第402話 キミが笑う未来のために篇2⑦ 天才の遺伝子を持つ男〜不器用な彼が退学した理由とは?

 * * *



事案じあん』というらしい。

 本来は法的、政治的な問題に使われる言葉だったが、昨今では用法が変わってきた。


 問題視される事柄、という意味で使われ、不審者が不特定多数の人物に声をかける、近づく、あるいは触る、といった出来事も問題視される事柄――すなわち『事案』と呼ばれるようになった。


 豊葦原学院高等部の同じ町内には、幼稚園と小学校がそれぞれ存在する。

 二ヶ月ほどまえ、公園で遊んでいた小学生の女の子に「可愛いね」などと声をかける不審者が現れた。


 幸い女の子は走って逃げたために被害はなかったが、その後、何件か同じような声かけ事案が続いた。


「おはよう」「こんにちは」「どうしたの」などなど、小学校低学年から幼稚園生までの女の子に対する事案が連続して起こり、いずれも事件には発展しないまでも、町内に注意喚起の触れが出されるまでになった。


 今の時代、それらの情報はSNSを通じた口コミで伝達される。噂はあっという間に拡散され、豊葦原学院高等部に通う生徒たちにも広く認識されていった。


 そんなとき、ふざけたとあるひとりの男子生徒が、つい口にしてしまったのだ。


「なあ、今噂になってる不審者って甘粕あまかすのことなんじゃねーの?」と。


 結論から言ってそれは誤解だった。

 僅か半月足らずで犯人は特定された。

 最近町内に越してきたばかりの老夫婦の旦那さんだった。


 本人はつい孫を見るような気持ちで優しく声掛けしたというのだが、日が暮れかけた薄暗い路地と言ったロケーションが多く、声をかけられた女子生徒は、相手を確かめることもなく、一方的な恐怖心からいずれも逃げ出していた。


 まさか自分がしていたことが子どもたちを怖がらせていたとは知らず、旦那さんはショックを受けて寝込んでしまったそうだ。


 だが、それとは全く関係のないところで、最大の被害を被ったものがいた。

 それが甘粕志郎あまかすしろうという男だった。



 *



 日が傾き始めた通学路を、僕ら五人は歩きながら会話を続けていた。針生くんを先頭に星崎くんが続き、僕を挟んだ後ろには希さんと夢さんが続いてる。


「最初はふざけ半分で言った言葉だったらしいんだ。だがそれを又聞きした別の奴が、勝手に噂を広めたらしい」


「ついにやりやがった、とか、いつか犯罪者になると思ってた、とか。僕らの耳に入ってきたときには取り返しがつかんようになっとったんよ」


「そんな……!」


 針生くんと星崎くんからもたらされた友人の近況に僕は絶句した。

 もちろん、以前から誤解されるような言動を繰り返していたのは甘粕くんの方だ。


 本人の性格は謹厳実直きんげんじっちょくで大の子供好き。特に小さな幼女を父親のように慈しみ、守りたいとさえ思っているのが彼だ。


 ファーストコンタクトからして僕とエアリスの娘、アウラに対して半ば告白じみた土下座までしてきたが、あとからよくよく聞いてみれば、神々しすぎるアウラの美しさにショックを受けたことによる暴走だったという。


「娘さんを僕にください」などと言われれば、もちろん今の幼い姿のままのアウラを娶りたいのかと思ったがそうではなく、将来美しく成長したアウラと付き合いたいという願いからの告白だったとか。


 精霊であるアウラに神聖さを感じていたのは無理からぬことだが、彼女は成長しないと言うと、かなり本気で落ち込んでいたっけ……。


「とにかく、あの土下座事件も有名になっちまって、甘粕=ロリコンってイメージがすっかり定着しちまってたんだ」


「あれは酷かったね。甘粕っちのことろくすっぽ知らんやつならまだしも、クラスメイトも彼のことを無視しとったもんねえ」


 二年の先輩に犯罪者予備軍がいる。根っからのロリコンで町内の小学生を狙っているらしい……などと、そんな噂が全校を駆け巡り、ついには甘粕くん本人が生活指導室へと呼ばれる事態にまで発展した。


