第378話 キミが笑う未来のために篇⑯ あなたの一番に相応しいヒト〜譲り合うは美しきかな?

 * * *



「ただいま…………」


 龍王城へと帰還した僕を見た瞬間、家族全員の顔色が青くなった。


「タケル、何が遭ったの!?」


「パパっ!」


「お父様、ボロボロだよ!?」


 セーレス、アウラ、セレスティアが駆け寄ってくる。


 そう、僕は地球産の上等なスーツに身を包んでいたはずなのに、その全身はドロドロのぐちゃぐちゃ。ゴルゴダ平原の土は冷たかったよ……。


「おのれ、どこのどいつだ、我が主をここまでボロ雑巾にした者は――私が八つ裂きにしてくれる!」


 エアリスさんは怒り心頭だった。

 相変わらず僕に敵対するモノに対して沸点が異様に低い。でも心配してくれてありがとう。


「タケル、一体誰にやられたの!?」


「……許、さない」


「あは、久々にキレちゃったかも私……!」


「生まれてきたことを後悔させてやる!」


 本気で世界を滅ぼせそうな大戦力である彼女たちが全身から魔力を迸らせている。


 早く真実を告げて宥めないと、彼女たちは第二のサランガ災害を起こしかねない勢いだった。


 でも、僕の口からなんと言ったものか。


『みなさん落ち着いてください。タケル様は自分でこんな姿になったのです』


 僕の首からぶら下がったストラップつきのスマホ――真希奈が、落ち着き払った声で全員を嗜めた。


「タケルが自分で? なんで? タケル、泥遊びがしたい年頃なの?」


「いやセーレス……そういうわけじゃないんだけど、これにはジオグラシア海よりも深い理由があってだね……」


 自分でほざいたセリフが全弾どこにも届かず完全に的外れだったなんて顔から火が出るよ。だけどあのあと僕をイジって真希奈も結構遊んでたんだけどね……。


「もう、これよく見るととっても仕立てのいい礼服だと思うんだけど、どこで買ったのタケル?」


 セーレスに指摘されてギクリとする。


「買ったっていうか、借りたんだけど……」


「えー、それじゃあダメじゃないこんなにしちゃあ!」


 まったくもってそのとおり。

 でも僕も完全に正気を失うほどのたうち回って、気づいたときには修復不能な状態にまでなっていた。これは全額弁償かな。キートンって言ってたっけ。そんなに高くないといいんだけど……。


「むう……、まあタケルはよくよく考えればまだ元服仕立ての年齢だ。地球ではまだまだ学生の身分。それが慣れない王としての振る舞いをよくこなしている……たまに童心にかえって泥遊びをするのもいいだろう」


