第383話 キミが笑う未来のために篇㉑ 回想と再会のロクリス食堂〜それはかつて私を殺した男

 *



 あの日、確かに私は絶望したのだ。

 少しだけ、ほんの少しだけ気になっていた男の子。


 もしかしたら19年間抱いたことがなかった異性に対する恋心――を抱いたかも知れない相手。


 背負い籠を持って冒険者ギルドにやってきたのは、元服したてくらいの年齢の少年――それがタケルさんだった。


 第一印象は危なっかしい……いや、どこか危うい子だった。

 人魔境界線などと言われてはいるが、幸いにして領主リゾーマタ・デモクリトス様のおかげで長年平和が保たれているこの町の冒険者は、総じてゴロツキが多い。


 数少ない娯楽として、彼らはよく新人イビリをしているため、私は早急に声をかけた。


 拙い言葉遣いだったが、それでも丁寧で柔らかい感じがした。

 少なくとも彼は、他の男たちのように女である私を下に見たり、イヤらしい目で値踏みをするようなこともなかった。


 一人の女性として扱われながら、同時に大人としても尊重されているのが、言葉や態度からも感じ取ることができて、とても好印象だった。


 彼が冒険者登録をした理由は討伐した獣の肉を売るためだった。

 ゲルブブ……大人三人分はあろうかという巨体を持ったイノブタである。


 体内に魔力を宿してはいないが、魔物族モンスター並の強さを持っている。ただその肉は大変な美味であり、市場に出回れば高額で取引されるほど珍重されている。


 彼からいち早く、ゲルブブ肉の卸先を聞いていた私は、毎日のように叔父の食堂へと通いつめ、食材が切れる一週間の間、ゲルブブ肉の料理を堪能したほどだ。


 それから彼は一週間に一度ほどの頻度でギルドにやってきては薬草売買の仲介を依頼するようになった。


 粗末な背負い籠の中には、まるで宝物のように様々な種類の薬草が詰め込まれており、これは町で唯一の薬師の老婆に大変喜ばれた。しかも彼の卸す薬草はどれもこれも品質がよく、治癒の効果が覿面てきめんにいいのだと薬師を驚かせていた。


 そして私はある日、見てしまう。

 用事があってリゾーマタの町を離れた隣町に行った帰り道のことだ。

 街道から外れた深い森へと続くあぜ道に見慣れた背負い籠を担いだ少年の姿を見つけたのだ。


 私は「町はもう目と鼻の先だから」と乗せてもらっていた荷馬車を降りて、彼の後を追いかけた。そっちは危ないですよ、森の奥にはキレイな滝があるけれども、その辺りは半長耳長命族ハーフエルフの住処なんです、と親切心から教えようとしたのだ。


 半長耳長命族ハーフエルフは、いつの頃からかリゾーマタの外れに住みつき始めたハグレモノだった。少なくとも私の死んだ母が生まれる前から居り、時々町にも降りてくることがあるという。


 その半長耳長命族ハーフエルフの扱いは、まさに腫れ物だった。私が生まれる少し前まではそれほどでもなかったが、人類種神聖教会アークマインの教えが広がり始めると、人々の中に半長耳長命族ハーフエルフに対する嫌悪が生まれていった。


 私もなんとなくだが、周りの大人達が言う通り、半長耳長命族ハーフエルフは危険な存在だと思っていたので、いくら薬草採集のためとはいえ、彼には危ないところには行ってほしくなかったのだ。


 夕闇が迫るあぜ道の向こう、彼の背中が不意に森の中へと入っていった。

 私は彼が消えたところで立ち止まる。なんの変哲もない、あぜ道に面した深い森。

 恐らく昼間であっても日が差し込むことの少ない昏い森だ。


 もうすぐ日が沈んでしまう。

 このまま追いかけるのは危険だ。

 でもそれは彼も同じ。

 今ならまだ間に合う。

 私は思い切って彼の後を追いかけた。


 そして、そこで見てしまったのだ。


 森の奥深くに青白く輝く光源。

 導かれるようにたどり着いた私が木の陰から覗いてみると、そこには怖気を誘うほどに美しい光景が広がっていた。


 青白く輝く鬼火に照らされたそこは、誰も知らない薬草の群生場所だった。

 金色の髪をした半長耳長命族ハーフエルフが、採集した薬草に触れると、薬草そのものが生命を吹き込まれたかのように青く輝き始めた。


 それを傍らで見守る彼は、半長耳長命族ハーフエルフから受け取った薬草をせっせと背負い籠の中へと入れていく。


 半長耳長命族ハーフエルフ――少女は笑い、彼もまた穏やかな表情をしていた。半長耳長命族ハーフエルフが魔法を使えるとは聞いていたが、少女が身に纏う清廉な空気は、私の中にあった半長耳長命族ハーフエルフの悪い印象を一気に払拭していく。


