第385話 キミが笑う未来のために篇㉓ 神官アデラート・ルター再び〜女剣士の正体は勇者様御一行?

 * * *



「やれやれ、今日も何事もなく終わりそうじゃのう……」


 王都聖法院教会ルナティック・ノア所属の神官、アデラート・ルターは現在、リゾーマタの領主代行の立場にある。


 治癒魔法が使える数少ない水精魔法師であり、人魔境界線と密接するこの宿場町に無くてはならない存在だった。


 すっかり暗くなってしまった田舎道を、水精の鬼火で煌々と照らしながら、アデラート・ルターは本日の夕餉のため、ロクリス食堂を目指していた。


 水辺を境界にして、魔物族モンスターが多く上陸するようになってしまった宿場町は、まったく一般市民が住むに適さない場所になってしまった。


 アデラートは、市民の安全を考慮し、境界から十分に距離を隔てた内地に全住民を疎開させることを決定、実行した。


 人々は新たな土地で、一からの生活を余儀なくされており、最近になってようやく落ち着いてきたところだった。


 廃墟と化した元の宿場町には、魔物族モンスターの討伐報酬を目当てに多くの冒険者たちがやってくるようになった。


 現在王都の方に、国境警備のために派兵を要請しており、それがやってくるまで、今しばらく彼らに頼らざるを得ないのだ。


「また近衛騎士団が必要になるほど強力な魔物族モンスターなどが出なければよいのじゃが……」


 最近では季節が変わり、夜は冷え込むようになってきた。アデラートは襟を立て首を竦めながらブルルっと震える。


 そうして町の大通りに入り、目当ての店が見えてきたところで足を止める。


「なんじゃ?」


 いつもの時間なら、ロクリス食堂でどんちゃん騒ぎをしているはずの冒険者たちが、揃いも揃って表にいる。全員がアデラートには背中を向け、囲みを作っているようだ。


「あの馬鹿どもめ……!」


 こんなことは一度や二度ではない。

 彼らは些細なことで喧嘩をする。


 娯楽の少ない冒険者たちはそれを面白がって酒の肴にする。


 そういうのを諌めるために、冒険者連中に顔の広かったとある男を、わざわざ臨時の警備兵として徴用したというに。スピノザの奴は何をしているのか。


「何をしておるんじゃ! どけ、どかんかっ!」


 禿げ上がった頭を真っ赤にしながら、立ち尽くす冒険者の背中を乱暴に小突く。途端彼らは道を譲り、囲みの中心の光景がアデラートの目に飛び込んできた。


「はあ……!?」


 目当ての男はすぐに見つかった。

 自分が徴用したスピノザである。


 それが涙と鼻血を撒き散らしながらボコボコに殴打されていた。


 彼の上に馬乗りになっているのは、冒険者の格好をしてはいるが、どう見ても細身の女性だった。


 体格でも腕力でも上回るはずのスピノザは、女性を跳ね除けることもせず、ただ殴られるがままになっている。


 必死に抵抗はしたのだろう、顔面を守るはずの彼の両手は、十指すべてがあらぬ方向を向いており、もはや盾の役割すらできぬ有様で、拳が振り下ろされるのを、ただただ顔面で受け入れ続けていた。


 アデラートはあまりに異常な光景に見入り、「はっ」と我を取り戻す。そして――


「こ、こらーっ、やめ、やめんかー!」


 老体にムチ打ち、息を切らせて声を張り上げれば、ようやくその女性は拳を止めた。


「あ、あひゅる……ぐひゅ……!」


 何事かを喋ろうとし、声にならなかったスピノザは、ようやく終わった加虐にグタァっと全身を弛緩させた。


「あー、まだ殴り足りないけど、まあこんなもんかしらね」


 そこそこ見れた顔だったスピノザが見る影もなかった。


 顔面はコブのように腫れ上がり、鼻も曲がり、前歯も全部折られてしまっている。


 これだけやってもまだ続けるつもりだったのか、と冒険者一同とアデラートは戦慄した。


「こ、こいつは酷い……! 儂の治癒魔法をもってしても、完全には戻らんかもしれん……!」


 アデラートはすぐさま、懐から取り出した聖水をスピノザの顔面にふりかけ、精霊への祈りの言葉を奏上すると、治癒の魔法を施す。皺だらけの手の平に、拳大の水球が現れ、それが淡い光を放ち始める。


