第370話 キミが笑う未来のために篇⑧ 深夜・男同士の戦い〜イオとジャン・暁の告白前編

 * * *



 ひとり、星が降り注ぐ荒野の下、僕が自分の愚かさに身悶えていると、ザッザッと、わざと音を立てて足音が近づいてくる。


 こんな狂態は自分ひとりだけだとわかっているからできるのであって、さすがに昨日今日会ったばかりの野郎に見せられるものではない。


 僕はなけなしのプライドを振り絞って身を起こし、余裕の表情を繕ってから、やってくる男を出迎えた。


「少し歩かないか」


 男――ジャンは、「やあ」とも「悪いな」とも言わないでそう言った。

 ホントこいつ、僕とふたりきりになって何するつもりなんだ?


「万が一にも、誰かに聞かれるわけにはいかないんだ。そちらも困ることになると思う」


「なんで僕が困るんだ? というか、何の話をするつもりなんだ? 言っておくが僕はゲイ……男色の趣味はないからな」


 他の冒険者の戯言を聞いて、そっちの相手を期待しているんなら大間違いだ。ちょっとでも頷いたら全力でぶん殴ってやろう。


「ち、違う、そうじゃない。……エンペドクレス王・・・・・・・・に、折り入って話があります」


 そう言うとジャンは、深々と頭を下げたのだった。



 *



「この辺でいいだろ」


「は、はい……!」


 僕の手を離すと、途端にジャンはその場に尻もちをついた。


 ヒトに聞かれたくない話――それはまさしく僕の正体を隠すためのものだった。

 したがって僕は彼の腕を掴むと、その場から急ぎ飛び立った。


 何度もいうが、空を飛ぶという行為は魔法世界マクマティカではおとぎ話の部類に入る。


 ゴウっと突如風を吹き上げ、ふわりと浮かんだ僕を、ジャンは目玉が溢れるほど凝視し、さらに手を掴んで飛び立てば、声にならない悲鳴を飲み込んでいた。


 時間にして10分ほどだろうか。眼下にふと湧き水が出る池を見つけて空中で停止する。どうやら地下水が自然と湧き出るオアシスのようだ。ヒトの気配は皆無。話を聞かれて困るような生物は存在しないことを確認し、僕たちは着地した。


「最初に聞かせろよ。なんで僕の正体に気づいた?」


 豊富な水の魔素を呼び寄せると、先ほどと同様にウォーターソファを創り出す。ジャンを視界に収めながら頭の後ろで腕を組み、倒れ込むように腰を下ろす。ジャンは突っ立ったまま口を開いた。


「ナスカ、という名前には聞き覚えがあった……ありました」


「いいよ、自分のしゃべりやすい言葉で」


 ジャンは慣れない敬語に舌を噛みそうになっている。

 まあ、今は公式な場所じゃないし、誰の目もない。

 人生経験の先輩として相手の顔を立ててやろう。


「すみません……、ナスカという名前は獣人種の領域で耳にしたんだ」


「ああ、なるほど……そうだよ、それが僕だ」


「や、やっぱり……!」


 獣人種の領域――大河川ナウシズを渡った沿岸の領域は獣人種を取りまとめる列強氏族たちが治めている。北を魔の森、南を海に挟まれ、魔の森を削り出した林業と造船で生計を立てている。


 ちなみに、ヒト種族が多くいる大陸がプリンキピアで、魔族種がいるここがヒルベルト大陸だ。では獣人種のいる大陸の名前は――ない。あえていうなら『魔の森がある大陸』ということになる。


 未だ魔の森の版図が大きすぎて、彼らは自分たちの大陸とは主張しきれていない。いつか勢力図が逆転した暁には、正式な名前がつけられることになるという。


 そして僕は中立緩衝地域ナーガ・セーナにある獣人種共有魔法学校で一時期教鞭を取っていた。僕が受け持ったのは落ちこぼれとされた生徒たち七名であり、そのいずれもが魔法師進級試験に挑み、なかなかの成績を収めた。


