第395話 キミが笑う未来のために篇㉝ 精霊の祝福とエピローグ〜再起を決意する王様と住民たち

 *




 ダフトン市の北に広がるゴルゴダ平原から音速を超えて飛んできた僕は、目的の町を眼下に認めると、町の被害を確認するため減速を始めた。


「なんてことだ――――!」


 その異常はすぐにわかった。

 激流となったルレネー河の流れとは対象的に湾内はまるで静かな湖面のような佇まいが広がっていたからだ。


 港湾施設と町の一部は、まるであの大開口を封印した聖都跡のように、清らかな水で満たされていた。


 大河川の横腹を抉るように造られた港湾施設は、荒ぶるルレネー河とは無縁であるかのように、一切の干渉を拒絶し、ただただ静かに凪いでいる。


 そこに明らかな大規模魔法の跡を見て取った僕は、思わずホッとしすぎて墜落するところだった。


 そして、高台に避難する多くの人々の中に、見慣れた飛竜の巨体を見つけるなり、魔法を使った者の正体を知る。


 僕は子どもたちの元へ向け、ゆっくりと高度を落としていった。


「おお……!」


「龍王……!」


「タケル・エンペドクレス様だ……!」


「三代目様……!」


 見た顔もいれば知らない顔も大勢いる。

 それでもみんなの方は僕を知ってくれているようだ。今はそれに応えることなく、飛竜の元へと歩を進める。


『おまえたち、何やってるんだ?』


 ビクっと飛竜の影に隠れた幼子ふたりが肩を震わせる。オクタヴィアの飛竜が僕と足元のふたりに何度も視線を往復させている。


「しー……」


「私達はいないって言って!」


 言ってって、竜相手に無茶言うなよ。

 飛竜も飛竜で涙目になってるし。


『アウラ、セレスティア、出てきなさい』


 できるだけ平静な声で言ったつもりだったが、ちょっと硬い響きになってしまった。案の定子どもたちはビクッと肩を震わせた。


 そしておずおずと飛竜の足元から出てくる。その顔はしょげかえっており、アウラはしきりに指いじりをし、セレスティアは俯きながら僕の様子を上目に伺っていた。


『正直に答えなさい。あれと、これは、おまえたちがやったのか?』


「あれ」とは静かなる湖面のことで。

「これ」とは、横たわってはいるが、しっかりと胸を上下させて自立呼吸をしている人々のことである。


「ご……ごめんなさ……」


「お父様、ごめんなさ――」


 何を勘違いしたのか謝罪の言葉を口にしようとしたので、掻っ攫うようにふたりを抱き上げた。


『えらい! よくやったお前たちッッ!』


 おっと、嬉しすぎて声にさえ魔力が乗ってしまった。あまりの大声に周りが顔しかめている。失敬。


「え……?」


「お、お父様、怒らないの? 私達、お父様の言いつけを破って自分たちだけでここにきたのに……」


 ああ、なるほど。

 以前魔素花火の試し打ちで連れてきたときは、まだまだ施設の基礎ができるかできないかくらいだった。


 開発が進んで、子供の遊び場としてはふさわしくないから行かないようにと注意していたのだ。


