第373話 キミが笑う未来のために篇⑪ やがて訪れる幸福の瞬間〜元ニートのプロポーズ大作戦
* * *
「大切なお話があります」
エアリスが作ってくれた心尽くしの料理を堪能したあと、僕は唐突に切り出した。
「なんじゃなんじゃ、一体なんの話じゃ?」
真っ先に反応したのはオクタヴィアだった。
デザートに出たりんごによく似た果物をシャリシャリと齧りながら僕の顔を覗き込んでくる。
「悪いがオクタヴィア、前オクタヴィアは遠慮してもらえないか」
僕は自分の手元に視線を落としたまま言う。
シャク……、と一瞬食べる手が止まり、そしてそのままガタンと椅子を引く音がした。
「ふむ。この気配から察するに……あれかの?」
「はい……恐らく」
顔を上げれば、オクタヴィア母子がニンマリとした笑みを浮かべて僕を見ていた。
「儂も百年後が楽しみじゃのう〜」
「恐れながら、オクタヴィア……時間は戻せません……ですが自らの手で進めることは……」
「なるほど。じゃがまあ儂は三番目でいいかの。ほほ」
意味ありげにセーレスとエアリスを見ながら食堂を出ていく。
いくら契約があるとはいえ、彼女もまさか自分が四番目以下だとは思うまい。
「前オクタヴィア。すまないが、アウラとセレスティアを頼めるか」
「ん……」
「ほえ?」
突然名前を呼ばれたお子たちふたりが目を丸くする。
それぞれりんごもどきを口にしたまま停止している。
いつもと違う僕の雰囲気にふたりは戸惑っているようだ。
お互いに顔を見合わせ、大人たちの方を伺っている。それ以上どうしたらいいのか判断に迷っているようだ。
「アウラ、セレスティアよ。先生たちと先に風呂に入ってくるがいい」
「今日は……ママと」
「すまん。また明日一緒に入ろう」
シーンと沈黙が降りる。
先程まで和気あいあいと食事をしていたのに、僕の一言からこんなに空気が重くなってしまった。申し訳ないと思うが、ヘラヘラしながら話せることでもない。
「アウラ様、セレスティア様……泡玉、を作って、遊びましょう」
「う、ん……」
「うん……遊ぶ」
少しだけ元気を取り戻し、四人は連れ立って食堂を退出していった。
これで残ったのは僕とセーレスとエアリスだけとなった。
セーレスはまるで兎のようにシャリシャリシャリとりんごもどきを齧り続けている。若干の緊張を孕んだ物憂げな視線が僕を捉えて離さない。
エアリスは日本製の湯呑に緑茶を入れて食後茶を楽しんでいる。
何事かを察しているのか、どこまでも泰然自若としていた。
ようやく、手元のりんごもどきが無くなり、セーレスが冷めたお茶を口にする。
ゴクゴクっと喉を鳴らして一気飲みするなり口を開く。
「それで、どうしたのタケル。あんまり楽しいお話じゃないみたい?」
いつも明るく陽気なセーレスがシュンと眉を萎れさせている。
彼女にはいつも笑っていてほしい。
でも嘘を付き続けることはできない。
僕は多分、このままセーレスとエアリスと家族を続けながら、いずれ本物の夫婦に――という未来を漠然と夢想していた。
家族という形から始まった関係にキチンとケジメをつける。かっこよく言えばそういうことだが、正直なことを言えば、僕みたいな男でもそんなことを妄想してしまうくらい、彼女たちは魅力的過ぎるのだ。
だが、それでも――
「今日はふたりにお話があります」
そう切り出し、僕は立ち上がると、冷たい床の上に跪いた。
「すまない、セーレス、エアリス……!」
床に額をつけて、僕は全力で謝罪した。
*
「タケル……!?」
「貴様、何をしているのだ!?」
僕の頭の上からセーレスとエアリスの声がする。
ふたりは椅子を引きながら立ち上がり、僕の元まで駆け寄ってきた。
「エアリス、これって確か……?」
「うむ。タケルの故郷で、最大の謝意を表すときの作法だ」
そう、僕は土下座をしていた。
眼の前には打ちっぱなしの冷たい石床がある。
でも毎日エアリスが掃除をしているのだろう。
舐められそうなくらい綺麗だった。
「タケル、まずは顔を上げて。どういう意味でごめんなさいなのかそれを教えて」
「そうだ。いきなり謝られてもなんのことなのかまるでわからん。一から順番に話せ」
両脇から僕を起こそうとふたりが引っ張る。
そう、ふたりはただの女の子ではない。
