第369話 キミの笑う未来のために篇⑦ ひとりの夜と自己問答〜この感情に名前をつけるなら『愛』
* * *
食事も終わり、風呂にも入って、疲労困憊のみんなはグースカ寝てしまった。
さすが手慣れたもので、彼らは荷物や腕を枕すると、あっという間に寝息を立て始めた。
ハウトさんとイオは簡易テントの中で仲良く就寝中だ。
さっきまではキャッキャと睦まじい笑い声が聞こえていた。どうやらお風呂で本格的に仲良くなったらしい。裸の付き合いのおかげだな。あ、いや、やらしい意味ではなく……。
ちなみに、シティボーイな僕は地面に雑魚寝は慣れないので、少し離れた荒野にウォーターベットを作って横になっている。枕元にはサイドランプ代わりに光量を抑えた鬼火――炎の魔素によるオレンジ色の灯りが点いている。即席にしてはなかなか快適な寝床だった。
両手を頭の後ろで組んで空を見上げれば、まるで今にも落ちてきそうな満天の星空。そして、この世界のどこから見ても変わらないふたつの
ふと思う。そう言えばこんな風に完全にひとりっきりになるのは随分久しぶりじゃないだろうか、と。確かに真希奈(現在はスリープモード)はいるが、そういう意味ではなく。
柄にもなく一国一城の主となってしまった僕の周りには、セーレスやエアリス、アウラやセレスティアといった家族のように共同生活をする女の子たちがいる。一年前までは想像もできなかったような暮らしだ。
もしかして――僕は彼女たちと一緒に生活しながら、ずっとひとりになって考えを整理したかったのではないだろうか。
あの黄金の力を使って頭が曖昧になってしまったとき、僕は無意識に一人になれる場所を求めて地球へと向かい、偶然にもみんなを巻き込んでしまった。
その原因となったのは、今にして思えばハーン国王のあの言葉だ。
王国が僕個人への友好と感謝の意を示すために、残った末娘であるオットー・レイリィ・バウムガルデンを后にと勧めてきたのだ。
聖都の浄化は僕が個人的にやり残したと思っている事柄だった。
オッドアイ――アダム・スミスが
だが僕は義憤に駆られてあの男を責めるようなつもりもなかった。
何故ならかつては僕だって、ミュー山脈の活火山を復活させ、今回巻き起こった災害と同じことをしようとしてきたからだ。もしも聖剣が現れなければ、確実にそうなっていただろう。
そういう意味で僕と奴は似ている。
自分の目的のためには手段を選ばないということ。
奴は地球人類のため、僕はセーレスのために。
今回の浄化で、色々と想定外の事態があったのは確かだが、でもあの黒い太陽さえ堕とした今の僕なら、セーレス、エアリスという協力者の力さえ得られれば、聖都浄化もやってやれないことないと確信していた。
今後、
今後、レイリィ王女には王国の代表として、アダム・スミスへと引き合わせる予定だ。スカイツリーの上に連れて行って以来、彼女も地球には興味津々の様子だ。その役目は喜んで引き受けてくれるだろう。
だが、本来僕が想定していた王都の大使という立場ではなく、彼女は僕の伴侶としての立場も加味した上で、交渉のテーブルについていくことを望んでいる。
やはりそれは、僕が聖都の浄化すら可能な力を有し、精霊魔法使いを多く庇護下に置いて、なおかつ地球と
地球との長期交渉には僕の存在は絶対不可欠。
僕との友好関係はイコール王都の莫大な利益にもつながる。
そのために、目に入れても痛くない愛娘を僕へと差し出す。
それがオットー・ハーン・エウドクソスの本当の狙いのはずだ。
では、そこに彼女の――レイリィ王女の意思はないのか。