『いいか、お前たちは大きな事故を防ぎ、たくさんのヒトの生命を救ったんだ。僕に言われるまでもなく、自分たちの判断で自主的にそれをしたんだ』


 だからえらい。

 彼女たちの中にキチンと善悪の判断が醸成され、生命の優先順位が養われた証拠である。本来ヒトならざる彼女たちだからこそ、その価値はとてもとても尊い。


「まほう……つかった。おこらない?」


『怒らないよ。みんなを助けるためだったんだろう?』


「ホントにホントにお父様怒ってないの?」


『怒ってないとも。ふたりにはご褒美に、食べきれないくらいアイス買ってやる』


 バッと、僕の腕の中でアウラとセレスティアが手を突き上げる。


「ッ、やった……!」


「うわあ! やったー!」


 僕の腕の中、全身で喜びを表現する子どもたち。

 そのまま腕をすり抜けてふたりとも空へと上昇していく。


 そんなお子様たちの様子を、周囲の者たちは口を開けて呆然と見上げていた。


 うむ。いい加減、説明が必要なようだな……と思っていた矢先だった。


「皆、無事か――ッ!!」


 ヒヒーンという嘶き。

 馬も泥だらけなら騎乗する本人も泥まみれ。


 誰であろう、この町の統治者である我竜族の王、ミクシャ・ジグモンド率いる親衛隊の面々だった。


「おおお……、これは……!」


 よほど体力を消耗しているのか、馬を降りた途端カクンと膝が抜けるミクシャ。それでも思いとどまると、高台の上に避難した人々を眺め回し、フラフラと僕の元へと駆け寄ってくる。


「タケル・エンペドクレス王よ……もしや既に事態は収束してしまったのだろうか?」


『うむ。どうやらそのようだ』


「なんということだ……!」


 今度こそミクシャ膝から崩れた。


「この度は我らが管理していた上水門の解放により、大変なことになってしまった。皆には弁明の余地もない。すべては私の責任だ……!」


 なんでもミクシャはウーゴ商会との会談途中、早馬にて大水の知らせを受け、直ぐ様上水門を堰き止めるために動いていたのだという。


 知らせを持ってきた早馬はそのまま港湾への警告に走らせ、自分はいち早く大本の原因をなんとかしようと考えたようだ。なかなか的確な判断と言えた。


「なんとか一度閉じた上水門を解放し、再び支流に水を分散することができた。もうすぐルレネー河も荒ぶるのをやめるはずだ……」


 この町を治める者として、己の使命を果たしてきたミクシャだったが、そんなことくらいでは彼女の心は晴れない。あろうことかそのまま、町の住民たちに向かって頭を下げる。


「皆もすまなかった。半年にも及ぶ労力が水の泡となってしまった。本当にすまない……!」


 それは王にあるまじき失態。

 上に立つものはみだりに下々へ頭を下げるべきではない。だがそれでも、ミクシャは涙ながらに謝罪を続けている。


 そうしているうちに、ミクシャの親衛隊である我竜族の男衆までもが彼女と一緒に頭を下げだした。


 ミクシャは僕と同じく未熟な王だろう。でも自分の臣下には慕われているようだ。彼女ひとりに頭を下げさせることに耐えきれず、彼らもまた「すまなかった……!」「我々の責任だ……!」と繰り返している。