強大な魔力と精霊の加護を持つ魔法師なのだ。
ゴクリと、喉を鳴らす。
普段なら彼女たちに触れることができて嬉しいはずなのに、今はひたすら怖くてしょうがない。
その力で己を害されることがではない。
この温もりを失うことがだ――
「タケル? すごい汗だよ?」
「一体どうしたというのだ?」
心の底から僕を心配している二人。
逃げていては何も始まらない。
思い出せ。
男らしく結婚を決意したジャンの勇姿を。
真希奈も言っていたじゃないか。
嘘偽りなく話せと。
そこから先は女の問題とも。
「こ」
「こ……?」
「こ、がどうした?」
「子ども……が、できました」
僕はふたりの顔が見られず、固く瞼を閉じた。
絞り出すように吐き出した小さなつぶやきは、確かに彼女たちへと届いたはずだ。
虚空心臓ではない、ちっぽけな僕の心臓が痛いくらいに拍動する。
沈黙が支配する食堂で、僕の肩に触れた彼女たちの手が一切動かない。
あれ、聞こえなかったのか……と思い、ようやく目を開けると――
「ヒィ――!?」
左にゴルゴーン。
右に分子切断の檻。
金糸の髪を藍色の蛇に変貌させたセーレスと、自分の周りに格子状の深緑の糸を張り巡らせるエアリス。ニッコリと笑みを浮かべたふたりが、ギリギリとその手に力を籠めている。
ああ、僕は死ぬ。
不死身のはずなのに死ぬわこれ。
でも怒ってもらえるだけまだマシかな、などと思うのだった。
*
「ねえ、誰との子ども?」
僕は抱き起こされたのと同じ手で、再び床への正座を強要されていた。
抗うことなど出来はしない。掴まれた肩がメシィっと悲鳴を上げたが我慢する。
「カ、カーミラ・カーネーション・フォマルハウトさんです」
「誰?」
「カーミラ殿か……!」
首をひねるセーレスとは対象的にエアリスは渋面を作り、額を抑えた。
「エアリスも知ってる
「地球で、そなたを探すために奔走してくれた恩人のひとりだ。吸血鬼という、ヒトとは異なった種族だったはず……」
「むう……私を助けてくれたヒトか……。タケル、子どもができたってことは、最近の話、なのかなあ……?」
セーレスの額に綺麗な青筋が浮かんでいた。
それも当然だろう。ここ最近、自分たちといい雰囲気になり始め、スキンシップも格段に増えたことはセーレスも感じていたはず。
そんな矢先に自分以外の女性と子どもができる行為をしていたのか、という疑問に怒りを禁じ得ないのだ。
「ち、違います。その、かなりお腹が大きくなっていたから、多分もうすぐ、後一月くらいで生まれるのかも多分……」
「ということは逆算して……今から9〜10ヶ月前のことか。その頃はまだ地球にいたな私達は」
憤怒の感情を比較的ストレートに表現するセーレスに対して、エアリスの表情はなかなか読めない。カーミラを知っている、いないの差が明確に出ていると思われた。
「ふーん、じゃあタケルはエアリスがそばにいたのに、そのカーミラって女のヒトと、そういうことしちゃったんだあ?」
凍てつくような視線が突き刺さる。
まさか生まれて初めて本気で好いた女の子にこんな目を向けられるとは。
自業自得とはいえ辛すぎる。
「確かに、そういうことになりますはい……」
「なんで? なんでエアリスじゃなくそのヒトなの? エアリスは私がいなくなってから、ずっとタケルをそばで支えてくれたんでしょう? アウラだってできて、タケルは幸せじゃなかったの? 私はともかくエアリスを裏切ってるってことだよねそれ!?」
言葉も視線も厳しいものだが、意外なことにセーレスは自分のためではなく、エアリスのために怒っているようだった。
彼女は常々言っていた。
自分は僕が一番大変な時に側にいることができなかったと。ならばこそ、自分以外の女性ならばエアリス以外にあり得ないと思っているのだろう。
「もちろん、エアリスには感謝しているし、地球での日々は辛いこともあったけど、それだけじゃなく、ちゃんと幸せでもあったよ」
「ならどうして!」
「待て。落ち着くのだセーレス」
感情が爆発する寸前、エアリスが間に割って入る。
肩を抑えられたセーレスは、目尻に涙を浮かべていた。
怒り顔よりもずっとずっと胸に刺さる表情だった。
「今、思い当たるフシをずっと考えていた。もしやタケル、カーミラ殿との行為に及んだのは、貴様が死にかけたときのことではないか?」