「甘粕くんも、必死に言い訳をするようなタイプじゃないからねー」


「本当だよ〜。本人だけずっと落ち着いてて、周りだけがすっかり盛り上がっちゃったもんね〜」


 希さんと夢さんも、彼のことを知る数少ない女子の友人として噂を否定していたらしいが、いかんせん甘粕くん自身が静かすぎたために、言い訳をしないのは認めている証拠だ、などと誤解されてしまったそうだ。


 そしてついに、彼に対しての陰湿ないじめが始まった。


 下駄箱や机の中に「ロリコン死ね」と言った手紙が入っていたり、あからさまに無視をされたり、軽蔑の目で見られたり。果ては正義感ぶった他クラスの男子たちが、昼休みに教室に乗り込んできて、大声で甘粕くんをなじる真似までしたらしい。


「なんだよそれ……! 僕ちょっと、そいつらマジで殺したいかも……!」


 話を聞いている僕の胸の奥、喉の下、肺の真ん中あたりがキリキリと傷んだ。

 そこには多分怒りと悔しさといったものがいっぱに詰まっているはずだ。

 歪んだ正義感を振りかざすもの……死すべし!


「ちょ、待て待て、なんかお前、陽炎かげろうっていうか、『気』みたいなのが全身から出てるぞ!」


「センセが言うと洒落にならんからちょい落ち着いて……!」


 いつの間にか僕の全身からは湯気のように魔力が溢れ出していた。

 魔法師でもないみんなには見えないが、その魔力密度から周りの大気の揺らぎは克明に捉えることができたようだった。


「うわあ、マジでドラ○ンボールみたいじゃん」


「成華くんってかめはめ波とか撃てるの〜?」


「それは撃てないけど、似たようなことならできるよ。今から甘粕くんを吊し上げたそいつらの自宅にぶち込んでこようか?」


 お好みとあればナ○トみたいに火遁の術だって一通り使えるよ。


「やめろって!」


「まさか僕らがセンセを止める側になるとは……」


 まあ冗談だよ。半分は本気だけどね……。


「本当ならなあ、俺だって、そいつら全員その場でぶん殴ってやりたいところだけどなあ……クソッ!」


「やめーや針生っちも。代表候補から外されんで」


「――ちッ、わかってるよ」


 この一年の間に針生くんは空手のオリンピック候補に選ばれているのだ。空手に注いできた情熱や努力を、同級生への暴力で無にすることはできない。そして甘粕くん自身にも、そう言われて嗜められたそうだ。


「もしかして、それが切っ掛けで甘粕くんは学校を?」


 退学させられてしまったというのか。

 僕の問いに重たい空気が漂う。


 忸怩じくじたる思いを振り切るように、前を歩く針生くんがバシっと手のひらに拳を打ち付けた。


「自主退学だよ。あのバカ野郎が……!」


「ホンマ、一言の相談もなく勝手に辞め腐ってからに」


 星崎くんも、悔しそうに顔を歪めていた。


 後にも先にも、甘粕くんが弁明したのは一度だけ「俺はやっていない」と言ったのみだったという。その後は、周りに好き放題言われ続け、そのたびに針生くんや星崎くんの方が懸命に彼を擁護したり、弁明したりしていた。


 多分、これ以上学校にいても、自分を信じてくれる友人たちに迷惑がかかると思ったのだろう。ある日突然、彼は学校を辞めてしまう。朝のホームルームで担任から告げられた事実を、針生くんも星崎くんも、しばらく飲み込むことができず、呆然としてしまったそうだ。