 我竜族も変わった、と僕は思った。

 以前の彼らならヒト種族や獣人種を前にして頭など下げただろうか。


 自分たちは根無し草で流浪の民だから、ここがダメなら別の土地にいけばいいと思っていたのではないだろうか。


 でも今は違う。

 泥に塗れても、頭を下げてでも守りたい場所が彼らにはできたのだ。だから必死に縋り、謝り、少しでも取り戻そうとしている。


「もうやめて欲しい。我竜族の王よ」


 それはジャンだった。

 ヒト種族の貴族出身である彼は、この場の誰よりも上に立つ者の謝罪の重さを知っている。ミクシャは真っ赤に腫れた目で、決然と彼を見上げている。


「俺はここに来てまだ日は浅いが、それでも被害を受けた者のひとりとして、言わせてもらう」


 ジャンが周囲を見渡す。

 彼の断りに異を唱える者は誰もいなかった。


「確かに損害は大きなものとなった。多くの施設や設備、資材が破壊され失われただろう。だが幸いなことに、失われた生命はひとつもないはずだ」


「なんだって? ひとつも? それは真か!?」


 ミクシャが僕の方を見てくる。

 当の僕はアウラとセレスティアを――あー、空の彼方でまだはしゃいでる。


 まああのふたりが魔法を行使して、取りこぼした生命などないだろう。コクリとうなずく。


「なんと……不幸中の幸いとはこのことか……!」


 ミクシャと親衛隊の男衆がガックリと項垂れる。

 一番の懸念が解消され、力が抜けてしまったようだ。


「俺は思う。この町の火は絶やしてはならない。ヒトと獣人種と魔族種が渾然となったこの町は貴重な存在だ。俺は自分の伴侶と共に、この町で生きていきたい」


 グイッと隣のイオを抱き寄せるジャン。

 おお……今のおまえすっごい男前だぞ。


「そうね。私も、こんなに懐が深い町は初めてだから。できればこの町で、自分の好きなヒトと家族を作りたい……」


 イオがジャンを見上げる。

 ジャンもまたイオを見つめながら頷く。


 僅かな間に、ふたりはもうすっかり夫婦になっていた。夫婦が親となり、子供を育んでいくためには、それに適した場所が必要だ。そのためにこの町が必要であると、統治者へと告げている。


「そうだ! 俺だって諦めないぞ!」


「またやり直しましょう!」


「せっかく真っ当な仕事が見つかったんだ!」


「俺も嫁が欲しい!」


 まざまざと絶望の光景を見せつけられたはずの人々が声を上げる。一度は折れかけたであろう心を繋ぎ、再び立ち上がろうとしている。


 まさかそんなことを言われるとは思っていなかったのだろう、ミクシャは信じられないとばかりに周りを見渡し、親衛隊たちは男泣きをしていた。


『今回のことは予想はできなかった僕――我にも責任はある。もう一度始めよう。そのために必要な資金や手助けはできる限り約束しよう』


 おお――っと人々が歓声を上げた。

 せっかく懐も暖かくなっていた矢先だったが、お金ってのはこういうときに使うものだと思う。


「――ッ、皆の気もちはわかった。このミクシャ・ジグモンドこれまで以上に砕身の覚悟で臨ませてもらう。まだまだ未熟ではあるが、どうか私と共に歩んでいって欲しい……!」


 万雷の拍手が沸き起こる。

 今この瞬間、本当の意味でこの町の王が誕生した。


 臣下や住民と共に同じ目線と歩幅で成長していく王様。そういうのもいいかもしれない。


 遠すぎて近づくことすらできない隔絶の王様よりかはずっといいはずだ。


「タケル・エンペドクレス王」


 いつの間にかミクシャが僕の目の前に来ていた。

 晴れ晴れとしたその素顔は、初めて会ったときよりずっと大人びていた。顔を隠してる僕なんかよりよほど偉いよおまえ。


「改めて礼を言いたい。よくぞ住民たちを救助してくれた。心より感謝する」


『いや、それには及ばない。実は今回は我も部外者なのだ』


「なに? それはどういう……?」


『危ないところで皆を救ったのは我ではなく、あの子たちだ』


 僕は空を指差す。

 そこには風の魔素と水の魔素を纏って飛び回るアウラとセレスティアがいた。


「あいす……あいす……!」「やったー! きゃっほー!」といつまでやってるんだか。


「そうだったのか。アウラ様とセレスティア様が。偉大なる風と水の精霊様のご加護のおかげだったのだな」


 まるで祝福を齎す天上人のように、大空を飛び回る精霊娘に目を細めるミクシャ。


 だが、その発言を聞いた住民たちは――とんでもない衝撃を受けたようだ。


「ミクシャ王よ……今なんと?」


「え、え、え、あの子たちがなんですって?」


 ジャンとイオが戸惑いの声を上げる。

 ざわざわと、人々が騒然とし始める。

 ミクシャはキョトンとしながら、ただ事実をありのままに話した。


「なんだ、皆は知らなかったのか。偉大なる精霊魔法使いであるエアスト=リアス殿とアリスト=セレス殿は知っているだろう。それぞれ風と水の精霊が具現化し、ヒトの姿を形作ったのが、あちらのアウラ様とセレスティア様なのだ」