「え――? 死ぬって……?」
さすがエアリスは冷静だ。
深く、探るような瞳で問いかけてくる。
僕は力なく「そのとおりだ」と首肯した。
「やはりか……このことはとても言いづらいことがあるため、セーレス、そなたには話していなかったのだ。様々な要因が重なりあって、タケルは本当に死にかけたことがある。そしてその原因の一端はセレスティアにもあるだ」
「ど、どいうこと? 詳しく教えてエアリス!」
愛しい愛しい娘子。
遠い他の星に攫われてしまった自分を守るためにずっとひとりで頑張り続けていたセレスティア。そんな娘が、まさか僕を傷つけるなどとは夢にも思うまい。
「最初に言っておく。その時のセレスティアは精神的に大変不安定だった。なおかつ悪い大人に騙されていたと言っても過言ではない。今現在のセレスティアとは分けて考えるのだ。いいな?」
「う、うん……」
キチンと前置きをしてからエアリスは話し始めた。
御堂百理――地球で世話になった恩人のために、僕は人命救出のために戦いへと赴いた。その先で、街中の人間を救うのと引き換えに、限界を越えた力を行使した結果――聖剣が暴走してしまった。
僕の内側を食い破ろうとする聖剣を押さえつけるため、全ての魔力を差し出し、僕は敵地の真っ只中で、魔法の使用が不可能な状態へと陥ってしまった。そこに追い打ちをかけるテロリストとの戦闘。不覚を取り、重症を負った僕の前に現れたのがセレスティアだった。
『――お前のせいでお母様はッ!!』
彼女は母を救う手段を探していた。
なおかつ、僕が到着するより10年も前の地球にセーレスは連れ去られており、その後、肉体の崩壊からセーレスを救うため、セレスティアが生まれた。
セーレスを救うためには『正規の手段』を用いて
「嘘……そんなことが……」
セーレスはエアリスにもたれかかり俯いてしまった。
エアリスは痛ましいモノを見るように、セーレスを抱きとめ、優しく頭を撫でている。
「セレスティアはあまりにも孤独だったのだ。頼れる者が誰もおらず、その力を利用しようとする者たちと取引をしながら、そなたの延命を図らなければならなかった。隙を見せれば飲み込まれてしまう。そんな過酷な環境にあり、ずっと心が休まらずにいた。正常な判断ができないほどに追い詰められていたのだ」
「私、悔しい……。あの子がそんなことになってたなんて……ただ眠り続けていただけの自分が情けないよ……」
俯いたセーレスの横顔にツウっと涙が一筋流れる。
もうどうしようもない過去のこととはいえ、彼女の悲しみはいかばかりだろうか。
そんな彼女を慰めるエアリスの手はどこまでも優しかった。
「だが今は違う。今のセレスティアは本当に子どもらしい子どもになってくれた。むしろ気を張り詰めていた頃のことは忘れつつあるのかもしれない。私はそれでいいと思う。タケルもこうして無事だったのだ。それで何も問題はないと思う」
「うん……ありがとう、エアリス」
まだ心から笑うことは出来ないが、それでも気持ちの置所は見つけたようだ。
セーレスが力ない笑みを見せ、エアリスもまた慈愛の笑みで頷く。
本当に、エアリスは変わった。
いい意味で、ディーオという呪縛から解き放たれ、彼女自身様々な事柄に目を向けられるようになったおかげだと思う。
本来なら僕が説明しなければならないこと、僕がフォローしなければならないセレスティアのこと。それらを勘案し、現在のセーレスとセレスティアの関係が壊れないよう、とても優しく気を使ってくれている。
今のエアリスさんは本当に素敵な女性になったと思う。
「でも、じゃあその時にタケルは大きな怪我をしたんだね?」
「そうだ。正直言って魔力が枯渇し、まったくと言っていいほど回復が見込めない状況に陥った。いくら
「そんな……。それじゃあどうやって助かったの? 地球にはこっちよりもずっと医療技術が進んでるっていうけど、もしかしてそれで?」
「もちろん、地球の進んだ医療技術のおかげもある。だが…………ここで話が繋がるのだな、タケルよ?」
エアリスが跪く僕を見下ろす。
それに釣られてセーレスもやや赤くなった目で僕を見た。
ゴクリと生唾を飲み込み、僕はあのときの記憶を話そうと試みる。
だが、あんな朝チュンをこのふたりに話せというのか!?
