第384話 キミが笑う未来のために篇㉒ 復讐を遂げる女剣士様〜水辺にて緊急事態発生中?

 * * *



「おい、早く帰ろうぜ……!」


「もうちょっと、あと少しだけ……!」


 ふたつのムートゥの光が覆い茂る木々の林冠から降り注いでいる。


 偵察技能を持つ冒険者ふたり組が、リゾーマタの外れ、大きな滝がある川辺へとやってきていた。


 彼らの任務は主に森を周回し、敵の威力分布を探るというものだった。


 元盗賊でありながら恩赦の条件として一番危険な任務を与えられているのだ。


 もしも逃げ出そうものなら彼らはヒト種族の社会すべてを敵に回すことになる。


 ふたりは根無し草ではなく、れっきとした故郷があり、両親もまだ健在だった。


 若気の至りからつい楽な道を進み、盗みを働いてしまったことを今では後悔している。リゾーマタでの任期を終えれば、冒険者家業からは足を洗い、実家の畑を耕すつもりでいた。


 そんな決して死ねない理由を持っている彼らであっても、さっきから怯えの虫がくすぶってしようがない。今夜は綺麗な真円を描く二つのムートゥがやけに明るく、目の前の美しい清流をキラキラと照らしている。


 早く町に帰還して夜の見廻組と交代したいのに、彼らの中で何かが警鐘を鳴らした。このまま帰ってはいけない。このまま帰れば致命的ななにかを見落としてしまう。


 だからこそ、茂みの中に身を隠しながら川辺に沿って上流へと移動をしていた。そして、先程からキラキラ輝く川面は、もはやムートゥの光を反射しているどころではなく。何かが水の中で蠢いているようにしか見えなくなっていた。


 ――そういえば最近はシーラームという、水精の魔物族モンスターが多く出没するようになっている。奴らは水辺で活性化する。このような水源が近くにあることからも、シーラームが跋扈しやすい環境と言えるのだが――


「あれ?」


「どうした?」


「み、見間違いかな……」


 突然足を止めた仲間に習い、その場でふたりは息を潜める。茂みの中から幾度目か河の方を覗いてみれば――


「うわあっ!」


「お、おいおいおい!」


 男たちの目の前で、河の水がグググっと持ち上がり、意味のある形を取り始める。


 そのあまりに異様な光景に悲鳴を上げてしまったふたりに向け、川面から何かが勢いよく飛び出した。


「ぐっ、ぎゃあああっ!」


「うわ、うわ、うわあ!」


 まるで水精の槍のように真っ直ぐ伸びた水の触手が、一人の男に襲いかかる直前、上下二股に別れた。それは上顎と下顎となって男の肩に噛みつき、ものすごい力で引っ張ろうとする。


「い、いてえっ、くそ、ちくしょう! 離せ――!」


「くそっ、待ってろ、今助ける――!」


 腰元から短剣を引き抜き、仲間を拘束する水の触手に叩きつける。だが切れない。ものすごい柔軟性と弾力で刃を受け止めて弾き返してくる。そうしている間にも、肩を食われた仲間はどんどん河の方へ引きずられていく。


