第386話 キミが笑う未来のために篇㉔ 炸裂・女剣士の超必殺技〜謎のモンスターの正体発覚!?

 * * *



「間違いない、ここが……!」


 そこはまるで墓場だった。

 何かが決定的に終わってしまった場所。

 新しい物語など始まるはずもない跡地。


 燃え落ちた木材は風雨に晒され朽ち果て土に還り、それでも逞しく伸びた草が、身の丈を越えてそれを覆い隠そうとしている。


 そこはかつて人魔境界線を守護していた者が住んでいた家。領主リゾーマタ・デモクリトスが触れるなかれと町民に強いていた場所。


 そして恐らくは、タケルとセーレスが暮らしていたところだった。


 しん、と静寂が支配する森の中、パルメにはどうしてもこの場所に足を運んでみたかった。


 僅かに伝え聞いた限りだが、ふたりに襲いかかった悲劇と、タケルの死と再生の物語は、パルメニの想像を絶するものだった。


 突然の再会。

 死んでいたと思っていた彼が生きていることも衝撃だったが、いつの間にか彼は本当に一国一城の主になっており、それより以前にヒトですら無くなっていた。


 アズズ・ダキキの力を、一端とはいえ使いこなせるようになったパルメニにとって、魔族種とは超越存在に他ならない。


 ヒト種族が持つ潜在能力を限界まで引き出すことでしか成し遂げられないアズズの剣の術理。だがそれも、彼が肉体を持っていた頃の半分にも届かない力だというそれは、彼女にとっては破格の力だった。


 それを歯牙にもかけないタケルの姿に、見果てぬいただきのさらに雲の上を感じ取り、パルメニは訊いてみたものだ。「アンタが完全な状態でタケルさんと戦ったらどっちが勝つの?」と。


 仮面のアズズは長い長い沈黙の末に、『剣と魔法、武器と徒手空。一概には比べられねえが、確実に言えるのは、町や国が消し飛ぶ戦いになるな……』というものだった。


 なんだそれは。それはもう災害と同じではないか。

 魔族種同士がお互いに不干渉を敷いているのはそういう理由もあるのか。


 だが、魔族種となっても、タケルはタケルだった。ヒト種族の頃となんら変わらない素朴な彼の姿に、とても安堵したのを覚えている。


 今回、帰郷を果たしたのは、叔父ロクリスへの生存報告と、そして自分の立ち位置を今一度見定める意味が含まれている。


 アズズとも意見が一致していることだが、人魔境界線とは国の要衝である。


 今現在のリゾーマタの姿こそが正しい姿なのだ。

 数十年もの間、平和が保たれていたのは、間違いなくセーレスのおかげなのである。


 そんな彼女がいなくなり、今までのツケを払うかのように、人々は魔物族モンスターの驚異に晒されている。


 大変な災害を乗り越えたばかりの王都からも、兵を抽出しなければならない事態に陥っており、今は冒険者たちの奮戦によって辛うじて体制が維持されているのだ。


 さて、そんな冒険者たちにも限界はある。

 それこそが、最近頻発しているスライム――シーラームの大量発生に伴うリゾーマタ防衛戦である。


 森の向こうに広がる大河川ナウシズと、その元となる大瀑布の滝。それらはシーラームが活発化しやすい自然の地形である。


 以前はカウロスの亜種と思われる凶悪な魔物族モンスターにより、町民が襲われる事件もあったらしいが、アデラート神官の要請でやってきた近衛兵団の騎士たちによって追い払うことに成功したという。その後、王都を襲った地揺れとミュー山脈の噴火に伴い、各地の復興支援のため彼らは帰還してしまい、再びリゾーマタの軍備が増強されるまで今しばらく時間がかかるらしい。


「た、大変だ、誰か助けてくれっ!」


 僅か半刻前。

 パルメニが浄化の勇者一行のひとりだと知った叔父を始めとする冒険者一同とアデラート神官により、彼女が崇め奉られていた現場に、悲痛な叫びが轟いた。


 それは救いを求める偵察役の冒険者のものであり、満身創痍の彼にアデラート神官が治療を施しながら問いただせば、曰く水辺に恐ろしい魔物族モンスターが現れ、まるで川辺すべてがシーラームと化したかのように大変規模が大きいものだった。水の触手のようなものに仲間が囚われてしまい、急いで助けて欲しい――というものだった。


