第394話 キミが笑う未来のために篇㉜ 河辺に舞い降りる精霊の奇跡〜そういえばまだ鬼ごっこの途中…

 * * *



「ビオさん、早く逃げないと――!」


 轟く警鐘。

 怒号と絶叫により混乱を極める港湾施設。


 さっきまで、あんなに楽しそうな雰囲気に包まれていたのに、今はもう人々の悲鳴しか聞こえない。


 私が見上げる大きな我竜族の青年――実は年下のラワンくんは、顔面を蒼白にしながら震えていた。


 その首筋から頬にかけて、ヒト種族や獣人種にはない薄い鱗のような文様が見えた。極度の興奮状態にあるとき、我竜族は身体の一部に竜斑紋と呼ばれる種族的特徴が現れると聞いたことがある。でもそれが極度の恐怖のときにも出るとは初めて知った。


「何してるんですか、早く――!」


 グイッと、すごい力で腕を引かれる。

 だが何故か、私は自分で動く気にはなれなかった。


 ズルズルと引きずられるように歩き出し、ようやく駆け出す。手を引く彼は、私が呆けていることにすら気づかないほど必死なようだ。


 大水とはなんだ。

 それが上流から押し寄せるとはどういう意味だ。


 しょせんまともな教育を受けたこともなければ、あの食堂で料理を作ること以外何もしてこなかった私には、決定的に想像力というものが欠けていた。


 だから――


「来たぞ――――!!」


 一際けたたましい警鐘が耳をつんざく。

 どこからかグゴゴゴっと何か地鳴りのようなものが聞こえてきた。


 それは、整備された河川敷を削りながら濁流となった大水が迫る音。私の生涯で二度と聞きたくない音。


 そして私の手を・・・・引く少年の命を・・・・・・・奪った音だ・・・・・


「何、あれ……?」


 ガランとしていた港湾施設の向こうから、泥色のバケモノが立ち上がるのが見えた。手も足も存在しない、大きな大きな頭をしただけの泥んこの赤ん坊のようだと思った。


 それが、河川の横に建設された湾に、倒れ込むようにして流れ込んでくる。


 警鐘が鳴っていた物見やぐらが一瞬で飲まれる。最後までみんなのために鐘を鳴らし続けていたおじさんは悲鳴も上げられず大水の中に消えた。


「いやッ…………!」


 私は、ようやくわかった。

 わかったときにはもう遅かった。

 死ぬ。みんな死んでしまう。

 私も、私の手を引くこの少年も。

 全ては濁流の中で消えてしまう。


 何故、と不意に思った。

 何故、私は大嫌いなはずの彼と一緒に逃げているのか。


 何故、拒絶されていると知りながら彼は私の手を離さないのか。


 そうだ、特別彼が悪かったわけではない。

 むしろ彼は街の支配者たちの中でも異端だった。


 彼が一番若く未熟だから、悪い心に染まった大人たちに逆らえなかっただけではないか。


 大人たちが踏み壊した信頼という絆を、懸命に拾い上げる努力を彼はしていた。


 王様となったあの女性が、自ら謝罪行脚に来るより以前、彼ひとりだけがそのための下地を作っていたことを、私は知っていた。


 お金が無いからと、労働を提供する彼は、壊された店舗を補修し、重い荷物を運び、下げられるだけの頭を幾度となく下げていたのだ。


 私はそれを知っていたのに、知らないふりを続けていた。狭量な私の心は、憎しみを忘れたくなかった。


 いや、それも嘘だ。

 私は臆病で弱かっただけ。


 一度謝罪を受け入れてしまえば、自分たちよりずっと強くて怖い彼らと対等になってしまう。


 罪悪感という鎖で彼らを縛り、ずっとずっと上の立場から頭を押さえつける方が安心できると、そう考えてしまっていたのだ。


 おばあちゃんの料理を粗末にされたとか、街のみんなに暴力を振るわれたとか、たくさんのモノを壊されたとか、そんなものいくらでも取り戻せる。


 今この瞬間、二度と取り戻せないものはたったひとつだけ。そして私は決定的な過ちを犯し、神様はそんな私に最大の罰を与えようとしていた。