父親の命じるがまま、好きでもない男との婚姻を強要され、いつ終わるともしれない異世界との交渉に身をやつしていくのか――
「私のことがお嫌いですか?」
「素敵ですね、自分の願いが成就するというのは――」
「これからは妻として何卒よしなに――」
「あなた様はずるい男です」
そんなこと全然なかった。
出会ったその瞬間から好感度はマックスだった……。
どうしよう。マジで……。
*
僕は寝返りを打ちながら別の件を考える。
それはもちろんカーミラのことだ。
カーミラ・カーネーション・フォマルハウト。
齢700歳にもなるという神祖の吸血鬼。
長い放浪の果てに戦後間もない日本へと降り立ち、そのまま根付いてしまった人外種。
今や世界中に支社を持つ、カーネーショングループの創始者であり総帥だ。
商才に長け、美貌もセンスも兼ね揃えたスーパーウーマンである。
そんな彼女に、僕は命を救われたことがある。
あれは忘れもしない――御堂百理の要請でダマスカスへと飛び、テロリストから日本人を含むNGO関係者を救出したときだ。
NATO軍とロシア宇宙軍との空爆地域になっていた街を救うため、僕はギリギリの空中戦を行い、そして自爆した。
聖剣が暴走したのだ。
想定以上の魔力を消費してしまったがために、聖剣の制御と封印に回されていた魔力が減り、結果聖剣は僕自身へと牙を剥いた。
聖剣を抑え込むため、一時全ての魔力を吸い取られた僕は、魔法を行使することも敵わず、テロリストの集団と戦闘に陥り、さらに当時は僕を憎んでいたセレスティアに止めを刺され、瀕死の重傷を負ってしまったのだ。
不死の源泉である無尽蔵の魔力は枯渇し、僕は本当に死ぬはずだった。
辛うじて命をとりとめたのは、カーミラの力のおかげだった。
彼女が僕を吸血鬼の眷属――僕を吸血鬼化するのではなく、彼女と僕とを霊的なラインで繋ぎ、吸血鬼としての生命力を僕へと分け与えることで、傷の回復を試みたのである。
「だけど、それがまさかあんな方法だったなんて……」
冷たくて昏い世界から帰還した僕を包み込んでいたのは、温かくて柔らかくていい匂いのする裸体のカーミラだった。
つまり、彼女は僕との間に繋がりを構築するため、まずは肉体的に繋がり、深く精神的にも同調した瞬間にラインを構築した……らしい。
らしいというのは、当時の記憶がまったくないからだ。
瀕死の状態で、三途の川で半身浴していた身分なのだからしょうがない。
――人目をはばかるように、旅館の従業員たちですら寝静まった時間、たった一人でお腹の中の愛し子に話しかけていたカーミラ。
そのお腹は最早、ゆったりとしたデザインの服ですら隠せないほど、大きくなってしまっていた。思えば上野の美術館で再会したときの彼女の服装の変化で気づくべきだった。
あの時点で半年ほど。
そして旅館で会ったときはほぼ十月。
僕の子供、なのか。
父親になる。
アウラやセレスティア、真希奈のような『娘と思っている存在』ではなく。
正真正銘、僕の血を引く子供が生まれようとしている。
(僕が……元ニートの僕が。いや、それより以前にこんなこと、セーレスやエアリスになんと話せばいいのか……)
最近でこそやたらとスキンシップが増えたセーレスとエアリスだが、『そういうこと』はまだ、である。
まさか自分たちを差し置いて、僕の子供を他所の女が産んでしまったら。
果たしてセーレスとエアリスはどれだけ傷つくだろうか。
(いや、ちょっと待て……それより以前に僕はいつから、セーレスとエアリスの両方ともだなんて考えていた……?)
