第374話 キミが笑う未来のために篇⑫ タケル16歳の夏・灼熱の時間〜もうひとつのプロポーズ大作戦発動!
* * *
嗚呼、結婚とはなんだろうか。
セーレスとエアリスへ婚約指輪を贈り、ついでにオクタヴィアにも立ち会ってもらい、僕らは正式に結婚する運びとなった。
そして今、日本は東京へと降り立った僕は、もうひとり、僕がケジメをつけなければならない女性の元へと向かっていた。
「暑い……暑すぎるぞ日本!」
もう夏も終わりの季節だというのに、照りつける日差しは殺人光線のようだ。
『現在、東京都心は36.5度、湿度40%、南南西の風、風力2――海水浴にでも行きたい陽気ですね。クラゲだらけですが』
「ダメだ、とてもじゃないけど耐えられない。ちょっと休憩しよう」
僕は真希奈がスマホで表示させている気象情報に顔をしかめると辺りを見渡す。ちょうど横断歩道の向こうにコーヒーチェーン店を見つけたので、救いを求めるように店内へと入る。途端、肌を刺すほどの冷気が僕を歓迎した。
「日本のサラリーマンって僕より不死身だな」
アイスコーヒーの一番大きなサイズを注文し、大通りがよく見えるガラス張りの席へと座る。店内はお昼を過ぎたばかりで閑散としており、営業職と思われるサラリーマンがふたり、テーブル席を挟んで話し込んでいるのと、僕の席のみっつ隣で一生懸命ファイルを確認しているOL風の女性客しかいない。
『タケル様、内ポケットの中にハンカチが入っているようですが』
「え、ホント?」
ごそごそと懐を漁れば確かにハンカチ――しかも嬉しいことにタオル地の厚手のハンカチが入っていた。さすがの気遣いに僕は感嘆し、ありがたく使わせてもらうことにする。
首周りを締め付けているネクタイを緩めると、じっとりと汗で濡れているのがわかる。後ろからやってくるエアコンの冷風に晒すよう、襟口を開いて風通しをよくしながら、首周りを拭いていく。
「あ、しまったな。……真希奈、あとでネクタイの締め方を調べておいて」
『畏まりました。検索・ヒット。いつでも結べ直せますよタケル様』
「サンキュ――……」
スマホに向かって言いかけてから声を落とす。
向こうに座っているフォーマル姿のOLが訝しげに僕を見ていたからだ。
僕はさもフリーモードで話してるんですよ、という感じを出しながら、テーブルの上に置いたスマホへとヒソヒソと話しかけた。
「いやしかし、向こうの世界じゃ考えられない暑さだな」
『そうですね、今年は豪雨災害や連続した大型台風の発生などが続き、猛暑日がもう一月以上も続いているようです。恐らくあの黒い太陽によって齎された地軸異常が関係しているのかもしれません』
真希奈は地球に来た時に、必ず人工AI進化研究所のサーバにアクセスして、情報共有をしているという。それによって僕は、異世界にいながら地球の比較的新しい情報を取得しているのだ。
真希奈が保存しておく地球の情報は、政治、文化、スポーツ、天気、世界情勢などなど多岐にわたり、僕は龍王城の自室で、子守唄代わりにそれらを毎夜耳にしている。今日も早速最新のトピックスを手に入れたようで、今年の夏の異常気象を教えてくれたのだ。
「真希奈、目的地はもう近いのか?」
一通り汗ケアを行った僕は、目の前のアイスコーヒーのグラスにガムシロップとミルクを入れ、ゆっくり撹拌させる。
黒に近かった飴色の中に密度と比重の違うガムシロが沈んでいき、ストローでかき回しながらミルクを入れれば、いかにも甘ったるそうなコーヒーが完成する。
チューっと一口すすれば、キンキンに冷えた甘みと苦味が喉の奥へと滑り落ちていく。
「美味い……この味は向こうの住民にわかるかなあ?」
地球に来るたび、僕はこの手のセリフを言うことがもはや習慣になっていた。
僕が日本で好きだった食べ物、何気ない日用品や嗜好品、それらを
日本茶に似たオルソン茶のような渋いお茶は向こうにも存在する。ホットでもアイスでも飲むようだが、甘くして飲むお茶のたぐいは見たことがない。
そもそも甘味が限られている世界なので、お茶はあくまで渋いもの苦いものと捉えられているようだ……。
『でしたらタケル様、コーヒーの香りや苦味を楽しむように広めてみてはいかがでしょうか』
「それでもいいけど、でも絶対この甘くしたコーヒーも流行らせたいんだよなあ」
汗も引っ込んだので、真希奈がスマホに表示させてくれた画像を参考に、自分の首元にネクタイを結んでいく。見る人が見れば慣れてないことが一発でわかるだろう不器用さで、なんとか形を整えていく。
今の僕はスーツ姿だった。
それもただのスーツではない、借り物とはいえかなり仕立てのいい高級な部類に入るフォーマル姿だった。
*
今朝方地球へと降り立った僕は、先日の温泉旅行の際にイリーナから教えてもらったとある番号へとコールした。
『はい、もしもし。タケル様ですか?』
「突然電話してごめん百理。あ、この間はみんなが世話になった。本当にありがとう」
電話の相手は御堂百理だ。
先日はいきなり大所帯で押しかけた僕らを、高級温泉旅館へと招待してくれた。
彼女は日本の人外を統べる裏の統率者にして、日本を代表する大財閥の当主という表の顔も持っている。力の後遺症で意識が曖昧でもないかぎりは、電話をすることすら躊躇われる大人物だったりするのだ。
『いえいえ、私もあんなに楽しい宴は何十年ぶりかでした。是非また皆様をご招待させてくださいませ。本日はそれを言うためにわざわざ?』
「あ、いや……ちょっと相談というか。忙しいとは思うんだけど、直接会って話せないかな……カーミラのことなんだけど」
『ふむ……その口ぶりから察するに、もしやご存知なのですか、今の彼女の状態を』
カーミラは今現在身重にある。女性としては一大事だし、一番身体を労らなければならない時期だ。
「ああ……、実は宴会があった日の深夜に……偶然会ったんだ」
従業員さえ眠りについた物寂しいロビー。
豪華なシャンデリアやソファセットが並べられたそこに、お腹を大きくしたカーミラがひとりいた。
お腹を擦りながら我が子へと優しく話しかけている彼女のあの横顔が忘れられない。
『そうでしたか……。まったくあの女は、私にはそんなこと一言も知らせずに……!』
通話の向こうで怒ってみせてはいるようだが、その口調には諦めの色も混ざっている。カーミラが好き勝手ばっかりする女だというのは、百理のほうがわかっているのだろう。
『それでタケル様、一体どのようにするおつもりですか?』
「もちろん、カーミラに会いに行く」
即答した僕に、百理が息を呑む気配がした。そんなに意外かな?