「ごめんなさいビオさん。もう間に合いません」


 私達のすぐ背後に死は迫っていた。

 せっかく造った施設も、頑丈そうな桟橋も、何もかもを破壊しながら、大水は濁流となって、壊した木材を凶器として孕みながら追いかけてくる。


 あの階段――向こうに見える階段を登りきれば高台の上に出られる。たくさんの避難したヒト達が私達に呼びかけている。急げ、諦めるなと。


 でももう無理だ。とてもではないがあそこまでなんて走れない――


 その時、彼が足を止め振り返った。

 真剣な顔で私と、私の背後に視線を送り、再び私を見る。


「ふたりで逃げていては間に合いません。少し乱暴にします」


「え――」


 彼が私を抱き寄せる。

 一瞬の抱擁。だがすぐさま突き離すと、わたしの腕をこれまで以上の力で思いっきり掴んできた。


「痛ッ!」


 握り潰されるほどの握力。

 見れば彼の腕の筋肉は倍ほどにも膨れ上がり、顔面に浮いた竜斑紋は真っ赤になって血が滴っていた。


「う――――おおおおおおッ!」


 彼が回った。

 私の足元がふわりと浮いた。

 グルグルとすさまじい回転で振り回され肩が抜けそう。


 そう思った次の瞬間、私は空を飛んでいた。


 彼の姿が遠ざかっていく。

 私は足元を先頭に宙を飛び、遠ざかっていく彼をどうしようもなく見送ることしかできなかった。


 笑っていた。

 何やら満足した様子で私の姿を目に焼き付けるように。


 そして濁流が彼を飲み込んだ。


 私は、辛うじて高台の鉄柵に引っ借り、見ていた大勢のヒト達に引っ張り上げられた。両肩と左肘を脱臼していた。手首には彼の手跡がくっきりと残っていた。


 それだけが、彼が私に残した、生きていた証となった。


 関節が外れた激痛に耐えながら身を乗り出せば、今まで見ていた立派な港湾施設は泥のバケモノによってめちゃくちゃに破壊されていた。


 私は叫んだ。

 ありったけの悲しみと憎悪を込めて。

 何を言っているのかもわからない獣の咆哮を上げ続けた。



 *



「ああ……せっかく作ったのに…………もうおしまいだ……!」


 誰かがそう呟いた。

 数ヶ月にも渡る努力の結晶は無に帰った。


 上流から押し寄せた大水は、港湾施設の全てと湾に近い町の一部を完全に飲み込んでしまった。


 町のほとんどの住民たちは、高台の上に避難しながら、築き上げてきたものが脆くも崩れ去る光景をまざまざと見せつけられていた。


 この町には新たな可能性があった。

 ヒト種族と獣人種、そして魔族種が手を取り合い、将来に大きな利益を享受し合えるという可能性があった。


 我竜族は恒久的な安住の地と仕事を。

 ヒト種族と獣人種は新たな商売の版図を。


 利益という絆で結ばれながら、いつしか他種族同士が手を取り合うという真の絆で結ばれていった。


 港湾施設はその象徴だった。

 まさに他種族混合で造り上げた絆の証だった。


 それが今、目の前で壊されていく。

 空っぽだった器に破滅的な勢いで水が満ち、収まりきらず溢れていく。数ヶ月にも及ぶ時間と労力をあざ笑うかのように。


 大人たちは嘆いていた。

 呆然とするもの、泣き崩れるもの。

 そして今九死に一生を得たばかりの少女の咆哮は、誰か大切なヒトを失ったためか。


 悲しみと怒り、絶望。

 それらの感情が渦巻くさなか、子どもたちは初めて目の当たりにする大人たちの慟哭に大いに戸惑っていた。


「みんな……かなしい」


「うん、みんな泣いてるね」


 大人たちの足元で周囲の景色は見えないが、アウラとセレスティアは人々の抱く感情の色を視覚的に捉えていた。


 自分たちに接する大人たちはみな明るい色の感情を向けてくる。それが今は全てが全て闇色に塗りつぶされていた。