 落ちこぼれだなんてとんでもない。

 子どもたちは皆、才能に満ち溢れていた。

 ただ、既存の授業ではそれを発掘しきれなかっただけ。

 僕が行った授業方法は効果的として、その後の魔法師共有学校へ取り入れられることとなる。


「獣人種領はどこも伝説の教師ナスカの噂でもちきりだった。共有学校の授業など粗末なものだと決めつけていた名門魔法塾が危機感を抱いているとまで噂されていたほどだ……!」


 子どもたちが魔法を習う方法は主に二つ。

 高額な私塾に通うか、安い共有学校に通うかだ。

 魔法の才能を持つ子どもはそれだけで希少だ。

 将来大成させたいと願えば、高くとも前者を選ぶ親は多い。


「噂の中には、ナスカは魔族種の王なのではないか、というものもあったんだ。夕食の時、あなたが我竜族の王と戦った姿を目にした男の話と、今日、地下迷宮であなたの戦いぶりをこの目で見た。そしてここはタケル・エンペドクレスのお膝元だ。俺にはナスカとエンペドクレス王が同一人物にしか思えなくなった」


 ジャンは噂の相手である僕に会えて興奮しているようで一気にまくし立てた。最後には「でもまあ、普段全身鎧で顔を隠しながら、冒険者として市井に紛れているとは思わなかったけど……」と呟く。


 ふーむ、確かに勘のいいものは気づくかもしれない。

 魔法師共有学校の進級試験官を勤めたとき、四大魔素を極限まで結晶化させた剣を創り出しているし、我竜族の蛮王ゾルダと戦ったときには、我竜族たちを拘束するため、グランドピラーを創り出して中に閉じ込めたこともあった。


 どれもこれも今日使ってしまっている。でも、他の冒険者は気づいていないのだから、ジャンだけが特別洞察力に優れていたようだ。


「というかお前、なんで獣人種の領域にいたんだ?」


 手慰みというわけではないが、懐からエアリス謹製のジャーキーを取り出し口に咥える。強い塩気が舌を刺激するが、すぐにじんわりと肉の旨味が染み出し始める。おしゃぶりに最適だな。


「話してなかったな。イオの奴は元々、獣人種の有数な商家の娘でな。俺はヒト種族の貴族の四男坊だったんだ。俺の家の出入り業者がイオの実家で、アイツのことは子供の頃から知ってるんだ」


「へ、へえ……幼馴染ってやつか」


 ふと綾瀬川心深の顔を思い出してしまった。

 今でこそ平気になったが、かつて僕は、彼女のことを苦手としていた。


 人気者で綺麗な幼馴染が、僕みたいなぼっちニートに絡むと、いらない嫉妬を周囲から抱かれてしまうからだ。


 皮肉なことに僕は、地球からいなくなり、ニートをやめて、人間ですら無くなってようやく、綾瀬川心深という女の子に向き合うことができた。でも――


「幼馴染にしては距離感がおかしくないか? お前は確かイオより年上で貴族の息子なんだろう?」


 イオは確か僕と同い年だったはずだ。

 ジャンは、どうみても成人――この世界の元服の年齢である15歳以上という意味ではなく、地球基準で20歳を越えた顔つきをしている。


 傍からふたりを見ても、よくて女子高生と大学生くらいにしか見えないのだ。自分の家が世話になっていた貴族の息子に、あんなに砕けた態度をとるかね?


