第377話 キミが笑う未来のために篇⑮ 年の差684歳夫婦誕生?〜女吸血鬼の幸福長期計画

 * * *



「はい、どうぞ」


 その部屋は血に濡れたように赤い部屋だった。

 いや、錯覚だ。地平線の向こうへ沈みゆく腐りかけの赤い果実のような太陽を背景に、カーミラがひとり、立派な執務机に腰掛け、手元の資料に目を落としている。


 まるで息を詰めるよう、無音で扉を閉めた僕は、しばし紅の中に溶け込む彼女の姿に目を奪われていた。


 薄桃色のゴールドブロンドは優雅にウェーブを描き、整ったその顔立ちは、少女を脱却して大人になる寸前で時を止めてしまっている。日本人離れしたプロポーションの持ち主であり、自身でモデルをしていた時期もあったというから納得だ。


 ヨハンソンの隣がベゴニアではなく、カーミラとして会見に臨んでいたら、群衆の反応もまた違ったものになっていただろうと思う。


「タケル? 何をして――ああ、これですか。気分ですわ。集中力が増すんですの」


 彼女は苦笑交じりにリムレスの眼鏡を外す。

 そしてハッとしたように背後を振り返り、部屋の中も見渡す。


「あらまあ。忘れてましたわ」


 机の上のリモンコンを操作するとブラインドが降りてきて、薄暗かった室内にも明かりがともされる。


「入ってきたのがあなたでよかったですわ。仕事に夢中になるとつい時間を忘れてしまって。暗くても支障がないものですから、たまに秘書の子が入ってくると私を見て悲鳴をあげたりするんですの」


 ふふ、と微笑みながら、カーミラはトントンと紙束をまとめて脇へと退けた。


「どうしましたの? そんなところに突っ立ってないでこっちへいらっしゃいな。離れすぎてると話がし辛いですわ」


「あ、ああ……」


 赤い空間に溶け込む夜の女王の姿に、僕は度肝を抜かれっぱなしだった。

 だが、煌々と人工の光に照らされたカーミラはいつものカーミラだ。

 大人っぽいのに子供っぽい。享楽的なのに無邪気でもある。

 そんな彼女の一端に触れ、僕はどうやら場の空気に呑まれていたらしい。


「お、驚いたよ。来たらいきなりハリウッド女優がベゴニアと並んで歩いてるもんだから」


「ああ、もともと親日家なんですのよ彼女。お忍びで何度も来日するくらい。でも自分が有名人なのを忘れて、昔の感覚で遊びにこられるのは困りますわ。まったく、いつまで経っても子どもなんですから」


 今や世界のトップを走るハリウッド女優を子ども扱いとは。

 世界広しと言えどもカーミラくらいしか許されない発言だと思った。


「まあ、あんな大災害が遭ったあとですからね、あの子も自分の目で私達の無事を確認したかったのでしょう」


 やれやれ、とばかりにため息をつくカーミラだったが、その表情はとてもうれしそうだった。かつて自分が見出し、投資した相手が大女優となり、そして今でも海を越えて地球の裏側から会いに来てくれる。お互い命ある限り決して消えることのない交際。それは多分人生における何よりの宝だろう。


「それでタケル、今日はどうしましたの? そのスーツ――キートンかしら。まったく、大方百理を頼ったのでしょうけど、彼女の洋服センスはまだまだですわね。いいスーツではありますが、慣れない者が着る以上、『着られている』感じが拭えませんわ」


 言いながらカーミラはよいしょっと立ち上がった。

 今まで執務机に隠れて見えていなかったが、そのお腹はやはり大きい。

 ゆったりとした服装をチョイスしているが、そんなものでは隠しきれないほど、彼女の中に宿った生命は大きくなってしまっている。


「そうですわね……タケルならダンヒルやポロラルフローレンあたりでも良かったのではないかしら……」


 以前までの彼女だったらピンヒールを履いていたであろう足元は、平たい靴底のフラットシューズに包まれている。転んで、万が一のことがないよう、自分がしたいファッションを我慢し、子供のためのに尽くしているのだ。