 誰一人として希望の光を纏ってはいない。

 嘆きが、悲しみが、怒りが、絶望が、そこかしこに溢れていた。


 アウラはクイッと側にいたイオの手を引いた。

 まるでそれを合図にするように、イオの膝が抜け、その場に崩れ落ちた。


「いお……?」


「イオ、泣いてるの?」


「アウラちゃん、セレスティアちゃん」


 ふたりのお子を抱き寄せながら、イオはさめざめと涙を流した。


 先程まで笑顔だったイオの変わりようにアウラとセレスティアは驚いたように目を丸くした。


「ごめんね、せっかくごはん作ってあげようと思ったのに、お家無くなっちゃった……」


 濁流と一緒に飲み込まれた町の共同長屋にイオとジャンの住まいはあった。


 狭く小さく慎ましく。だが、将来を誓いあった男女に取っては唯一無二の帰る場所だった。


「私まだここにきて一月くらいだけど、それでもみんなすごく頑張ってたから。ここでならきっと幸せになれるって、そう思ってたのに……」


 誰も自分を豪商の娘として見ない。

 ジャンもまた貴族の子息としてのしがらみのない新しい土地だった。


 定期収入もある仕事に着き、せっかくこれから将来に向けて進んでいけるはずだったのに。


「大丈夫だ……」


 ジャンは、前を向いたまま、絶望の光景から目をそらさずに、しゃがみ込むイオの頭の上に手をおいた。

 その無骨な手は僅かに震えながらも、優しくイオの頭を撫でた。


「お前がいる。俺も生きてる。いくらでもやり直せる。だが、それができないヒトもいる……」


 水が押し寄せたとき、港湾で作業を続けていた者たちは、その殆どが助からなかった。


 泣き叫んでいるあの少女もまた、大切なヒトを濁流に飲み込まれたのだ。


 失われた労力と時間、そして尊い生命。どれひとつとして取り戻すことはできない。


 全ては天災。

 ここより上流で河が反乱するほど増水していたなど誰も知り得なかった。もっともっと気をつけておけばよかったなど今更の話だ。


 天よりの災いは、誰を恨むことはできない。

 だが失われた生命は、人々に悲しみを刻む。


 決して癒えることのなく、ただ時の忘却が痛みを和らげるのを待つしか無い。


 そして、再びこの町が活気に包まれることはないだろう。同じだけの人材とお金と時間を掛けることなど不可能。


 なにより、この光景を前にして、再び立ち上がろうという気概を持つ者など誰一人としていなかった。


「いお……なかないで」


「うん、泣いちゃダメ」


 ジャンの無骨な手の脇から、優しく暖かな手が添えられる。小さな木の葉のような手が、イオの頭に触れていた。


「ありがとう、アウラちゃん、セレスティアちゃん。でもごめん、今は無理かも……」


 ここに来て日が浅いイオであっても、これほどの熱い情の涙を流せるのは、この場所がそれほどまでに暖かったからだ。


 よそ者であっても差別しない。能力とやる気さえあれば誰でも平等に機会をくれる。


 我竜族という流浪だった種族は排斥され忌避される痛みを知っている。どこに行っても蔑まれるだけの旅をようやく終えることができた彼らは、懐深くヒトも獣も区別なく受け入れてきた。


 そんな町の明るい灯火が消えてしまい、イオは泣いた。素直に泣ける自分はまだいい方だから。


 最初からこの町の開発に携わっていた者たちほど、未だ現実を受け入れられず呆然と立ち尽くしている。そんな者たちの心の痛みを慮って、イオは泣いているのだ。


「わるいのはダレ?」


「悪いのはあのドロドロの水だ!」


「じゃあ……やっつける」


「そうだね、やっちゃおっか!」


「アウラちゃん? セレスティアちゃん?」


 イオは涙に暮れながら、抱きしめているお子たちの様子が変わったことに気がついた。愛らしい容姿に似つかわしくない勇ましい言葉が吐かれる。幼子たちはそっと、湾の方へと向き直った。