 アデラート神官を始め、冒険者全員の脳裏を過ったのはかつての記憶。牛頭の魔物族モンスター、カウロスの変異体。一切の魔法攻撃が効かず、大変な耐久力を持っていたそれに、多くの町民が殺されてしまった。


 そして今回のは恐らくそれのシーラーム版。水辺にて水精の魔素を吸収し、巨大に膨れ上がったであろう魔物族モンスターは、もはや現存する町の戦力ではどうすることもできないと予想される。


「勇者様……!」


 誰かの小さな呟き。

 その声は絶望に口を噤むみなの間に驚くほどよく通った。

 全員が一斉にパルメニに注目し、口々に熱意と期待を込めて「勇者様」と呟く。

 やがて大合唱と化した呼びかけに、パルメニはため息をひとつ。


「アズズ、悪いんだけど」


『まあ、いいんじゃねーの。俺らにどうしようもない魔物族モンスターなら、どのみちコイツらじゃ勝てるわけねーし。もしそんなのがいるなら拝んでみてえ……!』


 そんなやり取りだけで方針は決まった。

 パルメニは「じゃあ、ちょっと行ってくるから」とだけロクリスに言い残し、水辺へと向けて歩き出す。冒険者たちの声援は、パルメニが街道に出るまで止むことはなかった――


「それにしても、キミは本当についてきてよかったの?」


「大丈夫です。絶対に邪魔はしません!」


 水辺へと向かう途中、是非夢の跡を目に焼き付けようと、かつてタケルとセーレスが暮らしていたというあばら家へとやってきたパルメニ。その傍らには、パルメニよりも小柄な少年の姿があった。


 彼の名前はリュディア。

 隣の宿場町からやってきた、冒険者なりたての少年だった。


 彼もありがちだが、冒険者になる前は冒険者という職業に夢や憧れを持っていた。

 だが実際になってみて現実を知ると、思った以上に死が身近にある職業だとわかったという。


 実際今日も彼は死にかけた。ポッピンシーラームの自爆に巻き込まれかけたのだ。それを間一髪で救ったのがパルメニであり、もともとそのお礼が言いたくて仲間たちに今日の出来事を話している内に、女の剣士ということでスピノザに興味を持たれてしまい、ロクリス食堂へ引きずられてやってきたのだった。


スピノザアイツの評判の悪さは有名でした。ただの臨時徴用だっていうのに、自分は正規兵になったんだって嘘ついて、やたら偉そうにしてましたから。正直パルメニさんがアイツぶん殴ってくれてスッキリしましたっス!」


 ニカっと欠けた前歯を見せて笑うリュディアは、やっぱりまだまだ子供っぽい。

 実際、元服したての年齢で、歳はまだ15だとか。これでタケルよりひとつ下なのだと思うと、パルメニは不思議な気分になってしまう。


(これが普通なのよね……)


 つくづくタケルは傑物なのだと分かってしまう。

 もちろん運も良かったのだろうが、一度手に入れた機会や力を、後付けの努力で自分のモノにしてしまったという点で彼はとてつもない。同じ年頃の子どもを目の前にすると、やっぱり突出しているのだとわかる。


「なんスか、俺の顔に何かついてるっスか?」


「いえ、なんでもないわ」


 誰もがしっぽを巻いた水辺の魔物族モンスター討伐にリュディアだけがついてきた。大人たちに代わって自分が勇者様の戦いを見届けるつもり、らしい。


「リュディア、もう一度確認するわね」


「はいっス!」


 やたらと元気がいい。

 目をキラキラさせて、尊敬の念を隠しもしない。

 まあ、やってきたのがこの子でよかったのかも。

 少なくともスケベ心を働かせる冒険者の大人たちに比べれば……。


「今回の最優先課題は、魔物族モンスターに捕らえられてしまったという冒険者の救助。それが成功したら戦闘。もしもう手遅れなら、すぐさま戦闘。そして勝てないようならできるだけ情報を持ち帰る。いいわね」