ダラダラ背中に嫌な汗をかいていると唐突に――
『失礼。黙って聞いていようかとも思いましたが、当事者であるタケル様の口から話すのは生々しすぎるので――』
『ここは真希奈が代弁させていただきます』
今まで沈黙を守っていた愛娘がスマホから声を上げる。
さらに食堂の入り口からも声が届き、そちらに目をやれば、翼が生えたゴスロリチックな真希奈の人形が浮かんでいた。
「真希奈……真希奈は知っていたの?」
『ええ、もちろん。その時の真希奈はまだ生まれたばかりで、行為の意味はまったくわかりませんでしたが……』
ぐおおお、娘に行為とか言われてそれが何を指しているのか悟ってしまうと、身を捩りたくなるような羞恥心が湧いてくる!
『ですが今ではあれは治療行為の一環だったと真希奈は認識しています。当時、タケル様は重症を負い、一切の記憶はありませんでした。タケル様が気がついたときにはすべてが終わっていました』
そして真希奈はカーミラが行った治療行為というのが、僕と肉体的・精神的につながることで、自分の吸血鬼としての生命エネルギーを僕へと分け与え、傷の回復のために利用したのだと述べた。
「なるほど……それでタケルはカーミラさんと、その、交合をしたと……」
交合って。
同衾、
エッチに該当するこっちの言葉ってそんなんばっかりだ。
だが、セーレスが頬を赤らめながらその言葉を使っていると思うと……いかん、ちょっと興奮してしまう。
「説明ありがとう真希奈。よくわかった」
エアリスは眉間に寄った皺を伸ばすように揉んでいる。
彼女からすればすぐ近くにいたのに気づけなかったという思いがあるのだろう。
気づいたところで僕の生命を救うためなら許容しなければならない状況だったのだ。
カーミラは恩人でもあり、そして泥棒猫でもある。
複雑な心境だろう。
「そっか。それなら仕方ない、のかな……」
「そうだな。タケルの過失を糾弾するのは酷だろう」
セーレスとエアリスはそう呟き、大きなため息をついた。
それが心からの納得ではなく、自分に言い聞かせているのだと僕は気づいた。
「カーミラ殿は我らの誰よりも長い時を生きている本物の大人の女性だ。子どもができる可能性は覚悟の上だったと考えるべきだろう」
「そうなんだ……、ねえ、そのカーミラさんってどんなヒトなの? 今の話を聞く限りだと、とっても優しくて思いやりのあるヒトみたい。女性として被る大変さよりもタケルの生命を優先してくれたんだよね」
セーレスの素朴な疑問に、エアリスは押し黙った。
生来、かどうかは知らないが、今の彼女は享楽的でヒトをおちょくるのが大好きで、自分の楽しみを優先させるはた迷惑極まりない女だ。
果たして彼女が当時、僕の子どもを妊娠する可能性があったとして、それについてどう覚悟を決めたのかと予想したとき、彼女を知らないセーレスならば、僕を助けるために我が身を犠牲にする仁愛の塊のような女性と思うだろう。
一方、そこそこ彼女の性格を知っているエアリスなどは、もしかしたら今僕らが陥っている修羅場を展開させるため、カーミラが未来に対して壮大な仕込みを行った可能性がある……と思うはずだ。
かくいう僕も、彼女はこの事態を確実に楽しんでいると踏んでいるのだが……。
『それで、おふた方とも、問題はここからです。ね、タケル様?』
「ああ、ありがとう真希奈。僕が言っても生々しいけど、娘から言われてもやっぱ生々しいものは生々しいよ」
『では、誰が口にしても同じことだったのでしょう。ならば真希奈が言っても問題はないかと』
「そうだな……」
僕は「コホン」と咳払いを一つ、セーレスとエアリスを見上げながら話し始める。
「ことが発覚したのは先日、地球の温泉地に行ったときのことだった。ひと目を憚るようたったひとり、大きなお腹を抱えたカーミラに出くわした。みんなが寝静まった真夜中のことだった」
そして恐らく、あの温泉旅館には元々身重のカーミラが訪れていて、百理が付き添いをしていたのだろうと思う。
僕から連絡を受けた百理がカーミラに相談してベゴニアを動かし、僕らの歓待はふたりにまかせ、自分はあの広い旅館内に隠れていたのだ。
「さっき、エアリスは僕に過失はないと言ってくれた。でも責任はあると思っている。生まれてくる子どもに罪はないし、できることなら認知をして、僕も含めた誰からも祝福されて生まれてきて欲しいと思う」