「たくさんのいのち、まだいきてる……」


「今ならまだ、間に合いそうだねー」


 子供らしからぬ超然とした雰囲気。

 次の瞬間、アウラとセレスティアの身体から光が溢れた。


 深緑の光輝と濃藍の光輝。

 それは物理的な圧力となって、イオやジャン、周囲の者たちの間を吹き抜けた。


「うそ……」


 イオの呟きはその場にいた全員の代弁だった。

 魔法の才のがあるイオのみならず、全く才のない他の者たちですら、見て感じ取れるほどの濃密な魔素の気配。


 悲しみと絶望に支配されていた人々が、そのただならぬ気配に振り向き、天を仰ぐ。


 まるで人々の頭上に見えない道でもあるかのように、子供たちはテクテクと空を歩き、鉄柵の前までやってきた。


「せれすてぃあ……やって」


「おっけー、任せて!」


 金色の髪にヒトより長い耳をした幼女が鉄柵の上に降り立つ。


 港湾をまるごと飲み込み、町の一部をも削り取った大水は底の土を拾い上げ、なぎ倒した施設や民家、木材を体内ですり潰し、凶器の汚泥と化している。


 高台の淵ギリギリを侵食し、あわよくばその上に避難する人々さえも取り込まんと押しては引き、引いては押すを繰り返している。


 ヒトの力では抗いようのない災害。それを前にした金髪の幼子はニンマリと笑みをこぼした。


「とりあえずさあ、汚いから浄化しちゃうよ!」


 誰が止める暇もない。

 まるで我が家の階段を降りるように、金髪の幼女は鉄柵から一歩を踏み出した。


「わっ!」と人々が悲鳴をあげる。返ってきたのはドボンという入水音。今この泥水の中に入ることは即ち死を意味する。幼子の超然とした雰囲気に飲まれ静止が間に合わなかった。何ということだ。


「セレスティアちゃん!」


 ヒトをかき分け、イオが鉄柵から身を乗り出す。ジャンが上着を脱いで飛び込もうと身構える。その直前で変化は劇的に起こった。


「え――?」


 渦を巻いていた汚泥がピタリと静止する。

 遥か向こうに見えるルレネー河の激流など無いかのように、渦を巻いていた湾内が完全に停止する。


 そして少女が没入した当たりを中心に、水が清浄な色へと見る見る変わっていく。一寸先も見通せなかった泥水が、川底まで見渡せるほどの清らかな水へと変わり、プカプカと木材の破片が大量に浮かんできた。


「一体なにが起こったの……!?」


「ぷはっ!」


 ピョコンと頭を出したのはセレスティアだった。

 よいしょっと、呑気に呟きながら水の上に難なく屹立する。


 異国情緒の漂う上質の服をびしょ濡れにしただけで、怪我をした様子はまるでない。


 イオはホッと胸を撫で下ろしたが、彼女の無事を喜んでいる暇はなかった。


 何故ならセレスティアはこちらを振り返りながらプクッと頬を膨らませ非難の声を上げたからだ。


「私ばっかり大変じゃん。次はアウラの番だよ」


「わかってる……」


 今度は浅葱色の髪をした褐色の幼女がドボンと入水するのを、人々は黙って見ていることしかできなかった。自分たちの目の前で何かとんでもないことが起きているのだと理解し始めたからだ。


 パアッと、褐色の幼女が沈んだ途端、水底が輝いた。まるで水の中に染料を溶かし込むように、深い緑色の光が広がっていく。


「みんな……つかまえた」


 水面すいめんから顔を出した褐色の幼女の手を、金髪の幼女が引っ張り上げる。


 ふたりとも当然のように水面に立つその光景を人々は固唾を呑んで見守った。


「まだ……ちょっぴり生きてる」


 見渡す範囲、清らかな水で満たされた湾内のあちこちからボコボコと気泡が沸き立つ。


 ひとつやふたつではない、十、二十、三十と、見渡すかぎりの水面から気泡が立ち、その奥から溺れていた人々が次々と浮かび上がってくる。


 彼らは全身が泥に塗れ、その手足は無残にもへし折れていたが、アウラが僅かに手を振ると、深緑の輝きが全身を包み込む。


 そしていかなる原理なのか、その身体はフワリと浮かび上がり、高台の上へ次々と移動してくる。


 大人たちは自然と後ずさっていた。

 恐怖に慄いたわけではない。冷たく汚穢な川底で傷ついた仲間たちが、深緑の輝きに抱かれながら宙を移動し、自分たちの足元へ次々と横たえられていく。そのための場所を彼らは自然と空けていた。