「わかったっス!」


『よー、ガキぃ』


 パルメニが被っている仮面から重厚な声が響き、リュディアはビクッと肩を震わせた。


『おめえ、獲物はその戦槌だけか?』


「そ、そうっス!」


 リュディアの武器は鋼鉄製の大きな槌だった。

 未だ体格は小柄だが、力は大人並みにあるらしく、渾身の振り下ろしで四足獣型の魔物族モンスターの頭を一発でかち割ったこともあるらしい。


『相手はシーラーム……水の魔素の集合体だ。生半可な攻撃は効かねえし、おめえを助けてる暇もねえ。いざとなったら切り捨てるぞ』


「わ、わかってるっス!」


 一見厳しいように聞こえるアズズの言葉だが、パルメニも口を挟むつもりはない。

 冒険者とはそういう職業。自分の生命も守れない者になる資格はない。

 それがわかっているからこそ、リュディアも迷わず頷いていた。


(まあそれでも、可能な限りは助けてあげよう)


 パルメニは少年を負担と考えるのではなく、彼を守ることにより、より慎重に、粘り強く、諦めないための枷とした。


 少年を死なせない。そして自分も死なない。冒険者も助けるし魔物族モンスターも倒す。


 結局彼女は何一つ取りこぼす気はないのだった。



 *



「さて、そろそろね……」


 生い茂る木々や野草の向こうに切れ間が見えてきた。

 森が終わり、砂利が敷き詰められた河原が近づいているのだ。


 身を低くし、獣のように手足を使って森の切れ目へと接近する。

 リュディアもそれに習い、息を殺しながらパルメニの後ろをついてくる。


「あれは……!?」


 河原を見渡していたパルメニは、倒れている人影を発見する。

 うつ伏せでピクリともしない男性――シーラームに捕まったという冒険者に間違いなかった。


「捕食されてない? ってことは」


『ああ、不味いな。ずいぶんと頭がいいらしい』


「ど、どういうことっスか? は、早く助けにいかないと!」


 リュディアは今にも飛び出しそうな勢いだ。

 パルメニは少年を制するように押さえつけ、言い聞かせるように言った。


「どうみてもアレは罠だわ」


「え、罠?」


「ようするに撒き餌よ。ああして最初の獲物を見せつけるように転がしておけば、助けに来た別の仲間も一緒に食べられるってわけ」


「そんな……!」


『シーラームごときにそんな知恵があるとはな。まったく厄介だぜ……』


 基本的に魔物族モンスターにあるのは食欲だけだ。

 同じシーラーム同士で共食いをすることはなく、他の魔物族モンスターを捕食している。


 そして、彼らが最も襲いやすく好物としているのはヒト種族だ。うかつに水辺に近づいた旅人などが餌食になることが多い。だが、最初に捕らえたヒトを使って罠を張るなど、アズズにとっても初めての経験だった。


「ど、どうしたら……見捨てるしかないんスか!?」


 パルメニは迅速に判断を下す。

 それは――



 *



「さあ、お望み通り餌になってあげるわよ!」


『この女を食ったら腹壊すけどな!』


「やかましい!」


 パルメニの下した判断。

 それは自らが囮になることだった。


 正面から堂々と撒き餌へと近づき、目立つように大声を張り上げる。

 それだけで変化は劇的に起こった。


 ふたつのムートゥの明かりを映していた静かな川面が、突如として魚の大群が跳ねたように沸き立ったのだ。そして、まるで大地から新芽が生えるよう、水面からは続々と水精の触手が現れる。そのうちのひとつが、矢のような速度でパルメニへと迫る。


 ――キン!


「遅い……!」


 矢のような速度など、アズズの面を被ったパルメニにとっては止まっているのと同じである。


 腰だめから放たれた刀は、まるで金属でも破断したかのような音を置き去りに、水精の触手を縦に割る。その瞬間、滞空した触手は形を失い――バシャン、とただの水となって玉砂利の上にぶち撒けられた。


「す、すげえ……」


 背後で呆然と呟く声。

 瞬きの間に攻撃を終えていたパルメニの剣さばきに、目的も忘れたリュディアが立ち尽くしていた。


『感心してる場合かガキぃ! さっさとそいつを連れてけ!』


「は、はいっス!」


 少年は慌ててうつ伏せに倒れる冒険者に近づき、生死を確かめる。


「生きてるっス!」


「よかった! じゃあ早く離脱して!」


「了解っス!」


 会話の最中にも、水面から矢のような触手の攻撃は続いている。

 だがそのことごとくを、パルメニは切り払い、断ち切り、穿つ。

 ただの一本たりとも、パルメニという防壁を突破できたものはない。

 彼女の振るう刀を前に、すべてがただの水へと還っていく。


 リュディアはさすが力持ちと自称するとおり、大人ひとりを楽々と担ぎ上げ、小走りで河原を離れていく。その様子を刀を振り下ろしながらチラ見したパルメニは安堵の息をつく。だが――