 もうそこから先は収拾不可能な騒ぎとなった。

 今まで一部の親しい者たちしか知らなかった衝撃の事実が白日の元に晒されたのだ。


 そして僕もどうやら認識不足だったが、ダフトン市の上空で戯れて遊んでいるアウラとセレスティアの姿は認識されていなかったようだ。


 正確には神像(F−22ラプター)とこの飛竜とが頻繁に戦っている、という風にしか見えていなかったのだ(何その世紀末的恐ろしい日常)。


 だが実際は神像を操っていたのは子供の姿をした精霊様であるとわかり、人々は一斉にその場に跪くと、空を飛び回るアウラとセレスティアを拝み始めた。


「ありがたやー!」


「本物の神様……!」


「俺、俺、精霊様に助けてもらったのか!」


「この町はでっかくなるぞ! なんてったって精霊様のご加護があるからな!」


 などなど。

 とにかく、みんなが前向きになってくれてよかった。いや、前に向きになりすぎて目がギラギラしてるまである。


 改めて四大精霊のネームバリューってすごいんだと思い知ることとなった。


 おーい、アウラにセレスティア、いい加減降りてこいよー。



 *



 人々が跪き天の精霊を崇めている最中、少し離れた場所では……。


「なんと……まさか精霊様がヒトの子供の姿となって我らの前に降臨なされるとは」


「うん、でもあんまり神様扱いされるとアウラ様とセレスティア様って拗ねちゃうかもね」


 瀕死の重傷から回復した我竜族の少年ラワンと、その傍らにはビオの姿があった。


「あのおふたりのことを知っていたんですか?」


「私、エアリスちゃん――エアスト=リアス様とは友達だから。いろいろ教えてもらってたの」


 あれほどまでにラワン少年の一方通行だった会話が今では成立していた。ビオは彼を拒絶することなく、ただ静かに受け答えをしている。


「あ、あのビオさん。あのときは、とっさだったとはいえすみませんでした。手とか大丈夫でしたか?」


「そういえば両肩と左肘が外れてたわよ」


「す、すみません、大丈夫ですか!? 僕、どうしてもあなたにだけは死んでほしくなくて、力加減が、その……」


 途端あたふたし始めるラワン少年に、ビオは「ふ――」と笑みをこぼした。


「すんごい痛かった。手首にもくっきり跡が残っちゃうし。私傷物にされた気分」


「う、あ……ご、ごめんな――」


 謝罪が途切れる。

 泥だらけの彼の手をビオはそっと握りしめていた。


「許さないから。私のことあんなに乱暴に扱って。これからはこんな風に優しく触ってよね……」


「そ、それって――!」


 ビオは少年の胸に飛び込んだ。

 幸いなことに、みんなは精霊様に夢中で、誰もふたりを見てはいなかった。


「もうあんなこと絶対やめて。あなたが犠牲になって私だけ助かってもちっとも嬉しくない。とっても悲しかったんだから……!」


「す、すみません……。あの、私はもう許されないのでしょうか?」


 大きな図体がしょんぼりと肩を落としている。

 最初は受け付けなかった所作が今では何故か可愛く見えてしまう。ビオはよいしょっと手を伸ばし、彼の頬を引っ張った。


「もちろん許さないわよ。多分一生ね・・・・・


 頬を引っ張り、目線を合わせると、ビオは未だあどけない少年に唇を寄せた。


 ラワンが真っ赤になっている。自分の顔もきっと同じだろう。


 その日、ビオとラワンは、精霊様の祝福は本当にあるんだと、改めて知ったのだった。



 *



 ビオとラワンの姿を誰も見ていない、とは言ったが、それは語弊があった。


 ひとりだけ、怪我から回復して目覚めたばかりのホビオ・マーコスは、どうやってくっつけようか悩んでいた少女と少年が、仲睦まじく口づけをする瞬間を目撃してしまった。


「あれ……どうなってるんだ? なんでいきなりあのふたり仲良くなってるんだ? どうも記憶が……?」


 結局は「まあいいか」と再び気を失うホビオだった。



【キミが笑う未来のために篇】了。

 次回【キミが笑う未来のために篇2】に続く。

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