「ラワン!」


 怪我をしているのだろう、両腕をブラブラとさせた少女が横たわる人々の中に入っていく。


 彼女が名前を呼んだのは大柄な我竜族の少年だった。立派な体躯はボロボロで、手足はあらぬ方を向いていて、全身血の気を失って真っ青になっている。


 他の者たちも似たり寄ったりの有様で、その生命の火は今にも消えてしまいそうだった。


「ああ、あああ……! 私のせいでこんな……アンタひとりだったら逃げ切れたはずなのに、それなのに……!」


 両腕が使えない少女は少年の胸へ縋るように顔を寄せた。身体を支えられず、倒れ込みながら泣き叫ぶ。


 泣いていたのは少女だけではなかった。

 変わり果てた同胞たちの姿に、人々は誰もが涙していた。医者も神官もとても間に合いそうにない。


 皆が諦めかけていたそのとき、突如として目を焼くほどの光が爆発した。


 横たわる人々が藍色の輝きに包まれ、その渦中にいた少女は、己の中にあった絶望や怒り、悲しみが消えていくのを感じた。心と身体が軽くなり、胸の奥がドクンドクンと熱くなってくる。


 これは一体――


「ビオ、さん……?」


「え……!?」


 その声に顔をあげる。

 目を開けた少年が、首を持ち上げて胸の中の少女を不思議そうに見つめていた。


「ラワン――あ、ちが、これは違うの!」


 慌てて身体を起こした少女は、腕の痛みが無くなっているのに気がついた。


「うそ、怪我が治ってる?」


 周りを見渡せば、氷のように冷たくなって横たわっていた人々の顔に赤みが差し、中には目覚め始めている者までいた。


「とりあえず、死にそうになってたヒトは全部治しておいたよ」


「せれすてぃあ……えらい」


「ふふーん、もっとほめていいよ!」


 再び空を歩き、高台へと降り立ったふたりの幼女。褐色の子に頭を撫でられ、金髪の子はご満悦な様子だった。


 大人たちは騒然となった。

 同胞たちが助かって嬉しいはずなのに、今目の前で起こった出来事が信じられない。


 空中を闊歩し、濁流を鎮め、水の中から人々を救い、水の上に屹立する。


 どれひとつとってもヒトの御業とは思えない。

 まるで神様が起こした――そう、神の奇跡のような出来事だった。


「ア、アウラちゃん、セレスティアちゃん……。あなたたちは何者なの?」


 イオに問われ、アウラとセレスティアはお互いの顔を見合わせた。


「なにもの……わたしたちは」


「ダメよアウラ! ここに来ちゃダメってお父様に言われてたでしょ! 名乗ったらダメ!」


「そうだった……」


「えっとねえイオ、私達は通りすがりのただの精霊だよ」


「えッ――!?」


 その言葉の意味にイオが固まった途端、頭上を巨大な影が覆った。人々は悲鳴を上げ、蜘蛛の子を散らすように逃げ惑う。


 バッサバッサという羽撃きと暴風。

 神話の世界の飛竜ワイバーンが現れたのだ。


「グガアアアア!」


 硬い鱗と鋭い爪。

 ヒトなど丸呑みにできそうなほどの大口。


 身の毛も凍る恐ろしい飛竜ワイバーンの登場に、イオはアウラとセレスティを抱き寄せ、ジャンは腰だめの剣を抜いた。だが――


「わすれてた……」


「そうだったー。鬼ごっこの途中だったんだ」


「グガア!」


 ズシン、とその場に降り立った飛竜は人々を襲う――ことなどなく、イオとジャンへと……正確にはイオに庇われるアウラとセレスティアへと鼻を寄せる。


「わかった……こんどはこっちがオニ」


「好きに逃げていいよー」


「グルゥ、ガルゥ!」


「え……つかれた?」


「情けないなあ」


「ガァ……」


 幼子たちは飛竜とにこやかに会話をしていた。

 先程見せた奇跡の数々に、おとぎ話でしか聞いたことのない巨大な飛竜の登場。


 次から次へと起こるありえない事態に、人々は混乱の極みに達しようとしていた。


 続く。

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