「それは、彼女が俺のことを綺麗さっぱり忘れているからだ」


 そういうジャンの表情――ふたつのムートゥに照らし出された顔には一抹の寂しさが宿って見えた。


 話を聞けば、ジャンの実家はある時を境にかなり貧しくなったらしい。イオの家との付き合いも切れ、もう何年も彼女に会ってなかったそうだ。


「貴族としてギリギリろくを食めたのは三男までで、俺は家を出て独り立ちするしかなかったんだ……」


 そうして元服と同時に家を出て、多少覚えのあった剣の腕を使い、冒険者になった。そのまま流れ流れて獣人種の領域まで行き、同じく冒険者になったばかりのイオと偶然再会したらしい。


「驚いたよ。てっきり彼女はどこぞの豪商の家に嫁ぐか、あの器量なら列強氏族の妾くらいになってもおかしくはなかったから。それが女ひとりで冒険者とは……」


「お、おう……」


 確かにイオを可愛い子だとは思うが、ジャンの奴は幼馴染補正でかなり色眼鏡が入っているような気がする。


「なんだろうな、実家と喧嘩でもしたのか?」


「わからない。ずいぶん一緒にいるが、彼女は実家のことを口にしたがらない。だが、よほどのことがあったらしい……」


 望まぬ結婚でもさせられそうになったのだろうか。

 政略結婚などこの世界ではごくごく当たり前のことだ。

 むしろ器量良しの娘なら、当然のように身分の高い相手のところに嫁いでいく。

 余った年かさの次男坊や三男坊に若い娘があてがわれることも珍しくない。


「今でもハッキリと覚えている……イオは自分と組んでくれる相手を見つけようと必死になっていたよ」


 ――あなたひとり? 組んであげてもいいわよ、この私が。


 冒険者ギルドでそんな上から発言をした新人の冒険者が、かつて自分の家と親交があった商家の娘イオなのだと、ジャンは即座に気づいたという。


 出入りをしていた頃、まだイオは幼い子どもで、父親同士の商談に退屈を持て余してグズっているのを、ジャンは遊んでやったことがあるらしい。


 それから数年。幼かったイオはすっかり綺麗に成長し、そして性格もネジ曲がり、自ら茨の道を行くような無謀な娘になっていた。


「ああ、身の程知らずの女が仲間欲しさに、のべつ幕なし声をかけているな、面倒くさいなと、最初は思っていた。その時俺は冒険者2級の腕前だったので、1級に上がるために絶対に仕事で下手は打てない身の上だった」


 冒険者2級か。まだ若いのにかなりの出世スピードだ、と僕は感心する。

 ジャンの言い分は最もだ。一流冒険者の仲間入りができるかどうかの瀬戸際で、格下新人の面倒など見ていられないだろう。


「俺のところに来たら睨みひとつで追い返してやろう、そう思ってたら案の定やってきたよ。だから精一杯睨みつけてやろうとして……できなかった」


 ジャンはすぐにその娘がイオであると気づき、さらに傲慢に振る舞う姿が実は、今にも泣き出しそうになるのを必死に我慢しているのだと看破したという。


「昔から、子供の頃からそうなんだ。あの子は強がるときに下唇が白くなるほど噛むクセがある。変わってなくて驚いた……いや、かなり綺麗に成長してたから、そういう意味では変わっていて驚いたんだが」


 なんとなく惚気を聞かされているような気分になり、僕は押し黙った。

 こちらの生ぬるい視線にも気づかず、ジャンはさらに続ける。


「彼女は俺のことを覚えていなかった。当たり前だ。最後に別れたとき、彼女はまだ小さな子どもだったから。気がつけば俺は彼女と組むための話をしていた……」


 そしてジャンはイオをパートナーにして以来、1級に昇格するための仕事は一切受けていないという。それよりも、魔法師としての彼女の能力が活かせるような仕事を率先して選んでいる。今回のダンジョン討伐も、彼女のキャリア作りの一貫なのだとか。


「それで、そろそろ本題を話して欲しいんだけどな」


 放っておけば、延々とイオのことを話しそうな勢いのジャンを遮る。

 まさか本題がイオの自慢話ではないだろうことを期待して。


「ああ、すまなかった……。実は、あなたをタケル・エンペドクレス王と見込んでお願いがある。どうかイオをあなたの側においてやってほしい」


 居住まいを正したジャンが真摯に頭を下げてきた。

 僕はそんな奴のつむじを凝視しながら、言われた言葉の意味を何度も反芻するのだった。



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