第376話 キミが笑う未来のために篇⑭ 摩天楼に霞みそうな男の決意〜広報部三人娘再び登場!

 * * *



「よし、そろそろ行くか」


 トールサイズのアイスコーヒーを飲み干し、溶け出した氷水をすすること二回。僕は男の勝負へと打って出るため、改めて気合を入れ直していた。


 時間はそろそろおやつタイムになろうかというところ。

 休憩がてらのOLさんや奥様連中が何組か、わいわいと世間話に花を咲かせている。


 いよいよ僕はカーミラの元へと赴く。

 僕を助けるために子どもまで身ごもってくれたというのに、カーミラはそれをひた隠しにしていた。


 いくら僕が彼女からすればまだまだ子供とはいえ、父親である僕を除け者にしてどういうつもりなのか――その真意を問いただしに行かなければならない。


 ヒントはある。

 百理が言っていた言葉だ。


『本当によろしいのですね? 貴方様には他に、責任を取らなければならない女性が――』


 僕に味方をしてくれると言ったが、心情的に百理はカーミラ寄りだろう。

 同じ女性として、そして現存する人外としてもより年齢が近い。そして僕の予想が正しければ、カーミラにとっては何百年ぶりかの自然妊娠だろう。


 まさか初めてではないと思うが……いやまさかな。怖くて聞けやしない。この話題には触れないでおこう。


 堕胎なんて選択肢はありえないし、かと言って人並みの幸せも求めてはいない。そんな精神的にも経済的にもとっくに独立してしまった吸血鬼女を、今から僕は口説きに行くのだ。


 これは思ったよりも遥かに大変なことだった。


『むむむ……懊悩するタケル様のお姿、とっても素敵です。他の女の元へ愛を囁きに行かれるというのに、真希奈はその凛々しいお姿にキュンキュンきてしまいます。は――これがつまりNTRネトラレる心境なんですね?』


「違うから。あと娘の口からそんな言葉聞きたくないし」


 とりあえず、御堂邸が地獄と化してしまったので、結局僕は在来線を使って六本木にあるカーネーション本社まで突撃することになった。


 最近、身重なカーミラは仕事を休養し、会長職はベゴニアが代行しているという。

 本社に確実にいるベゴニアにカーミラの所在を訪ね、そして会いに行く。

 僕が取れる手段はそれしかない。


「真希奈」


『イエス、タケル様』


「もし断られたら、僕は魔法を使うつもりだ」


 壁抜けだろうが透明化だろうが、使えるものはなんでも使う。

 最悪ベゴニアと戦うことになったとしても構わない。


『タケル様の子どもなら、真希奈にとっても弟妹きょうだいということになります。このままではタケル様の子どもは社会的強者の手により、真希奈たちと離れ離れされてしまう可能性があります。やりましょうタケル様。男として――いやさ父として』


「ああ、もちろんだ!」


 グラスの中の氷を口に入れ、バリボリと噛み砕く。

 トレイを返却し、流れるような動きで出口を目指す。

 扉を開ければ先を凌駕する絶頂の熱気が僕を包み込むがもう平気だ。

 何故なら僕の心の方がずっとずっと熱いから――!


『むむ、これは一体!?』


「なんだこのヒトたちは!?」


 僕と真希奈は素っ頓狂な声を上げた。

 何故なら、今まで見ることのなかった大勢のヒトの流れが通りには溢れていたからだ。


 ビジネスマンだけではなく、どうみても私服姿の一般人も大勢いる。

 車道にも乗用車が溢れ、渋滞の様相をていしていた。


「なんだ、お祭りでもあるのか?」


『タ、タケル様、これを御覧ください――!』


 言われてスマホに目を落とす。

 するとそこには、心が萎えそうな情報が載っているのだった。



 *



 六本木ガイアセントラルビル。

 世界に名だたる大企業カーネーションの本社はそこにあった。

 地上25階、地下4階、屋上にはヘリポートすら完備した目もくらむような摩天楼である。


 そしてエントランスがある広場には今、車道をはみ出して対岸さえ埋め尽くすほどの野次馬が溢れいてる。


 誰もが自前のスマホやカメラを構え、中にはテレビ局のリポーターまでいる。

 人々の熱狂の理由はもう間もなく、僕が見知った顔とともに聴衆の前へと現れた。


『今姿を現しました、極秘来日していたハリウッド女優ガーネット・ヨハンソンさんです! 隣にいる女性はえー、只今情報が入りました。カーネーショングループの会長代理をしているベゴニア・カーネーションCEOとのことです!』


 フラッシュがものすごい勢いで瞬く。

 興奮した様子で中継カメラに向かってつばを飛ばすリポーター。

 僕だって驚いている。何故なら眼の前には、銀幕の中で何度も憧れた挑発的な美貌の持ち主が立っていたから。


『グルービーズ』。

 多種多様なイカした、あるいはイカれたアメコミヒーローたちがチームを組んで地球を侵略する敵と戦う痛快映画シリーズである。そのうちのひとりとして日本でも有名な女優、ガーネット・ヨハンソンがベゴニアと腕を組みながらレッドカーペットの上を歩いていた。