『タケル様、失礼ですが本当によろしいのですか。このままやり過ごすことも、貴方様にはできるのですよ?』
百理は男にとって都合のいいことを言っているのではない。
そもそもカーミラの妊娠を、百理も僕に内緒にしていたのだ。
その事実から察するに、彼女は――彼女たちは僕に男としての責任を求めていない。
彼女たちとは即ちカーミラとベゴニア、そして百理の三名だ。
日本はおろか世界的にも有名な企業を束ね、金銭的にもまったく苦労していない。
非嫡出子のひとりくらい、まったく余裕を持って育てていくことができるのだろう。
あるいはまさかと思うが、施設や里子に出すつもりなのかも……。
「バカ言うな。子どもには父親が必要だ。僕よりも長く生きてるからって、大事なことを忘れるなよ」
きっと、百理たちからすれば、僕は未熟な英雄なのだろう。
大きな力を得て、滅びに遭った地球の運命すら跳ね除けたが、それでも子どもは子ども。
たかだか16歳のガキに背負わせるにはあまりに酷な現実だと――そう思っているのだ。
「正直に言えば僕自身、当時の記憶は欠片もない。でも厳然としてカーミラと男女の関係になることで僕の生命は救われたし、その行為の結果に新しい生命が育まれたのなら、それはもう僕の責任だ。言い訳なんかできないし、するつもりもないよ」
電話の向こうから応答はない。
ただ僕の決意にジッと耳を傾けてくれているのだと思いたい。
「もう一度言う。僕はカーミラに会いに行くし、彼女のお腹の子どもの父親は僕だ。今まで気づいてやれなかったことは申し訳ないと思う。ならせめてこれから、カーミラをキチンと支えてやりたいんだ」
朝っぱらだっていうのに、もうすでに気温は30度を越える勢いのようだ。
通勤ラッシュに揉まれた多くの人々が、駅から大量に吐き出され、自分の職場へと足早に向かっていく。
その波を目端に捉えながら、僕は街路の隅っこで熱弁をふるう。
パーカーにジーンズという、ビジネス街には似つかわしくないラフな格好で、ひとりの女性と生まれてくる子供の未来を憂いているのだ。
『ふ――ふふふ、やっぱりあの女…………殺してしまいましょうか』
艷やかな笑い声から一転、ゾッとするほど冷たい声音に身震いする。
「やめてくれ。子どもには母親が必要だから」
『そうですね。埒もない冗談です。聞き流してくださいませ』
そう言いながらも百理は再びコロコロと笑った。
本当に無邪気な童女のような笑い声だった。
『そこまでの決意と覚悟がおありとは、おみそれしました。貴方様を英雄と持ち上げながらも、心の何処かでは子供扱いしていたことを謝罪いたします。ただ、本当によろしいのですね? 貴方様には他に責任を取らなければならない女性がいらっしゃるはずですが……?』
「ご心配なく。昨夜はすっごい修羅場だったよ。そのおかげでセーレスとエアリスと結婚することになった」
『まあ。それはそれはおめでとうございます。しかしまさか、ふたり同時とは。英雄色を好むといいますか――』
「そんな誹りも覚悟の上さ。ガラじゃないのもわかってるけど、それでも絶対に手放したくないんだ――」
スマホを耳に当てたままの僕を、通りすがりのサラリーマンがギョッとしながら通り過ぎていく。会話の端々が聞こえているのかもしれない。ふん、構うもんか。
電話の向こうで小さく『はあああ』と百理のため息が聞こえた。そして微かに『本当に妬ましい』と聞こえたのは気の所為だと思いたい。
『承知いたしました。今より私はタケル様の味方です。全面的に協力をいたします。すぐにあの女の元へ向かわれるのですか?』
「いや、そうしたいのは山々なんだけど、カーミラが今いる場所もわからないし、実は僕、いつもの私服しかなくて……」
情けないがこんなラフな服装ではお話にならないだろう。相手は大企業の会長。今の姿では近づくだけでつまみ出されてしまう。
『では、これから御堂の本家へいらしてください。迎えの車をやりますので現在地をお教えください』
「すまない――ありがとう」
『なんの、お気になさらず。
「そのへんは自信がないかも……僕が首輪つけられそう」
というか間違いなく尻に敷かれるのは僕の方だと思う。そう呟くと百理はまたしてもケラケラと笑いだした。
目印になるランドマークを指定して、その側で待つこと数十分。
通行人の誰もが振り返る黒塗りの高級車が僕の前に停車し、中から出てきた和装の女性が恭しく挨拶をしてくる。
促されるまま乗り込むと、車は一路御堂財閥の本家へと向かうのだった。
続く。
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