 今のカーミラは以前のような華やかな美しさはないが、それでもその魅力には一点の陰りもない。いやむしろ増してさえいるのではないかと思う。


「まあでも、わざわざあなたのこんな格好が見られたのですから良しといたしましょう」


 言いながらカーミラは僕の眼の前まで近づき、腕を取ると袖口を捲りあげたりする。


「短時間の仕立直しですわね。さすが御堂、いい仕事ですわね」


 ズイッとさらに距離を詰め、カーミラは僕の首元に手を伸ばす。その途端、彼女の片眉がピン、と跳ねた。僕は「あ」と思う。


 細くて長い指が僕のネクタイをシュルリと解くと、その奥に隠されていた留め忘れの第一ボタンが顕になる。


「ここをサボるとネクタイが決まりませんわよ」


「いや、なんか首が締め付けられるのが嫌で……」


「初々しいですわねえ。世の中すべての、初めてスーツを来た青年男子諸君共通の感想ですわ。そしてそれに対する答えはひとつ――慣れるまで我慢、ですわ」


 カーミラの両の人差し指と親指がシャツの襟元をつまむ。

 汗でしっとりしているはずなのに、カーミラはまるで嫌がる素振りを見せず、そのまま第一ボタンをきっちりと締めてしまう。


「少し上着をずらしなさい」


 言われるがままジャケットを脱いで肩まで露出させると、カーミラは襟を立たせながら、僕の首の後ろへと手を回す。


「コラ、動いちゃダメ……ですわ」


 まるで抱きしめられるようにネクタイを締められる。

 鼻孔いっぱいに彼女の匂いを吸気した途端、僕の記憶が蘇った。

 即ち、ベッドでふたり、朝を迎えたあのときの香りだった。


「これでよし。うん――なかなかどうして、カッコいいじゃありませんの」

 

 ヒョイっと一歩退いた彼女は、腰元に手を当てながら、僕を頭の天辺からつま先までじっくりと見回した。そうして自分の仕事に満足したのか、踵を返して再び自分の執務机に戻ろうとする。


 カーミラの背中が遠ざかる直前――僕は後ろから彼女を抱きしめていた。



 *



 やってしまった、という思いと、もう引き下がれないぞ、という覚悟。


 余談だが、彼女を抱きしめる直前ちょっと迷った。

 胸の位置はセクハラだろう。

 お腹――は神聖不可侵だ。


 というわけで僕は今、カーミラの首元に両手を回して抱き寄せている。

 後ろ抱き――古い言葉ではあすなろ抱きなんていう格好だった。


 僕の心臓がうるさいくらいに鳴っている。

 背中を密着させているから完全にバレているはず。

 だが、カーミラは抵抗するでなく、身じろぎ一つすることなく、僕に抱きしめられている。


「タケル――」


「カーミラ――僕と結婚してくれ」


 彼女が何かを言う前に、被せるように告白した。

 腕から伝わる感触がビクっと固くなるのが分かった。


「お腹の子どもには母親と父親の両方が必要だ。僕が父親として頼りないのは承知している。それでも頑張るから、だから僕と――」


「おやめなさい」


 返ってきたのは固く冷たい声だった。

 胸の中の熱さが、そっくりそのまま凍りついてく感覚。

 カーミラは動けないでいる僕からスルリと抜け出した。


「あなたは自分が何を言っているのかわかっていますの?」


 背中が遠ざかっていく。

 窓際に立つ彼女は、先程まであった柔和な雰囲気が嘘のように霧散し、僕の前では決して見せたことのない夜の女王の顔を垣間見せた。


 赤く禍々しい瞳と、長く伸びた牙。

 そうでありながらも我が子のいるお腹を撫でる手はどこまでも優しい。


 吸血鬼と母の間に立つカーミラは、昼と夜との境界を映す窓辺から僕の方を見た。そして聞き分けのない子どもを諭すように、優しく、妖しく語りかけてくる。


「私は700年を生きる化物ですのよ。この国が室町時代だった時から生きているんですの。あなたにその意味がおわかりになりまして?」


「ああ、僕なんかじゃ想像もできないくらい長い時間をカーミラが生きてきたってのはわかる」


「わかってなどいません。想像すらも及びません。時の隔たりというものは人間のイマジネーションなどあざ笑うほどに遥か遠く――そして絶対の壁として立ちはだかっているのです」