 長身でハリウッド男優顔負けのガタイをしたベゴニアは、端正な顔立ちとロシアンハーフ独特の彫りの深さで、一緒に歩くガーネット女史と比べてもまるで見劣りしていない。


 それどころか隻腕に眼帯、スーツ姿と相まって、新しい『グルービーズ』のメンバーですと紹介されても違和感がなさそうだった。


『ガーネット・ヨハンソンさんは友人であるカーネーショングループ会長、カーミラ・カーネーションさんを訪ねて来られたとのことで、今回の来日は完全にプライベートなものだそうです!』


 テレビカメラを前にリポーターの女性が一生懸命解説をしている。

 大変な歓声の最中だが、僕の常人離れした聴覚は一言一句を聞き逃さなかった。


『カーミラさんとヨハンソンさんの友情は、ヨハンソンさんが女優になる以前、まだ名もないモデル時代にスタイリストアドバイザーとしてカーミラさんが協力をしてくれたことが切っ掛けで――』


 リポーター曰く、ガーネット・ヨハンソンが無名時代から何かと目をかけ、メイクや衣装などのスポンサーになっていた人物こそ、誰であろう先代のカーネションであり、そして今はその娘であるカーミラが友情を引き継いでいると締めくくった。


 いやいや、カーミラ個人とプライベートな付き合いがあるのなら、多分彼女が人間じゃないことも知っているだろう。そして今自分と腕を組んでいる女丈夫じょじょうふが人外であることも……。


 いつの間にかマイクを手にしたヨハンソンが、集まった日本のファンに対してコメントをする。曰く『今回の来日は大切な友人に会うための、ごくごく私的なものだった。ファンの皆さんには理解してもらいたい』


『大きな災厄に見舞われ、大切な家族や友人、隣人を喪ってしまった日本の皆様に心よりお悔やみ申し上げる』


『世界が未だ困難な状況にあっても、日本のファンと、大切な友人の元気な姿が見られて私はとても嬉しい』


『みんな愛してる。ありがとう』――真希奈のリアルタイム翻訳より。


 彼女がそう締めくくると、悲鳴のような大歓声と拍手が降り注ぐ。

 そして彼女はこのまま屋上からヘリに乗り、プライベートジェットに乗り換え、ロサンゼルスへと帰るそうだ。


 メディアからの取材には応じず、メッセージのみの会見だったが、ファンからすれば十分なのだろう。未だ熱狂が渦巻く中、背を向けたヨハンソンさんは、ベゴニアと仲睦まじく腕を組みながら振り返り、ウインクと投げキッスをサービスした。


 普通の日本人がやれば失笑ものだが、さすが女優は様になっている。鼓膜が破れんばかりの喝采が沸き起こった。


「す、すげえ……本物のスターに会っちゃった。あんなヒトとカーミラは友達なのか……」


 僕だって王都でこれくらいの歓迎を受けられる立場にあるけれど、やっぱり異世界と自分が育った地球とでは、より慣れ親しんだ価値観の方に衝撃を受けてしまう。


 向こうの世界でも舞台劇は大きな都市部で盛んだと聞く。もちろん主演を張る俳優はどこへ行っても人気で、地方公演のチケットはすぐに売り切れてしまうとか。


 だが魔法世界マクマティカと地球とでは経済規模が違う。単純な知名度と人気だけなら、やっぱり地球の銀幕スターに軍配が上がってしまうのだ。


 残暑と同じく人々の熱気はなかなか収まらなかった。集まった報道陣も、そしてファンの人達も、未だその場から動こうとはしない。屋上からヘリが飛び立つまで見送るつもりなのだろう。


『タケル様、どうされますか?』


「いや、行きたいけど、これはどう考えても無理だろ……」


 沿道にも、エントランス前にもズラリと警備員が立ち並び、未だ興奮冷めやらぬ人々を押し留めている。のこのこあそこを突破して、カーネーション本社に近づけば、問答無用で逮捕されてしまうだろう。


『タケル様にはカーミラさんに会わなければならない正当な理由があります。でもまさか、今をときめくハリウッド女優とプライベートな友人であるところを見せつけられて、まさか怖気づいたりはしてないですよね?』


 チクリと言葉の刃が刺さる。

 我が娘ながら、ものすごく的を射た嫌味だった。


「な、なに言ってるんだ。そりゃああの映画は僕だってシリーズ全部見てるくらい好きな作品だし、生ブラック・テンペストだー、とかテンション上がっちゃった上に、もしかしてサインもらえないかなあとか思ったりもしたけれど……!」


『はああ……ご自分は本物のヒーローなのに。真希奈は情けないです……』


 僕は群衆の輪から離れ、一旦距離を置く。

 本来ベゴニアに会ってからカーミラの所在を聞くつもりだった。だがヨハンソンさんが訪ねてきたということは、今この本社ビルにカーミラがいる可能性は極めて高い。


 こうなったら最後の手段だ。

 魔法のスキルを総動員して無理やりカーミラのところへ――


「成華さん、成華タケルさん!」


 おや?