「え、リュディア!?」


『なんだ、どうしたガキぃ!?』


 茂みの中に入る直前、リュディアが足を止めた。

 様子がおかしい。パルメニは触手の攻撃を振り払うと、背後に向けて跳躍。油断なく刀を構えながら、リディアの元へと駆け寄る。


「何やってるのリディ――」


『こいつは……!』


 己の読みの甘さをパルメニは後悔した。

 肩に担がれ、項垂れる冒険者の口からニョッキリと伸びた水の触手が、そのままリデュアの口の中へと侵入していた。


 気管を塞がれ小刻みに痙攣するリディアは手の施しようがない。

 撒き餌である冒険者自身にも、切り離した分身を仕込ませていたとは――


「ごめんなさいリディア。私を恨んでくれていい、今すぐ楽にしてあげるから――」


『いや、待てパルメニ!』


「え――!?」


 ズルリと、冒険者の口から這い出た水の触手は、リデュアの口からそのまま体内に侵入――することもなく。もごもごと、まるでリディアの顔を確かめるように触手を蠢かせた後、ボトンと、地面に落ちた。


 その瞬間、糸の切れた人形のようにリディアは冒険者ごと崩れ落ちる。「がはっ、げはっ」と咳き込んでいることからも、生きていることがわかった。


「一体、何が……?」


 敵の行動が意味不明だった。

 ヒトを襲っておきながら殺すつもりがない?

 捕食が目的ではないのか?


「――はっ!?」


 地面に落ちた触手は、その場で丸い形を取る。

 それがたわんだ途端、今度はパルメニの顔面目掛けて飛びかかってきた。


 素早い反応でそれを躱したパルメニは、仰け反りながら地面に片手を着き、丸まった触手――水球に渾身の蹴りを叩き込む。ボンっ、と蹴鞠のような音をさせながら、水球は放物線を描いて河へと飛んでいき、ブワッと沸き立った触手の群れに絡め取られ混ざりあった。


「一体何がしたいのよアイツは……?」


『どうやら考えてる暇はなさそうだぜ?』


 冒険者とリディアを経由した分身を取り込んだシーラームの変異体が、再び川面から立ち上がる。今度は無数の触手を伸ばすのではなく、大きな姿を形作っている。その姿はまるで――


「蛇……?」


みずちってやつか。おう、パルメニよ。アイツ、どっかで見たことがあるよなあ?』


「まったくだわ。あれじゃあまるで――」


 セーレスが創り出す水精の蛇そのものではないか。

 藍色の鱗に包まれ、恐ろしいほどの密度を持つ大蛇。

 もはや龍と言っても過言ではないそれを、パルメニが目にしたのは二月前。


 呪いによって汚染された聖都跡を浄化するため、北の侵食渓谷フィヨルドから引き込んだ海水で創られた、山をも超える八俣の大蛇。遠見の魔法越しとはいえ、あの時は計り知れない衝撃を受けたものだ。


 その時の大蛇に、規模こそ違うが似ている気がする。

 そして水精の大蛇は、その巨体で河から這い出し、とぐろを巻きながらズズズっと首を高く高く持ち上げていく。


「小さな触手じゃ私たちには通じないってわかってるみたいね。丸呑みにするつもりだわ」


『はっ、上等だ。叩き潰してやるぜ。――パルメニ、獲物を拾いな・・・・・・


 その言葉だけで、パルメニはアズズの意図することを理解する。

 足元にはリディアの戦槌と、冒険者のものだろう短剣が落ちている。

 パルメニは迷わず、短剣の方を拾い上げた。


「はあ……耐えられるかしら私の身体?」


『出し惜しみしてる場合じゃねえ。一刀だけじゃあ力負けするぞ。なあに、あれから大分鍛錬したじゃねえかよ』


「おかげさまで女らしくない筋肉がついたけどね!」


 言いながらパルメニは刀と短剣を十字に交差させ、そのままギリリっと身体を捻っていく。敵に背中を見せるほどに捻転したパルメニに向け、ムートゥの光を浴びた大蛇が襲いかかる。