セーレス。
僕が
長い時間を孤独に過ごし、異世界からきた僕を受け入れてくれた。
彼女を救うために僕は人間であることを辞め、世界さえ飛び越えた。
エアリス。
最愛の男の命と引換えに蘇った僕を憎悪し、嫌悪していた女の子。
僕の生き方や在り方そのものを見極め、僕の行動に協力してくれた。
地球に渡ってからは僕を積極的に支えてくれる掛け替えのない存在となる。
セーレスは僕が魔族種となって以降の存在理由そのものだ。
彼女のために僕は一度死に、そして甦った。
彼女への強い思いがなければ今の僕はない。
エアリスは僕という男によって変貌した少女だ。
価値観が変わり、性格が変わり、気持ちも変わった。
今では僕を主と崇め、その行く末を命の限り見守ろうとしている。
果たしてどちらかなんて、もはやそんな選択肢すら介在する余地のないレベルで――
「好き……いや、愛してるってことなんだろうな、ふたりを……」
我ながら、よくもここまで同等の愛情を育てたものだと思う。
そしてこんなどうしようもない状況になってから初めて自覚を持つことができた。
いや、ここまで追い詰められないと、自分の気持ちにすら自信が持てなかったというべきか。
酷いな。重症だな。
もはや病気だ。
童貞――じゃないけど、精神的にはまだ童貞なんだな僕ってやつ……。
*
おーけー、落ち着こう。
僕はセーレスを愛している。
僕はエアリスを愛している。
ここまではいいとしよう。
ではレイリィ王女に対してはどうだろうか。
悪い子では断じてない、と思う。
いやむしろ僕は彼女に恩義を感じている。
いっそ危ういほどに僕の目的のために命すら差し出す女の子。
それはエアリスに似ているようだが実は違う。
エアリスには自分で道を切り拓けるだけの力――精霊の加護という破格の力を持っているのに対して、レイリィ王女には何もない。
その高貴なる身分を抜きに考えれば、彼女はごくごく普通の女の子だ。
器量がいいことを除けば、初歩的な魔法以外使えないそこらの村娘と同じといえる。
それなのに、箒星と化した僕の本気の攻撃を、ドルゴリオタイトによる加護があるとはいえ、ぶっつけ本番で覚悟を決めて、全て受けきってしまう胆力の持ち主なのだ。
僕に対する信頼度というものが、頭ひとつ以上も飛び抜けていなければできない所業だろう。
カーミラは……。
現時点はおろか将来的にも、僕などが太刀打ちできないほどのすごい女性だ。
人生経験に始まり、その生き方、社会的地位、商才や交渉力などなど。ひとつひとつ挙げていけばキリがない。人間ではないが、人間力という観点では、天と地ほどの差が、彼女と僕の間にはある。
そんな女性が、たまさか異世界で人間を辞めた程度の16歳のガキを救うために、自らの大切な心と身体を捧げてくれた。
命を救うという行為の副次的なものとして、自らに宿った新たな生命を、彼女はその胎内で育み、この世界に残そうとしている。残そうとしてくれている。
僕はそんなこととは露知らず、妊娠初期の頃からほとんど顔をあわせないで、彼女が臨月間近になるまで父親としての役割を果たさず、ずっと放っておいたことになる。
現在ベゴニアがカーネーションの会長代理をしているも納得だ。
百理がなんとなく不機嫌気味にカーミラの名を吐き捨てていたのもわかる。
きっとあの温泉宿で湯治をしていたのはカーミラ自身であり、百理は身重な彼女を気遣ってそばにいてくれていたのだろう。
間抜けな僕から連絡を受けて、あの広い旅館ならば、バッティングせずにやり過ごすことができると踏んでいたに違いない。
きっとカーミラは一人、僕らがどんちゃん騒ぎをしている裏で、あの大きなお腹を抱え、部屋で寂しく過ごしていたのだろう。
その時僕は何をしていた?
セレスティアに迫られ、エアリスと温泉に入っていたのではないか?
知らなかったこととはいえ、あのときの自分を殺してしまいたい――!
凄まじい自己嫌悪に、僕はベッドの上で身悶えるのだった。
続く。
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