「い、いやだ、こんな、こんな死に方!」


「馬鹿野郎、諦めるな! 故郷でのんびり暮らすんだろうが!」


 痛みと恐怖から半狂乱になる仲間を懸命に励ましながら、幾度となく短剣を振り下ろす。だが水の触手は決して切ることができない。そしてついに、河岸が眼前にまで迫り――


「な、なんだこりゃあ……!」


 見渡す限り全ての川面から水の触手が夜空へと手を伸ばしていた。そのあまりに膨大な数に男は立ち尽くし、次の瞬間、仲間が一気に引きずり込まれる。


「うああああああ――た、助け――!」


「あ、あああ……!」


 次から次に群がった触手が仲間を水の中へと沈めていく。手足を絡め取り、抵抗する身体を押さえつけながら、水中へと没していった。そして――


「ひぃ――!」


 まるで次はお前だ、と言わんばかりに触手の先端がこちらを見る。その先端が再びグバぁと開き、男目掛けて殺到する。


「うわああああああああああああっっっ!」


 男は逃げた。仲間を見捨て、地面をすっ転びながら、恥も外聞もなく逃げることしかできかなった。



 *



「アンタ――まさかスピノザっ!?」


「おやおやぁ、生きてたのかパルメニちゃん!」


 私の目の前にいる男。

 ニヤニヤと軽薄な笑みを浮かべた男――スピノザは掴んでいた少年冒険者の腕を乱暴に解くと、両手を広げながら私の方へと歩み寄ってくる。


 私はすぐさま席から立ち上がるなり、鞘を被せたままの刀の切っ先を突きつけた。


「それ以上近寄らないで。アンタが私にしたこと、私はまだ忘れてない」


 私が女とわかるなり、まるで弄ぶように付きまとい、嫌がらせをしてきた。逃げる私の姿を面白がるように追跡し、何日も何日も追い回された。だというのに――


「なんだよ、ちょっとした行き違いじゃないか。それにあの夜はお互い楽しんだだろう?」


「なっ――」


「え?」


 驚きの声を上げたのはロクリス叔父さんと、スピノザの後ろにいた少年冒険者だ。


 私はスゥーッと顔が青ざめるのを自覚した。

 それは青くなる、という意味は同じでも、決して萎縮するという方ではなく、怒りに誘発された頭部から、血流が四肢の末端へと流れ込み、戦闘態勢が整ったことを意味する。


 私は冷たく鋭くスピノザを見つめながら吐き捨てるように言った。


「気持ち悪い言い方をしないで。私とアンタが男女の関係になったことなど一度もない」


「そういやそうだっけ。悪い悪い。あれ、ってことはパルメニちゃんってまだ処女?」


「……口を閉じなさいゲス野郎」


 私が放つ殺気に気づいていないのか、スピノザはヘラヘラしたままさらに挑発を重ねる。本当に気持ちの悪い――


「おいおい、あんたなあ……今のやり取りでわかったぜ。俺の姪を揶揄からかううのはやめてくれねえか?」


 ヘラヘラとするスピノザに対して、曲がったことが嫌いな叔父さんが諌めるような言葉を放つ。嬉しいけどそれは不味い。なぜならこの男は――


「あ? 今は俺とパルメニちゃんが話してるんだよ――邪魔すんな!」


 突然の爆発。突然の激昂。

 スピノザは自分の横隣にいた叔父さんに向け、食台に置いてあった塩の瓶を振りかぶる。


 ――ガシャーンっ!