 鋭い牙を覗かせて丸呑みにせんとする大口に対し、パルメニはさらに人体の構造を逸脱するほど身体を捻り込んでいく。


 それは例えるなら弓に似ていた。

 弦はパルメニの身体そのもの。

 弦が切れる限界まで引き絞ったその時、放たれる一撃は想像を絶する威力となる。

 即ち――


「あ――あああああああああああッッッ!」


『弓鬼捻転――』


「迅雷――」


 ――斬り、と。

 最後まで言うことが叶わずに放たれた撫で斬りは、パルメニの目の前にあった空間そのものを吹き飛ばした。


 二刀が通過した瞬間、大蛇の頭部は消え失せ、真空と化した空間になだれ込んだ周囲の空気――その回帰力による二撃目によって、尻尾の付け根までが連鎖的に消滅していく。


 弓鬼捻転・迅雷斬り。

 本来ならば魔族種鬼戒族の強靭な肉体のもと、さらにアズズならば三刀を以て放たれる合戦用の大量虐殺技である。


 ヒト種族の、しかも女性の身体で放つには威力に心許なかったため、とっさに二刀にすることで威力を倍加させたのだ。


 その甲斐あって、水精の大蛇を倒すことができたのだが、アズズの刀は無事でも、拝借した短剣は粉々に砕け散ってしまった。さらに――


『おーい、生きてるかー、パルメニよー』


「……一応ね。でも動けそうにないわ」


 ヒトの身で鬼戒族の奥義を放ったパルメニは重傷だった。

 具体的には背骨がバッキバキに砕けていた。

 だがそれでも日頃の鍛錬のおかげでその程度で済んだのだ。

 もし鍛えないまま放っていたら胴体が千切れていただろう。


「う、うーん……あれ? 俺、一体どうして……?」


『おお、ガキ、起きたか。早速手ぇ貸せ!』


「え? パ、パルメニさん? どうしたんスか!? 上半身と下半身が前後ろになってるっスよ!?」


 ようやく目覚めたリディアは、仰向けに倒れているパルメニの下半身がうつ伏せになっているという異常事態に悲鳴を上げた。


「ごぷ……あー、血の味が広がる。げぽ……こりゃ内蔵もグチャグチャだわ」


『なんか声だけ聞いてると割と余裕あるなおめえ』


「ないわよそんなの。もうすぐ死ぬわ私……」


「ま、待っててくださいっス! 今すぐ町に戻って神官様を連れてきますから!」


『いやいや、それじゃあ間に合わねえぜ』


「大丈夫だから、こんな時のためにいいものがあるから……私の懐の小袋出してくれる?」


「わ、わかったっス!」


 言われた通りリディアはパルメニの外套衣の内側を弄る。

 そこには確かに革製の小さな袋があり、その中には見たこともない綺麗な青色の石が入っていた。


「一番大きいのがあるでしょ、それを……あー、意識が……」


「パルメニさん! しっかりするっス!」


『ガキ、いいからそいつをパルメニの身体の上に置け!』


「こ、こうっスか!?」


『オラぁ! 治癒・最大!』


 アズズが叫ぶと同時、青白い光がパルメニを包んだ。

 目を焼くほどの輝きにリディアが顔を背ける。

 光が収まった途端、「よいしょ」っとパルメニが身を起こした。


「パパパ、パルメニさん!? 平気なんスか!?」


「見てのとおりもう大丈夫よ。あー、死ぬかと思った」


「こ、この石って一体何なんスか……?」


 ジャラっと、小袋の中にはまだいくつか同様の石が入っている。

 先程の光はアデラート神官が治癒魔法を使う時のものに似ていた。

 つまりこの石は――


「今開発中の治癒石ってやつなの。その試作品ね」


『中身は水の精霊魔法師の治癒なんだぜ』


 ヒョイッとリディアの手から革袋を取り上げるパルメニ。

 別に彼を信用していないわけではないが、念の為の用心だ。


 いつでも誰でも、必要なときにすぐさま治癒魔法が発現する石。

 それは魔法を保存するというドルゴリオタイトの特性によって生み出された産物であり、民間療法程度の治療技術しかない魔法世界マクマティカに革命を齎すかもしれない代物だ。


 だが、下手をすればギゼル財務大官が広めようとしていた攻撃魔法用のドルゴリオタイト同様危険な存在として、現段階ではできるだけ秘密にしている。この魔法石の恩恵を受けるにはヒト種族は幼すぎるのかもしれない、とはオクタヴィアの言葉だった。