「じゃあ今甘粕くんはずっと自宅に? ご両親とかは納得してるのかな?」


 僕が発した当然の疑問。

 だが足を停めた針生くん、星崎くんが真顔で僕を振り返っていた。


「そっか、そうだよね。成華くんが知ってるわけないかー」


「私達も、針生くんから教えられたときはびっくりだったからね〜」


 僕の背後で希さんと夢さんが頷いている。

 何か僕だけが知らない共通の常識があるらしい。


「甘粕のやつは一人暮らしだ。両親はガキの頃に死んだらしい」


「今住んでるのは、子供のときに引き取られたお祖父さんの家なんやて」


「そ、そうなの……?」


 さらりと言われた衝撃の事実。

 まさか彼がそんな重い身の上だったとは。

 そして親代わりだったお祖父さんも、ずいぶん前に亡くなっているらしい。


 再び歩き始めた僕らがどこに向かっているのかと言えば、それは当然、甘粕くんの自宅だった。


 五人が五人とも押し黙ったまま、十分ほどの道のりを歩いていく。

「ここだ……」と針生くんが見上げた家は、それはそれは立派なお屋敷だった。


 今僕が暮らしている邸宅よりかは幾分古めの洋館だ。

 庭などはあまり手入れされていないのか、庭木や雑草が伸び放題になっている。


 辺りはすっかり闇に包まれ、門の上や玄関まで続くアプローチには外灯が煌々と点っている。どうやら生活に必要な電気は通っているみたいだが……。


「学校を辞めてから、実は一度も甘粕の顔を見てねえんだ。携帯もつながらねえし……」


「何度呼び鈴鳴らしても出てこないんよ。滅多なことはないと思うけどなあ」


「うん、やっぱり反応ないねー」


「今日も会えないのかなあ。せっかく成華くんが来てくれたのに……」


 希さんと夢さんが門の脇にあるインターホンを押しているが、まるで反応がない。電源自体を切っているようだった。


「いや、そういう事情なら行こう」


 キィっと門を開け、敷地内へと入っていく。

 邸宅は2階建てで、見る限りの窓に灯りはついていない。

 両開きの玄関前に立ち、僕は強めにノックする。


「甘粕くん! 成華タケルです! 甘粕くん!」


 声を上げてから耳を澄ます。

 常人離れした僕でも、一切の物音を拾えなかった。

 針生くんはあからさまに舌打ちをし、星崎くんは「またか……」とため息をついた。


「でもずっと留守なんて変だよねー」


「うん、甘粕くん、どこに行っちゃったんだろう〜?」


 希さんと夢さんも心配そうにしている。

 これはちょっと最悪の事態を想定しなければならないかも。


「連絡が取れなくなってからどれくらい経つの?」


「アイツが学校辞めたのが10日前で、もう一週間くらいだ」


 ガチャガチャっと、ノブは動かない。

 さすがに玄関は施錠されている。

 よし、こうなったら……。


「入ろう」


 僕の手の中には扉の鍵が握られていた。

 それを鍵穴に差し込み、回す。

 カチャン、と扉が解錠される。


「お前、なんで甘粕ん家の鍵なんか持ってるんだ!?」


「たった今魔法で作ったんだよ」


 鍵穴に水の魔素で作った液体を入れて型を取り、お次はそれを土の魔法で固めただけだ。ピッキングいらずで簡単に合鍵が作れちゃうのだ。


「マジか……」


「な、なんでもありやなー」


「魔法すげー!」


「でもちょっと夢が壊れたかも〜」


 四人それぞれの感想を聞きながら、僕は扉を開ける。

 中は真っ暗だったので、風の魔素で作り出した深緑の鬼火を焚く。

 突如現れた光球にみんなが息を飲んだが、声を上げるのは自重したようだった。


「お邪魔します」


 僕が先頭で不法侵入を果たすと、みんなも「お邪魔します……」と後に続く。

 靴を脱いで玄関を上がると、長い廊下が続いている。