 名前を呼ばれて振り返れば、そこにはいかにもキャリアウーマンっぽい出で立ちの女性が三人立っていた。


 しかも僕のことを『成華』と呼ぶなんて、一体このヒト達は――


「よかったー、すぐに見つかったー」


「ベゴニア会長代理も無茶言うわ。探して連れてこいなんてこの状況で言う?」


「まあまあ、文句はいいから早く行きましょう」


 三人の女性たちは僕の腕を引っ張ると、エントランスとは逆の方角へと歩き始めた。


「ちょ、ちょっと待ってください、あなた達は一体――」


「カーミラ様がお待ちですよ」


「え」


 僕は三人に連れられるまま、群衆とは真逆の方へ連れて行かれるのだった。



 *



「それにしてもキミ、ちょっと見ない間に顔つき変わったねえ」


「今いくつだっけ? 男の子って成長早いのねえ」


「エアリスさんとアウラちゃんは元気かしら?」


 カーネーション本社ビルのエレベーターの中で、僕は質問攻めにされていた。

 あの後すぐ僕も思い出した。


 この三人の女性たちはカーネーショングループの社員さんであり、確か広報部に所属するヒト達だ。


 以前アウラをカーネーションブランド・キッズ部門のイメージキャラクターに使いたいとカーミラから打診されたことがあり、一緒に頭を下げてきたのがこの三人だった。


 その時、話を円滑にする以上に面白がったカーミラのせいで、僕とエアリスを夫婦と勘違いし、アウラは引き取った養子、ということになっていた。


 嘘から出たなんとやらで、今じゃそれは完璧真実になってしまったのだが……。


「あの、最近カーミラ、さんってどんな感じなんですか?」


 夕焼けに染まる空を昇っていくエレベーター。

 ガラス張りの窓からは皇居のお堀の姿がよく見えた。

 僕は目的のフロアに到着する僅かな時間に情報収集を試みる。


「会長? うーん、最近まで長期休養中だったのよねえ」


「今日はいきなりガーネット・ヨハンソンさんがいらっしゃるっていうから、いつの間にか出社してたみたい」


「私達も直接会ったわけじゃなく、ベゴニアさんからいるって聞いただけだから……」


 なるほど。

 ベゴニアはあの群衆の中にいる僕を偶然見つけた――などということではなく、恐らく百理から連絡を受けていたと見るべきだろう。


 むしろ帰る前にファンに挨拶したい、などとヨハンソンさんが言い出し、あんなパニック寸前の状態にまでなったのだと思われる。改めてこの三人に見つけてもらった僕は幸運だった。


「あ、着きましたよ」


 エレベーターが止まり、扉が開いた先には、フロアを縦断するほどの長い廊下が続いている。まさか、この階全部がカーミラの部屋なのか?


 キョロキョロしながら三人の後ろをついていくと、廊下の中ほどにインフォメーションカウンターがあり、秘書と思わしき女性が立っていた。


「成華タケル様をご案内しました。カーミラ様にお取次ぎをお願いします」


「畏まりました。少々お待ち下さい」


 秘書さんが受話器を取り「成華タケル様がお見えになりました」と静かに告げる。

 通話の向こうにカーミラがいると思うと、なんだか急激に緊張してきたぞ……!


「カーミラ様がお会いになるそうです。このまま進みまして、突き当りを右に。少し歩くと両開きの扉がありますのでそちらからどうぞ」


「は、はい」


 僕はシャキーンとしゃちほこばって何度も頷く。

 その様子に「クスっ」と笑い声が漏れたのは気のせいじゃない。


「それじゃ、私達はこれで」


「あ、ありがとうございました」


 踵を返す三人に向かって頭を下げる。

 なんかホント助かりました。


「気にしないで。これも仕事だから」


「なんか逞しいぞ少年。頑張ってね!」


「今度エアリスちゃんとの馴れ初め、聞かせなさいよ」


 三者三様、好き勝手言いながらエレベーターまで戻っていく。

 サッパリとしててカッコいい女性たちだった。

 さすがカーミラの会社で働くヒトたちだと思った。


 僕はスーツのネクタイをもう一度締め直し、胸を張り、顎を引き、どこか遠くを見つめるように歩き出す。


 父親である僕に黙って子どもを産もうとしているカーミラ。

 相手は700年を生きた本物の吸血鬼。

 僕とは経験値も経済力も価値観もまるで異なる怪物。


 だがそれでも、女性であることにかわりはない。

 もし彼女が母親のみで、父である僕など必要ないと言ったら、そのときは――


 コンコンコン。

 廊下の最奥――両開きの扉をノックする。

 分厚くて頑丈そうな戸板の向こうから「どうぞ」と微かな声が聞こえた。


 僕は最後にもう一度だけ深呼吸。

 そして「失礼します」と入室するのだった。


 続く。

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