「結局、あの魔物族モンスターはどうなったんスか?」


「もちろん倒したわ。でも――」


『ああ、よくわかんねえヤツだったなあ』


 パルメニはもちろん、アズズをしても敵の目的がさっぱりわからないのは不気味だった。冒険者を襲いながらも決して捕食せず、知恵を働かせて二重の罠を張り、パルメニすら出し抜いて見せた。


「俺も、ただ苦しかっただけで、特に痛いこととかはなかったっス」


「ますますわからないわ。ねえアズズ――」


 パルメニが言い終わるより早く、アズズの仮面によって操られた彼女の身体は再び戦闘態勢を取った。


 その理由は明白。

 粉々に吹き飛ばされたはずのシーラームが一箇所に集まりつつあったからだ。


「嘘……あの技を食らってまだ生きてるの!?」


『こりゃあ本能……というより執念じみたものを感じるな』


 一塊になったシーラームは、ゴボゴボっと緩慢な動きで立ち上がる。

 河原を這いずるように移動しながら、こちらへと近づいてくる。

 その姿が意味のある形を作り出し、パルメニは「えッ!?」と驚いた。


「女性……? いえ、これはまさか――」


『セーレスってか?』


 まるで出来の悪い彫像のように、青色のノッペリとしたヒト型になったシーラーム。その耳は特徴的なエルフの尖った耳を再現している。


 このリゾーマタに於いてエルフといえば、パルメニやアズズがよく知る半長耳長命族ハーフエルフのセーレスを容易に想像してしまう。これは偶然か。まさかこのシーラームの目的はセーレスだというのだろうか。


 セーレスの姿形をしたシーラームには敵意など微塵もなく、哀れになるほどその手が愚直に伸ばされ、パルメニの手の中にある革袋の中身を求めていた。


「もしかしてこれが欲しいの?」


 ひとつを取り出してやると、パアッと明るい青色に輝くシーラームの身体。

 どうせ特定の言葉を発しない限り治癒魔法は発現しない。

 ならば自身の回復に使われることもないだろうと、パルメニは石を差し出した。


 それは喜びだと、パルメニは愚かアズズやリディアにもわかった。

 セーレスの治癒魔法が付加された石を胸に抱いたシーラームは、ピカピカと明滅を繰り返しながらその場に跪く。


 そしてそのままヒト型を失い、丸い球体となって治癒石を体内に浮かべると、揺りかごの揺れのように青白い明滅を繰り返す。


 寄せては返す波のように、優しくゆっくりゆっくりと――


「で――結局なんなのよ?」


『知るかよ……』


 三人は途方に暮れるしかないのだった。



 *



「それじゃ、そろそろ行くわ」


「お、おう、達者でな」


 ロクリス叔父さんが引きつった笑みを浮かべる。

 それは冒険者たちも、そしてアデラート神官も同じだった。


「パルメニさん! やっぱすごいっス!?」


 興奮気味に尊敬の眼差しを向けるのはリディアだけだ。

 そしてそれほどまでに彼を興奮させている原因は、今私が騎乗している馬に他ならない。


『おい、さっさと行こうぜ――って言ってるな』


「お別れくらいちゃんと言わせてよ――って伝えといてちょうだい」


 私が今跨っているのは水辺にいたシーラームが馬を形作ったものだった。

 あの後、私はなんとなく思いつきでアズズの仮面を球体状になったシーラームへと押し付けてみた。すると――


『おお? おおお!? なんだ、そういうことだったのかおめえ!?』


 直接的な接触を以て意思の疎通が図れた(らしい)アズズにより、すべての謎はみごとに氷解した。


 要約すると、このシーラームは元々シーラームなどではなく、この水辺を住処にしていた『水の妖精』なのだという。


 水の精霊魔法使いであったセーレスさんとは数十年来の無二の親友であり、言葉を交わさずともお互いの存在を感知しあえていたほどの仲だったとか。


 だがある時から、彼女は忽然といなくなり、寂しくて悲しくて途方に暮れていたところ――たまたま近くにやってきたシーラームを捕食したことで、知恵と魔力を蓄えられることを知り、しばらくシーラームの捕食にばかり腐心していたという。


 ――恐らく、町にシーラームの大群が押し寄せるようになったのは、彼(彼女?)がシーラームばかりを好んで取り込んでいたせいで逃げてきたものと思われる。


 そうして、ある程度力が溜まってきたので、今度はセーレスさんを探そうと、手近なヒトを取り込んでは、彼女かどうかを確かめていた――らしい……。


 全てはセーレスさんのため。

 同じ水精の魔素で構成されたシーラームしか捕食せず、ヒト種族には始めから害意など持っていなかった。


 何故なら最初に取り込まれた冒険者は意識を失っていただけで全くの無事。逃げて来た冒険者が傷だらけだったのは、自分ですっ転んで河原で怪我をしただけだったのだ。はあ……。