 私はそっと、足音を立てないように、光源とは反対方向――森の出口へと歩き始めた。


 ふたりの邪魔をすることなどできなかった。自分が完全な邪魔者だと理解した。

 胸の中にストンと、お似合いのふたりだな、と思ってしまっていた。



 *



 領主であるリゾーマタ・デモクリトス様が亡くなって、すべてが変わってしまった。領主代行という形で長女であるリゾーマタ・バガンダ様が領主を継ぐことになった。


 そして町には、大挙として人類種神聖教会アークマインの聖騎士部隊が押し寄せ、その翌日には、異端中の異端であるハグレモノの半長耳長命族ハーフエルフが捕らえられたと触れが出された。


 彼は、彼は一体どうなってしまったのか。

 生きていて欲しい。でもそれも絶望的だった。

 だから、町中で彼を見かけたときは、本当に驚いた。


 折しもリゾーマタの近くにあった人類種神聖教会アークマインの支部が、何者かによって壊滅してしまい、重要参考人として冒険者ギルドに捜索が依頼されていたのが彼だった。


 なぜこんなところを堂々と歩いているのか。

 そして私が見つけられたのだから、彼の存在はもうほかの冒険者にも知られているはずだ。時間がないのだとすぐにわかった。


 ――大切な子を取り戻すため、地獄の底から帰ってきた。


 彼は以前の彼ではなかった。

 弱々しいところは欠片もなく、全身から強い意思と見えない力が溢れているようだった。


 でも、彼はなにも変わっていなかった。

 顔見知りの冒険者と、彼に争ってほしくない。

 私のそんなくだらない願いをかなえるために、彼は自らの心臓に短剣を突き刺したのだから。


 私は絶望した。

 彼を追い詰めてしまった自分自身に。

 そして領主のいいなりとなって彼をほいほいと突き出す冒険者たちに。


 デモクリトス様の喪に服してた私は、呆然と担がれていく彼を見送った足で冒険者ギルドへと向かい、仕事を辞める旨を伝えた。


 何もかもが嫌になった。

 森の中で見たあの光景。


 親愛と絆を感じさせる睦まじいふたりを引き裂いたのは、私が信じて生きてきたヒト種族の世界。


 だから、そこに身を置き続けることがたまらなく嫌だった。

 かつて半長耳長命族ハーフエルフに石を投げつけた町民たちも、たやすく彼を差し出してしまう冒険者たちも、何もかもが嫌になった。


 私は、親代わりだった叔父にだけ別れを告げて、その日のうちに町を出た。

 護衛も護衛馬車も使わない女の一人旅。

 それは危険極まりない無謀そのもの。

 でもそれでも良かった。


 遠くに行きたかった。

 死んでしまっても構わないと思った。

 笑いながら自らの死を選ぶ彼の姿が頭から離れなかった。


 だがそのうち、本当に生命を狙われる羽目になった。

 いや、正確には顔を隠して旅をしている途中、たちの悪い冒険者の男に女だと見破られてしまったのだ。


 女だてらに旅をしている私に無性に興味を惹かれたらしいその冒険者は、しつこく私の後をついて回るようになった。男の目的はもちろん私の身体だった。


 行く先々で男は待ち構えていた。

 私の姿を見ると、真深くかぶった外套衣越しに、まるで犯すかのように私を舐め回して見てきた。


 死んでも構わない、そう思って旅立ったはずなのに、こんな男に陵辱されて死ぬわけにはいかないと私は思った。死んでしまった彼に操を立てているわけではないが、誰か別の男の慰みものになって死ぬのだけは私の魂が拒絶した。


