモノを倒したんだ?」


「エライあっさりと倒れたけど、あれ死んでるん?」


 みんなのところに戻ると、甘粕くんたちはさっそく疑問をぶつけてくる。まあ、傍目にはわからない決まり手だったからな。


『簡単です。大気組成を変化させた空気を吸い込ませ、二酸化炭素中毒を起こさせたのです』


「なんだって……!?」


 みんな小学校のときに理科で習うあの大気組成だ。窒素が八割、酸素が二割、あとは僅かなアルゴンと二酸化炭素を僕らは日常的に吸っている。


 通常空気中の二酸化炭素は0.03%ほどだが、この比率が3%になるとヒトは頭痛やめまい、吐き気を催す。濃度が7%を超えると呼吸中枢が麻痺して死に至るのだ。


 ゲルブブがいくら巨大な魔物族モンスターとはいえ、僕らと同じ世界に生きている以上、このメカニズムからは逃れられない。


「魔法って、そんなこともできるのかよ……」


 針生くんの呟きに真希奈は『それは違います』と否定する。


『こんな魔法の使い方ができるのは、真希奈という人工精霊を持ち、地球科学の知識を持ったタケル様お一人だけです。その証拠に、ソーラスさんとアイティアには、説明したところでちんぷんかんぷんのようです』


「真希奈様の仰る通り。なに言ってるのか全然わかんない」


「とにかく、空気に毒を含ませてゲルブブに吸気させたということは理解しましたけど……」


 あはは、とソーラスを頭を掻き、アイティアは難しい顔をして黙り込んでしまった。


 まあ僕だって、真希奈がコントロールしてくれなきゃ、こんな細かい魔法は制御できないけどね。


「それにしても、今の魔法もすごいけど、最初に飛び上がって殴りかかったのも迫力があってすごかったねー」


「うん、あのままでも勝てたんじゃないかな〜?」


 希さんと夢さんの鋭い指摘に頷く。

 ヤツはどうしても無傷で倒す必要があったのだ。


「無傷で? そりゃあなんでなん?」


 首を傾げる星崎くんたちに僕は喜色満面に告げた。


「もちろん食うためさ!」


 なんてったってあの巨体だ。とれる肉の量も半端ではあるまい。


 まずは赤身をワイルドステーキにして、胸肉を燻製にして、もも肉でシチューと唐揚げを作ろう。


 などという展望を語る僕がふと見ると、みんなは顔をひきつらせてドン引きだった。


「申し訳ないが、俺は辞退させてもらう」


「俺も……ちょっと喉を通りそうにないぜ」


「あのバケモノを食うって、センセ正気?」


 なんてことを言うんだ。

 確かに見た目はマンモスとイノシシの中間みたいだが、肉の味は高級ジビエ料理も真っ青なほど美味だというのに。


「味はそうかもしれないけど、目の前で死んだバケモノを即食べるってちょっと。ねえ?」


「うん、やっぱり成華くんってもうこっちの世界のヒトなんだね〜」


 言われてから気づく。

 狩猟で仕留めた獣を食べるなんて、こちらの世界では当たり前のことだ。何故ならそうしたほうが遥かに新鮮で美味しい肉を手に入れられるからだ。


 街中に生肉を持ち込んで売るのは、保存方法がないので燻製にでもするしかないのである。


「ふん、そんなこと言って、あとで食べたくなっても知らないからな」


 僕はパチン、と指を鳴らす。

 その途端、草原にぽっかり空いていたすり鉢状の穴が塞がる。

 瑞々しく黒々とした土が地面から沸き起こり、あっという間に蓋をしてしまったのだ。


 みんなもう魔法は見ただろう。

 魔素分子星雲エレメンタル・ギャラクシーで穴の中を満たし、土の魔素へと変換したのである。超簡単なお仕事だった。


「お見事ですタケル様、幸い木こりたちも軽い怪我程度で済んだようです。私は一足先にラエル様の元へ先触れに参ります。お友達とごゆっくり館までお越しください」


 ソーラスはアイティアに護衛を託すと、風のような俊敏さで草原を駆けていった。さて、行きますか。


「あれ、みんなどうしたの。行くよ」


 アイティアと真希奈以外の全員が、呆然と穴の方に向かって立ち尽くしていた。


『タケル様、少し待ってあげましょう。彼らは驚き疲れたようです』


 初めて聞いたそんな言葉。

 みんなが現実に帰還するまでたっぷりと待ってから、僕らはいよいよラエル・ティオスの館を目指すのだった。


 続く。

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