 叔父さんの足元で瓶が割れ、貴重な食塩が床にぶち撒けられる。


 スピノザは「うっ!」と自分の手を抑えてうずくまった。

 私は天井高く振り上げていた鞘付きの刀を下ろす。


「私の目の前で私の身内に手を出すとはね。どこまでも見下げ果てた奴――」


 スピノザは、ようやく私が彼の記憶にある通りの女ではないことを理解したのだろう、打ち据えられた手首を押さえながら初めて狼狽えた表情を見せた。


「ま、待て、ちょっと待てよ。何本気になってるんだよパルメニちゃん。冗談、冗談に決まってるだろう?」


「ああそう、冗談だったの。冗談でアンタは右も左もわからなかった昔の私を追いかけ回して投身させたっていうのね?」


「い、いやまあ、あの頃は俺も若かったというか。まあ生きてたんだからいいじゃねえか、なあ!」


「そっか。それもそうね」


「そうさ、水に流そうぜ!」


 ははは、と笑い合う。

 次の瞬間、私はヤツの顎をすくい上げるよう蹴りを叩き込んだ。


「ブッ」と吹きながらスピノザの顔面が跳ね上がる。彼は背後の椅子を巻き込みながらもんどり打って倒れた。


 ごめん、叔父さん。止まらないわ。


『パルメニぃ、手ぇ貸すぜ?』


 食台の上からアズズが楽しそうな声を出す。でもごめんね、ここは譲れないわ。


「アンタのどこに貸せる手があるのよ。アンタの力を使うまでもないわ、こんな雑魚」


 鞘付きの刀を肩に担ぎ直し、血だらけの口を抑えるスピノザに近づく。


「ま、待て、待て待て待て!」


 奴は床を転がりながら後ずさり、血だらけの口をニンマリと釣り上げた。


「バ、バカが、今の俺の格好を見てみろ!」


「格好?」


 言われてから改めて見直せば、確かに仕立てのいい制服に身を包んでいる。叔父さんと少年はその言葉に青ざめているようだ。


「へへへ、こう見えて俺はリゾーマタの警備主任――民間徴用された王都国境警備兵なんだぜ! ここらの冒険者全員をまとめる立場にあるんだ!」


「へえ、そうなの」


「そ、そうだ! そんな俺に手を上げたおまえはもうお終いだぜ! 俺を害することはオットー・ハーン14世を害するのと同じだからな!」


 スピノザは勝ち誇った笑みを浮かべている。私が歩みを止めたのを恐れをなしたからだと思っているようだ。


「そんなわけないじゃない。下っ端風情の分際で」


「グギャっ!」


 私は奴を黙らせるよう、刀の鞘で脳天をしたたかに打ち据えた。


 喋っていたため舌を噛んだスピノザは、再び口を抑えてのたうち回る。


 これ以上は店に迷惑がかかるわね。

 私は身体を丸めているスピノザの尻を全力で蹴り上げた。


「ギャーッ!」


 イノブタかゲルブブのような悲鳴を上げて、スピノザが店の外へと吹き飛んでいく。


 店外には、夕食時に何事かと様子を伺っていた冒険者たちが集まっていた。


 その顔には一様に驚きが見て取れる。そして恐れも。なるほど、警備責任者という肩書は本当なのね。


「ぶうぅ……お、おまえら、何をしている! この女を殺せ! 罪状は国家反逆罪だ!」


 訝しみながら冒険者たちが私を見る。

 私はゆっくりとした足取りで刀を腰だめに構えた。


「邪魔をしないでちょうだい。私はそこのゲス男を二目と見られない色男にしたいだけだから――」


 そんな私の言動に危ういものを感じたのだろう。

 昼間、魔物族モンスターとの戦闘で疲労困憊だと言うのに、冒険者たちはそれぞれの獲物を手に踊りかかってきた。


 あーあ。本当に冒険者って輩はどいつもこいつもバカばっかりで嫌になる――!



 *



「ウソだろ……本当にあれがパルメニ、なのか……」


「すごい……」


『へっ、当たり前よ』


 店の外で繰り広げられる大立ち回りを、ロクリス、少年冒険者、そして少年に頼み込む形で胸に抱かれた仮面のアズズが見ていた。


 その光景はまさに圧巻の一言だった。

 腕力も上背も遥かに超える冒険者たちが、まるで相手にならない。


 パルメニはひとり、無人の野を征くがごとく。

 次々と襲いかかる男たちを宥め、透かし、すり抜けるように身を躱しながら反撃を繰り返していく。


 だがそれは、己が刀を振るうようなことはなく。

 相手の勢いを利用して転ばせたり、振り抜かれた獲物の軌道をわずかに逸したり、一瞬の虚を突いて当身を入れて戦意を奪ったりと。


 まるでよくできた芝居の殺陣を見ているようだった。男たち数十名がまとめてパルメニに操られ、弄ばれている。


 一太刀どころか掠りもしない男たちの攻撃は虚しく空を切り続け、やがて疲労と空腹から次々と脱落していった。


『あの女は曲がりなりにもこの俺様――アズズ・ダキキの剣の術理をその身で体現し続けてきた女だぜ。今更ヒト種族の冒険者如きが、百人束になったところで勝てるかよ』


 ――最初の一月は、ずっと仮面をかぶりっぱなしだった。


 九死に一生を拾った重症のパルメニの身体を衰えさせまいと、怪我に障らないギリギリを見極めて動かし続けていたのは誰であろうアズズだった。


 理にかなった効率的な日常の動き。

 それを身体に染み込ませた状態から、鬼戒族の王・アズズの剣を振い続けてきたパルメニは、仮面なしの状態でも常人を凌駕する戦闘力を身に着けるに至っていた。


 彼女がその場にいた冒険者たち全員を沈めるのはあっという間だった。



 *



「や、やめろ、来るなあっ!」


 顔面を血だらけにしながら、無様に地面を転がるスピノザ。悔しいが認めなければならない。とても嫌な気分だけど。


「ああ、なんとなくアンタの気持ちがわかるわ。そう、アンタはこんな嗜虐的な気分で私を追いかけ回していたのね」


 だがスピノザと私で決定的に違うことがある。

 スピノザがこの快楽を徹底的に引き伸ばすのに対して、私はそんなことしようとは思わない。


「ホント、最悪の気分だわ」


「いやあああああああああっ――!」


 私はスピノザの上に馬乗りになると、死なない程度に、しかし徹底的に彼の顔を殴打するのだった。


 続く。 

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