子どもには両親がいたほうがいい。
僕自身が子供のころ体験したような寂しさは味わわせたくない。
だからこそ、セーレスやエアリスが離れていってしまうかもしれないリスクを考えても、正直に話すことを決心したのだ。
「タケル……そっか。うん、そうだね。赤ちゃんのためだもんね!」
「ああ、間違ってはいないと思う。さすがだなタケル……」
僕の考えに賛同するふたり――セーレスとエアリスの表情は悲しげだった。
口では祝福してくれているが、心ではやはり真逆の思いが渦巻いているのだろう。
「だから、カーミラにはきっちりケジメをつけに行こうと思う。僕の子どもを身ごもっていたのにずっと黙っていた件とか、偶然発覚しなかったら、僕に黙って産んでいたのかとか、その辺のこともきっちり問いただしてくるつもりだ。でもその前に………………これをふたりに渡しておきたい」
練習していたはずのセリフなのに、いざ本番となると躊躇ってしまう。
それでも勇気を出して懐から瀟洒な小箱を取り出す。
藍色の箱をセーレスへ。
緑色の箱をエアリスへ。
ふたりは突然のことに目を丸くして、僕と手の中の箱を交互に見ている。
「開けてみて欲しい」
「これって……何? 小さいけど綺麗」
「指輪、なのか? もしかして……」
やっぱりこちらの習慣ではないのだろう、いまいちピンと来ていないようだ。
『タケル様の生まれた地球では婚約指輪といって、男性から女性に指輪を送る習慣があるのです。寸法も合っているはずです。真希奈がこっそりふたりのサイズを調べておきましたので』
真希奈には僕の計画はとっくの昔にバレていた。
僕だっていつまでもこのままズルズル行くのはダメだと、漠然とは思っていたのだ。
だから真希奈にお願いし、イスカンダルさんにサンプルの名目でプライベートリングを作ってもらっていた。
ドルゴリオタイトなどではない、地球産の、僕の価値観で最高級の宝石。
セーレスにはカシミール・ブルーサファイヤ。
エアリスにはデマントイド・グリーンガーネット。
イスカンダル冴子さんの伝がなければ取り寄せすらできないほどの高価な宝石で、正直言って僕のヘソクリが消し飛んだのは内緒だ。
「え、え、ええ? つまり、どういうこと?」
「タケル……わからない。カーミラ殿への責任とこれに一体なんの関係が……?」
セーレスとエアリスは混乱の極みにあるようだった。
もしかして、僕からこういうことされるなんて想像もしていなかったのだろうか。
でも、やっぱりこれは絶対必用な儀式だと思うのだ。
僕は床から立ち上がり、まっすぐに二人を見つめる。
「アリスト=セレス、エアスト=リアス……僕と結婚してください」
ああ、顔が熱い。
灼熱のように火照っている。
僕は隠すようにふたりへと頭を下げた。
「……………………」
なんの反応もなかった。
恐る恐る顔をあげると、セーレスは真顔のまま固まり、エアリスは目を見開いて僕を凝視している。
唐突過ぎたか。
まだまだ言葉が足りなかったか。
あるいはその両方か。
僕はふたりの心に届くよう願い、ゆっくりやさしく告白を重ねる。
「アウラやセレスティアのおかげで、僕たちは一足先に家族という絆で結ばれたと思っている。でも、それに甘えて、家族に至るまでの過程を完全にすっ飛ばしてここまできてしまった。今回、カーミラのことに背中を押される形になったけど、僕が真っ先に責任を果たさなければならない相手はキミたちだと決めていた」
「でも、タケルにはエアリスがいるのにこんな……」
「貴様が最初に責任を果たすべきはセーレスではないか……」
なんでこの子たちはホント、労りと友愛が交錯して噛み合わないのだろうか。
「いいよもうそういうのは。だって僕王様だし。どっちも大好きだし、片方を取って片方が不幸になるなら、好色とか女好きとかハーレムとか、そんな汚名くらい、いくらでも被るよ。その上でカーミラのこともちゃんとしに行くから」
それに今後、政治的な立場から后が増える可能性があるし……。
逆に増やさないためにも、さっさと身を固めるのはいい予防線になると思う。
だってこの世界に、このふたり以上に最高の女性はいないはずだから……。