 スッと近づいてきたエプロン姿のエアリスがパッパとスーツについた泥を払う。


 なんだか本当の母親に叱られながら世話を焼かれているみたいだ。


 こんな美人でかまってくれる母親なら、僕もニートなんかになることはなかっただろうに。


「むむむ……、エアリスぅ、ちょっとどいてくれる? 今からタケルの汚れを浄化しちゃうから。そんな風にパンパン払ったところで床が汚れちゃうだけじゃないかなあ?」


「ん? あ、ああ……そうだな。済まない。どうやら余計なことをしてしまったようだ。綺麗にしてやってくれ」


「もちろん、そうするけど……」


 力ない笑みを浮かべたエアリスが引き下がると、先程より以上に距離を詰めたセーレスがグイッと僕の手を引いた。


 まるで自分の後ろに隠すように僕とエアリスの間に割って入った彼女は、しばし僕ではなく、エアリスの方をじぃっと見つめている。


 その瞳はセーレスらしくない、緊張感に満ちたものであり、視線を受けるエアリスはさっと目をそらすだけだった。


「ふ、ふたりとも……?」


 今まで感じたことのない空気が漂う。

 まるで空間そのものが帯電したようなピリピリした空気だ。


 アウラとセレスティアも僕らを交互にみやりながら不安そうに指を咥えている。


「お、帰ってきたか。それで、どうじゃったかの。その身ごもったオナゴには首を縦に振ってもらえたのかの?」


「あかちゃん……、臨月……出産……授乳……」


 のんびりとした様子でやってきたのはオクタヴィア母子だった。


 真っ白いオクタヴィアとメイド服姿の前オクタヴィアは、セーレスとエアリスの様子に気づき、ピタリとその場に静止した。


「またか……」


「また?」


 オクタヴィアの呟きを僕が聞き返す。

 彼女はガシガシと頭を掻いて真っ白い髪を綿毛のように毛羽立たせると「ふいー」とこれ見よがしにため息をついた。


「とりあえずもう腹ペコじゃ。メシでも食いながら報告を聞こうかの」


 その提案に僕らは全員、一にも二にもなく頷くのだった。



 *



「ええええええ〜、嘘だったのっ!?」


 予想していた以上の盛大なリアクションをしてくれたのはセレスティアだった。


 勢い余ってテーブルの上に身を乗り出したまま絶句し、何度も目を瞬かせている。


「赤ちゃん……うそ……うそ……うそ……?」


 こちらもショックが大きかったようだ。

 アウラは気の毒になるほどの落ち込みようで「うそ」を連呼している。


 子どもたちは、まあそうだろうな。

 純粋に自分たちの妹か弟ができると思っていたのだ。


 そこには魔法世界マクマティカの女とか、地球の女とかは関係ないのだ。


「嘘って……ありえないよね? なんてはた迷惑なヒトなの……!」


「カーミラ殿ならありえるのか? いや、しかしいくらなんでもこれは……」


 セーレスとエアリスも、食事などそっちのけで、頭を抱えて突っ伏してしまっている。怒りというよりかは脱力の方が強いようだ。


 僕もそうだ。恥ずかしさを抜きにしたら安堵の方が勝っている。


 もちろんそれはカーミラが赤ん坊なんか身ごもっていない方がいいという意味ではなく――まあ、あれだ、いきなりふたつの世界を股にかけて結婚なんてしないに越したことはない、という意味だ。


 どちらか一方に専念できるというのは、多分今の僕にはありがたいことだと思う。


『ですがタケル様は大変立派な告白をされました。その時の様子は最高画質で録画してありますのであとでお見せしましょう』


「やめてえええええええええええええ――!」


 再び恥ずかしさに身を捩って叫んではみたが、ここでは僕の意見など無いも同然だった。


「それは絶対絶対、あとで必ず見るとして」


「ああ、それだけでもカーミラ殿に感謝しよう」


 微妙な空気もどこへやら。

 ふたりは見えない手でも握り合うかのようにピッタリ息を合わせてきやがった。そんなに僕の醜態を見るのが楽しいのかよ!