「あー、彼女は無事よ。生きてるわ――って、わかってるわよね?」


 セーレスさんの魔法が込められた魔法石がなによりの証拠。

 シーラームがピカピカっと光輝いたので、多分肯定の意味だと思う。

 こっちの言葉はちゃんと理解してるのね。


「だけど今彼女はずっとずっと遠くにいるの。ここに帰ってくることはもうないと思うわ」


 何故なら彼女の帰るべき場所は彼の隣だから。

 自分の娘とも言うべきセレスティア様と、エアリスさん、そしてアウラ様に囲まれて、騒がしくも幸せな毎日を送っている。ここはもう、彼女の居場所ではないのだ。


『おお? おいおい、わかったわかった、落ち着け!』


 波紋と明滅が激しくなり、翻訳アズズが大声で嗜める。


「何ですって?」


『今すぐ連れて行け、ってさ。あー、こりゃあとんでもねえな。連れて行かないと町を水没させるってよ』


「そりゃあ、連れて行かないわけにはいかないわね――」


 ――というやり取りを経て、私はようやく町へ凱旋したのだった。


「しかしさすがは浄化の勇者様のひとりですじゃ。魔物族モンスターさえも自分の意のままに操ってしまうとは……!」


 アデラート神官が感心したように頷いている。

 うん、町のみんなにはこの子の正体が、水辺にいた妖精だとは秘密にしている。

 もしバレたら「連れて行かないでくれ!」などと言われかねないからだ。


 町のため、確かにこの子はリゾーマタにいたほうがいいだろう。

 でも本人はセーレスさん一途であり、リゾーマタにはまったく執着していないのだ。


 このままここにいても、町のために役立つとは思えない。

 ましてや町を守るために魔物族モンスターと戦うなんてとてもとても……。


「アデラート神官、王都の方からの出兵は?」


「おお、今朝方伝書鷲が届きましたぞい。もう近くまで来ているようですじゃ。この町もまた騒がしくなりそうです」


 私は内心でホッと胸をなでおろす。

 セーレスさんという破格の魔法師によって支えられていた町は、今正常な姿を取り戻しつつある。私も含めてヒト種族は弱い。でも、支え合うことで弱さを補える種族なのだ。だからきっとこの町は大丈夫だ。


「叔父さん、達者で」


「おう、今度は又甥か又姪でも連れてこいよな」


「バカ。期待しないで待ってて」


 そうして私は疾走はし疾走りだす。

 アズズの翻訳によって『馬』を形作ったシーラームは最初こそ覚束ない動きだったが、今では一流の軍馬さながらの滑らかで力強い走りを見せる。ちなみにアズズは馬の顔あたりにはめ込まれていた。


『もっと、もっともっとだ! はは、いいぞ、この分ならあっという間にヒルベルト大陸に着きそうだな!』


 シーラームの馬はグングン加速していく。

 普通の馬のように骨や筋肉があるわけではない。

 全身は水精の魔素の集合体であり、それを妖精の意思で動かしながら、アズズが手綱を握っているのだ。


 私はせいぜい振り落とされないようしがみついているだけでいい。

 こんなに楽なことはなかった。


「ふふ、いいお土産と土産話ができたわね……!」


 あっという間に町を抜け、大河川ナウシズの川辺へと出る。

 なんなら馬の形じゃなく、船を形作って南下していっても早く着くかもしれない。


 早く、早くタケルさんたちのところに帰りたい。

 何故ならやっぱり私の居場所も、彼の隣しかないと決めているから。


 女としての幸せが欲しくないわけではないが、それほど拘ってもいない。

 アズズと出会い、ヒトを逸脱してしまった私は、自然と強者へと惹きつけられている。


 そしてその相手が彼ならば、これ以上望むことはないと、そう思うのだ。


「はは、ふふふっ――」


『なんでぇ、気持ち悪ぃ』


 アズズの悪態も気にならないほど、私は舞い上がっていた。

 そうして彼の治める街へと帰り着いたとき、私は三人の結婚の話を耳にするのだった。


 続く。

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