「だから、僕ではおまえに相応しくないと?」


「相応しい相応しくないという問題ですらないのです。繋がり合うことすらできない。例え一時、精神と肉体、どちらか、あるいは両方が結びついたとしても、横たわる時の重さに離れていくことになるでしょう」


 僕は、その意味を知っている。

 そう、ディーオとエアリスがまさにそれだった。


 どんなにエアリスがディーオを慕ったとしても、決してふたりの距離が縮まることはなかった。


 一万年という時間によってすり潰されたひとりの男にとって、辛うじて引き取った少女に寄せられる情愛は親子愛がせいぜい。


 エアリスが本当の意味でディーオの隣に並び立つためには、彼と同じだけの時間を生き、同じように心をすり減らす必要があるのだろう。そんなことは不可能だ。


「ああ、確かにそうかもしれない。そういう意味では、もはやこの世界のどこにも、お前と一緒にいられる男はいないんだろうな……」


「そのとおりですわ。ヒトを殺すのはいつでも孤独。吸血鬼とて例外ではありません。そうやって私たち神祖は誰も彼もが死に絶えていったのです」


 彼女の横顔に愕然とする。

 中空に向けられたその瞳こそ、大いなる孤独を感じさせたからだ。


 すべての仲間を――神祖を見送ってきたと彼女はいう。

 その事実の前には想像も同情も及ぶものではなかった。

 今、僕とカーミラの前には、孤独と断絶が横たわっていた。


「じゃあその子はお前のなんなんだ? 孤独を癒やす慰めなのか?」


「これは――どちらかと言えば娯楽の類ですわ」


「娯楽、だと……?」


 彼女が持ち出した言葉に、僕の肝が一瞬で冷える。

 結婚を申し込んだばかりの女性に、激しい怒りを抱く直前、カーミラは「ああ、誤解を与えてしまいましたわね」と謝罪した。


「あまり響きのいい言葉ではありませんが、他に適当な言葉が見つからないのであえて娯楽と言わせてもらいます。恐らく、私は有史以来、表の世界で最も成功した吸血鬼と言えるでしょう」


 カーミラは執務机の椅子にかけてあったストールをふわりと自身の肩にかける。そして深く、ゆっくりと椅子に身を沈めた。


 気がつけば、僕の全身を濡らしていた汗は完全に乾き、空調が効いた室内は、やや肌寒さすら感じるようになっていた。僕との会話を優先させながらも、お腹の中の子のことも忘れてはいないのはさすがだと思った。


「御堂という人外が一切の邪心を捨て、国の政治中枢を支え続けてきたという稀有な歴史的背景。そして敗戦後、一度まっさらになってしまった経済基盤。いくら私ほどの美貌と才気を兼ね揃えていても、これほどまでにのし上がるのは、容易いことではありませんでした」


 確かに。世界のどこを見渡してみても、日本のような国はない。

 表の皇室、裏の御堂と言われる通り、本来排斥されるはずの人外こそが生粋の愛国者であり、ときに滅私の精神で民草を守る。


 奇しくもそれは先のサランガ災害において証明され、歴史の影に隠れ続けていた人外たちが日の目を浴びた数少ない事例となった。だからこそ、米軍程の戦力を有さない日本がギリギリのところで外敵に抗うことができた大きな要因だと僕は思う。


「そんな私が、まさかこの歳で子どもを身ごもることになろうとは思ってもみませんでした……。ですが幸いにして、私には時とお金と権力があります。その三つがあれば、父親の代わりくらい補って余りあるでしょう」