「ふーむ、なるほどのう……」


 パクパクとまったく手を止めることなく晩飯を平らげているのはオクタヴィアとその隣の前オクタヴィアだ。


 小さいオクタヴィアは食べるのも遅いが量もそれほどない。だが前オクタヴィアは2〜3人前くらいはペロリと平らげてしまう。もう皿もほとんど空に近い状態だった。


 ちなみに今夜のメニューはクプル肉を使ったチキン南蛮ステーキともりもり白米、味噌汁風スープといったメニューである。


 味噌汁風となっているのは、エアリスが地球で毎日飲んでいた味噌汁を魔法世界マクマティカの材料で再現しようとしているためだ。


 ちなみにセーレスは当然のようにタルタルソースが大好きになったし、他の者たちにも好評だ。


「これこれお子たちよ、そう落ち込むでない。赤ん坊などそなたたちの母がいくらでも生んでくれようぞ。のうタケルよ?」


「ぶっ――!」


 突然の生々しい話しに僕は、口に入れかけていたクルプ肉を取り落としてしまった。


 こいついきなりなにを――


「ほんと……パパ?」


「赤ちゃん作るの?」


 アウラとセレスティアの無垢な瞳が突き刺さる。

 ちらりと見るとセーレスとエアリスは固まっていた。


 ああ、頭を抱えたフリをして自分たちはやり過ごすつもりだな。


「ま、まあな……」


「やくそく……ぜったい」


「わー、私弟がいいなあ!」


 子どもたちの期待は裏切れない。

 カーミラの嘘により一度は裏切ってしまっただけに、ここで誤魔化したりすることなど不可能だ。


 ああ、よく見ると隠した手の下でセーレスとエアリスも顔が真っ赤になってるね。場違いだけど可愛いじゃないか……。


「ふむ……しかしなんじゃ、そのカーミラとやらは、遅々として進展しないお主らの関係を焚きつけるために妊娠したフリをしていたとな?」


「ああ、どうやら腹が膨らんで見えるように細工をしていたみたいだ。してやられたよ……」


「まあ嘘が嘘という可能性もあるじゃろうがな」


「なにか言った?」


「うんにゃ」


 白蛇様はたまにボソボソ早口でしゃべることがある。まあ大したことも話してないだろうけど……。


「じゃがまあ、実際にお主らの関係は一気に進展したの。これからは正式な夫婦じゃ。誰に憚ることなく乳繰り合ってええんじゃぞい?」


「憚るわ!」


 オクタヴィアはこう言っているが、まだ僕にも、そしてセーレスとエアリスにも夫婦なんていう感覚はないだろう。


 正直僕もない。それはかなりの問題だ。うーん、あとは一体何をすれば……。


「結婚式、か」


「ほう」


 僕の呟きに、口の周りにタルタルソースをつけたオクタヴィアが驚いたように目を丸くした。


 顔を伏せていたセーレスとエアリスも同様だ。

 アウラとセレスティアは言葉の意味がわからないのかキョトンとしている。


 前オクタヴィアは……まだおかわりするのかよ。


「こっちにもあるよな、結婚式って」


「馬鹿にするでない。当然のようにあるわい。なんじゃお主は、魔族種の営みも獣人種も長耳長命族エルフもヒト種族もかわらんぞい。まあお主らなら持参金はいらんじゃろうが」


 ほう、やっぱりこっちにもあるのかそういう制度。地球でも見られる風習だ。結納は男が負担。持参金は女が負担するんだっけ。


「じゃが忘れてはならぬのが、お主は一国一城の主であり、婚姻の有無は当然当事者たちだけで行うものではない。すべての臣民に広く告知せねばならないじゃろう……」


「う……、そ、そうだよな……」


 こういう時はよけいに、地球で暮らしていたらなあと思ってしまう。向こうは今や地味婚ブームだと言うし、おおっぴらにしなくても、少人数の身内だけでひっそりと式を上げてしまうことが叶うのだ。


 でもそんなこと、こちらの世界で、しかも龍神族の王がやったら、臣民たちへの裏切りと取られかねない。


「安心せいタケルよ。お主はよくやっておるよ」


「オクタヴィア……」


「ディーオ亡き後、一時は他種族に占領された領地を奪還。しかも融和という形で我竜族を従え、双方の種族にも利益をもたらす事業を起こし、東はエストランテ、西は王都と名だたるヒト種族の国と国交を結んで見せた。その王都との戦争回避も実現させたし、獣人種の列強氏族共もお主には頭が上がらんじゃろうよ」


 ……なんかそんな風に改めて言われると、僕ってすごいのか? ちょっぴりくらい自信を持って調子乗っちゃっていいのかもしれない。


「したがって、お主らを妨げるものはなにもないとうわけじゃ。ダフトンすべての臣民がお主らの婚姻を祝い、讃え、己の喜びとして享受するじゃろう。ほんにおめでとうといわせて欲しい」


 鼻のてっぺんと口の周りにタルタルソースをつけたオクタヴィアが真摯に僕を見つめる。閉鎖的で保守的、多種族に不干渉を貫くのが通例だった魔族種の王が、これほどの実績を積み上げたことは無いと言っても過言ではない。


 僕としては少々他国に目をやりすぎた。

 しばらくはヒルベルト大陸内部で、他の魔族種と交流をしていけたらいいと考えている。


 いや、またぞろトラブルが舞い込む可能性は大きいのだが……。


「ありがとうオクタヴィア。祝いの言葉、素直に受け取らせてもらうよ」


「ふむ、殊勝な心がけじゃな。これで残る問題はひとつだけじゃて」


「え――問題?」


 僕が首を傾げた途端、食卓の両脇に座るセーレスとエアリスが一斉に動き出した。ただひたすら目の前の料理を食べる食べる食べる。


 ガツガツ、ムシャシャ、ハムハム――という音が聞こえてきそうなほど一気に平らげていく。


 僕が呆然と見守る中、セーレスはゴッゴッ、と喉を鳴らしてコップの水を飲み干し、エアリスは口の周りのソースを丁寧に拭いてから口を開いた。


「――ぷはっ……そうだね、私達が結婚式を上げる前には問題があるよねエアリス!」


「そなたもしつこい女だ。だが確かに、棚上げにしてはいけない問題だ。いいだろう」


 ねえ、何が? 何なのふたりして?