 パルメニはその脇で、パンパンと自身の身体についたホコリを払い、拳についた血を拭っている。治療されているスピノザを見る目は尚も好戦的で、そしてどこか面白くなさそうだった。


「なんじゃなんじゃ、これだけの男どもが雁首揃えて、なぜこんなになるまで誰も止めなかったのじゃ! ――おお、ロクリスよ、これはどういうことなのじゃ!」


 気まずそうに目をそらす見慣れたバカどもの中に、いつもなら自分と同じく苦労をさせられている側のロクリスを見つけ、アデラートは説明を求めた。とにもかくにも状況が全くわからないのだ。


「あー、なんていうか、俺もやりすぎだとは思うが、元々の原因はそいつの自業自得というか……」


「むう、スピノザの奴のか……」


 問題のある男だとはアデラートも認識している。

 それでも多少の瑕疵に目をつぶっても、仕事はできる男だった。


 便利だからと使い続けてきたアデラートにも一抹の責任はある。


「だがじゃからといって酷すぎるわ。お主ら寄って集ってこんなことをするとは……」


「勘違いしないでちょうだい。その男をぶん殴ったのは私だけよ。昔ひどい目に遭わされたの。復讐ってやつよ」


「ほ、本当にお主ひとりでやったのか?」


 よくよく見れば、冒険者たちや周囲の道には争った跡がある。ということは、止める周囲を振り切って、冒険者として実力もあるスピノザを一方的に殴っていたのか。


「お主は――」


 アデラートが口を開きかけたその時だった。


「ぎゃーはっはっは!」


 突如として地面から狂ったような笑い声が吹き出した。


 スピノザが、目を血走らせて笑っている。二目と見られなかった顔は、治癒魔法のかいあって腫れは引いたものの、どす黒く変色した皮膚によって、やっぱり酷い有様だった。


「パルメニぃ、おまえ終わったぜ! 俺に、この俺様に手を上げた! 周りの全員が証人だ! 言い逃れはできねえ! ここにおわすアデラート・ルター様は王都所属の神官様なんだ! おまえはオットー14世の法の裁きを受けるんだ!」


「あら、まだまだ元気そうね。おかわりが欲しいのかしら?」


「――ひっ!」


 威勢が良かったのも最初だけ。

 パルメニが睨みを効かせれば、途端スピノザはアデラートの影に隠れるのだった。


『ぬりぃんだよおめえは。こういう口だけの男はな、手足の腱や主要な筋肉を壊しておくのがいいのよ。どれ、今度は俺に任せな。指一本動かせねえようにしてやるからよ』


 ザワッと、冒険者たちがどよめく。

 アデラートも眉を潜めながら、突如聞こえてきた第三者の声の主を探した。


 するとどうやら、まだあどけない少年冒険者の胸に抱かれる奇妙な仮面から、声は発せられているようだった。


「そうね、治癒魔法でも治せないくらい、壊しておこうかしら」


 アデラートの見ている前で、仮面を受け取ったパルメニが、それを自身の顔、左半分に被せる。


 その瞬間だった。パルメニと呼ばれた細身の女性の纏う雰囲気が、ガラリと変わるのをアデラートは感じ取った。


 今まで、どこからどうみても普通の女性の気配しか持っていなかったパルメニが、まるで全身鎧フルプレートを着込んだような重厚感と、歴戦の古強者を思わせる圧迫感を放っている。