 父親などいらない。

 彼女は今ハッキリとそう言った。


 父無ててなし子。生まれてくる子どもはきっと不幸だろう。

 だが、それ以外の全てを自分なら用意することができると、カーミラはそう言っているのだ。


「……さらに言うのなら、生まれてくる子どもは恐らく人間ではなくダンピールです。この意味が、あなたならおわかりになるでしょう?」


 ダンピール。

 吸血鬼と人間の混血児。カーミラ・カーネーションとタケル・エンペドクレスから生まれてくる子どもがそれだ。


「そう、確信を以て言えますわ。この子はダンピールと。タケル、あなたはそれほどの力を有しながらも、決して自分の子どもにはそれを継承させることができません。何故ならあなたは突然変異だから。私は生まれてきた我が子に、父親は人間で、早くに亡くなったと教えるつもりです。あなたがこの子に残せるものが何もないのなら、余計な情報は与えない方がいい。そうは思いませんか?」


 お前の父親は英雄なのだと。

 今は異なる世界で王をしているのだと。

 そしてカーミラではなく、別の女と幸せに暮らしているのだと。

 そんなことを教える必要はどこにもない。


 何故なら僕の持つ力とは血によって継承されるものではないから。

 魔族種としての特性を残せないのなら、僕の存在は始めからなかったものとして育てた方がいいと、カーミラはそう言う。


「ですからタケル、私のこと――私とこの子のことは一切心配無用。あなたはもっと他に優先するべき女性がいるでしょう。エアリスちゃん然り、セーレスちゃん然り。彼女たちはまだまだ若い。きっとあなたの良き妻となり、あなたの支えになってくれるでしょう」


 カーミラは執務机の上に肘を付き、顎を支えながらニッコリと笑みを作った。

 その笑顔は、今まで僕に見せてきたものとはまるで別物。

 世界的企業のトップが商談相手に見せる、余裕を感じさせる笑みだった。


「またいずれ遊びにいらっしゃいな。父親と名乗ることは許可できませんが、エアリスちゃんやセーレスちゃんの子どもとは是非仲良くさせて欲しいものですわ」


 まるで話は終わりとばかり、椅子から立ち上がったカーミラは僕に背を向けた。

 ブラインドの隙間をこじ開け、極彩のイルミネーションに包まれた外界を見下ろしている。


 その背中が再び何かを語りかけてくることはない。

 僕が諦め、退室するのを待っているのだ。


「カーミラ」


 僕は彼女の背中に歩み寄りながら口を開く――


「お前どうした? 熱でもあるのか?」


「は?」


 あまりにも予想外のことを言われたのだろう。

 カーミラは綺麗に片眉だけ跳ね上げた顔で振り返った。


「普段非常識が服着て歩いてるようなおまえから、訥々とつとつと常識的な意見を聞かされることになると思わなかったよ。なあ真希奈、妊婦って臨月が近づくと熱が出たりするのか?」


『ないわけではありませんが、それも個人差によってまちまちなようです』


「なるほど。大発見だな。カーミラは熱が出るとまともなるみたいだ。いつも発熱してたらベゴニアの苦労もなくなるのにな」


 やれやれ、とばかりに手を振り、カーミラを見る。


「あ、あなた、いい加減にしないと――」


「いい加減にするのはおまえの方だカーミラ」


 僕はずっと同じだった立ち位置から、窓際へと移動する。

 即ち、彼女のすぐ近くへと。


「さっきから的はずれなことばかりいいやがって。おまえ、僕がお前を妊娠させてしまったから、その責任100%――子どものためだけに、おまえみたいなはた迷惑極まりない女と嫌々結婚しようとしてると、そう思ってないか?」


 僕は真剣に話しているというのに、カーミラは目に見えて不機嫌になっていく。片方の口角だけギリリとつり上げると、長い牙が顕になった。


「あなた私に喧嘩売ってるんですの? 誰が非常識で、はた迷惑極まりない女ですか。私ほど知性と美貌と才能に溢れた女はいません。まさに世界最高のパーフェクトレディといえますわ」


