第382話 キミが笑う未来のために篇⑳ 戦場の人魔境界最前線〜仮面の女剣士・リゾーマタに帰る
* * *
リゾーマタ。
別名人魔境界、常在最前線。
クルル山地を源流とする大河川ナウシズに隣接した肥沃な土地を持つ反面、東に広がる魔の森から、稀に
旧領主リゾーマタ・デモクリトスの采配により、何十年もの間、町は平和に保たれ、発展を遂げてきた。
だがその平和はもうすでに過去のものとなっていた。
*
「そっちに行ったぞ!」
「――よぅし、いただきだ!」
「外した!?」
現在のリゾーマタにかつての姿はない。
かつては――僅かな囲いだけで事足りた町の防壁はより頑強な作りになり、町を縦断する大通りに広がっていた商店や市は、その姿の一切を消した。
代わりに廃墟となった家屋には待ち伏せ用の拠点が作られたり、壁板が補強され防御陣地と化している。
ろくに整地もされていない大通りには幾人もの冒険者たちがそれぞれの獲物――剣や斧や短剣、ナイフや棍などを構え、町の入口からやってきた
「馬鹿野郎、そっちには新人共しかいねえんだぞ!?」
自分の生命が守れて半人前。任務を達成して帰還できて一人前の冒険者の世界において、仲間でもない、昨日今日知り合ったばかりの同業他者を気にかける余裕はない。
だが、それが冒険者になりたてのケツの青いガキどもだった場合はその限りではないようだ。
今回ナウシズ河を越えてリゾーマタへと侵入してきたのは大量のスライム――シーラームの群れだった。
粘性の体液で全身を覆い、打撃も斬撃も効果がない。
ただし炎の魔法によって体液を燃やし尽くせば死滅するし、体液内部のどこかにある魔石を破壊すれば剣でも倒すことが可能だ。
ただし相手も動き回る上に、魔石の位置は常に流動しているので、よほど剣技と動体視力に自信のあるものでしか倒し切ることは難しい。
したがって、通常は複数の冒険者による
「あっ!? ――ひっ!?」
蛇に睨まれたなんとやら。
まだ子どもとも言える少年――恐らく元服したばかりの新人冒険者は、突如自分の目の前に現れたシーラームの姿に驚き硬直していた。
シーラームの厄介なところはその多種属性なところである。
もっとも一般的なシーラームは青。これは無属性とされる。
それ以外にも濃い緑色はスカベンジャー・シーラームといって体内に様々な病素を内包していたり、赤色はアシッド・シーラームという強酸性の体液を持っている。
稀に黄色に近い乳白色をしたハニー・シーラームという、甘い体液で構成されたものも存在するが、殆どが攻撃的で危険な
そして少年冒険者の前に現れたシーラームは青い色をしはいたが、よくよく見てみると趣きが普通とは異なっている。体液は確かに青色なのだが、全身にまんべんなく白い気泡のようなものが入っているのだ。
それはシーラームの亜種。めったにお目にかかることはできない――というか幾度も冒険者に屠られていく仲間の最後を見て進化を遂げたのかもしれない。
借りに名付けるならポッピン・シーラームといったところか。全身に多量の圧縮気体を内包しており、それを体内で爆発させることで通常ではりえないほど飛んだり跳ねたりする個体である。
ベテランの冒険者の猛撃をすり抜け、後方で油断しきっていた新人の元へ現れたポッピン・シーラーム――その体表面が揺れた。
自身の武器である戦槌を胸に抱いたままの少年には、その様子が獲物を前にほくそ笑んでいるようにさえ見えた。次の瞬間、ボンと地面を抉りながら跳躍したポッピン・シーラームは、まるで翼を広げるように変形する。
――まさか、自爆するつもりか!?