 これほどの強者の闘気――あるいは王国最強の個、パンディオン・ダルダオスに匹敵――否、越えているかも知れない。


 ロクリスはおろか、冒険者たちも全員目を丸くして、その雰囲気に飲まれている。スピノザは、歯の根が合わないほどガタガタと震えていた。


「しゃべる仮面………………まさか!」


 アデラートはしがみつくスピノザを振り払い、矍鑠かくしゃくとした動きでスックと立ち上がった。


 そして今や、疑う余地もなく超一流剣士の闘気を纏うパルメニへと問いかけた。


「お嬢さん、お主の名前を聞かせてくれるかの?」


「……パルメニ・ヒアス」


「なんと! 浄化の勇者一行のひとり、剣士のパルメニ・ヒアス殿か!」


 アデラートから放たれた耳慣れない言葉に誰もが首を傾げる。


 情報伝達の手段が限られるため、ここにいる殆どのものが世情には疎い。


 アデラートも王都の情報を知るためには、半月遅れでやってくる伝書鷲による手紙を当てにするしかない。


 そして、二ヶ月前、リゾーマタを襲った大きな地揺れはまだ記憶に新しく、アデラートも自身が所属する王都の被害状況を知ろうと伝書鷲を飛ばし、その返答にて驚愕の事実を知ることとなった。


「巨大な地揺れによって大噴火を起こしたミュー山脈を勇者の力で鎮め、さらには呪われた聖都跡を浄化せしめたという龍神族の王、タケル・エンペドクレス一行。取り残されていたアクラガスの町民救出にも尽力してくださったとか。まさか、このようなところで英雄のひとりにお会いできるとは……!」


 アデラートは再び禿頭を赤く上気させながら、パルメニへと歩み寄り、その手を取る。そして人目も憚らず跪くと、最大級の謝意を述べた。


「王都に属する者として、心からの感謝を申し上げまする。ヒトの身では到底抗えない天災や呪いを相手に、よくぞ事を成し遂げてくださった。その義侠心と勇気に平服いたします」


 そうして、この場で一番偉いはずの神官が頭を下げた。それを周りで見ていた冒険者たちは、自分たちが立ち尽くしているのが不味いと思ったようで、慌ててその場に跪き、格好だけでも頭を下げておく。


 未だ状況が理解できていないのは、スピノザとロクリスだけだった。


「頭を上げてください。もう既に王都ラザフォードでオットー・ハーン14世様や、アストロディア・ポコス様から十分な謝意はいただきましたので」


「おお、なんと寛大なお心か。勇者様御一行の功績はヒト種族の歴史に未来永劫刻まれるもの。それを成した御仁のひとりにお会いできて、一国民としてせめて御礼だけでもと……!」


「ありがとうございます。お気持ちは十分伝わりました。リゾーマタは私の生まれ故郷です。そこで出会った神官様が大変感謝していたと、タケル・エンペドクレス、並びにエアスト=リアス、アリスト=セレスにも伝えておきましょう」


「な、なんと、現存する風と水の精霊魔法師様にまで……! このアデラート・ルター、感激と感動で胸が張り裂けそうですわい……!」


 泣き笑いのようになったアデラートの表情にパルメニは優しく微笑みかけた。


 もはやスピノザへ働いた暴行の件など蒸し返せる空気ではなかった。


 それはスピノザ本人も理解しているのか、パルメニの姿を見つめながら顔を土気色にし、ガクリと項垂れるのだった。


「お、おめえ、しばらく見ねえうちに、なんかとんでもねえことを成し遂げちまったんだな……」


 王都聖法院教会ルナティック・ノアの神官が感激に咽び泣く姿は、それだけで一大事だとロクリスにもわかった。さらに勇者や精霊魔法師など、かろうじて分かる単語だけでも、その凄まじさが伝わってくる。


 クスっと苦笑をこぼしたパルメニは、そっと叔父に耳打ちをする。


「ちなみにタケル・エンペドクレスって、あの・・タケルさんのことだから」


 そう告げた途端、顎が外れんばかりに驚愕する叔父の有様に、パルメニは悪戯が成功した子供のように笑いを噛み殺すのだった。


 続く。

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