「そういうセリフを臆面もなくほざける精神性のことだと思うぞ」


「やっぱり喧嘩売ってるんですわねあなた!?」


 ズイッと身を乗り出してくるカーミラ。

 大きなお腹をことさら誇示するよう胸を張っている。

 ああホント、なんでこんな女のことを僕は――


「改めて言うぞカーミラ。僕と結婚してくれ。お前みたいな奴、結構好きみたいだ」


 やや照れながら告白した僕だったが、その時のカーミラの顔は一生忘れることはないと思う。美人が台無しというか、真っ白に燃え尽きたというか。据わった目のまま、鼻の下が伸び切るという、社員さんたちの前では絶対にできない表情だった。


「あ、ああ、あなたバカですの? 私が言っていた話をちゃんと聞いていたのですか?」


「もちろん全部聞いてたさ。そして僕の予想の範疇を超えるものでは全然なかったよ」


『むしろシュミレート通りでしたねタケル様。ガーネット・ヨハンソンさんがいたことくらいですかイレギュラーは』


 スマホ越しに頼もしい援護射撃。

 そう、ここにやって来るまでに、カーミラが今どんな気持ちでいるのか、僕たちは散々協議を重ねていたのだ。


 カーミラが僕に懐妊を知らせず、一人で出産しようとしているのは、温泉旅館で偶然会うまで知り得るはずのない情報だった。


 幸い判断材料はいくつもあった。

 エアリスとディーオのことだったり、700年どころではない、七万年のオクタヴィアなどもそうだ。


「それでまあ、年の功でいろいろ言ってくるだろうけど、結局こういうのはお互いの気持ちの問題だって結論に至ってさ。渋々ながら僕もおまえのこと好きだって気持ちをまず素直に認めるところから始めたわけ」