 バチバチと見えない火花を散らす愛しい想い人たちの様子に、僕は立ち尽くすことしかできない。オクタヴィアはやれやれとばかりに首を振った。


「お主が地球に行っておった間もずーっとこの調子よ。いくら話し合いをしようとも平行線。互いに譲らずこの有様じゃ。なのでどうじゃろう、いい加減一度思いっきり戦って決着をつけては、と話しておったところにお主が帰ってきたのよ」


「た、戦うだって!?」


 ふたりの全身から立ち上る濃藍の魔力と深緑の魔力。精霊の加護を受けた稀代の精霊魔法使い同士の放つ威圧感。


 ほ、本気だ。本気でふたりは戦い合おうとしている!?


「話がまったく見えてこない! なんでふたりが戦うなんてことになってるんだよ!」


「止めないでタケル。私頭に来てるの。エアリスってば全然わかってくれないんだから!」


「いやはや、そなたがここまで聞き分けがないとは。まるで大きな子供を持った気分だ。だが奇遇だな。腹に据えかねているのは私も同じよ……!」


「うおおっ!?」


 濃密な魔力の本流により物質化した風と水が食卓の真上でぶつかり合っている。


 取り敢えず僕のご飯がビシャビシャになってどっか飛んでいった。いやいやいや――


「説明しろオクタヴィア! なんでこんなことになってるんだ!」


 アウラとセレスティアの手を引き、早々に部屋の隅っこに避難したオクタヴィア。前オクタヴィアは――まだ食べてる!?


「わからんかのう、これは女の戦いよ。どちらがタケルの第一妃になるのかという、決して譲れぬ戦いよ」


「なにぃ――!?」


 まさかそんな、僕はどちらも好きだし平等に……なんてきれいごとは通用しないのか。


 ふたりとも、僕のプロポーズに涙した裏では、我こそが一番! なんて考えていたのか。ちょっと……いやかなりショックだ。


「止めてやるなやタケルよ。こればっかりはハッキリさせておかねばのう。……まあふたりともちと主張が的外れではあるが……」


「はぁ?」


 ついに、極限まで張り詰めた緊張の糸を断ち切るように、ふたりは互いの主張を、まずは舌戦という形で解き放った。


「タケルの一番は絶対にエアリスがなるべきなの! これはもう決定なの! 私の方こそ二番でいいの! いいったらいいのー!」


「バカを言うな。タケルの今日までの歩みを側で見てきたからこそわかる。そなたこそが第一妃に相応しい。私の方こそおまけに過ぎないのだ」


「エアリスが一番!」


「それはセーレスの方だと言うのに!」


 ふたりの主張を如実に現したファーストジャブに僕は絶句した。そしてオクタヴィアの方を見ながら目で訴えかける。


 なんじゃこれは、と。

 知らんよ、とオクタヴィアは両手を顔の脇でひらひらさせた。


「ううう〜、エアリスのバカー、アホー、おっぱいオバケー!」


「そなたこそ、中身も外見も子供っぽくて辟易する。私が躾けてるから表に出るがいい!」


「望むところですー!」


 そうしてふたりは互いに睨み合ったまま出ていってしまった。取り残された僕は、それを呆然と見送るしかない。


「愛されておるのうお主は」


「は、はは……」


 もはや乾いた笑いしか出てこなかった。


 アウラとセレスティアは、自分たちの母親同士の見慣れない喧嘩に不安そうな顔をするばかりで、オクタヴィアが頭を撫でて慰めている。


 前オクタヴィアは……ようやく食べ終わったようだ。


「ごちそう、さまでした……む。なにか……ありましたか?」


「ああ……、悪いけど洗い物と片付けやっててくれるか?」


「かしこ、まりました……」


 出ていったふたりを放っておくことなんてできない。だが無理に止めることなど絶対にできない。ああ、僕はどうしたらいいのか。


『タケル様、トレースは続けています』


「真希奈……わかった。とりあえず行こう」


 どちらにも肩入れできない僕は、足取り重く彼女たちの後を追うのだった。


 続く。

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