「返事を聞かせて欲しい」
「あ、う……えっと……!」
「これは……いやしかし……!」
うーん、彼女たちをここまで迷わせるのは僕の普段の行いのせいか。
ここは多少強引に行ったほうがいいのだろうか。
「セーレス、ちょっと借りるよ」
「う、うん…………わあ!」
左手の薬指。
細くてしなやかでスベスベ。
指輪はどこにも引っかかることなく、スルリと彼女の指に収まった。
「エアリスも」
「あ、ああ……ううう!」
セーレスより幾分長く、褐色に包まれた指。
滑らかなチョコレートのようにつややか。
そこを指輪でデコレートする。
『えー、汝アリスト=セレス、エアスト=リアス両名は、この者、タケル・エンペドクレスを生涯の夫として愛することを誓いますか? 誓わないなら真希奈がもらいますがいいですか?』
「誓う、誓うよ! でも、私で……いいの?」
「もし許されるのならば、私も誓いたい……」
それぞれの薬指にはめられた指輪を胸に抱き、セーレスとエアリスは潤んだ瞳で僕を見つめてくる。翡翠と琥珀の瞳に吸い寄せられる。
まるで僕ら三人の顔の等距離にブラックホールが出現したみたいに引き寄せられていく。その距離がゼロになる直前だった――
「いやったー!」
「きゃほー……!」
厳かで神聖なはずの空間に、最高にハイテンションな悲鳴が轟いた。
食堂の入り口には、セレスティアとアウラがピョンピョンと飛び跳ねていた。
「セレスティア、アウラも――いつからそこに!?」
「ねえねえ、お母様お母様、今オクタヴィアから教えてもらったの! 結婚って新しい妹か弟ができることなんでしょ!?」
「なッ――!?」
絶句したのは僕ら三名同時。
頭からヤシの木が生えたみたいに陽気な子どもが二名。
入り口から家政婦は見た、みたいなニヤケ顔を覗かせているものも二名。
「オクタヴィアに前オクタヴィア先生、ずっと覗いていたのですか!?」
顔を真っ赤にしたエアリスが吠えるが、オクタヴィア母子はどこ吹く風で、彼女の気炎も難なくいなしてしまう。
「安心せいよ、子どもたちに聞かせられない話は聞かせてないぞい。ちゃんと頃合いを見計らっていたとも」
僕はハッとしながら龍慧眼を駆使する。
いた。部屋の中にエーテル体の蛇が。
僕たちの修羅場も蜜月も全部聞かれていたようだ。
油断した……!
「おめでとうございます。セーレスさん、エアリスさん。私がお教えした夜伽の全てを駆使すれば、お世継ぎなどあっという間に生まれるでしょう」
エロ話になると饒舌になる前オクタヴィアが、優雅な所作でお辞儀をする。超余計なお世話だよ。
「いやあ、とにかくめでたい。ああ、水を差してすまなんだ。どうぞ続きをブチュッとやるがいい。まあ最近はチュチュっとよくやっとったようだし、今更照れることでもないじゃろう?」
なんつー煽り方だ。
見た目は子供のくせに姑みたいな物言いだった。
「チュウ? チュウするの!?」
「見たい……。チュウ、みたい……!」
セレスティアとアウラが期待に満ちた目を向けてくる。
さすがに人前でするには――いや、まあいいか。
「タケ――ん」
「待て、心の準――んん」
誓いのキスならこんなものだろう、というわけではないが、エッチな気持ちが挟み込む余地のない、実に爽やかな口づけを交わした。
セーレスとエアリス。
キスした順番に意味はないが、次にするときは逆にすれば問題ないだろう。
「魔族種根源貴族、白蛇族の王オクタヴィア・テトラコルドが見届けた。誓いの口づけを以て、タケル・エンペドクレス、アリスト=セレス、エアスト=リアスの婚姻がなったものとする。おめでとう三人とも」
小さなカラダで胸を張り、精一杯威厳を発揮しようとするオクタヴィアに見届けられ、僕たちは結婚の誓いを完了させた。
セーレスが笑っている。
いつもは気丈なエアリスが泣いている。
セレスティアとアウラははしゃぎ、前オクタヴィアはまるで我がことのように微笑んでいる。真希奈はただ静かに僕たちを見守り続けていた。
「さて――行くか、地球に」
カーミラの元に。
まだまだ問題だらけだけど、元ニートの僕に、一つの大きな節目が訪れようとしていた。
続く。
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