 またしてもやれやれと、アメリカンナイズな手振りで首を振る。

「す、好きって……!」などと呟くカーミラ。彼女は顔を赤くしながらも噛み付いてくる。


「あなた私のことが好きといいながらどうしてそんな嫌々なんですの? なんでそんな苦渋に満ちた顔をしてやがるんですの……!」


 カーミラは自慢の美貌を歪ませて、思いっきりメンチを切ってくる。

 遺憾ながら「あばたもえくぼ」というやつだ。

 そんな表情も美点に見えてくるのだから愛ってやつは恐ろしい。


「それで、お前は僕のこと好きか嫌いで言ったらどっちなんだよ?」


「何なんですの……せっかく年長者として、聞き分けのない子どもを超絶上から説き伏せていたというのに……これではまるで小学生同士の恋愛問答ではありませんの……!」


「いいんだよ、恋愛に関しちゃ僕は小学生以下だし」


「自慢にもなりませんわね!」


「怒鳴るなよ。赤ん坊に障ったらどうすんだ。で、どっち?」


 カーミラは本当に不承不承という感じで顔をそらしながら「嫌いなわけありませんわ……!」と絞り出した。よし。


「じゃあ、何も問題はないな。ほら」


「これは――」


 僕が懐から取り出したのはドルゴリオタイトのペンダントだ。

 産出された1等級品に僕がありったけの加護の魔法を籠めてある。

 たとえ今この瞬間、カーネーション本社ビルが倒壊しても、カーミラだけは絶対守ってくれる代物だ。


「うちで採れた中でも特級品の石を使ってる。魔法は僕が気合を入れて吹き込んである。指輪代わりに受け取って欲しい」


「あなた、こんなもの私に渡している場合ですか。エアリスちゃんとセーレスちゃんはどうするのです!?」


「そっちも一応解決してる」


「どうやって――!?」


「昨晩ふたりにはプロポーズしてオッケーもらってる」


 ビックリした。

 突然カーミラの膝から力が抜けたので、崩れるその身体を、腕を回して抱きとめる。


「危ないなおい!」


 密着すると僕のお腹に、カーミラのお腹が当たってドキドキしてしまう。

 本当にこの中に僕の子どもが……。


「エアリスちゃんとセーレスちゃんと結婚して、わ、私とも……?」


 まるで信じられないものを見るように、至近距離からカーミラが見上げてくる。

 ドキリとしながら僕は力強く頷いた。


「信じられるか? 一年前までニートだったんだぜ僕。それが一気に三人の奥さんをもらうとか今日日ラノベの企画だったらボツ食らってるレベルだな」


「開いた口が塞がりませんわ……あなたの方がよっぽど非常識なのではなくて?」


「なら非常識者同士でちょうどいいだろう。僕らを反面教師にして子どもはまともに育つよ」


「年の差はどうするんですの!? なんと684歳差ですわよ!?」


 ああ、さっき言った時の隔たりってやつか。

 確かにそればっかりはどうしようもない。

 でも――


「大丈夫なんじゃないか。ディーオの奴はエアリスを顧みずひとりで逝っちまったけど、幸い僕とおまえにはこれからがあるし、もし本当に僕のことを好いてくれてるんだったら、少しは歩み寄ってくれよな。僕も努力して追いつくようにするから……」


 一方通行な時の流れに巡行して、一万年という隔たりのまま歩み続けたディーオとエアリス。でも幸い、僕とカーミラならその差はずっと少ない。僕が全速力で駆け、カーミラが立ち止まって待っていてくれるなら、きっと乗り越えられると思う。何せ僕らには、時間だけは腐るほどあるから。


「こ、この、柄にもなくカッコいいセリフを……! これが若さ故の過ちですの……!?」


「どっちかっていうと過ちを犯したのはおまえなんだけどな?」


 僕の腕の中でカーミラは、尚も「うー」とか「むむむ」などと唸っている。

 はあ、しょうがないな。できればこれだけは言いたくなかったのだが。


「なあ、正直言うとさ、こうしてると色々マズイんだよな僕……」


「何がですの!?」


 なんでそんなキレ気味なんだよ。


「何って、カーミラの匂いを近くで嗅いでると、思い出してきちまう」


「あ」


 そこまで言って、ようやくカーミラも気づいたようだ。

 瀕死の重傷を負った僕を救うため、肌と肌を重ねた。

 最中の記憶は残念ながらないが、事後の記憶は当然ある。

 あの時の温もりと匂いは今でも忘れられない。


「今度はちゃんと記憶に残る形で、お願いします」


 そうして僕はカーミラに向けて頭を下げた。

 恐る恐る顔をあげると、カーミラは静かに首を振りながら盛大なため息を零した。


「いやはや、参りましたわ。まさか私ともあろうものがこうまでしてやられてしまうだなんて……」


「それじゃあ――」


「ええ、褒めて差し上げますわタケル。よくぞ私をここまで追い詰めました」


「え、なに……?」


 不穏な響きの言葉を聞いて、僕の中の第六感が警鐘を鳴らし始める。

 カーミラはトン、と僕の胸をついて少し離れると、「ごめんなさい、ですわ」と言い、なんのつもりなのかマタニティウェアのスカートを捲りあげた。


「カーミラッッ!?」


 いきなりの奇行に、僕が慌てて目を覆おうとするより一瞬早く、トサっと足元に何かが落ちた。


「………………クッション?」


 丸い形をした大きめのクッションが床に転がり、そしてカーミラのお腹はストーンとなだらかになっていた。


「そういうわけで、ごめんなさいねタケル。せっかく告白してくれたけど――全部ウソなんですの。それでもまだ結婚します?」


 ああ、なるほどこうきたか。

 こいつは――予想外だ。


「………一旦保留で」


 僕は辛うじてそう絞り出すのが精いっぱいだった。



 *



 せっかくカーミラを追い詰めたはずの僕だったが、彼女の妊娠という大前提が崩れ去ってしまったために、彼女に言ったセリフのすべてが、自分自身を傷つける刃となって返ってきてしまった。