 だが、所詮なんの力もない女の逃避行。

 経験も体力もあるその男に追い詰められた私は、デルデ高地と魔の海・ガロア海域を望む岬まで追い詰められた。


 断崖絶壁が背後に、私の目の前には目を爛々と血走らせる男が迫っていた。

 私は海へと身を投げた。それはもう死んでもいいという諦めからではなく、生きるための選択だった。


 ガロア海域は乱流の海だった。

 私はそのまま波に揉まれ、気を失った。


 再び目覚めたとき、私は奇跡的に岸壁へたどり着いていた。

 だがひどく体温を奪われていた上に、足と腕を骨折していた。

 当然、私を追っていた男の姿はどこにもない。

 きっと私が死んだものと思い、さすがに諦めたのだろう。


 下卑た男の猛追から開放された私は、そこでようやく「ああ、このまま死ぬのもいいかもしれない」と思った。


 寒くて痛くて、心の底から恐怖がやってくるけど、女の尊厳を守ったまま、気高く死ぬことはできる。彼を見殺しにしてしまった私にはちょうどいい最後だ。


 だから――


『おい、そこの女――』


 その声に耳を傾けるべきではなかったのだ――


『俺を手に取れ。おまえ、そのままじゃ死んじまうぞ――』


 うるさい。このまま黙って死なせてくれ――


『おい、聞こえてんだろ、無視すんなこらっ――』


 結局、私は死に損なった。



 *



「魔族種だって?」


 最初は私の旅の始まりを呆れた顔で聞いていた叔父だったが、私がたちの悪い冒険者の男に狙われるようになったくだりあたりから、目に見えて不機嫌になった。


 そして私が死に損なった――生き残ったことと、怪我が回復するまで、とある商人に拾われ用心棒をしていたこと。その商人の最後の望みが、自分の顔に醜い傷を刻んだとある獣人種に復讐することだったので、それに協力したことを教えた。


 だがどうやら非は商人の方にあり、赤猫族の戦士と戦っていくうちに、私の中で疑念が湧き起こった。そしてあの惨劇が起きたのだ。


 港湾施設を全焼させた黒い炎。

 それは紛れもなく超常の魔法であり、その中心にいた商人たちは跡形もなく消滅した。


 炎の正体は精霊による魔法。

 そしてそれを成している者こそ、商人の憎悪の対象だった獣人種の少女であり、己の内側にあった炎の精霊を目覚めさせ、怒りのままに街を焼き払おうとした。


 それを止めるため、当初私はたったひとりで立ち向かった――

 と、そこまで話したところで、我慢できなくなった叔父が叫んだのだ。

 ただのヒトであるお前になにができるんだ――と。


 確かにそのとおりである。

 叔父さんも自分の姪の頭がおかしくなってしまったのではないかと思っているだろう。でもそれらは紛れもない事実であり、私は確かに黒炎の精霊と戦ったのだ。


 なんの力も持たない私が戦えた理由。

 それは――


「叔父さん、紹介するわ。こんな間抜けななりしてるけど、魔族種の王様なんですって」


『アズズ・ダキキだぜ。なんの因果か呪いか、こんな姿になってるが、魔族種鬼戒族の元王だ』


「本気で言ってるのか……」


 ああ、どうにも叔父さんは私の言葉を信じていないようだ。

 私からアズズの仮面を受け取ると、自分の顔に装着したりしている。


「こんなお面被ったところでどうにもならんがなあ……」


『まあ普通はそうだわな。俺もなんでか知らねえが、一部とはいえ、俺の剣技をその女が使いこなせるのは驚きだ』


 荒波に揉まれ、半死半生で岸辺にたどり着いた私がたまたま手にした半分だけの仮面。それを手にした瞬間、私は気を失い、気がついたときには寝台の上で寝かされていた。正直、あの時死んでもよかったのに……とは叔父さんの手前黙っておく。