その体表面には、今にも弾けそうなほどの気泡が密集しており、至近距離でその爆発を食らった場合、どうなるのか見当もつかない。良くて失明。悪くて上半身が吹き飛ぶかもしれない。
周りの冒険者たちが駆け出すが決定的に遅い。
少年冒険者は自分の生命を諦めてしまっているのか、滂沱の涙を流しながら固く目をつぶっている。
そしてついに、ポッピン・シーラームの限界まで膨れ上がる。元々の三倍強はあるだろう。少年をすっぽりと覆い隠してしまいそうだ。
弾ける直前――光の線が駆け抜けた。
急速に勢いをなくしたポッピン・シーラームは花が萎れるように小さくなり、果ては『フッ』と炎が消えるように全身の体液を蒸発させながら消滅した。
コツン、と、少年の足元に石が転がる。
まさしくシーラームが体内に宿す魔石であり、ガラスのようにツルッとした切断面を見せながらそれは真っ二つになっていた。
「な、なにが――――っ!?」
涙でぼやけた視界の中、しなやかな背中が見えた。
その背中は細く滑らかな曲線で構成されており、どうみても女性のものだった。
女性は刀を振り抜いた状態から敵の完全消滅を見届けると残心を解く。流れるような所作で刀を鞘に納め、背後を振り返った。
「ふう。大丈夫だった、あなた?」
「あ、はい……」
顔の半分を奇っ怪な仮面で覆った女性――パルメニ・ヒアスは、少年の無事を確認したあと、改めて戦闘状態が続く大通り周辺を見渡す。
「しばらく見ないうちに、ずいぶんと殺伐としちゃったわね
『俺にとっては刺激的で面白いけどな』
ふいに発された
「ヒト前ではしゃべるなって言ったでしょ」
『痛っ! 今のはどう聞いても俺に同意を求めたんだろうが』
「単なる独り言よ! 勘違いしないで!」
『めんどくせーっっ!』
怪訝そうに細められる少年の目に耐えられず、パルメニはアズズを伴ったまま、逃げるようにその場を後にするのだった。
*
「――ちっ、まだ準備中だよっ!」
厨房の奥で絶賛芋の皮むきの真っ最中だったロクリスは入り口の扉が開かれる音に怒鳴り声を上げた。
最近は物の道理をわきまえない無法な冒険者どもが増えすぎた。
近郷近在の冒険者どもが一攫千金を狙ってこのリゾーマタに流れ込んできているのだ。
玉石混交というか清濁というか、とにかく冒険者という輩は個性が強すぎる。
脛に傷を持つ犯罪者まがいのヤツから、英雄に準ずる美丈夫、果ては昨日今日剣を持ったような子どもまで。
問題を起こすのは専らガラの悪い連中ばかりで、廃屋を占領し、我が物顔で夜通し宴会をすることが常態化している。
これが町中に娼館でもあるならば話は別だ。
ガラの悪い連中はこぞってそちらにいくだろう。
だが、今リゾーマタの治安は過去最悪だ。
そんな場所に出店したがる
故に、この町で唯一の娯楽といえば、幸か不幸かロクリス食堂で飯を食べることになってしまう。
約一年前、それまでの慣例に乗っ取り、質実剛健で素材の味をそのまま出す料理ばかりだったリゾーマタにおいて、ロクリス食堂の主人、ロクリス・ヒアスは栄養価に富んだ卵料理を出すにいたり、結果近郷近在で評判の食堂となった。
もともと一店しか食堂がなかったのだから最初から一番なのは決まっているのだが、それでもロクリスの料理は大好評だった。美味い料理は善人も悪人も区別しない。そして今のリゾーマタには圧倒的に悪人寄りのバカどもがわんさかいる状況だった。
「仕込み中だって言ってるだろ、聞こえねえのか……?」
これから夜にかけて、この食堂は阿鼻叫喚の地獄となる。
昼間の
今日はこれこれこんな
などなど。
そして最後は決まって大乱闘か裸踊りの二択になるのだ。
ロクリスとしては頭の痛いことである。
それが夜の見廻組と合わせて日に二度もあるのだ。
夜組が寝静まり、昼組がやってくるまでの夕方の時間だけが、今やロクリスに赦された安らぎのひととき。
それを妨害するものは、例え犯罪者まがいの冒険者であろうとも許してはおけない。
「今すぐ俺の店から出ていって開店時間に出直せ、それができないってんなら――」
「できないならどうするのよ、おじさん」
皮むき包丁ではなく、肉切り包丁を手にしたロクリスが店の入口を目指して奥から現れると、そこには懐かしい顔が立っていた。
「お、おまえ、パルメニか!?」
「ええ、そうよ。久しぶりね」
ガラン、とロクリスは肉切り包丁を取り落とす。
ヨロヨロと歩み寄り、まるで本物か確かめるように両肩を抱いた。
「生きていたのか……!」
「当たり前じゃない」
「俺はてっきり、どこぞでくたばってるものだと……」
『ああ? 勝手に殺すんじゃねーよクソハゲオヤジ!』
叔父と姪。ふたりの会話に突如として割り込む声。
それはいつもロクリスを辟易させている冒険者たちと何が違うだろう。
「……………………」
「…………パルメニ、今の声は?」
パルメニはニッコリと笑顔のまま叔父から距離を取ると、それまで気づかなかったが頭の後ろに取り付けていた半分だけの仮面を自身の外套衣でぐるぐる巻きにすると、店の壁に向けて投げつけた。
――何すんじゃてめーっ! いい加減ぶち殺すぞコラー! こっから出しやがれー!
外套衣の下からくぐもった罵詈雑言が聞こえてくる。
パルメニはそれらに一切耳を傾けることなく、再び笑顔のままロクリスに向き直った。
「ただいま、おじさん」
「いや、さすがに見なかったことにはできねえから。気になってしょうがねえからな?」
ロクリスは感動の再会に水を差され、すっかり冷めていた。
久しぶりに会った姪は以前にはなかったしたたかさや図太さが感じられ、これも旅の成長の証なのかと、包丁を拾い上げながらため息をつくのだった。
続く。
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