 あの後カーミラは言った。

 いつまで経ってもエアリスとセーレスとの関係が進展しない僕を憂慮し、少々刺激の強い方法で焚き付けてみた。


 もちろん計画には百理とベゴニアも噛んでおり、僕はまんまと地球組に騙されたというわけだ。


『まったく、あの女許せません、最低です! タケル様の純粋な気持ちを弄ぶとは!』


「頼む真希奈……録画してた映像全部消してくれ……」


『イヤです。後で繰り返し見ます』


「やめてくれえええええッ! 頼む、誰か僕を殺してくれよぉぉぉ!」


『今度はちゃんと、記憶に残る形でお願いします――キリッ』


「ああああああああああああああああああああ――――!!」


 逃げるように魔法世界マクマティカへと帰還した僕は、誰もいないゴルゴダ平原でひとり、借り物のスーツがボロボロになるまで身悶えるのだった。


 続く――





























 * * *



「カーミラ様、早く早く! ぐずり出す寸前ですよ!」


「はいはい、お腹が空いたんですの――タケオ?」


 会長室に隣接したプライベートルームで、カーミラは授乳を行うべく、愛しい我が子を受け取った。


 小さくて玉のようにみずみずしい生命。

 カーミラの予想どおり、立派な男の子であり、その名をタケオ・フォマルハウトという。


「やれやれ、出産間もないのに友人は訪ねてくるわ、タケルが突撃してくるわで散々な一日でしたわねえ……」


 お腹の大きなカーミラを見たのはタケル本人のみ。

 もしこれがせめて同性のセーレスやエアリスだったら、『もうすぐ生まれそう』ではなく『いつ生まれてもおかしくない』状態だと気づいたはずだ。


 実際カーミラはタケルと別れたあとすぐに産気づき、無事に出産を終えた。

 本来なら絶対安静にしなければならない産後状態だが、持ち前の回復力で早々に職場復帰を果たしてしまった。


 ほぎゃあ、ほぎゃあ、と泣き出してしまった息子をあやしながら、マタニティウェアの胸元を開き、母乳でパンパンになった乳房を顕にする。口元に近づけてやれば即座に吸い付き、元気よくおっぱいを飲み始めた。


「散々、という割にはずいぶんと嬉しそうに見えますよカーミラ様。タケルにはどんな言葉で愛を囁かれたのですか?」


 プライベートルームの中は、子供部屋と言っても過言ではない。

 ベビーベッドや揺り籠クーハン、オルゴールメリーからガラガラまで。その他にも、とてもではないが使い切れないグッズやおもちゃが置かれており、用意した者の浮かれっぷりがわかろうというものだった。


「愛なんて、そんな色気のあるものではありません……でも、いくつになっても嬉しいものですわね。自分が惚れた男が成長していく姿というものは……」


 今回、カーミラの計画はこうだ。

 妊娠したという事実をタケルに突きつけ、エアリスとセーレスの関係を進展させる。


 そしてひとまずは、自分とは距離を置き、魔法世界できちんと身を固めさせてから、幸せな夫婦生活を送ってもらう、というものだった。


「モラトリアムというやつですか。まっとうな青春を送れなかったタケルにはせめて、エアリス殿やセーレス殿と、イチャイチャラブラブ生活を送って欲しいという」


「あなたの言い方はずいぶんアレですけど、間違ってはいませんわ。あの三人はまだまだ若い。私は長期戦略を計画しているのです」


 カーミラは大人だった。

 そして自分で言ったとおり、心にも大きな余裕があった。

 なにせ不死のタケルと吸血鬼の神祖である自分。

 これから長い付き合いになっていくのだから。


「でも、先程はずいぶんとタケルにやり込められて余裕がなくなっていたように見えましたよ?」


 チュッパチュッパと母乳を貪るタケオを愛おしげに見つめるベゴニア。

 カーミラもまたゆっくり静かに、揺り籠のように身体を揺らし、息子を慈愛の表情で見守る。


「それは一生の不覚です。絶対に許しません。いずれとっちめてやるつもりです……ふふ」


 タケオの紅葉のような手が彷徨う。

 母の胸元にぶら下がったペンダントに触れると、それを気に入ったのかキュッと握り込み、キャッキャと笑った。


「あら、もしかして特別なものだとわかるのかしら……タケオ、これはパパがくれたペンダントですわよ。あなたと同じ、ママの大切な宝物なの」


 タケオと、そしてこのペンダントと。

 長い長い自分の生涯に於いて、こんな立て続けに幸福が訪れるなんて……。

 その事実を噛み締めながら、カーミラはひとり幸せの絶頂を痛感していた。


 続く。

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