「…………そんで、まあ仮にお前の話を信じるとして――とにかく今無事にこうして生きててくれてよかったよ……」


「ええ、もう私は大丈夫よ。心配かけてごめんなさい叔父さん」


 叔父の静止を振り切って、私は無理やりこの町を出た。

 そして案の定死にそうな目に遭って、それでも生き残った。

 色々あったけど、もう二度と会えないと思っていた彼にも再会できた。

 私の旅は本当に終わりを告げたのだ。


「こうして姪の無事な姿を見られたのは嬉しんだがな、でももうリゾーマタは終わりだ。かつてのような平和な町、という意味ではな。お前も見ただろう、町の有様を」


「ええ……」


 普通の町民が消え、無法な冒険者が溢れ、そして昼夜を問わず魔物族モンスターと戦闘になる。私が旅立つ前――少なくとも十月前までは、そんなことはなかったはずだ。


「リゾーマタ・デモクリトス様が亡くなり、長女だった領主代行様も急逝した。それからしばらくして見たこともない恐ろしいヒト食いの魔物族モンスターが現れてなあ。あれで町のみんなは心が折れちまったんだ……」


 それはカウロスという牛頭の魔物族モンスターの亜種だったという。

 完全にこの町を餌場にしており、定期的に町民を食べに来ては、森の奥へ帰っていくを繰り返していた。冒険者だけでは倒せないと判断した領主代行アデラート神官は自分の元教え子でもあった近衛騎士団団長エミール・アクィナス様を呼び寄せ、なんとか撃退に成功したという。


「だがそれで終わりじゃなかった。まるで堰を切ったように色々な魔物族モンスターがやってくるようになった……。まったく、一体どうしてこんなことになっちまったんだかな」


「そんなの当たり前じゃない」


 アズズの仮面を受け取りながら、私はそう口にした。


「当たり前って、一体どういうことだ?」


「長年この町を守り続けていたヒトがいなくなったんだもの。今まで退治されてきた魔物族モンスターが町までやってくるようになっただけよ」


 もちろん、それを成していたはセーレスさんだ。

 精霊魔法師という絶大な力を持った彼女がいたからこそ、全ては水際でせき止められていたのだ。


 町のみんなが持て囃していたリゾーマタ・デモクリトスの治世と平和とは、セーレスさんひとりの手により、何十年間も守り続けられてきたものなのだ。


 私も含め、そんなことも知らず、町民たちは彼女を腫れ物扱いし、時には排斥した。彼女がいなくなり、今現在のリゾーマタこそが、本来あるべき人魔境界線の姿なのだ。


「そうか……やっぱりそうなのか」


 おじさんも何となくは察していたのだろう。

 魔物族モンスターが町にあふれるようになった前後の変化を考えれば簡単なこととも言えるが。


「こんなこと、俺なんかが言えた義理じゃねえけど、あの半長耳長命族ハーフエルフ、今どこでなにしてるんだろうなあ。元気で暮らしてるといいんだが……」


「元気すぎよ」


「え?」


 タケルさんから聞いたその後の彼女と、そしてタケルさんの物語は、私の想像を絶するものだった。それらを経て、今ようやくふたりは、本来あるべき姿に――あの水辺、あの森の中、彼と彼女の物語のその続きをしている最中なのだ。


 もう二度と、誰に害されることのない絶対なるふたりは、これから大きな恋の物語を始めるのだ。


 叔父さんは、それ以上問うようなことはせず、踵を返して厨房へと戻ろうとする。もうすぐ夕餉の時間だ。大通りで戦っていた冒険者たちがもうすぐやってくるのだろう。


 と、その時――


「ここにいるのか?」


「は、はい、多分……」


 店の外からふいに声がして、多人数の気配が入り口に生まれる。


「お邪魔するぞ。この店に見慣れない風貌の剣士が来たって――」


 先程私がシーラームから助けた少年冒険者――彼の腕を掴み、ズカズカと店内に入ってきた男。軽薄と横柄を絵に描いたような風貌は忘れもしない。私は自分の顔がこわばるのを感じた。


 それは向こうも同じようだった。みるみるうち、驚愕に目を見開き――そしてニンマリと口角を釣り上げる。


「おやおやおやぁ、こいつは懐かしい顔があったもんだ」


 かつて、一人旅に出た私を執拗に追いかけ回し、私を陵辱せんとしたゲス男が、なぜか王都国境兵士の軍服を着て、あの頃と変わらぬ気持ち悪い笑みを浮かべてそこに立っていた。


「パルメニちゃんじゃないの。生きてたのかよ、嬉しいぜぇ」


「――スピノザぁ……!!」


 続く。

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