 そしてその廊下の両脇には、おびただしいまでのキャンバスが立てかけられていて、今度は僕の方が驚きの声を上げた。


「これは……全部甘粕くんが描いたの?」


 どれもこれも未完成のものばかりだったが、素人目から見てもかなり上手な絵だった。プロが描いたと言われても信じてしまいそうだ。


 風景画、人物画、抽象画。

 特に人物画は写実的で実に繊細なタッチで描かれており、特に美人画は写真と見紛うほどの出来栄えだった。


「甘粕が絵上手いのは当たり前だぜ」


「せや、さっき言ってた亡くなったお祖父さんいうのが、山本黄赤やまもときせきやからね」


「そうだったの!?」


 僕は思わず大声を出してしまった。

 山本黄赤。巨匠と言われた西洋画家である。

 特に西洋美人画が有名であり、その精緻な作風は未だに多くのファンを持っている。


 絵画なんてわからない僕だが、山本黄赤の名前だけは知っているほど有名だ。


「ここもその祖父さんの屋敷なんだよ。多分額縁に入ってるのが祖父さんので、キャンバスに描かれてるのは甘粕の絵だと思う」


「ほ、ほとんど遜色がないんだけど……!」


 山本黄赤画伯の絵と、甘粕くんの絵。

 単純な好みで言わせて貰えれば、現代のタッチで描かれている甘粕くんの美人画の方が好きだった。


 山本画伯は戦後間もなく隆盛した画家だからか、貧しい時代の女性をふくよかに描く傾向が強く、甘粕くんはスレンダーか、あるいは筋肉質に描くことが多いようだ。


 どちらが綺麗か綺麗じゃないか、という意味ではなく、自分の好きな女の子――セーレスやエアリスに近いのは甘粕くんの絵の方だった。まあ将来的にあのふたりがふくよかになることもあり得るが、僕の愛は変わらないと断言しておこう。


「前に来た時よりさらに増えてやがるな」


「甘粕っちもお手伝いさん雇って掃除くらいえすればええのに」


 最もな意見だったが、確か生前の山本画伯は気難しい性格で、ヒトをあまり寄せ付けたがらない人物だったはずだ。そんなヒトが自宅にお手伝いさんを雇うとは思えない。多分その基質は甘粕くんも同じなのだろう。


「ちょっとちょっと男子たちー、今は甘粕くんを探そうよー」


「そうだよ〜、人様の家に勝手に入っておいておしゃべりはダメだよ〜」


 まったくその通り。

 希さんと夢さんに促されながら、奥のリビングルームへと侵入する。

 そこで僕らは見てしまった。


「甘粕くん……!」


「嘘だろおい!」


「何しとんねん自分!」


「いやーッ!」


「甘粕、くん……!」


 おびただしいまでの画材に埋もれるように、リビングの中央で甘粕くんがうつ伏せに倒れていた。


 想定していた最悪の事態だ。

 動けないみんなに代わり、僕が真っ先に甘粕くんを抱き起こす。

 その顔は痩せこけ、ダランと力なく首が落ちる。


「馬鹿野郎……死んでなんになるんだよ――……あれ?」


 死人のように精気のない顔。

 だがそれは鬼火の色が悪い。

 僕は炎の鬼火も作り出し、光量を上げてリビングを真昼のように照らす。

 そして息を思いっきり吸い込んだ。


「――甘粕くんッ!」


 耳元で叫ぶ。

 死人のような真っ白い顔がピクリと動き、薄っすらと目が開く。


「甘粕っ!」


「甘粕っち!」


「よかったー、生きてたー!」


「びっくりさせないでよ〜!」


 四人がそれぞれ甘粕くんを呼ぶ。

 みんな涙目になって安堵している。

 だというのに、その場に遠慮のない「グゥ〜キュルルゥ」っという音が鳴り響いた。


「は、腹減った……」


 とりあえずみんな、甘粕くんを殴るため順番に並ぶのだった。


 続く。

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